休めない休日の過ごし方 b
声とともに一人のお手伝いが駆け寄って来る。
艶のある黒髪に深い色の黒目、そして高級そうな着物、といかにもな日本美人。年は僕と同じか少し上くらいだろうか。
「ただいまです、
「お帰りなさいませ。お帰りになるこの時を一日千秋の心で待ち望んでおりました」
深々とお辞儀をする少女、他称咲。
見るに汐霧のことをとっても慕っているご様子だ。
汐霧もどうやら実家の人間全員に嫌われているわけじゃないらしい。少し安心……出来たら僕も真人間を名乗れるのかな。はは。
「……いえ、今日は帰って来たわけではありません。それから、こんなのとはいえ客をいつまでも放っておくのは駄目ですよ?」
「こんなのってお前ね」
「あ……すみません、少し興奮してしまいまして、お見苦しいところをお見せしました。私はこの屋敷の使用人の
「あ、ご丁寧にどうもどうも。僕は儚廻遥って言います。イカした素敵なお名前ですね。以後よろしく」
ぺこりとつむじを見せ合い礼儀の交換に勤しむ。トレードの基準には一応達していたようで、僕の分はつつがなく受け取って貰えた。
「それで……お帰りでないのなら、今日はどのようなご用件で?」
「用件は私も知りません。ただ来い、と言われただけですから。多分この男絡みの話なのでしょうけど」
「僕は悪くないんだけどなぁ」
「……なるほど、つまりこの方がお嬢様が話していた人物ですか」
「は?」
「いえ……」
口元に手を当て隠す仕草をする咲良崎。これ以上は喋らない、というアピールだ。
追及してもきっと無駄なので適当に流す。
「ありがとう。さぁ汐霧、足疲れたからさっさと案内してくれ」
「……何様ですかあなたは」
「お客様。言質はさっき取った」
「ドヤ顔うざいです」
持論だが、我儘が効く環境なら全力でそれに甘んじるべきだと思っている。
それが駄目な環境は自分自身で率先して変えていくべきだ、とも。
◇
「応接間はこちらです」
応接間に通されると、僕は真っ先にソファに座り込んだ。脱力し、背もたれに首をだらっと乗っけてみる。
そんな僕に侮蔑の眼差しを向けながら、汐霧が隣に腰を掛ける。使用人としての立場があるのか、咲良崎は立ったままだ。
あー……それにしても本当にふっかふかだ、このソファ。
こうしてみると分かるが、生活家具には金掛けるべきってのは間違いないんだろう。
「はは、もう二度と動きたくない……」
「儚廻様。これから来るのはこの家の現当主です。失礼のないよう……」
「人が来たら流石にちゃんとするから、っと」
噂をすれば何とやら。第三者の足音に僕はのろのろと背筋を伸ばす。
「あぁ、どうやら待たせてしまったみたいだね」
やがて姿を現したのは、線の細い身体つきに柔和な顔立ちの男だった。
清潔感と精悍さを併せた三十路と少しほどの外見年齢。着ているものがビジネススーツというのもあってセールスマンと勘違いしてしまいそうになる。
その下に押し込まれた高密度の筋繊維に気付かなければ、だけど。
「私は
そう言って汐霧父は名刺を差し出して来た。適当に頭を下げながら受け取る。
名刺には『東京コロニー正規軍【草薙ノ劔】中央軍令部所属、汐霧泰河大佐』とある。
佐官となるとかなりのお偉いさん、是非ともお近づきしたいところ……とは何故か思えなかった。うーん、何故だろう?
「ふむ……なるほど」
よく分からない感覚に内心首を傾げていると、汐霧父が当てていた口元から手を外し、唐突に手を打った。
「よし、では単刀直入に言わせて貰おう。憂姫、彼に払う金はない。その契約とやらは早急に解消するように」
「なっ……!?」
瞬間、汐霧がソファを蹴って立ち上がった。
数秒かけて呼吸を落ち着け、彼女は口を開く。
「……何故ですか?」
「何故、か。ならば逆に聞こう。学院程度の成績で最下位。どこかの資産家の生まれというわけでもない。そんな人間に払う金があると、本気で思うかい?」
「それは……」
否定しようとして否定材料がないことに気づいたらしい。おいコラ、そういう中途半端なフォローが一番クるんだぞ、現実。
僕の内心の哀切を捨て置いて、汐霧父の言葉は続く。
「まぁ、義理とはいえ仮にも汐霧の人間が目を付けた人物だ。一目見てから判断しておこうと思ったわけだが……」
言葉を切って、頭を掻く。
どう言えばいいのか、少し逡巡した様子で、汐霧父は僕に視線を移した。
「儚廻君、だったかな? 君からは、いわゆる覇気が一切感じられない。将来性も全くだ。一番の理由はこれに尽きる。納得は出来ずとも理解くらいはして欲しい」
「……あ、はい?」
歯に絹着せない、なんてのを実行出来る日本人がいることに溜息が出てしまった。……いやあの、冗談よ?
