腹黒メイドは悪役令嬢に嫌われているようです

紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中

腹黒メイドはかく語る

 さて、どこからお話ししたものでしょう……。

 思い返してみると、お嬢様が階段から落ちた時――頭を強打した所から全ては始まったのだと思います。


 熱を出して一週間ほど寝込み続けたお嬢様は、ようやく起き上がれるようになった辺りから妙な事を口走るようになりました。

 アクヤク令嬢だとか、破滅ふらぐがどうとか。わたくしには意味がよく分かりませんでしたが、その日から傲慢でワガママだったお嬢様は人が変わったようにお優しくなりました。

 お茶をこぼしたメイドなど以前でしたら百叩きでは済まなかったはずなのですが、自ら床に膝をついて笑顔で掃除なさり、火傷をしてないか気遣いを見せるなど……中身が入れ変わったのでは無いかと疑ったほどです。


 ところで話は変わりますが、このお屋敷にはお嬢様の他にもう一人ご子息がいらっしゃいました。

 新入りのわたくしはその存在を知らなかったのですが、お嬢様があんまりにも熱心に尋ねなさるのでメイド伝手づてに探りを入れたんですね。

 すると、どうにもいらっしゃる気配がある。この広いお屋敷のどこかにお嬢様から見て四つ年下の弟君が。


 それをお伝えしたところお嬢様はハッと息を呑み、美しい紫の瞳に涙をいっぱいに貯め「会わなくちゃ」と、立ち上がられました。

 ――だってたった一人の弟なのよ? どこかに閉じ込めているなんてそんなの酷いわ!

 何年も気にも留めていなかったのに、今さらどういう心境の変化なのでしょう? とは、口が裂けても言いませんでしたが。


 それから数日間、お嬢様がなおもしつこく食い下がるので、わたくしはメイド長にそれとなく尋ねるはめになりました。

 ――そんなに言うなら見ておいで。だけどね、決して口外するんじゃないよ

 古びた鍵を手渡されて、わたくしがため息をついたのも無理はなかったと思います。


 正直、気は進みませんでしたよ。だって、どう考えてもお屋敷の暗部じゃないですか。

 とはいえ、身よりのない下っ端メイドなんかに拒否権はありませんでしたけどね。仕事だと割り切って、離れにあるという地下室へ向かいましたよ。


 ジメジメと湿気の多い地下は、部屋に入る前から悪臭が漂っていました。わたくしの育った孤児院の近くに浮浪者が集まる地域があったのですが、それを煮詰めて何十倍にもしたような臭いでしたね。

 こもりきったカビの嫌な臭いと、何年も入れ替えていないようなよどんだ空気と、それから何かが腐っているような腐敗臭。時おり庭の隅でゲロゲロ吐いている同僚が居ましたが、これが原因かとその時納得したものです。


 そして問題の人物を最初に見た時、わたくしが最初に抱いた印象は「これは本当に人間なのか」という物でした。

 持ち込んだランプの光から逃れるようにベッドの上で身をよじる生き物は、おとぎ話に出てくる王子様などではなく、どちらかと言うとオークやゴブリンに近い物でした。話に聞いていた年齢よりも一回り以上小さく、皮膚が腫れあがり顔の判別が付かないのです。日にも当たらせて貰えないせいか、背骨は曲がりゴツゴツとしたこぶのような物が体のあちこちにできていました。


 ご子息――坊っちゃんは一度だけチラリとこちらを見ると、背中を丸めて持っていた本に没頭してしまいます。お嬢様がお呼びですと鉄格子の外からお声がけしたのですが、完全に無視を決め込んだご様子。


 ため息をついたわたくしは鍵を開けて中に入り、勝手にその隣に腰かけました。そこから先は無言の一本勝負です。隣からひたすら圧を掛けること五分、彼は次第にそわそわとし始めました。

 そして、我慢の限界を迎えた彼の口から出てきたのは、見た目からは想像できないほどに可愛らしい、年相応な少年の声でした。

 ――出て、いかないの? 他の人は一秒も長くここに居たくないって飛び出していくよ……?

