娘さんを僕にください b
「ぐっ……!?」
体にのしかかる、ずしりという重圧感。拘束系統の魔法特有の感覚が、全身を蝕んだ。
汐霧が自分ごと僕に拘束魔法を掛けた――それを理解した瞬間、直感する。
汐霧父の放った『縛れ』というマガツ。
アレの狙いは僕じゃなかった。汐霧だ。
そして汐霧を戦わせるのではなく、拘束の道具として使ったのは。
『ゴ苦労、憂姫。ソノママ彼ヲ抑エテオケ』
「……ぁ」
汐霧父の片手に禍力が宿る。その色は漆黒。先の銃撃とは比べ物にならないほどの量と密度。
こんな防御もままならない体勢で、喰らっていいものではない。
『私デハ君ニ敵ワナイ、ノダロウ? 一人デ無理ナラ二人、トイウノハ合理的ダト思ウガネ』
「……はっ、聞き取り辛いったらないな。それは人間の発想だろうが」
『ナンニセヨ、君ナラ簡単ニ引キ千切レルダロウニ。最モ……クク、憂姫モタダデハ済マナイダロウガネェ?』
……ゲスが。
言葉を飲み込んで、代わりに僕は状況の把握に努める。
発射秒読みの、即死クラスの砲撃。拘束されて身動きの取れない体。
汐霧はマガツで縛られており、文字通りの枷になっている。
そのマガツの解除には繊細な操作を伴うため、片手も使えない現状ではどうすることも出来ない、と。
控えめに言って、そこそこに最悪な状況だった。
『コノママ砲火ニ飲マレ塵ト消エルカ、憂姫ヲ殺シテ私ヲ殺スカ。君ニアルノハ二択ノミダ』
「……わざわざ脱出方法教えてくれてどうも。僕を殺せなくてもいいの?」
『クク、アレダケ
もう、言ってることもやってることも支離滅裂だ。かなりのスピードで正気が剥がれ落ちて行ってるのが分かる。
今の奴を突き動かしているのは、心に溜まった負の欲望。力に魅せられ、呑まれた者が一様に行き着く場所だった。
「娘を殺す気か? このまま撃てば、僕ごと死ぬぞ」
『元々、ソレハ他家ノ厄介ナ情報網ヲ逸ラス目眩シニ拾ッタニ過ギン。確カニ才能ハ一級ダガ……ドウセ既に不要ナ駒ダ。捨テ
「……っ……」
意識的か無意識か、汐霧がそんな息を呑むような音を漏らした。
もし今の彼女に意識が残っていたなら、今の言葉も丸々聞こえていたことになる。
だとすれば、それはどれほどのものなのか。
家族に殺されかけ、終いには捨てられる。
それは一体、どれだけ悲しいことなのだろうか。
そして、砲撃が充填される。
『サテ、最後通牒ダ』
煌々と輝く焔を片手に、汐霧父は改めて聞いてくる。
『【死線】ヨ、ドウスル? 私トシテハ脱出シテクレタ方ガ楽シメルノダガ』
「……それ聞いて安心した。僕にオッサンと化け物を喜ばす趣味はないからね」
『ココデ死ヌト?』
「汐霧を殺すつもりはないよ」
彼女はきっと、僕にとって必要となる存在だろうから。
だから僕は汐霧を見捨てないし、殺さない。それが何を意味するか、分かっていても。
『…………』
僕の答えを受け、汐霧父はしばし無言となった。
少しして頷き、ゆっくりとその濃紫の片腕を突き出す。
『ヨカロウ、デハ死ネ【死線】』
【コードブラック】。
漆黒の砲撃が放たれた。
それは結局、何にも阻まれることなく僕たちへと迫り、
「……は」
真正面から、僕と汐霧の全身を呑み込んだ。
◇
『パンドラアーツガ
歪んだ声が、未だ土煙の収まらない666階に響く。
砲撃は直撃した。そこらの魔導師なら百は殺せる、Sランクのパンドラ渾身の破壊の一撃だ。
生死の前に、原型が残っていることすら考えられない。
踵を返し、本来の目的だろう制御装置へと足を向けて、
「【アーツ】」
僕は魔力を解放した。
『ヌゥ!?』
「……え」
吹き荒れた純白の魔力の奔流を、汐霧父はギリギリで躱した。
前後から聞こえる驚愕、懐疑にそれぞれ彩られた声。僕はへらへらとした笑みを返す。
「はは、避けられた。結構いい勘してるじゃない」
『キサマ、生キテ――ッ!?』
驚きながらも疑問を棚上げすることにしたのか、汐霧父は再び右手に焔染みた禍力を灯す。大技直後の隙を狙うつもりらしい。
大量の魔力を放出すれば動きは止まる。魔法の基本だ。