本当は礼儀を欠いた真摯さは人を紳士たらしめるのか……なんて言葉遊びをしていたところに同意を求められて驚いた。ははっ、もっと言えねえ。
ちなみに結論は意味なしでファイナルアンサー。真摯なのは好きだが紳士は好きではない。好きじゃないものが劣化したら、それは嫌いと同義だろう。
……そんなくだらない思考をぶった切るためにも、とりあえず僕は口を動かすことにしてみた。
「要約すると凡人馬骨は邪魔だから引っ込んでろ、と。合ってますか?」
「それは穿った見方というものだ。そちらの要求が対価に見合っていないと言いたいだけだよ。金の話さえなければ学院で組む部隊などに口は出さない。好きにしなさい」
「なるほど……」
言ってることは分かるし、接触禁止令を出さない辺り温情すら窺える。寛大とも取れる言葉だ。
でも僕はお金が欲しい。汐霧家とのパイプはもっと欲しい。ので、少しゴネてみることにする。
「つまり要求にあった対価を支払えればいいんですかね?」
「あぁ、そうだが?」
汐霧父の望むのは、およそ実力、資産、家柄、将来性。この辺かな。
まず資産、要するにお金。あるなしに関わらず、むしろこっちが要求してるのであって。こっちから払うんじゃ本末転倒もいいところである。
家柄。妹の兄なことだけが誇りなごくごく普通の地元民。来世に乞うご期待だ。もちろん却下。
将来性。自慢じゃないが十年後に生きてる自信はあんまりない。というかそもそも、あんなに真っ向から両断されたのだ。人間関係じゃないんだからマイナスをプラスにするのは多分無理だろう。
となると残るのは実力……も、割と絶望的な気がする。でもまぁ、他のは生まれ直さないと不可能なレベルだし、比べてみればまだマシな部類か。
よし、決ーめたっと。
「質問ですが、あなたの中で金を払う魔導師の基準ってどれくらいですか?」
「それはどういう意図があっての質問だい?」
「ただの興味本位なのでお気になさらず。それで?」
「……そうだね。金を払うというのはつまり雇うということだ。この場合は護衛としてになるから、少なくとも娘と同じかそれ以上の実力を持つことが前提となる」
「あ、ならちょうどいいですね」
そう言うと、汐霧父は僕の言いたいことを察したのか胡乱な目を向けて来た。
「……もう一度聞こう。それはどういう意図があっての質問だい?」
「一戦試合わせて貰えませんかってことですよ。簡単なお話、あなたと戦って認めて貰えればいいんですよね?」
「は……!?」
幾ら何でも無謀だと思ったのだろう、心底驚いた様子の汐霧を左手で制する。
実際、この提案は悪いものでは決してない。正規軍の中佐ともなればAランクくらいは相当するはずだし、試合ということにすれば死ぬこともない。
ローリスクハイリターンの典型だ。
「ふむ、それは私と君の間に存在する差を理解しての提案かい?」
「えぇ、まぁ」
「そうか。それならば、君は少し現実というものを知った方がいいみたいだね。発言に実感がまるで伴っていない。学生なのだし仕方がない部分はあるにせよ、限度というものがある……」
溜息とともに、汐霧父の視線の質が変わる。
正気かどうかを懐疑する視線から、哀れむような、微笑ましいものを見るような、明らかな侮蔑視線へと。
彼はゆっくりと立ち上がり、穏やかに言い放った。
「いいだろう、来なさい。学生には授業がつきものだからね。私が直々に、現実の授業をしてあげようか」
直後、視界を閃光が灼いた。
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