Scene #5

 俺たちは、グレースを失うという最悪の結果を招いてしまった。

 ずっと母と一緒にいたい、シビュラのその願いを精霊たちが叶えたのだとすれば、精霊たちは、コリンダの原のどこかにあるという精霊使いの隠れ家に、石化した彼女たちを運び去ったのだろう、俺たちはそう推測した。だが、何代にもわたって人知れずにいたその場所が、容易に見つかるとは思えなかった。

 ヒルダのために、石化してしまっていても、グレースを連れて帰りたい。けれどもグレースであれば、ヒルダを早く助けろ、と言うであろう。俺たちは苦慮の末、ひとまずヒルダを助けることを選び、ホライの村に戻った。

 ヒルダの家では、マーロウやレベッカに付き添われながら、ベッドの上でヒルダが静かに横たわっていた。

 グレースが、自分の身をして俺たちに託した石。これが最後の希望だった。

――ヒルダ、この石に、君のお母さんの想いが込められている。どうか目覚めてほしい。

 俺は心の中でヒルダに語りかけ、ヒルダの手に虹石こうせきを握らせた。

 西日にしびの差す部屋で、かすかにヒルダの寝息だけが聞こえる。

 ここにいる誰もが、ヒルダの回復を一念に祈っていた。

――母の想いよ。届け。

 俺も、一心不乱に祈りを捧げる。

 そうしてしばらく。

 母の想い。皆の祈り。

 と――。

 虹石こうせきは、ヒルダの手の中で徐々に光を強め、ヒルダの指の間から、雲の切れ間から光が差すように、白くまばゆい輝きがあふれ出し、やがてヒルダの全身を包み込んだかと思うと――。

 光の中でヒルダがゆっくりと半身を起こす姿が見えた。


「アルドくん、私ね、ずっと夢を見ていたの。不思議な夢。でも、すごく幸せな夢だった……」

 目覚めたヒルダは、唐突に語り始めた。

「……深い森の中にある家で、母親と娘二人の三人家族が暮らしてた。

 迷い子だった私は、そこで一緒に暮らすことになったの。

 外はいつも雪のようなものが降っていて、だからなのか、私も、子供たちも、外に出ることを禁止されていた。でも家の中は穏やかで、香りのよいお花がたくさんあって、心地よかったから、ぜんぜん不自由さは感じなかった……」

 ヒルダは、まだ夢の中にいるかのような面持ちで話を続けた。

「一緒に暮らしていた姉妹の妹の方、その子は本当に母親っ子だったの。

 お母さんがお裁縫をするときも、お料理をするときも、何かにお祈りを捧げるときも、どんなときでも、何をするときでも一緒にいて離れなくて、その様子が本当に微笑ましくて、見ているこちらが幸せになるくらいだった。

 ずっと長い時間そうして暮らしていたけれども、幸せ過ぎて、すごく短い時間だったような気もする。

 でも、あるとき、窓の外に何か光るものが見えて、それが私を呼んでいるような気がしたの。外に出ることは禁じられていたけれど、どうしもそれを見に行かなければならないような気がした。

 それで、ちょっとくらいならいいかなって思って、外に行ってみた。

 そうしたら、女の人の像みたいなものがあって、それが光を発していたの。その像の人は、たぶん大切な人のはずになのに、誰なのかどうしても思いだせなかった。それで、しばらくその像を見ていたら、ふいに妹の子がやってきて、私に言ったの。

『あなたの、ここでの時間は終わりました』って。

 私は、みんなと一緒に居たかったから、勝手に外に出たことを謝ったんだけれど、その子は、――あなたには、やらなければならないことがあるのです。それは、この人を助けること、そう言って、私に小さな石をくれた。

 その石を手にしたら、突然光りだして、その子の姿がだんだん霞んで見えなくなって。

 気がついたらここにいたの……」

 ヒルダはそこで言葉を止めた後、夢から覚めたような顔をして、語気を強めて言った。

「だから、私はお母さんを助けなければいけないの」

 ヒルダはそう言い残してベッドから跳ね起き、家を飛び出していった。

 

――またかよ。

 目覚めた喜びを分かち合う間もなく、脱兎のごとく家から出ていったヒルダを、俺たちはただ追いかけていくほかなかった。それにしても、行動が突発的すぎて人を振り回すところは、グレースの娘以外の何ものでもないと思う。

 そうしてたどり着いたのは、――第1の炭鉱の、まわしいあの場所だった。

 点在する黒い像。

 今ならわかる。あれは精霊のミイラだ。

 一方で、あの時あたりに立ち込めていた黒い瘴気は、すっかり消え去っていて、奥へと通じる坑道が、誘うように口を開けていた。

 ヒルダは精霊のミイラの脇を抜け、迷うことなく坑道に入っていく。

 坑道は思ったより長く、ずっと奥まで続いているように見える。

 どのくらい歩いただろうか、ようやく突き当りらしきものが見えたかと思うと、小さく開けた空間にたどり着いた。

 と、そこに――。


 石化したグレースの像が、ひっそりとたたずんでいた。


「お母さん、今助けるからね」

 ヒルダはグレースに向かって言葉をかけた後、手にしていた虹石こうせき、――母の想いが込められ、ヒルダ自身の呪いを解いたあの石、を高くかかげた。

 石は、淡く光を放ち、岩室いわむろの中をぼんやりと照らし出す。

 ヒルダは、その光を、グレースではなく岩壁いわかべに向け、何かを探そうするかのように、右に、左に、上に、下に動かしていく。

 と、光がちょうどグレースの背後の岩壁に当たったとき。

 まるで教会の壁にしつらえられた彫像のような、三人の女性の石像が浮かび上がった。

 ヒルダは、彼女たちの像を光で照らし、足を進め、彼女たちに向かってひざまずいた。

「ああ、私の母を助けるために、どうぞ精霊様のご加護をお授けくださいますよう」

 そうしてヒルダが祈りを捧げると、ヒルダの手の中で虹石が輝きを増し、強い光を放ちはじめ、それが女性の像、シビュラに似た女性の像に当たると、光の粒が、――あのコリンダの原に舞っているような光の粒が、やがてあたり一面に降り注ぎ、やさしく、まるで母が子をいだくようにやさしく、ヒルダと、グレースの像を包み込んでいった。

「お母さん……」

 まばゆい光の中から、ヒルダの声が聞こえた。

「……やっと、そう呼ぶことができたね、お母さん」

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