Scene #2
かすかに漂う、錆びた鉄のようなにおい。
ぺしゃん、ぺしゃん――。壁や天井から乱反射する足音。
坑道の中に足を踏み入れると、五感が鋭く
ほかの二つの炭鉱と比べれば、ここはまだ魔物の危険性は低いけれども、それでも薄暗い坑道の中、何が起こるかわからない。
何しろ、
どうしても歩みが慎重にならざるを得ない。
湿った、重い空気をかきわけるようにしながら、一歩一歩、確かめるように進んでいく。
最初の分岐を左に。次の突き当りも左。
何度も通ったこの道の、入り組んだ分岐路をどちらに進めばいいか、すっかり足が覚えている。
――不連続岩盤の、小部屋みたいなところ。
マーロウに聞いたその特徴だけで、脳裏に順路を描くことができる。
あとは、最後の突き当りを左に曲がればいい――。
念のため振り返りかえってマーロウに目を向けると、マーロウは
よし。目的の場所までもう少しだ。
異常は見当たらない。
首尾よく魔物に出くわすことなく、目的地の直下までたどり着くことができた。
俺は、天井に
――この上に、ヒルダの呪いの原因がある。
暗い穴の向こうに、何が待ち構えているのかわからないが、きっと解決してみせる。
俺は、壁に立てかけてある
上層へは、まず俺が行く。
そこで安全を確かめてから、下の仲間たちを呼ぶ、という段取りになっていた。
だが。
上層にたどり着いた俺は、目の前に広がる光景の異様さに
――いったい、これはなんだ?
かつて来た時の記憶が正しければ、ここは小さな
それが――。
北面の岩壁に大きな空洞が
それだけならまだしも、異様なのは、その開口部付近に点在する、不気味な何か、だった。
黒光りするそれは、異形の魔物のようにも見える。だが、微動だにしないところをみると、生きている何か、ではなさそうだ。石像のようなものかもしれないが、それにしては気味悪いまでに生々しい質感がある。
そんなものが、侵入者が奥に進むことを拒むかのように、いくつもいくつも立っている。
さらに。
通路の奥には、妖気
さすがに一人で進む気にはなれず、どうしたものかと思いあぐねていると、俺が声をかける前に、マーロウが自ら上がってきてくれた。
「何なんだ、あれは? どうしてこの場所は、こんなに変わったんだ?」
マーロウがまだ手の汚れを払っていたのにも構わず、俺は尋ねた。
「あれが何なのか、僕たちにも分かっていないんです。アルドさん、その辺りに転がっている小石を、あれに向かって投げてもらえませんか?」
その言葉通りに、俺は足元の鉱石のかけらを拾い、力いっぱい投げてみた。
石は回転しながら、一直線に奥に飛んでいった――、はずだった。
しかし、石は、空中でカーン、という鋭い音を立てたかと思うと、見えない壁で
空中の見えない壁――。もしや、結界でも張られているのだろうか。
あの黒い像や漂う妖気との関連から推測すれば、その可能性は高い。
もしそうであるならば。
結界を張り、妖しい像を点在させ、黒い妖気を漂わす――、何者がこの奥で待ち受けているのか分からないが、一筋縄ではいかないかもしれない。
「あんな感じで、一切近づくことができないんです。だから、あの気味悪いものが何なのか、その奥に何があるのか、どうにも探ることができないんです」
マーロウは
「ああ、それはですね、ここでヒルダさんが新しい爆弾の実験をしたらしいんです。おそらく、その影響で
ヒルダが作る爆弾は強力だ。まして実験用に作ったのであれば、相当に威力が高いものだったのだろう。それなら、この変化にも納得がいく。だとすれば――。
「もしかして、ヒルダはそのとき呪いにかかったのか?」
「ええ、おそらく。といっても、誰も一緒ではなかったので、推測でしかないのですが」
マーロウによれば、「爆弾の実験に行く」と言ったきり戻ってこないヒルダを、皆で手分けをして探したという。勘のいいテリーがここでヒルダを発見したときには、既に昏睡状態になっていた。その状況から推測すれば、あの結界に触れることで、呪いにかかる可能性が高い――。
俺とマーロウがそうしたやりとりをしていると、下にいた村の面々が、それに続いて俺の仲間たちが、
「それで、この後どうするの?」
せっかちなエイミが、まっさきに質問をぶつけてきた。
「結界に触れると呪いにかかる可能性がある以上、力づくでの突破は危険だと思う。万一うまくいっても、あの石像みたいなものに、どんな仕掛けがあるか分からないし……」
俺はもっともらしい答えを返したが、要は、打開策が思いつかなくて、なすすべがないということだった。
「力でどうにもできないならば、魔術師に頼るのが良いのではござらぬかな?」
そう提案したのは、サイラスだった。確かに、自分たちの手に余るのだから、いつものごとく、困った時のラチェット頼み、その奥の手を使えばいい――。
ところが。
「ねえ、あんたたち、あっさり降参なんて、情けなくない?」
一刀両断――、エイミは、俺たちの発言を容赦なく切り捨てた。
そう言われても、他に手立ては思いつかない。といって、そのままそれを口にするのも
仕方なく俺が黙っていると、エイミはきつい口調で、責め立てるように続けた。
「ねえアルド、あのミイラっぽいやつ、見おぼえないの?」
――ミイラ?
