魔術師組合の雑用係
天川降雪
第一章
1-1 オーリア王国の最高学府
オーリア王国の最高学府である王立翰林院の玄関広間には、入ってすぐの場所に在籍者向けの掲示板が設けてある。連絡事項や求人の情報などが随時更新されているため、取り立てて用がなくともそこで足を止める者は多い。翰林院の今日の授業がすべて終了したいまも、何人かの姿が見える。
掲示板の前で長く熟考していたペルは、大量の羊皮紙を貼り付けすぎて魚の鱗みたいになっているところから、おもむろに一枚を剥ぎ取った。顔に近づけ、まじまじと見つめる。それは魔術師組合からの求人だった。求人票にはつぎのような募集要項が、簡潔に記されている。
求ム 当組合の雑用係 一名
主な業務 雑用全般 経験不問
時給 八〇〇オリオン
以前からよく目にしていた求人である。おそらくは、ずっと応募者がいないのだ。時給が安いため、かくいうペルもその求人を敬遠してきたのだった。しかし新学期がはじまってしばらくたったいま、まだ勉強の片手間にできるアルバイトが見つからない彼としては、いよいよ選り好みする余裕もなくなってきた。
にしても、具体的にいって雑用とはなんだろうか。経験不問とされているのだから、たぶん組合の連絡係や清掃、あるいは事務の手伝いなどの簡単な仕事だとは思う。力仕事よりも頭脳労働を望むペルにとって、特に問題はない。さらに魔術師組合で働くことは、翰林院の高等部で魔術を学んでいる自身にしてみれば、将来的に有利な人脈が得られる見込みもあった。
「しょうがない、これでいいや」
ぽつりと独りごち、ペルは求人票を持って厚生課の窓口へ歩いた。そうして紹介状を書いてもらい、彼は翰林院の本棟から外へ出た。
春の午後である。日差しは暖かで、ほどよく風が冷たい。
修練生が着る紺色のローブを身につけ、初心者向けの魔術杖を携えるペルは、外のまぶしさに目を細めた。肩にかけた大きな雑嚢からローブと同じ色のとんがり帽を取り出し、潰れているのを直して頭に乗せる。
厚生課の職員によれば、魔術師組合はオーリア王国の首都となるこのラクスフェルド郊外にあるとのことだ。ペルは翰林院の正門までつづく広い前庭を横切り、構内をあとにした。
ラクスフェルドの北側は山裾の高台になっており、その傾斜のゆるい場所にラクスフェルド城が鎮座する。ペルは城下のにぎやかな商店街を抜けて、東の市門へと向かった。この太陽門はいまの時刻ならば開いているが、日が落ちると閉ざされてしまう。市門に隣接する門衛の詰所を過ぎ、市壁をくぐれば街の外だ。外に出ると視界がひらけ、高い囲壁の内側とはうってかわって牧歌的な風景となる。見渡す限りの農耕地帯。几帳面に区画化された荘園がゆるやかに波打ち、遠くの丘陵にまでつづいている。そこをまっすぐに突っ切る街道をしばらく歩いて、ペルは厚生課の職員から教えられたとおり脇のあぜ道へ入った。石畳が砂利道に変わり、小石を踏みしだくざくざくという足音が、あたりに響く。轍のあるあぜ道は、かろうじて馬車と人がすれちがうことのできる幅があった。道の両脇では黒々とした土壌に畝が盛られ、根菜類の苗らしきものが植えられている。畑で作業をしている農夫と挨拶を交わし、のどかな景色を眺めつつさらに歩を進めると、行く手に一軒の家屋が見えてきた。灌漑用水のそばにある青い瓦の一軒家。まちがいない、あそこが魔術師組合の本部である。
ペルが用水路に架かった小さな橋を渡るとき、家の裏手で水車が回っているのが目にとまった。生け垣の向こうのさほど広くはない裏庭には露台があり、寝椅子と簡単な小卓が置かれている。日陰棚に絡まった蔓草の葉がそこに影を落としており、昼寝をするには最適な場所に思えた。
ペルは家を囲んでいる垣根に沿って、正面に回った。そこはあらためて見ると、こぢんまりとはしているものの、なかなか快適そうな住居だった。二階建で、敷地内には家畜小屋もある。漆喰の壁はほとんど汚れておらず、窓の鎧戸と玄関の扉がいずれも開け放ちにされていた。屋根の煙突から細く薄い煙がひとすじ立ち上っているので、留守ではないようだ。
ペルは垣根の切れ目から敷地に入り、敷石を踏んで玄関の庇まで歩いた。そこで帽子を脱ぎ、雑嚢から翰林院の紹介状を取り出して、深呼吸をひとつ。彼はそうして緊張をほぐすと、そろそろと玄関の戸口から家の内を覗いた。
家のなかは雑然という形容がぴったりな様子だった。部屋の四方には天井まで届く高さの本棚が何台も置かれており、ここの住人は文字通り本に囲まれて暮らすこととなる。本が置かれていない棚にはなにかの瓶詰や動物の骨、魔術スクロールの束などがぎっちり詰め込まれている。さらに天井の梁からは膨大な数の干物がぶらさがり、部屋のそこここに壺やら薬瓶やら本棚から溢れた書物が放り出されているため、足の踏み場もないとはまさにこのことである。