 わたくしは素直に「出来ればここではないところでお話しがしたいですね」と申し上げました。鼻が曲がりそうでしたので。

 ――ごめんなさい、僕が臭いからみんな怒るんだ……。

 気落ちした表情すらわからない坊っちゃんは、腕をボリボリと掻きました。そのたびに悪臭が噴き出てきたので、さすがのわたくしも顔をしかめて鼻を押さえました。

 どうやら掻き壊しの下にたまった膿が腐敗してこのような臭いを出しているようです。蛆が湧いていないのは幸いでしょうか。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、臭くて、ごめん……なさい。

 わたくしはどうして謝るのかと率直な疑問をぶつけました。あなたが好き好んで臭くなっているわけではないのに、怒りをぶつける理由がどこにもありませんと。

 その言葉に、坊っちゃんはひどく驚いたようでした。表情は見えないのでそうじゃないかなと言う雰囲気でしたけど。


 その日の内に、わたくしは大量のお湯を沸かして桶・せっけん・香油その他と共に地下牢へ持ち込みました。

 久しくお風呂に入っていない坊っちゃんの汚れはすさまじい物で、何度洗っても湯船がすぐに汚くなるのです。

 気が遠くなるほどお湯を汚す作業を繰り返し、ようやくこすっても垢が出なくなる頃には昼を過ぎていました。

 膿を搾り、匂いの強い薬用ハーブをすり潰した物と共に包帯を巻いて手足の醜いところを隠します。触るのは気分が悪くなりましたけど、後で手を洗えば済む話です。


 これなら何とかお屋敷に上げられそうだと判断したわたくしは、坊っちゃんに肩を貸して一歩ずつゆっくりと歩き始めました。

 なにせ、足は曲がっていましたし、これだけ長い距離を歩くのも物心ついてから初めてだと仰っていましたから。まったく面倒ごとを押し付けられたものです。ですが乗りかかった船、完璧にこなしておけばわたくしのここでの評価も上がると言う物です。


 お探しでした弟君と話がつきましたので、部屋にお連れしますと伝えた時、お嬢様はなぜか一瞬激昂しかけました。

 ――なに余計なことしてくれてんのよ! せっかくの好感度イベントが……!!

 ですが彼女はハッとしたように我に返りました。こほんと咳払いすると打って変わって褒めて下さいます。

 ――なんて気が利くの! それでどこ? どこ? あたしの弟は?

 催促されたので隣の部屋からお連れしますと、その醜い姿を目にしたお嬢様は一瞬ヒッと息を呑み、凍り付いたように固まりました。

 不自然なほど沈黙が流れた後、深呼吸を何度か繰り返したお嬢様は、頬に手を当て黄色い声を出しながら坊っちゃんに飛びついたのです。

 ――いやぁぁぁ!! 可愛い! あたしの弟かわいいーっっ

 さすがにそれは無いだろうと、わたくしは心の中で冷静に呟きました。客観的事実だけを申し上げるのならば、その時の坊っちゃんは肥え太った豚よりも酷い見た目でしたから。

 お嬢様がゲテモノ好きというならその感想も納得できますが、どう考えても彼女は面食いでしたし、何よりにじみ出る嫌悪感を隠せていません。完全に腰が引けているのです。

 ――まぁ、なんて酷い怪我なの!? あなたにこんなことをしたのは誰!? 許せないわっ

 怪我ではなく皮膚病です。清潔に保てばいずれ治ると思いますが。と、申し上げても聞こえていないご様子。優しいご自分に酔っていらっしゃいますね。ご自分も一緒になって閉じ込めた過去はお忘れですか。……とは言いませんよ、言いませんとも。一介のメイドですから。

 ――安心して、これからはお姉ちゃんが守ってあげるからね!

 それを聞いた坊っちゃんは、戸惑ったようにではありましたが抱擁をおずおずと受け入れてらっしゃいました。

 ……まぁ、心を入れ替えて、いい姉になろうとしているのであればそれで良いとその場では思ったのですが……。


 坊っちゃんが退出した後、彼女は即座に湯殿の支度を他のメイドにさせて、念入りに入浴なさいました。

 着替えをお持ちしますと、扉の向こうからひたすら「キモいキモいキモい……最悪!」と、早口で呟いているのが聞こえてきます。

 ため息をついたわたくしでしたが、無言でその場を後にしました。


 それからもお嬢様は、坊っちゃんに優しく接しようと努力なさっているご様子でした。

 まぁ、それも表面だけと言いますか、ハッキリ言ってしまうと鼻につく可愛がり方でしたけどね。弟を可愛がっている私カワイイでしょ、的なアレです。

 坊っちゃんから触れられそうになるとさりげなく逃げるところとか、弟を帰した後はご自分の部屋を徹底的にメイドに消毒させるところとか。形だけなんですよね。

 ただ不思議なのは、お嬢様は時おり誰かに見られているように背後をチラチラと気にしてらっしゃったんです。あれは何だったんでしょう?

