私と少女
私は……誰?
全身が痛い。
それが私が目覚めて最初に持った感想だった。
なんとなくだけど、体が寝かさている状態にあることが分かったので体を起こそうとしたけど、起こすことはできなかった。
私の体は金縛りにあったかのように硬直していた。
しばらくすると体が慣れてきたのか、なんとなくではあるが少しずつ動かすことができるようになってきた。
心の中でうなりながらも、芋虫みたいに体を動かしながら上半身を何とか起こすことに成功した。
(ここは・・・病院?)
さっきまで起き上がることに気を使いすぎていたからか、ここが病室だということに気づいていなかった。
周りを見ると、白い壁や床、小さい木の丸いテーブル、パイプ椅子よりちょっと高級そうな椅子、病院のベッド、そして私につながれている点滴と器具たち。
まぎれもなく病院の病室だった。
「あっ」
声がした。
声がしたほうを向くと一人の看護師が一言声を発した後、こっちを見て固まっていた。
(えっと、だいじょうぶですか)
一応声をかけてみても彼女からの返事はない。
体感時間で数十秒間、お互いに一言も発さなかった。
「しっ、失礼しました」
数十秒が経つというとき、彼女がビクンと動いたかと思ったら、一言だけ言ってから一礼をして一目散に病室から出ていった。
いったい何だったんだろう。
私、何か彼女を驚かせることをしてしまっただろうか。自覚がないだけに少し悲しい。少し悲しいと思った時、手に水滴が落ちてきたのを感じ、疑問に思って頬に手を当てると手が濡れたように感じた。
(きゃっ)
思わず声を上げそうになってしまった。
私の目から涙が溢れて出てきていた。さっき確かに少し悲しいと思ったのは間違いない。けれども、泣くほどの悲しみではなかったはずだ。悲しいというか、どちらかというとちょっと寂しいなという感じだった。涙が出るような事など一切無かったはずだ。なのに、涙が止まる気配はない。
「
病室の中に息切れしながらも大丈夫ですかと言ってくれた人の声が響く。
「どこか痛みますか? 」
再び声をかけてくれた。
(涙以外は大丈夫です)
私は今、声に出して言ったつもりだった。
けれども、確かに私は声を発する事が出来ていなかった。
(ぁー)
声を出そうとしても声が一切出ない。喉が枯れているというよりも、喉が、脳が話し方を忘れてしまったような感じだ。
しばらく話せないでいると、さっき声をかけてくれた人が近くに来てくれた。よく見ると彼は白衣を着ている。この病院の医者なのかもしれない。
「私は、医師の
水野先生は挨拶とともにネームプレートを見せてくれた。
綺羅って難しそうな漢字だなと思いながら見ていると、自分の自己紹介をしていないことを思い出した。私は声が出ないのでどうしようか悩んでいると、声が出てこないのを察してくれたのか、水野先生から紙とペンを渡してくれた。
私は借りた紙に自己紹介を書き始めた。しかし、『私は』という言葉を書いた所まではよかった。
次に名前を書こうと思い、ペンを滑らそうとした。けれど、いくら書こうと思っても分からなかった。
普通、名前は書こうと思った時に特に深く考えずとも書けるものだと思う。けれども、書けなかった。漢字がわからないわけではない。思い出せない。
名前という、自分が一生かけて付き合っていく大切なパートナーの記憶が私の中から消えていた。昔のこと、親のこと、友達のこと、自分の中にある記憶を思い出そうとしても、名前だけでなくほかの記憶も一切思い出す事が出来なかった。
少しずつ、心が不安という感情で埋め尽くされていく。
「亜朱さん、大丈夫ですか」
私は自分の思考の中に潜り込んでいた。先生が声をかけてくれたことで、現実に戻る事が出来た。そしてだんだん感情が落ち着いてきたのか、いつの間にか、目から溢れ出てきていた涙が止まっていた。
私は少し冷静になろうとした。すると、記憶に関してあることに気付く事が出来た。
それは、字を書くことや、ベッドなどの名前は言えるということだ。完全に記憶を失ったわけではない、そう思えた私からは少し不安が消えていくように感じた。
そういえばさっき、水野先生が私を亜朱さんと呼んでいたということを思い出した。
『自分の名前が思い出せないんです。水野先生が言った亜朱って、私の名前ですか。』
私は、急いでペンを滑らせて書いた。
「おそらくは、あっ、ちょっと待っててね」
言葉を言い終わるが早いか、水野先生は病室を出ていった。どこに行くのだろうかと思いながらも水野先生の後ろ姿を見送った。
水野先生が居なくなった後、私は眠気を感じ布団にくるまった。思ったより、ふわふわの布団とベッドマット。しばらくすると、凄く気持ちが良くなってきた。
水野先生はまだなのかなぁと思い、しばらく待っていたけれど、私は眠気には勝てず、水野先生が来る前に意識を手放した。
意識が途切れる前に見た窓の外は暗かった気がする。
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