食事と恐怖
白い天井が見える。あっ、そうか、私は病院に居たのか。
昨日、結局水野先生が戻ってくるまで待てなくて寝てしまったことを思い出した。なぜ水野先生は待ってと、言ったのだろうか。悩むが分からない。
「失礼します」
悩んでいると昨日病室から急いでいなくなった看護師さんが、病室内に入ってきた。
「亜朱さん、おはようございます」
昨日、水野先生がスケッチブックとペンを置いていってくれたらしい。横を見ると『使っていいよ。水野』というメモ書きとともに一緒に置いてくれていた。
『看護師さんおはようございます』
私はせっかくなのでスケッチブックに返答を書いて、看護師さんに見せた。
「私は、看護師のきさきみゆと言います」
と言いながら、スケッチブックに『祈咲心結』と漢字を書いてくれた。
祈咲さんはよろしくねと私に言ってから、昨日のことを謝ってくれた。
祈咲さんは、看護師一年目の新人さんらしい。今知ったのだけど、どうやら私は二日程意識のない状態だったみたいだ。
だから、意識のない人がいる部屋だと思って入ったら私が起きていたからびっくりしたらしい。それは仕方ない気がする。
そうだ、と言って祈咲さん振り向きが食事を持ってくるねと言って取りにいってくれた。
凄く可愛い仕草で、見ている私も笑顔になれる。
祈咲さんは良い看護師だなと思う。
私の過去の記憶は一切ないから分からないのだけれども、看護師という存在に昔から関わっていたことがあるのだろうか。
なぜだか今まであった中で一番良い人だと思えた。
しばらくして、祈咲さんが朝食を持ってきてくれた。
「はい、どうぞ」
今日の朝食のメニューは、病み上がりの代表食の五分粥、りんご、パックの牛乳だよと教えてもらった。
私が朝食を食べる前に祈咲さんが、しばらく固形物を体に入れていなかったから、最初は消化に良い五分粥で我慢してねと教えてくれた。
私はなんとなくだけれども、粥に対して良い印象を持っていなかった気がする。
しかし、不思議なことにいざ目の前にトレーを置いてもらうと食欲がわいてきた。
スプーンを手に取ってお粥をすくう。
あれっと思った。なぜか、上手に口元にご飯を運べない。というより、手が動かない。なぜなのかはわからない。
けれど私の心の中は恐怖で埋め尽くされていた。
食べるという行為そのものが怖い。そう感じ始めた。
決して食べたくないというわけではない。ただ単に、食べるという行為そのものに恐怖を抱いていて、どんなに食べたくても手が動かなくなる。そんな感じだ。
次第に喉が、胃が、体そのものが食べ物を口に入れて食べるという行動そのものを拒否し、心の中が完全に恐怖で埋め尽くされそうになっていった。
「亜朱さん、どうしたの」
そんな時に祈咲さんがやさしく声をかけてくれた。祈咲さんのおかげで何とか心の中が恐怖で埋め尽くされる寸前で踏みとどまることが出来た。
私はスプーンをゆっくりと器に戻した。
『食欲がないわけではないのですが』
文章を書いて祈咲さんに見せる。
『すみません、牛乳だけにしときます』
祈咲さんが文章を見て少し驚いた顔をしていたけれど、少し考えてから分かったわと言って、先生には私から伝えとくねと言ってくれた。
祈咲さんが牛乳パックを開けてストローを刺して、私に手渡ししてくれた。
しかし、受け取った途端、私の中に恐怖の感情がまた湧き出てきた。
それに気づいたのか、大丈夫だよと言って祈咲さんが私の背中を軽く叩いてくれた。
私はどうにか気持ちを抑えて、ストローを口につけた。
その瞬間、さっきの恐怖がまた心の中に湧いてきた。
けれど、私は自分の中の恐怖がさっきよりは少し弱いように感じた。
自分の心に、食べるわけじゃない、飲むだけと言い聞かせて事によって何とか一口飲むことができた。
すると、体が食べるという行為でなく飲むという行為だと認識したのか、すんなり飲むことができるようになった。
ゆっくりとストローから、段々と生ぬるくなってきた牛乳を残すことなく最後まで飲んだ。
牛乳を一パック飲み終えるころには、空腹だったお腹もだいぶ満たされたように感じられた。
「後で水野先生と診察に来ますね」
祈咲さんは私が食べなかった食事がのっているトレーと空き牛乳パックを持って、一礼して部屋から出ていった。
私の心は満足感に満たされていた。
いや、何か少し違う気がする。
私の心は恐怖を忘れようとしていた。
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