1-2 ステラが言った

 ステラが言った通称裏山までは、さほど遠くない。ラクスフェルドの北側にある双子山の小さいほう、それが裏山である。尾根でつながった大きいほうは城山と呼ばれ、山の中腹から裾野にかけての斜面にラクスフェルド城があり、その下に市壁で囲まれたラクスフェルド市街が広がる。双子山はどちらも低い山だが、ラクスフェルド城の背後を守るうえで重要な自然の要塞といえた。

 荘園の農道をゆく途中、ペルが荷馬車の手綱を取っているステラに訊ねた。

「さっき問題発生って言ってましたけど、なにがあったんですか」

「裏山に入ったまま帰ってこない人がいるみたい。たまにいるのよねえ、面白半分で廃坑へ遊びにいっちゃう子供とか」

「へえ、そういうのも魔術師組合の仕事なんですか」

「んー、荘園内の厄介事は、だいたいゴックさんのとこの自警団が処理するのよ。とはいえ、みんなが忙しい時期だとなかなかね。そんなときにお鉢が回ってくるわけ」

 自警団といえども、所詮はほとんどが小作人の集まりである。組織としての規模は小さく、意識も低い。あくまで一蓮托生な荘園の農奴たちによる、助け合いの精神から生まれたものなのだ。

「でもゴックさん、荘園をまとめるためによくやってるわ。あの人、もともとは貴族でなく平民の出なのよ」

「というと?」

「ずいぶん昔に裏山の鉱山で一攫千金をあてたって聞いたわ。ラクスフェルドの経済発展に貢献した恩賞で、諸侯に取り立ててもらったのね。領地はもらえなかったけど、荘園を管理する仕事を任されたんだって。農夫の人たちからも評判はいいわよ。それに魔術師組合だって、あの人の自腹で運営されてるんだから」

「心の広い人だなあ」

 ペルは素直に感心した。

「そういえばゴックさん、若いころは魔術師志望だったらしいわ。翰林院に求人を出したのも、それがあるのかもね。夢は叶わなかったけど、昔の自分とおなじく魔術師を目指す人を応援したいんじゃないかしら」

 ステラは言うと、魔術師のローブをまとったゴックが呪文を唱えている様子を思い浮かべ、くすくすと笑った。

 ペルも魔術師組合が民間の非営利団体ということは知っていた。しかし、その運営を取り仕切っているのがゴックだったとは初耳である。組合の活動としては、主にラクスフェルドで魔術師が活動する際の支援となる。働き口の世話や、組合員の魔術師から組合費を徴収し、困ったときの保障なども担っていた。似たような組織に魔術協会というのが存在し、これがちょっとややこしいのである。魔術協会のほうはより規模の大きな機関であり、大陸のすべての魔術師を管理、規制するのを目的としている。協会に登録していなければ、その魔術師は協会支部のある土地での活動を許されない。これはともすれば危険な存在となる魔術師が、各都市でよからぬことを企てたりしないための予防措置だった。

 ふと、ペルはステラの素性のことを思った。もちろん魔術協会には登録しているにちがいない。しかし、彼女はどこで魔術を習得したのだろうか。気になったので、ペルは訊ねてみた。

「ステラさんも、やっぱりラクスフェルドの翰林院で魔術を勉強したんですか?」

「翰林院か……あたし、そういう魔術の学校とか通ったことないのよねえ」

「え、じゃあ魔術はどうやって身につけたんです?」

「んー、まあ半分自己流というか、身近に教えてくれる人がいたというか」

 なにかもやもやとする言い回しをしたステラは、しばらく宙に視線をさまよわせた。

 突然、馬車が大きく揺れる。ステラが手綱を引いて荷馬車を脇道へ入れたのだった。

「もうすぐ山道よ。鉱山があったころの道が整備されてるから、はやくすめば夕食までには帰れそうね」

 話が立ち消えた。なんとなくはぐらかされた気がしたものの、あまり詮索するのも無遠慮かと思い、ペルはそのまま口を閉ざした。

 ステラの言ったとおり、まもなく周囲は木々に囲まれ、ゆく手が薄暗く寂しい感じの坂道となった。うねった泥の道をゆくうち、少し開けたところに出る。山間の農民が炭焼きに使っている場所のようだ。雨よけの屋根がついた大きな炭窯と、粗末な差し掛け小屋があり、そこには大量の木材が積んであった。

「ピートさぁ~ん」

 荷馬車を停めたステラが大声で呼びかけると、炭焼き窯の陰から毛皮を着た男がのっそりと姿を現す。煤で全身が黒く汚れた、熊かと見紛うような大男である。

「やあ、ステラじゃないか。なんだ、おまえがきたのか」

「自警団のみんなは畑仕事で忙しくてね。あたしが代理」

「そっちの若いのは?」

 ピートがペルを顎でしゃくった。

「組合の雑用係よ。翰林院のペルくん。今日から来てもらってるの」

「てことは、ステラの小間使いか。はは、そりゃかわいそうに」

「どういう意味よ」

 むすっとしたステラが目を眇めてピートを睨む。ペルはその横で苦笑した。

「で、裏山に入ったのは誰なの」

 一転、表情を硬くしたステラがピートに訊いた。

「知らんよ。土地の者じゃない。ありゃあ、たぶんモンハンだな」

「もんはん?」

 頭の上にはてなマークを浮かべたペルとステラが、ふたりいっしょにおうむ返しをした。

「ああ。モンスターハンターとかいうらしい。いま世間じゃ、めずらしいモンスターを狩って、角やら皮やらを持って帰るのが大流行してるんだと。たいそうな武器を持った四人が、山に入っていくのを昨日見たんだ。裏山は地元の狩人以外、禁猟だってのに」

「ふうん」

 ステラは首を回して、裏山の頂を見あげた。もう空は薄く暮れはじめている。

「ゴックさんの話じゃ、そいつらが泊まってる宿の主人から連絡が来たと言ってたな。荷物を置いたままだから、宿賃の踏み倒しでもあるまい。裏山がどうのこうの話してたそうだから、たぶん山中で迷ってるんじゃないかってわけさ」

「だとしたら厄介ね。ただでさえ人手が足りないのに、山狩りなんてできないわよ」

「ほっとけほっとけ。猟の規則を破った余所者だぞ、そこまで面倒見きれるかってんだ」

「そうもいかないわよ」

 ステラは疲れたようにため息をついた。

「念のため、廃坑まで見てくるわ。それからあとは憲兵隊にでも任せましょう」

 ピートから事情を聞いたふたりは彼と別れ、さらに山奥にある廃坑を目指した。

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