とある少女の終わりの始まり



「――【キリサキセツナ】ッ!」


 鋼糸の斬撃が、宙に横一閃の光を刻み込んだ。

 上方から迫り来る六体の混ざり者を狙った斬撃は、そのうちの二体を真っ二つに切り裂いた。


 それだけだった。

 残りの四体は敢え無く躱され、接近を許してしまう。


「クッソが……!」


 吐き捨て、応戦の構えを取った。対して混ざり者は、さながらミサイルのように跳躍して禍力を放ってくる。


 新東京スカイツリー最上層部、大階段。

 それが僕らの現在地の名前だった。


 造りは各階層を囲む螺旋状となっている。横幅、天井間は非常に広い。踊り場の類はなく、傾斜は普通程度。壁や床の材質は塔の外壁と同じらしく、非常に硬かった。

 これだけ思い切り戦闘しても不自由さを感じないのだから、本当に大きな螺旋階段である。


 この階段で特筆すべきは、これだけで最上階の一歩手前まで行けてしまうという点だった。

 重要度が高く、広さがある空間。

 そんな場所に何も仕掛けられていないわけもなく、大量の混ざり者が僕らの行く手を阻んでいた。


「汐霧ッ、そっち二体行った!」

「分かってます!」


 切り裂くような返答、その直後に彼女の立っている場所へと紫紺の稲妻と酸の雨が降り注ぐ。

 混ざり者の攻撃だ。必死の威力を誇る、禍力によって放たれる魔法の成れの果て。


 しかしそこにいるはずの、焼け爛れてドロドロに溶けた少女はいなかった。

 代わりにカンカンと、硬質の何かを叩くような音が木霊する。


「【アサルトスフィア】」


 声の方向を見ると、驚くことに汐霧は壁を駆けていた。

 凄まじい疾走速度と平衡感覚、身体能力。

 そんな彼女の周囲に、魔力で出来た球体が九つ現れる。


「セット、ロック――」


 言葉に応じて、球体の形状が変化する。巨大な銃弾のような、攻撃的な形だ。

 汐霧は片手を突き出し、叫んだ。


「――強襲アサルトッ!」


 九発の弾丸が入り乱れ、あらゆる方向から混ざり者共へと襲い掛かる。

 そのあまりの手数と機動性に、二体の混ざり者は断末魔を上げる間もなく塵と化した。


「っと……!」


 放たれた二条の光線を、僕はギリギリ身を逸らして避ける。

 着弾の衝撃と爆発音を背景に、床を踏み蹴る。再度放たれる暗色の光線。微かに身に掠めながらも距離を詰め、僕は二体に肉薄した。


 反射的に、反撃に移ろうとする混ざり者。

 だが、それより僕の方がずっと速かった。


「【キリサキセツナ】」


 魔法名を唱える。左腕を薙ぐ。鋼糸が輝き、四条の光と化す。

 距離があるならともかく、この至近距離で回避は不可能だった。


 混ざり者たちの体に横線が四つ刻まれ、バラバラに乱れ飛ぶ。

 そんな光景を後ろに、僕は飛ぶようにして階段を昇る。汐霧も加速して、すぐにその横に並び立った。


「残りは!?」

「今のところ気配はない! 多分、もう上には残ってないと思う」


 途切れることなく上から上から降って来る障害共。それもようやく打ち止めらしい。

 だが、かなりの時間を消費してしまった。腕時計を確認――しようとして、右腕が腕時計ごと吹っ飛んでいたことを思い出した。


 それに気付いた汐霧が、教えてくれる。


「残り9分です」

「そっか、ありがとう。ちょっと急ごっか」

「はい。……腕、大丈夫ですか?」

「んー、はは。ちょっと働かせ過ぎたかも。痛い」


 スカイツリー侵入の際に放った一撃。

 アレがトドメで、お嬢さまに処置して貰った右腕は肩口までが完全に潰れてしまった。


 一度失くしたものなので喪失感はそこまでなのだが、せっかくお嬢さまに治して貰ったのに、という罪悪感はある。

 一体いくつ彼女に借りがあるのか……指折りにしようとして、やめた。10本でも足りないのに5本で足りるわけがない。


 ちなみに、言い訳していいなら先ほどの【キリサキセツナ】を外したのもコレが原因だったりする。

 細かい動作が出来ないと鋼糸による攻撃はどうしても直線的になってしまう。当てるのに一工夫が必要となり、ちょっと面倒くさい。


「……当たり前です。ここのガラスは核シェルターの壁に匹敵する強度なんですから。むしろ壊せる方がどうかしてます」