あくまで基本に過ぎない話だが。
「【アーツ】」
第二射、解放。左腕から溢れた魔力が奔る。
砲撃の連射。予想だにしていなかったらしい汐霧父は回避が遅れ、その左腕を呑み込まれた。
『ナッ……!?』
「この程度じゃ大量でも何でもない。雀の涙にも及ばないさ」
再び収束。左手の指一本一本が思い切り引っ張られるような感覚が走る。
それをまとめて握り潰し、照準する。
見ると汐霧父も同様に、輝く右手をこちらに向けていた。
解放は、ほぼ同時。
「【アーツ】」
「【コードブラック】!」
砲撃と砲撃が激突した。
二条の光は丁度中間地点でぶつかり合い、激しい光を撒き散らす。
純白と漆黒。
魔力と禍力。
相反する二つが一際輝いて――そして、消滅した。
「きゃっ……!」
『…….ッ!?』
相殺。
発生した衝撃が僕と汐霧の髪を荒らし、汐霧父の霧を散らしていく。
『我ガ禍力ヲ……貴様一体、ドレホドノ魔力ヲ持ッテ……!!』
「あは、言ったでしょう? 僕はパンドラアーツ。魔力と禍力をその身に宿す、完璧な半端者だって」
それが何を意味するか。少し考えれば、魔法に触れた者なら誰だって分かるはずだ。
今の汐霧父は著しく知性がトんでいるが……それでも思い至ったらしい。白色の円でしかない両眼が、大きく見開かれた。
『……魔力ト禍力ノ反発カ……!』
「はい大正解。……そう、僕の体は、常に禍力と魔力の反発が起きている。互いを喰い合い、互いを殺そうとして、一秒ごとに強くなる」
それはまるで、螺旋のように。円環のように、尾を喰らう蛇のように。
僕は、生きるほどに強くなる。
『……出鱈目ダ! ソンナコト、有リ得ルハズガナイ!』
「そう思いたいならそう思えばいいさ。他人にそうあって欲しいと思うのはアンタの勝手だ。けど、その妄想に殺されるのはアンタ自身だよ」
「あ……」
いつの日か汐霧に言った言葉。どうやら彼女も覚えていてくれたらしく、吐息が漏れる。
その意味する内容は全くの正反対だけど、それでも彼らは親娘だった。根底に同じ物が流れているのがよく分かる。
だからこそ、コイツが汐霧を捨てたことが僕には許せなかった。
『ッッッ―――――!!!』
汐霧父が声にならない絶叫を上げる。全身の濃紫の霧が、奴の右腕に絡みついていく。
禍力の量的に、威力は恐らく先の【コードブラック】とやらより更に上。
正真正銘、全力の一撃。次で決めるつもりだ。
「いいね、そういう分かりやすいのは嫌いじゃない」
笑うと同時、抑えていた禍力が全身から溢れた。
黒色の力が右腕に、右手に集中し、煌々と輝き始める。
放つのは同じく砲撃。形は【アーツ】と全く同じ。
ただし、放つモノだけが全く違う。
禍力。
破壊の力。
僕に宿る、僕の人生を終わらせた力。
「ねぇ、汐霧。確か前に言ったよね。『僕は複雑な魔法が使えない。援護や支援、遠距離系なんて無理』って」
「……はい?」
背後の汐霧に届くように、僕は声を出す。
彼女に僕のことを知ってもらうために、彼女との約束を守るために。
「それが……?」
「実はアレ嘘だ、半分くらい。本当は、あと二つだけ使える技がある」
一つ目は【アーツ】。とにかく魔力を放出するだけの単純な技。
分類上は魔法に属するのだが、僕はこれを魔法だと思ったことは一度もない。
こんな美しさの欠片もない技、どんな顔して魔法だなんて言えばいいのか。
「そしてもう一つ。こっちはそもそも魔法じゃないし、援護や支援なんかにも使えない。【アーツ】よりも使い勝手が悪くて美しさもない、ある意味とっても僕らしい技」
操作する。
禍力を、その性質を。破壊を想って特化させる。
これは、この技は。
立ちはだかる障害を、目標までの距離を、目的を否定するこの世界を。
「全て壊すための技だ」
収束完了。臨界寸前。
あとは撃つだけ、壊すだけ。
それは汐霧父も同様のようで、灯った黒焔は轟々と猛り狂っている。
さぁ、決着の時だ。
『【コードインフェルノ】!!!』
汐霧父の右手から、禍力の黒焔が放たれた。
