第七章

7-1 ナジムと名乗ったダークエルフ

 ナジムと名乗ったダークエルフは、微塵の遠慮もなく魔術師組合本部のなかに踏み入ってきた。上背のある相手に詰め寄られる格好となり、ペルは思わずあとずさった。ステラに会いにきたようだが、組合の用事以外で彼女にお客など初めてである。

 おずおずとナジムを見あげ、ペルが訊いた。

「あのう、失礼ですけど、ステラさんとはどういう──」

「心配するな、あやしい者ではない。ステラがここにいることは、ゴック殿から聞いて知っている」

 とナジム。彼はステラの魔術書や魔術用具であふれる乱雑な組合本部内をうろつき、そこにある品を勝手に手に取って眺めたりしている。

 ペルは魔術師組合の長であるゴックの名を聞いて安心した。ナジムの素性はわかりかねるが、どうやら本人が言うようにあやしい人物ではないのだろう。ステラは二階にいると告げると、ナジムはすぐに目聡く奥の階段を見つけた。まるで自分の家にいるかの振る舞いでそれを登りはじめた彼に、あわててペルもつづく。

「ステラさーん、お客さんですよおー」

 階段の途中からペルが上のステラへ声をかけた。ナジムが二階にある部屋の扉を開けると、彼女はちょうどいつものローブに着替え終わったところだった。

「げえっ、ナジム!」

 顔を歪ませて息をのんだ次の瞬間、ステラはぱっと身をひるがえすと、壁と寝台の狭い隙間へ逃げ込むように身体を押し込んだ。そうして彼女は猫みたいに寝台の端っこから顔の半分だけを覗かせて、

「あ、兄貴、こんなとこでなにやってんのよ!?」

「それはこちらの台詞だ。ゴック殿も人がわるい。おまえの居場所を知っていたのなら、すぐに教えてくれればよいものを」

 部屋に入ってきたナジムは鋭い目をステラに向けた。

「おい、なにをしている、そこへ座らんか」

 言って、寝台の上を指し示す。するとステラは、のそのそと狭い隙間から出てきてそれに従った。思わずペルは自分の目を疑ってしまう。ステラを指先一本で操ってしまうとは、いったいこのダークエルフは何者なのだ。

 部屋の戸口で棒立ちとなっているペルに、ナジムが気づいた。

「む……なんだ、おまえまだいたのか」

「へ?」

「これからふたりで込み入った話がある。すまんが、外してくれ」

「ああ、はい。じゃあぼく、今日はもう帰りますね……」

 ペルはそう言うと、寝台に腰掛けて萎縮しているステラをちらりと見てから、その場を去った。

「さて──」

 扉が閉じられ、ふたりきりになると、ふたたびナジムがぎろりとステラを睨んだ。

「およそ半年ぶりか、ステラ。無断で姿をくらませたのは許す。ネビュラーゼも、おまえのすきにさせろと言っていたからな」

「あーはいはい、そうですか。おやさしいこって」

「だが、おれ個人としては容認できん部分がある。いくらおたんちんのおまえとて、いなければ角笛の活動に差し障りが出るのだ。よって、いますぐもどってこい」

「いやだもーん」

 両手を頭の後ろで組み、ステラはごろりと寝台で横になる。ナジムの命令口調が気にくわなかったのか、完全にふてくされている。それを見たナジムの目が、すっと細くなった。

「そうか。ならば、これだけでも持って帰るぞ」

 ナジムが窓辺にあるマグシウスの杖へ手をのばしたのと、ステラが身を起こすのは、ほとんど同時だった。ふたりの手が交差する。が、わずかな差で空を摑んだのはステラだ。マグシウスの杖を頭上に掲げ、にやりとするナジム。それへ、ステラが顔を真っ赤にして言う。

「それはあたしが借りたの!」

「うそをつけ。とうに調べはついているぞ。おまえはこれをミロワ・オーダーの宝物庫からくすねたのではないか。他人のものを黙って持ちだすのは、借りると言わんのだ。この件に関してはのちほど審議する、覚悟しておけ」