「汐霧の魔法あってのことだよ。全部お前のおかげ。というか、あんまり近く走らない方がいいよ。血ぃ付いちゃうから」


 今も断面からは走るたびに血が舞っており、床や壁、そして時々汐霧にも付いてしまっている。心底申し訳ない限りだ。

 そんな僕の内情に反して、汐霧はそっぽを向いた。


「……別に、今更気になりませんから」

「そう? ならいいけど」

「でも、せめて止血だけでも」

「はは、いいよ。そんな時間があるなら少しでも貯金に回しておきたい。どうせこれくらいじゃ死なないしね」

「……あなたがそう言うなら、いいですけど」


 不承不承、という様子で納得してくれた。僕はそれを見て、思う。

 ああ、やはりコイツはどうしようもなく『いい子』なんだなぁ。


 この前、汐霧は自分のことをバケモノだと言っていた。

 別にそれ自体を否定するつもりはない。汐霧が自分自身をどう評価しようと、それは彼女の勝手だ。僕が口出しすべきことじゃない。


 だが、それでも汐霧がいい子であることだけは確かだ。

 そしてそれは彼女が人間になろうとしている、なりたいと思っていることの何よりの証左に他ならない。


 ――人間なんかより、人間になろうとしているバケモノの方がよっぽど人間らしい。


 そう言ったのは先生だったか、その親友だったか、どっちもだったか。

 物忘れの激しい頭で嫌になるね、はは。


「……儚廻。幾つか聞いてもいいですか?」

「ん、僕に答えられることなら」

「あなたは一体何なんですか?」


 真顔で、ものっそい失礼な質問をされた。


「……何って。それ、どういう意味の質問?」

「そのままの意味です。今日あなたが見せた力は……全部、常識はずれのものばかりでした」


 そうだろうか。

 いやそうか。

 そうだな。


「異常なまでの身体能力に超高威力の砲撃魔法。それを放って僅かにも疲労しない魔力量とスタミナ、そして右腕を失っても眉一つ動かさない精神力。……どう思いますか?」

「なにそのバケモノ。キモっ」

「……正直、私はあなたが人間かどうかすらとても疑わしく思います」

「あは、酷いなぁ。まさか自称バケモノちゃんにそんなこと言われるなんてね。悲しくって泣いちゃうぜ」

「そして少しでも核心を突くと、すぐに相手を怒らせてはぐらかそうとします。……そんなに信用出来ない人間ですか、私は」


 最後の台詞は、少しだけ悲しそうな声だった。

 汐霧はあの病室で自分のことを晒け出した。

 それはきっと懺悔のような自己満足の代物だったのだろうけど、晒けた事実は変わらない。


 反して僕は彼女に何一つ喋っていなかった。

 ……まぁ、そうだよな。


「……分かったよ。無事に帰れたらちゃんと僕のことを話す。と言っても別に大したことはないから、途中で寝オチしても責任は取らないけどね」

「はい、楽しみにしてます」


 やがて、駆ける僕らの視界に巨大な扉が見えてくる。

 新東京スカイツリー665階。

 最上階の一つ下のフロアで、東京コロニーに存在する機密エリアの中でも五指に入るほどの重要度を誇る階層。


 スカイツリーの最上階にはこの階段は繋がっていない。最上階に繋がっているのはとある転移装置のみで、そもそも物理的に辿り着けないようになっている。

 そして、その転移装置が設置されているのが次階である665階であるのだった。


「汐霧、先行する」


 言い、跳躍。僕は残りの階段を丸ごと省略して、ほとんど体当たりのように扉を開け放つ。

 その間に汐霧は僕に追いつき追い越し、開いた扉から室内に入った。


 ツリーについてある程度知っていたのか、彼女はすぐに辺りを見回して転移装置を探そうとする。


「なっ……!?」


 そんな彼女の驚愕が、辺りを揺らした。


「汐霧、大丈夫?」

「……なんですか、これ……」


 呆然と呟く彼女の視線の先。

 そこにあるのは、壁に埋め込まれた何かの溶液で満たされた培養槽カプセル


 その中には――眠るように目を閉じた、裸体の人間が浮かんでいた。


 ……いや、正確には違う。

 培養槽が埋め込まれているのは彼女の見ている場所だけではない。

 665階の壁。滅茶苦茶な広さを誇るその全てを、培養槽は余すことなく埋め尽くしていた。


 見渡す限りの“死人”に囲まれた階層。

