Scene #1

 山あいの村、ホライ。深く閉ざされたこの地にも、西風が強く吹き荒れていた。

 冷たい、真冬の風。

 鬼竜の降り立った空き地の、背の高い枯れ草が荒波のように大きくうねり、ちぎれて飛んだ草のくずが、何か翻弄されるように空に舞う。

 ここから村まで、わずかな道のり。だが、その間でさえも、容赦ようしゃなく体温が奪われて、身体が芯まで冷えていく。

 饒舌じょうぜつなエイミもサイラスも、いつになく無口なまま、ようやくヒルダの家の前にたどり着くと、身を切るような風にさらされながら、村長のマーロウをはじめ、村の面々が体を寄せ合って立っていた。

 なつかしい、顔ぶれ。

 その皆の、誰もが顔に憂色を浮かべ、身を震わせていた。

「こんなに寒いのに、ここで俺たちの来るのを待っていたのか?」

 挨拶よりも、心配が先に立って、俺は尋ねた。

「いや、先ほどヒルダの家から出てきたばかりさ」

 淡々とした言葉でそう答えたのは、詩人のヘンリーだった。

――爆音が聞こえたからね、ヘンリーは雲の流れる空を見上げ、そう呟いた。

 そうしてヘンリーは、風を受けた帽子を手で押さえたまま、何かをこらえるように、空を見上げ続けていた。

 ヘンリーのマントの裾が、風にあおられ、激しくたなびく。

 その音が、亡者の哄笑のように狭い路地に響いて、何か不吉な前兆のように聞こえた。

「アルドさん、それに皆さん、わざわざこんな遠いところに来ていただいて、本当に申し訳ありません」

 村長のマーロウは、丁寧な言葉で俺たちを迎えてくれたが、いつも穏やかなはずのその表情は、悲痛なまでに重苦しく、事態の深刻さをこの上なく伝えていた。

「俺たちのことは気にしないでくれ。それよりも、ヒルダの具合はどうなんだ?」

「まだ、昏睡状態のまま、一向に目覚める気配がありません。グレースさんが、つきっきりで看てくれているのですが、良くなる様子がなくて……」

 グレース――。

 かつてのホライの唯一の生き残りで、村はずれに一人取り残されていた老女、グレースが、ヒルダの母、その人だった。

 だが、母子おやこが同じ村に住むようになってもなお、非情な運命の呪縛が、二人を苦しめ続けている。

 すべての元凶は、旧ホライを廃墟においやった怪物、「幻視エコー」にあった。

 炭鉱の奥深くに封印されてもなお、幻視エコーは、時の流れを狂わせる魔力を放出し続けていた。そのせいで、この村に取り残されていたグレースは、「加速された時」の中に身を置くことになり、結果、グレースとヒルダとの間には、孫子まごこのような年齢差が生じてしまった。

 幼い時分にヒルダを自分の手元から離したこと、自分がすっかり年老いてしまったこと、それらを負い目と感じていたグレースは、母親として名乗り上げるのをよしとせず、そのためグレースとヒルダは、同じ村の、目と鼻の先に住んでいるにもかかわらず、未だ親子としての関係を取り戻せていなかった。

 もう一度「お母さん」と呼びたい、ヒルダの切なるその願い。

 何かの、些細ささいなきっかけがあれば、きっとそれは叶うに違いない、――不器用だけれども、根は優しい二人の様子から、俺はそんな予感めいたものを受け取っていた。あと少し、本当にあと少しだったはずのに、こんなところでそれが叶わなくなったとしたら、ヒルダが可哀想でならない。

――何がなんでも、ヒルダは助ける。

 俺が強い決意を胸にしたとき、ヒルダの家から、沈痛な表情をしたグレースが出てきた。

「ああ、あんた、来てくれたんじゃね……。あんたも他にやらなきゃならんことがあるだろうに、本当にすまないね」

 しおらしい、こうした言葉がグレースの口から洩れることが、信じられなかった。

 口を開けば悪態ばかり、態度はとにかく横柄おうへい、それがグレースのつねだった。

 そんなグレースの、あまりにらしくない言動が、余計に危機感を募らせる。

「もし薬草とかが必要なら、どんなに遠くても取りに行く。俺にできることはなんでも協力するから、遠慮なく言ってくれ」

「ありがとうよ……」

 グレースは、力なく答えた後、首を横に振った。

「……でも、あの子のあれは、病気じゃないから、薬草では治せんのじゃ」

「病気じゃない? それなのに昏睡状態って、どういうことなんだ?」

「あれはな、おそらく呪い。どういった種類の呪いかは分からんけど……」

 そう言うと、グレースはひたいに手を当て、深くうなだれた。

 強い風にグレースの体があおられて、今にも倒れんばかりに見える。

――病気ではなく、呪い?

 グレースの、その言葉どおりならば、ただ事ではない。

 だが、ヒルダが呪いにかかるというのは、どこか違和感を覚える。

 この村の近傍の森、あるいは炭鉱の中、そういったところにも魔物が出現する。

 ただ、いずれも古木や炭火の物の怪もののけといった単純な種類のもので、邪霊のような悪質なものはいなかった。しかも、当のヒルダは爆弾技師だ。魔物に直接かかわることはないはずだから、呪いにかかる道理がない。

 俺がそのことを問うと、グレースに代わってマーロウが口を開いた。

「アルドさん、この村の炭鉱のことはご存知ですよね」

 炭鉱――、むろん忘れるはずがない。

 この村を再興させていく過程で、三つの炭鉱のすべて、隅から隅まで歩き回った。

 石炭や銅、鉄といった資源の採掘も俺の役割だったし、過去に起きた幻視エコーにまつわる悲劇の手がかりもそこで見つけた。

 大変なことだけではなかった。

 自分たちで作ったトロッコに乗って、メリナやメイたちと大声をあげて騒いだ――、あの時の興奮は、格別だった。

 いつも冷静なメリナが、ずいぶんはしゃいでいたな――。

 再興のためにかけた時間の分、いくつもの思い出の積み重ねがあるから、この村は俺にとって特別なのだと思う。

「炭鉱の中は、今だって目をつむっても迷わない自信があるぜ」

 俺が胸を張って答えると、マーロウは心なしか頬を緩めてみせた。

「ああ、やっぱりアルドさんに来ていただいた甲斐があります。それで、第1の炭鉱に、呪いの原因と思われるものがあるのです。ここで話すより、見てもらった方が早いですから、行ってみませんか」

 むろん、いやも応もない。

 マーロウの言葉に、俺はうなずいてみせた。

 そこに何があるのか知らないが、ヒルダのために、ヒルダを想うグレースのために、力の限りくしてやる。

 エイミもサイラスも、仲間たちのみなも、期するものがあるように力強くうなずいた。

――ヒルダ、大丈夫だ。だから、もう少し待っていてくれ。

 そう祈りながら、俺は炭鉱に向かって歩き始めた。

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