 傍から見ているわたくしでも分かるほどでしたので、当の坊っちゃんはご自分が本当は嫌われている事にとっくに気づいていたんだと思います。それでも、姉と会話ができて嬉しそうなのが不憫でなりませんでした。


 えぇ、坊っちゃんは本当にいい子でしたよ。何年もあの暗い場所に閉じ込められていたというのに、少しもひねていないんです。

 あの一件以降、わたくしは彼のお世話係を押し付けられることになったのですが、嫌とは感じませんでした。

 薄暗い地下牢に少しでも日が入るように窓をブチ抜き、坊っちゃんと二人で協力して徹底的に掃除したのです。話をしていく内に彼が少しずつ笑うようになって下さるのが嬉しくて、この仕事も悪くないかなと思えたんです。


 そう、その地下牢なんですが、聞いた話では気の触れたご先祖様を閉じ込めていたらしいですね。

 壁の棚いっぱいに何やら難しそうな本が並んでいて、引き出しを開けると手書きのメモらしき物が乱雑に詰め込まれているんです。

 わたくしは読んでもさっぱり理解できませんでしたが、幼い頃からそれを絵本代わりに読んでいた坊っちゃんは読み解く事ができるようでした。なんでも、ご先祖様はたくさんの人を助けられるような研究をしていたらしいのです。自称ですけど。

 坊っちゃんは表に出られない分、ここで勉強して賢くなり、お父さんたちを驚かせるんだと計画なされていました。そうしたらきっとここから出してもらえるよね、と。

 健気ですよね。わたくしは出来る限りの応援をするとお約束したんです。


 そんな生活が一年ほど続いたでしょうか。お嬢様と坊っちゃんのお茶会も週一ペースで続けられていました。もうその頃になると習慣化していたと言いますか、お嬢様の態度もおざなりになっていたんですけどね。

 ――元気? 今週も会えて嬉しいわ。病気は悪化していない? 何かあったらすぐお姉ちゃんに言うのよ? それじゃまたね。来週を楽しみにしているわ。

 版で押したように毎週同じやり取りを五分だけ。もうすぐ皇太子様との婚約発表を控えていたのでそちらに心を砕いていらっしゃったのでしょう。豪奢なドレスを身にまとうお嬢様は、見るたびにお美しくなっていくようでした。


 一度、嘆願したことがあるんです。そんなに坊っちゃんを気にかけて下さるなら、あの場所から出してあげられませんか。せめて日中、外を歩く許可をご主人様から貰えないでしょうかと。すると、お嬢様は一度ひくりと頬を引きつらせてから微笑みました。

 ――え、えぇ、そうね、今度お父様に掛け合ってみるわ。

 もちろんそれっきり音沙汰は無かったですけどね。坊っちゃんから贈られた庭の花も捨てられているのを何度も目撃しましたし、本当に……。


 坊っちゃんはその頃になると研究にますますのめり込むようになっていました。相変わらずわたくしは説明されてもさっぱりでしたけど、頼まれるままに小さな鍋だの材料だのを屋敷からくすねてお運びしたのです。

 何を作るのかとお聞きしましたら『真実の姿を見せる薬』が最終目標だと。レシピの説明によると内面の美しさがそのまま表に現れる飲み薬なんだそうです。

 この薬を飲んで普通の顔になれば、お父さんたちも僕を好きになってくれるかもしれないから。そのためには正しい人間になれるよう、いい子にならなきゃ、と。


 そのレシピの暗号はとても読み解くことが難しいようで、まずは別の簡単そうな物から少しずつ解読してステップアップしていくとの事でした。レシピの中には飲み薬だけでなく、魔法の効果がついた装飾品を作れる物もあったようです。


 そうして小さな花の髪飾りを作ったとき、坊っちゃんはそれをお嬢様にプレゼントしたんです。例のお茶会の時にそれを差し出した瞬間、お嬢様は大きく目を見開き、感激したように口をハッと押さえました。

 ――え、ちょっと待って、あたしの弟、天使すぎる! と、尊いぃぃ!!

 かなり大げさなリアクションでのけ反った彼女は床に膝から崩れ落ちました。わたくしが大丈夫ですかと尋ねますと鼻を押さえて鼻血が出そうと。出てません。

 冷静に指摘しますとムッとしたご様子でしたが、すぐにご機嫌になってその髪飾りを受け取りました。素人目にみてもかなり出来のよい作品でしたので気に入ったのでございましょう。

 と、その時、屈んだ体勢から立ち上がったわたくしのポケットから不都合な物が落ちてしまいました。それはお嬢様が手にしている髪飾りと同じデザインのブローチで、坊っちゃんがわたくしにもと下さった物です。

 僕は二人の事が大好きだからと、坊っちゃんははにかんで言うのですが、お嬢様の機嫌はそこからあからさまに急激に下降して行きました。しばらくこちらを見つめていた彼女はニコリと笑うと手を差し出します。

 ――ねぇ、それあたしが預かってもいいかしら?