俺が「石像のよう」と思っていたものは、エイミにはミイラに見えるらしい。
「石像にしては生々しいでしょ。あの
「ミイラか……。エイミの言いたいことは分かるけど、形は全然違うぞ?」
マクナミル博物館のミイラは、人間を思わせる形をしていたが、
「アルド、よく見てよ。あれ、コリンダの原にいる、精霊に似てない?」
「言われてみれば、そうかもしれないけれど、それってどういうことなんだ?」
「あんたねえ……」
俺の言葉に、エイミは
「だから、あれは精霊のミイラじゃないの?」
精霊のミイラ――。
そこまで言われて、ようやく俺にもあの像のようなものの正体が見えてきた。
確かに、コリンダの原の精霊、――火、水、風、地の四属性の精霊、そのいずれの精霊でもよいけれども、色を抜いて黒いミイラにすれば、あの像のようになるかもしれない。
場所的にも、つじつまが合う。
第3の炭鉱、――ここから少し離れたところにある第3の炭鉱が、古代では時の塔があった場所だった。その位置関係からすれば、この場所がコリンダの原だった可能性は、十分に考えられる。俺はそれをエイミに言った。
「でしょ! ていうか、気づかないアルドが
エイミの鋭い観察眼は、こういった時に本当に頼りになる。ひと言多いのは直してほしいが、おかげで手掛かりがつかめたかもしない。
「そうだな。やみくもに近づけない以上、ここにいても進展はないから、コリンダの原に行ってみるか」
「ちょっとあんたたち……」
と、
見ると、声の主はグレースだった。
「あんたたち、もし心当たりの所に行くんなら、わしも連れてっとくれ」
イヤとは言わせない――、グレースの口調には、強い決意が込められていた。
だが、それを聞き入れるわけにはいかない。
精霊をミイラにし、結界を張り、呪いを込める、そんな悪魔的な術を使う相手、しかも、その正体が全くもって分かっていない以上、どんな危険が待ち構えているか、見当もつかない。俺たちだけでも精一杯かもしれないのに、ましてやグレースは高齢だ。足手まといになる、とは言いたくないが、負担が増えることは間違いない
――しっかりと断りなさい、エイミがそんな顔をして俺を睨んでいる。
仕方ないが、ここははっきりと言うしかない。
「グレース、あんたの気持ちはわかるけど、危険があるかもしれないところに、あんたを連れていくわけには……」
――いかないんだ。
だが、俺の言葉はグレースに遮られて、最後まで伝えきることができなかった。
「ふん、なに言っとんじゃ。わしは、魔物狩りを
グレースは
「ちょっと準備してくるけ、ここで待っといておくれ」
と、俺の返事も聞かぬまま、足早に離れてしまった。
グレースがついてくることも困るが、それ以上に背中に感じるエイミの視線が怖い。
「まぁ、グレースさんは言い出したら聞かないですからね……」
エイミと目を合わせようとしない俺の様子から何か察したのか、マーロウが慰めの言葉を投げかけてくれた。
グレースからすれば、親として名乗り出ることこそ拒んでいても、娘のヒルダを想う気持ちに変わりがあろうはずもなく、むしろそうであるからこそ、ヒルダを自ら助けたい、そんな想いがあるのだろう。それは理解できなくもないが、だからといって、うかつにグレースを擁護するような言葉を口にすれば、エイミの怒りに火をつけることになりかねない。
――参ったな。
グレースを置いていってしまうのは不人情のような気がするし、といって「連れて行こう」とエイミに明言するのもはばかれ、仕方なく――、本当に仕方なく、エイミの視線を避けるようにしながら、離れたところに移動し、あの精霊のミイラを観察するふりをした。
それにしても、いったいどれほどの数の精霊のミイラがあるのだろうか。
ぱっと見ても、十や二十という程度ではないし、奥の暗がりの、見えないところまであるとすれば、それはもう、無数といっていいだろう。
率直にいって、不気味だ。
いったい、誰が、何の目的で、こんなものを作り上げたのか――。そして、この黒い
もしこれが、一人の力によるものだとすれば、どれほどの魔力をもった者のしわざなのか見当もつかないし、戦いになったとしたら、相当やっかいなことになるだろう。
――油断したら危ないな。
そうは思うものの、何か有効な手立てを考えつくわけでもなく、といってエイミに話しかけるわけにもいかず、
準備をしてくる――、そう言って出ていった割には、武器も防具も身につけておらず、身なりに変わった様子はなかった。戦闘になった場合に、前にしゃしゃり出てこられても困るので、むしろ良かったかもしれない。
「さあ、早速行こうじゃないか」
開口一番、グレースが
――危ないな。
これは、さすがに釘を刺さないわけにはいかない。
「いいけど、無茶はしないって約束してくれよな」
「無茶? あんたにとって無茶なことでも、わしにとっては遊びに行くようなもんじゃ」
けんもほろろ、とはまさにこのことだ。
背中に突き刺さるエイミの視線が、火のように熱く感じられる。
いかにも突出しそうなグレース。
いまにも怒りを爆発させそうなエイミ。
――先が思いやられるな。
ヒルダは何としても助けたい。だが、グレースに万一のことがあったら、母との絆を取り戻したいというヒルダの願いが、二度と叶わぬものになってしまう。
グレースの暴走を抑えつつ、エイミの視線を避けながら、何とも分からない敵の正体を探り、ヒルダの呪いを解除する。
今回の冒険は、今までにもまして厄介なものになりそうだった。
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