ペルは乱雑きわまる室内に圧倒されつつ、そこで人の姿を探した。すると玄関から見て左手の奥、暖炉の火にかけられたひと抱えもありそうな大釜のそばで、こちらに背を向けている髪の長い女性がいるのを見つけた。彼女は魔術師風のローブを着ているので、おそらく組合の関係者だと思われた。
「あのう、すみません」
やや高くした声音でペルが呼びかける。すると柄杓で大釜をかき混ぜていた女魔術師が、手をとめてふり向いた。
「あら、どなた?」
「ええっと、翰林院の修練生です。雑用係の求人募集を見てうかがったんですけど」
「あー、はいはい」
軽い調子で応じた女魔術師がペルのほうへやってくる。すると彼女の神秘的な銀目に見据えられ、ペルは一瞬、どきりとなった。砂色の長い髪を背に垂らした女魔術師は、あきらかにペルよりも年長で、胸ぐりの深いローブを身にまとった妙齢な風貌である。首周りと袖の部分に精緻な縫い取りがされた緋色のローブは、腰のあたりから大胆なスリットが入っており、歩くたびにちらちらと扇情的な太ももが見えちゃったりしている。
女魔術師はペルから紹介状を受け取り顔の前に持ってゆくと、家のなかに招いて椅子を勧めた。そしてペルが部屋の中央にある卓の席に着くやいなや、
「ごお~かあ~く」
「ええっ!?」
いったんは椅子に座ったペルだったが、びっくりしてまたすぐに腰を浮かせた。
「ペルくんね。採用よ。へえ、高等部の一年生か。あたしはステラ、よろしく」
差し出された手をペルは反射的に握る。
「よ、よろしくおねがいします。でも、いいんですか、そんなあっさりと……」
「いーのいーの、そんなたいした仕事じゃないんだから」
ペルの心配を笑いとばし、ステラはひらひらと手を振った。
「じゃあ、さっそく今日からはじめてもらおうかな。とりあえずは、ここの掃除よね。道具は外の納屋にあるから」
ずいぶんと簡単に事が運ぶんだなと思いつつ、ペルはわかりましたと告げて家の外に出た。しかし、納屋はどこだろうか。あたりを見回すと家畜小屋の横に扉があったので、ペルはそちらへ歩いた。途中、がらがらと荷馬車の立てる音を聞きつけ、彼は首を回した。すると組合本部に横付けした荷馬車から、でっぷりと太った中年男性が降り立つのが見えた。
「やあ」
ゆったりした薄茶色の長衣をなびかせ小走りで駆ける男は、ペルの横をすり抜けざまに軽く声をかけた。ペルもそれへ会釈で応える。
納屋から箒と塵取りを探しあてたペルが組合本部へもどってくると、さきほどの男とステラがなにやら話し合っていた。
「そんなの自警団がやる仕事じゃないの、なんであたしが」
暖炉の横で本棚にもたれ、腕を組んだステラが男に言った。
「知ってるだろ。いまはみんな土作りと種まきで忙しいんだよ」
「じゃあ、憲兵隊にでも頼んだらどうよ」
「いやいやそれはまずい。いくらつまらん問題とて、マントバーン王から任された荘園の付近でなにかあったと表立ってしまえば、わたしの評判がほれ、なあ……」
「もう、すぐそうやって体面ばっかり気にして」
小さくため息をついたステラは不興顔である。
「あれ、きみは?」
男が部屋の隅で所在なさげにしているペルに気づいた。
「ペルくんよ。翰林院の修練生だって。雑用係の募集、出してたでしょ。いつまでたっても誰も来ないから、とっとと採用したわ」
「あっそ」
男は言うと、ステラから紹介されたペルをしげしげと見つめる。
ステラが壁にかけてあったとんがり帽と雑嚢を取り、出かける支度をはじめた。
「ペルくん、こちらゴックさんよ。ここの荘園でいちばんえらい人、そんで魔術師組合の組合長」
「はじめまして、ペルといいます。よろしくおねがいします」
ペルは箒と塵取りを床に置くと、あらたまってゴックへお辞儀をした。
荘園領主ということは、おそらく今日ここへ来るまでに見た土地のほとんどがゴックのものなのだろう。特権を許されたゴックは柔和な見かけとは裏腹に、かなりの有力者ということだ。
「それじゃあ、ちょっといってくるわ。そうだ、ペルくんもいっしょにどう? このあたりのこと、知っておいたほうがいいしね」
ステラから唐突に言われたペルは目を丸くする。
「え、どこへです?」
「裏山のほうでなんか問題発生だって。まったく、人使い荒いんだから」
戸惑うペルがまごついてると、ゴックが彼に肯いてみせた。
「ステラがいっしょなら大丈夫だろう。わたしの馬車を使いなさい」
ふたりはゴックが乗ってきた荷馬車を借りると、彼を留守番に残して荘園北西の裏山へ向かった。
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