「くっ、あいかわらずエルフのくせに細かいんだから……」

 と、握りしめた両拳をぷるぷるさせながらステラ。エルフ族は長命種の鷹揚さゆえ、万事に対して無頓着というきらいがある。しかしナジムの性質はその典型から外れているようだ。

 エルフの特徴をよく知る者が見れば、ナジムの容姿にやや違和感をおぼえるだろう。具体的には耳上端の尖りが鈍い、うっすらと髭を生やしている、比較的筋肉質な体躯等々。ナジムは人間とダークエルフのハーフなのだ。とすれば、先のエルフらしからぬ言動も納得がゆこう。

 ナジムとステラ──ふたりは昔から兄妹のようにして育ってきた。ステラにとってナジムは兄であり父であり、ずっと頭のあがらない存在である。壮年期を迎えている彼は、すでに年齢が一〇〇歳を超えている。エルフ族としてはやや成長が速いといえよう。それはやはり人間の血が混ざっているからだった。剣技と秘術系呪文を使い分けるエルドリッチナイトで、その戦闘力の高さから現在ミロワの角笛では中核の責を担っている。そしてステラが持つ魔術の才を見出し、ミロワの角笛へ引き込んだのも、当のナジムなのだった。

「これを返してほしければ、おれに手を貸せ。角笛の仕事だ。本来なら、おまえにも関わりがあることだぞ」

 ナジムはステラの目前へ、挑発するようにほれほれとマグシウスの杖をちらつかせた。いまにも飛びつきそうなステラだったが、そう簡単に懐柔されては自身の名折れだ。彼女はなんとか自制に務め、さしあたって相手の話を聞く態勢となる。

「ま、まあ事と次第によっちゃ、手伝ってあげてもいいけどお~」

 腕を組み、マグシウスの杖をしっかり横目で見つつそう言う。この期におよんでまるで根拠のない自分の優勢を誇示してくるステラに、ナジムはあきれて鼻を鳴らした。

「なに、おれたちにしてみれば毎度のことだ。またぞろフィーンドの手勢が悪さを企てているようなのでな、そいつを潰す」

「あっそ。んで、わざわざ兄貴がお出ましってことは、どんな相手よ?」

「それがな、調べではどうやらもうこの街に潜伏しているらしい」

「ラクスフェルドに? そういえば、旧市街にカンビオンが一匹いたわね」

「そいつはシルバースター一家の代貸だ。おれが追っているのは、そんな小物じゃない。カルネイロと名乗る死霊術師──デヴィル族に雇われているらしいが、それ以外はよくわからん」

 フィーンドのなかでも一大勢力であるデヴィル族が直々に送り込んだと聞いては、さすがのステラも表情を硬くした。しかし、なぜラクスフェルドにそんな者が。不審げなステラに、ナジムは意味ありげな眼差しを送って語をつづけた。

「いいか、これはおれの直感だがな。やつらの狙いはおまえだ、ステラ。あきらかにおまえの弱点を知っている何者かが、この街に死霊術師を送り込んできたのだ」

 そのとき稲光が閃いた。ふいに起こった電光は、ステラの仮面のような無表情を、ほんの一瞬だけ照らした。すこし遅れて遠雷がふたりの耳に届く。開け放しな窓の木枠に、ぽつぽつと雨滴が落ちて黒い染みを作りはじめた。ステラは見るともなしにそれを見つめた。

 ナジムがここにきた理由がわかった。彼はステラを連れもどしにきたのでも、マグシウスの杖を取り返しにきたのでもなかった。

 危機を告げにきたのだ。ステラのゾンビ嫌いを知り、死霊術師を差し向ける者。本人にしてみれば心当たりがあるどころではない。そんな相手は、この世でひとりしかいないのだ。

「そう……とうとうアストライアが動いたってわけね」

 雨音のなか、ひとりごちるようにステラが言った。

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