極大にして強大、圧倒的な滅却の焔。
Sランクパンドラと化した汐霧泰河の持つ、最大最強の技。
それに応じるように、僕は右腕を引き絞る。
【アーツ】の時同様に右手を開く。鉤のように、手のひらの先にあるそれを掴もうとするかのように、力を込める。
破壊想、極大展開。
そして僕は、力を解放した。
「【セツナ】」
――それは深淵そのものだった。
走る、奔る。
壊す、殺す。
世界の終わりのような黒。全てを壊す終末の権化。
技名【セツナ】。『操作』によって破壊に特化させた禍力を撃ち放つ、破壊の一撃。
僕の持つ最強の技で――妹の名前を冠する、そんな技だった。
【セツナ】と【コードインフェルノ】。
互いの最強同士が激突し、互いを喰い合い殺し合う。
拮抗は一瞬以下。僅か儚い刹那の時間。
【セツナ】が漆黒の焔を塗り潰し、完膚なきまでに破壊していく。
真黒の奔流は勢い衰えることなく突き進み――そのまま汐霧父の全身を呑み込んだ。
『ガァァァァァァァァァァァァアッッ!!?』
響く断末魔。命と引き換えに溢れる、まさしく魂の叫び声。
ぼろぼろ、ぼろぼろと彼の体の至る所がもげ、壊れ、崩壊していく。
しかし、それでも汐霧父は倒れなかった。
『……ァァァァァァァア!!!』
崩れかけた足を、腕を、頭を再生し、その場に踏み留まる。
濁った白の双眸に、溢れんばかりの闘気と狂気を宿しながら、汐霧父は咆哮する。
やがて、【セツナ】が蒼穹へと流れて消えた。
まだ、彼は死んでいない。
この東京を殺すために立って、生きている。
「――ああ。アンタなら、死なないでくれると信じていたよ」
これだけ手加減したんだ。きっと、生きていてくれるだろうと。
だから。
パンドラアーツの身体能力、今日まで積み重ねた禍力の恩恵を以って、全身全霊で地を踏み蹴った。
飛ぶように流れる景色。爆発的に埋まる距離。足が赤熱し、爆砕し、再生してまた砕け散る。
最高速度、到達。衝撃が体を引き裂き血を散らす。
その飛沫が地に落ちるより先に、僕は汐霧父のすぐ背後まで駆け抜け――
「――よっと」
そして両腕を薙いだ姿勢で、停止した。
『ム……?』
汐霧父の体にダメージはない。怪訝げな声が上がる。当然だ、僕がやったのは攻撃じゃないのだから。
僕の仕事は、もう終わった。
『何モナイノナラ、コチラカラ――!』
振り返り、僕に攻撃を加えようとして、汐霧父は気付いたらしい。
自分の体が、指一本すら動かなくなっていることに。
僕の指から伸びた輝く鋼糸が、全身を雁字搦めに拘束していることに。
『【死線】、貴様……ッ!?』
「……何度だって言うよ。僕は【死線】じゃない。【死線】にとって鋼糸は武器だ。僕は違う」
確かに鋼糸を武器のように使うこともある。でも、それはあくまで便利だから使っているだけ。
根底にある、僕が鋼糸を所持する理由とはまるで違う。
僕にとっての鋼糸は、ちょっと思い入れのあるだけの道具だ。
手放してしまった、命よりもずっと大事なものを縛り付け、離さないための道具に過ぎない。
『ッ……ナラバ!』
汐霧父の雰囲気が変わる。明確に伝わってくる攻撃の意思。全身の霧がボコボコと泡立ち始める。
来るのは恐らく、全方位への禍力の放射。身を縛っている鋼糸ごと僕を殺す気だ。
そう来ることは分かっていた。
僕は冷静に『操作』の力を行使する。
「『操作』のマガツ、起動」
ドグンッ、という灼けるような感覚が体の中央に去来する。
秒を
『操作』。僕がバケモノになった時に得た災禍の能力、マガツ。
あらゆる禍力を意のままに操る、禁じ手とも言える力。
結果として、爆発寸前だった禍力の泡は呆気なく霧散した。
『ッ!?』
「さっきぶりだけど紹介するよ。『操作』のマガツだ。今後ともよろしくね」
そして、そろそろお別れの時間だ。
だがそれを教えるのは僕の役割じゃない。
この男に終わりを、死を、さよならを告げるのは――
「汐霧、お前だ」
「……、……。え?」
「はは、何その声」
間の抜けた声。汐霧父をマガツと膂力で抑えながら、僕は呆れたように笑う。
