母の想い。娘の願い。

サトミ裕

プロローグ

 むき出しの悪意のような、冬の西風。

 うなりを上げて吹き荒れる狂風に、ミグレイナ大陸の西のかなた、ホライに向けて空を行く合成鬼竜の黒い機体が、渦潮うずしおに呑まれる小船のように、上に下に激しく揺れる。

――鬼竜、急いでくれ。

 喉に出かかったその言葉を、飲みこむようにぐっと奥歯を噛みしめる。

 もう何度、それを繰り返したことだろう。

 押し返されんばかりの逆風の中、鬼竜は最大限の速度で飛ばしてくれている。それは、十分に解っている。

 解ってはいるけれども――。

 もどかしさに身ががれそうになる。

 いても立ってもいられない、その気持ちを抑えるように、目を閉じ、はるかホライを想う。


 不思議な運命に導かれるまま、俺たちは時代を超え、大陸をまたぎ、いくつもの町や村を訪れてきた。

 圧倒的な威容の未来都市、エルジオン。

 活気あふれる古代の村、ラトル。

 華やかな王都、ユニガン。

 炭鉱の村ホライもまた、そうした旅の過程で訪れた場所の一つだった。

 同じ時代に生きていても、訪れることはおろか名前を聞くことさえないような、大陸の端の辺境の地の、深い山間にひっそりとたたずむ小さな村。――けれども、俺にとってかけがえのない場所、それがホライだ。

 初めて俺がホライの地に降り立ったとき、そこは誰ひとりとして住む者のいない廃村だった。

 壁の朽ちた家々。草に埋もれた道。閉ざされた炭鉱。崩落した橋。

 荒れ果て、廃墟と化していた村。

 とても人が住めるようになるとは思えなかったけれども、マーロウ、――前の村長の息子で、新生ホライの村長になった男――、の復興にかける意気込みに引かれるように、大工のテリー、詩人のヘンリー、精錬屋のレベッカ、爆弾技術者のヒルダなど、徐々に移り住んできた、風変わりな、でも心優しい人たちが、自分の持ち味を発揮し、力を合わせて、少しずつ復興させていった。

 大変な思いしながらも、皆で作り上げた村。

 ひとり、またひとりと仲間が増え、それにつれ新しい家が建てられて、道が整い、その周りに色とりどりの花が咲いて、活気あふれるとまではいかなくとも、そこに暮らす人々のあたたかい息づかいが伝わる村に――、廃墟だったあの場所が、そんなあたたかい村に変わりゆく日々の積み重ねは、今も色せるこのない、輝かしい思い出だ。ただ一つ、あの痛ましい出来事を除けば――。

 それは、そう、シルヴィアの死だ。

 やんちゃなテリーと、花好きの物静かなシルヴィア。対極的にも見える二人が、なぜ惹かれあったのか分からないけれども、結婚して、かわいい娘モナが生まれて、モナがシルヴィアの花の世話を手伝うようになって……、そうして迎えた幸せの絶頂期に、シルヴィアは病でこの世を去った。あまりにあっけなく、俺たちはシルヴィアを助けるために、何一つしてあげられなかった。幼いモナが母の死を理解できず、無邪気に遊んでいた光景の切なさは、今も胸を締めつける。

 もう二度とあの村で、シルヴィアの時のような悲しい出来事を、繰り返したくない。

 それなのに。

 今度は、ヒルダが昏睡状態に陥って、危険な状態にあるという。


 ヒルダ――。

 ちょっと騒々しいけれど、快活で面倒見のよい女性。

 炭鉱探索のための爆弾を必要としていたとき、爆弾の技師だったヒルダをリンデの町から呼び寄せたこと、そんな偶然のようなきっかけで、ヒルダはホライにやってきた。あとから思えば、それは運命の導きだったのか、あるいはひど悪戯いたずらなのか、彼女とこの村との間には、彼女自身も知るよしのない深いつながり、――生き別れになっていた母との絆があった。

 そんなヒルダの願い、――それは、母であるはずの人を、もう一度「お母さん」と呼ぶこと。

 だが、その願いは、手に届くところにあるはずなのに、未だ手にすることができていない。

 もし願いを叶えぬまま、ヒルダに万一のことがあったら――。

 駄目だ。

 そんな残酷な結末だけは、何がなんでも防がなければならない。


 ヒルダ、どうか無事でいてくれ――。

 ヒルダの待つホライ――、まだ雲のかなたのホライを想い、今はただ、空に向かって祈ることしかできなかった。

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