 冗談じゃありません。せっかく坊っちゃんが心を込めて作って下さった物です。波風立てないようやんわりとお断りするのですが、お嬢様の顔はどんどん鬼のように変化していきました。

 ――困るのよ、あたし次の婚約発表の場でこの髪飾りを付けていこうって決めたの。なのに、ただのメイドが同じ物を付けてたらヘンに思われるでしょ。これは弟があたしを想い、あたしの為だけに作ってくれた『特別』じゃなきゃいけないの。貸して!

 彼女が手を伸ばしてきたので、わたくしは反射的に飛びのいていました。抵抗されたことにカッと来たのか、お嬢様は平手打ちを飛ばしてきます。

 ――姉さん! やめてよ。それは姉さんに上げた物じゃ

 坊っちゃんが後ろからヨタヨタと止めようとした瞬間、触れられそうになったことに気づいたお嬢様はすさまじい悲鳴を上げて尻もちをつきました。それが気まずくなったのでしょう、彼女の怒りはますます過熱していきました。

 ――ちょっと、なんでこんなメイドごときに構うのよ! あんた弟キャラじゃないの? あたしにだけ懐いていればいいじゃないっ!

 立ち上がってこちらを向いたお嬢様は、怒りの矛先をわたくしに向けます。

 ――そうよ、そもそも最初から気にくわなかったのよ。あんた何しゃしゃり出てきてるわけ? この子はあたしに依存するヤンデレ設定なの! 部外者に笑いかけてたらキャラが壊れちゃうじゃない!

 ――何言ってるんだよ……わけわかんないよ姉さん

 坊っちゃんの泣きそうな声に、いい加減わたくしも頭に来ていました。熱を持つ頬を抑えながら切々と訴えてしまったのです。これまでのお嬢様の態度で坊っちゃんがどれだけ傷ついてきたか。愛情を以って自分から触れた事が一度でもありましたかと。

 ――はぁ? 意味わかんない、その子を一番可愛がってのはあたしでしょ? 話すり替えないでくれる?

 すり替えていません。一度でも坊っちゃんの地下牢に来た事がありましたか? 坊っちゃんはあなたの『いいお姉ちゃん』を演出するためのアクセサリーじゃないんですよ。

 ――アクセサリー! プッ、ちょっとやだ、その子のどこがアクセサリーよ。自慢できる弟どころか完全なるバケモノ……

 つい口を滑らせた彼女はハッと口をつぐみますがもう手遅れでした。それが本音ですかとお尋ねしますと、重たいため息をついた彼女は突然声を荒げます。

 ――あぁもう、くっだらな! そうよ、ずっとそう思ってたわよ。あたしよくここまで我慢したわ

 ――ね、姉さん?

 ――話しかけんな、出来損ない!

 お嬢様は先ほど貰った髪飾りを坊っちゃんの顔面目掛けて投げつけました。床に落ちて壊れたそれを、お嬢様は上から何度も何度も踏みつけていきます。

 ――全部あんたがブサイクなのが悪いのよっ、原作通りの美少年だったらあたしだってもっと素直に可愛がってた!! なのに何!? きったないブサイクだし根暗だし陰気だし、側に来るといっつもなんか臭いし。吐きそうなのよ! あたしは一生懸命我慢してたのに何この仕打ち!? ムカつく!!

 呆然とそれを見上げていた坊っちゃんの垂れさがった瞼の端から、涙がスーッと流れ落ちます。

 ――はぁ? なに泣いてんのよ、被害者気取り!? ウザいウザいウザい! ああああもう限界! 要らない! あたしには最初から弟なんて居なかった!! そうよ、そういう設定で行けば良いのよ。あーハイハイ分かりました。愛する弟を失って実は心の傷を抱えてるってパターンね。あんたもう死んでいいわよ、むしろ死ね。一秒でも早く死ね。生きてる価値ないんだから、二度とその不快なツラみせんなクソブサイク!!