 ここに来るのはかなり久しぶりだが、その異常さ、異質さは何も変わっていなかった。


「……これが、東京の背負う業だよ」


 東京コロニーの生命線である、大結界。

 通常の結界の何十、何百、何千倍という強度と規模を誇るそれは、消費する魔力も同様に膨大なのだ。


 そしてそれは当然、一人やそこらで賄えるものではなかった。


「彼らは大結界の発電機みたいなものだ。維持するには大量の魔力を休みなく、コンスタントに作り出さなきゃならない。そのためにはああなるのが一番だった」


 アレは一種の仮死状態のようなもので、睡眠の必要はないし、食事も培養液を利用して一括で行える。

 疲労を感じることはないし、調子の良し悪しも存在しない。


 魔力は眠っている間が一番回復する。

 あの状態であれば、失った分の魔力をプラマイゼロで生産することが出来る。

 というか、そうなるように調整されているんだったか。


 ――自我と自由を永遠に失い、ただ魔力を作り出すだけの部品となる。


 そこに死との相違を見出せないのは、きっと間違いじゃないはずだ。

 汐霧は奥歯を噛み締めて、呟く。


「……なんて、酷い」

「そうは言っても僕たちが安全に暮らせてるのは彼らのおかげだから。それに一応は合意の上らしいしね」


 聞いた話ゆえソースは不確かだが、彼らは自身がどうなるかを理解し、同意した上で“調整”を受けたと言う。

 自己犠牲の美談が大嫌いな僕としては『馬鹿じゃねぇの』というのが率直な感想だが、まぁ信じたいと思う話ではある。


「それより早く転移装置を探そう。奥の方にあるはずだから」


 ロクな障害物のないこの階の見通しは良いのだが、如何せん薄暗い上に広いため奥の方の目視は難しい。

 足を動かしながら辺りを見回していると、ふと汐霧が口を開いた。


「そういえば、最上階には何があるんですか?」

「あれ、知らなかったっけ……って当たり前か」


 そりゃ665階を知らないのに最上階を知っているわけがない。

 どう言ったものか少しだけ思案し、言葉を続ける。


「んー……簡単に言うと制御装置かな」

「制御装置?」

「さっきも言ったけど、ここの人たちの仕事は魔力を作り出すだけだからね。必然、どこかでそれを結界に変換しなきゃならない」

「それが行われているのが、最上階?」

「そういうこと」


 ちなみにその制御装置には、これまた強固な結界が掛けられている。

 破壊するにも解除するにも、最低でも一時間は掛かるほど強力なものが、だ。


 室内の中ほどまで進んだところで、ずっと奥に設置された無機質な円柱が目に入る。

 転移装置だ。


 残り時間は4分程度。

 僕と汐霧は頷き合い、一気にそこまでの距離を詰めようと、して。


「――お待ちください、ご両人」


 ふっ、と。

 暗闇から浮き出たように、僕らの行く手を何かが遮った。


 女の子だ。

 女性と少女の中間くらいの、年齢の判別がつかない容姿。


 瞳は夜空のような深い色合いで、髪も同色。艶やかな肌を高級そうな和装で包んでいる。

 唯一、表情だけが無で覆われていた。


 大和撫子という言葉がよく似合うその少女のことを、僕たちは知っていた。


「咲……?」

「ええ、こんにちはユウヒ。儚廻様もお久しぶりで」

「うん、久しぶり――咲良崎」


 意識してにこやかに応じるも、内心を占めるのは天を仰ぐ心地のみ。

 こんな状況下の、こんな場所。

 そこにコイツがいる理由なんて、良い方と悪い方の二極端しか考えられない。


 そしてこういう時に当たるのは悪い方と、相場が決まっていた。

 訳が分からないといった様子で汐霧が問う。


「どうして、咲がここに……?」

「おかしなことを仰いますね、ユウヒ。道具メイドが主人の傍にいるのは当然の事でしょう?」

「……え?」

「では、さようなら」


 一瞬の出来事だった。


 咲良崎が汐霧に肉薄する。

 僕が汐霧を庇い、突き飛ばす。

 汐霧が床に倒れていく光景が、スローモーションのようにゆっくりとして、そして。


 ――ザクリ、と。


 僕の体を、何か鋭いものが、深く深く深く刺し貫いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る