「父親を殺すか、東京を殺すか。お前が決めて、そして終わらせてくれ」
「え、あ……まって、待って……!」
僕の位置からでは彼女の姿は見えないが、それでもどんな様子かくらいは容易に想像出来る。
きっと、いっぱいいっぱいな感じなんだろうな。
「なんで……なんで、私が」
「そりゃ、いくら僕でもよその家の親娘喧嘩を終わらせるほど無粋じゃないからね。ここまで
そのお膳立てのために何度か危ない橋を渡ったが、何とかこの状況まで持ってこられた。
「状況は簡単だ。
「…………私、は」
『――《離セェェェェエ》ッ!!!』
その時、僕の指が宙を舞った。二つ。薬指と、人差し指。鋼糸が指から抜け、拘束が緩まる。
一瞬で再生を終え、今まで以上に力を使って抑え込むも、今のは少し危なかった。反応がもう少し遅ければ抜け出されていたかもしれない。
そんな中、再び汐霧の声が聞こえる。
「……無理、無理です……私には、できない。私は、だって私は……私が、ヒーローなんて……」
尻すぼみに消えていく言葉。
それに対して湧いたのは、失笑。
「それは理由にならない。何かを殺し、救うのにその人間が誰かなんて関係ないよ」
「……っ……」
「バケモノだからって? ハッ、お前なんか僕に比べりゃ可愛いもんだよ。お前は人間になれる。僕が言うんだから、間違いないさ」
「…………あ」
例え今はバケモノだとしても、間違いなく彼女は人間になりたがっているのだ。
でなければ、選択の前提が英雄になるはずがないのだから。
「お前は死にそうになって、泣いた。それは何故だ?」
「……死にたくなかったから、です。ただ、生きたかったから……」
その答えに、僕は口の端を釣り上げる。
ああ、それで充分だ。
「それが分かってるなら、僕はもう何も言わない。あとはお前がやりたいようにすればいい」
「……そういうの、無責任って言うんですよ」
「馬鹿か。今更かよ」
「ええ……本当に。…………お父様」
父親へと話しかける汐霧。その言葉に、汐霧父の抵抗が止む。
それは諦めたからじゃない。次にコイツがやるのは、きっと――
『憂姫! 私ヲ助ケロ! コノ男ヲ殺セ! ドウシタ、早く動ケェエッ!!』
吐き出されるマガツの乱舞。それはそのまま繰り出されれば、容易に汐霧を支配しただろう。
僕はマガツを使ってその言葉の全てを無力化する。そんなもの、家族の会話には邪魔でしかない。
「……私を拾ってくれて、ここまで育ててくれて。本当にありがとうごぞいます。感謝してます」
『ソウダッ、ダカラ救エ! 恩ヲ返セ! ソノゴミノヨウナ命ヲ使ッテ私ヲ救エ!』
「……。私は、生きたいんです。生きていきたいんです。だから、私は……わたし、は……!」
チャキッ、という
父親の命を奪う決意の音が、聞こえる。
震える声で、少女は続けていく。
「私は……あなたを、殺します」
『フ――フザケルナッ! キサマ、キサマ、キサマキサマキサマキサマァアッ! アァ、ァァァァァアアアアアアアアッ!!!』
「ぎっ……!?」
正気を失い、更に暴れる汐霧父。鋼糸が体に食い込み切り裂き、痛みが溢れていく。
だがこんな痛みがなんだというのか。心地いいくらいだ、この程度。
「ああ……そう。これが、これが人を殺すっていうこと……」
汐霧は、泣いていた。人を殺そうとして、彼女は痛みを感じていた。
10年という時間をかけて、彼女は人間になったのだ。
「……狙うなら心臓だ。そこに核がある」
「っ……ありがとう……ございました……っ」
それは誰に向けた言葉だったのか。
きっと、汐霧本人も分からなかったんじゃないかと思う。
そして、最後の時を告げる引き金が引かれる。
――カチンッ。
「さよなら、お父様」
銀色の銃弾が、発射された。
それは真っ直ぐに宙を翔け、汐霧父の胸の真ん中を貫く。
パリン、と。
何かの砕ける儚げな音が、遥けき空に木霊した。
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