 そう言い残したお嬢様は坊っちゃんのお腹を蹴り飛ばし、バタンと力の限り扉を閉めて部屋を出ていかれました。

 おそらくお父上の元へ言いつけに行くのでしょう。わたくしは掛ける言葉が見つからず、声を押し殺してうずくまる坊っちゃんの曲がった背中に手を添わせる事しか出来ませんでした。


 その日の夕刻、わたくしは重い足取りで地下牢へと報告に参りました。今日付けで解雇になった事を告げると、坊っちゃんは泣きました。僕のせいでこうなったのだとひたすらご自分を責めて謝りました。

 可哀想な坊っちゃん。きっとご自分の命の方が危ういでしょうに、わたくしの心配をして下さるのです。

 本当に優しい子。……もう、いいですよね。



 翌日、わたくしが出ていく事になる朝は、屋敷中に響き渡る絶叫から始まりました。

 女中部屋の隅で身を起こしますと、美しかった同僚のメイドたちの顔が全員まとめて醜い物へと変化していました。

 彼女たちだけではありません、奥様も、旦那様も、目も当てられない顔で呆然としていたのです。


 絶叫は続いていました。わたくしは混乱極める屋敷の中をすり抜け、声の出どころ――お嬢様の部屋まで駆けつけます。

 ――いやあああ!! 見ないでっ、見ないでえええ!!

 断りもせずに入室しますと、ベッドの上には二目と見られない醜い顔の女がガタガタと震えていました。

 腫れぼったいまぶたにどんよりと濁った瞳。頬は垂れさがり全体のパーツがおかしな具合に散らかっています。長く美しかった髪の毛は艶を失い、手足とからだが丸々と太くなりドレスがはちきれそうになっています。それは、道端ですれ違ったら思わずギョッとして顔を背けてしまいそうな醜さでした。


 そう、何者かの手によって、昨晩のスープに『真実の姿を見せる薬』が混ぜられていたんです。

 坊っちゃんが作った薬は効果てきめんでしたよ。お嬢様を始めとして、このお屋敷に居る方々の心の醜さが、そのまま外見となって表れていたんですから。


 わたくしはにっこりと笑って、彼女が踏み壊してそのままになっていた髪飾りを頭のてっぺんに乗せてあげました。とてもお似合いですよ、お嬢様。馬鹿にしていたブサイクになった気分はいかがです?

 顔を真っ赤にしてよたよたと掴みかかって来るお嬢様をひらりとかわし、わたくしは地下牢まで走りました。するとどうでしょう、牢の中には輝くように美しい少年が一人、驚いた顔をして立ち尽くしていたのです。

 ……いえ、実際にはほとんど変わっていなかったんですけどね。皮膚病でただれていた顔面が薬のおかげですっかり治り、曲がっていた骨格がまっすぐになっただけ。元から坊っちゃんはとても整った顔立ちをしていたんです。


 そこから先は嵐のようでした。屋敷の混乱に乗じて、坊っちゃんを連れてその場を脱出し、なんとか国境にあるこの宿屋へたどり着いたと言うわけです。


 どうです? 吟遊詩人さん。この場の食事代ぐらいの面白さはありました?


 え? わたくしはそのスープを飲んだのかって? もちろん飲みましたよ。フェアじゃありませんもの。

 しかし、心の綺麗さって誰が判定するんでしょう? 実はわたくし、対面した相手によって見え方は変わっているんじゃないかって密かに推測しているんです。

 だって真実を『見せる』薬でしょう? 今の話を聞いて、あなたの目にわたくしの顔はどう映っていますか? なんてね。


 そうそう、お嬢様は順調に進んでいた皇太子様とのご縁談を白紙に戻されたらしいです。あら? そうなると、彼女がしきりに言っていた「婚約破棄」の通りになったのかしら。お嬢様は実は未来が見えていたとか……そんなわけないですよね。もしそうなら全力でそんな未来は回避しますもの。愚かだなんて思っていませんよ。ええ思っていません、お気の毒ですよね。ふふ。


 さてこれからどうしましょう。実は追手が来る前に隣の国に逃げて、あの子の才能を伸ばせる場に入れてあげたいと思っているんです。

 ご存じですか? の国には高名な錬金術師を多く輩出している学校があるそうじゃないですか。坊っちゃんがやっていたのはどうやらそれに近い事のようですし……。

 もちろん、入学試験は一番の成績で合格すると踏んでいますよ。あの子は天才ですからね。しかもとびきり可愛くて、優しいのです。


 そこでたくさん学んで、あの暗くて狭い地下牢だけじゃない広い世界の事を知ってほしいんです。もしかしたら、そこで素敵なお嬢さんと知り合って、恋人ができたりするかもしれませんね。

 わたくしはその時までお傍にお仕えさせて頂くつもりですよ。愛しい坊っちゃんの為ですもの。


 それでは失礼します。夕飯代ごちそうさまでした。今の話、弾き語りのいいネタになると良いですね。ぜひあの国で、笑い話として広めて下さいませ。



おわり。

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腹黒メイドは悪役令嬢に嫌われているようです 紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中 @tana_any

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