東奔生想
その時、お嬢さまの懐から端末の鳴る音がした。
「ごめんなさい」と少し離れて回線を開く彼女を傍目に、僕は質問を続ける。
「そのパンドラ達がどこへ行ったかは分かります?」
「逃げるのに必死だったからな。だが……コロニーのある方角に向かって行ったはずだ」
「コロニー……!」
「焦んな。確かにあんな大量に行けば結構な数が抜けるだろうが……中を守っているのはあの英雄、汐霧の旦那だ。今は俺たちの方がずっと危ねぇよ」
それは確かに、そうかもしれない。
大体パンドラの群れなんてものに遭うのがまずないし、更に迷彩中の結界とぶつかる、拠点を潰されるなんて天文学的な確率の不幸だ。
「こんなたくさんのパンドラに襲われるなんて、まずあり得ないですもんね」
「おうよ。これにガキ共の子守付きってんだからやってらんねえな」
「はは。ご迷惑お掛けします……」
笑って、僕は違和感を感じた。
たまたま僕たちが手伝いに来た時に、たまたまパンドラの群れと遭遇して、たまたま拠点が見つかり、たまたま襲撃を受けた?
何度も言うが、そもそも僕たち学院生は実戦慣れしてないのが殆どだ。
そんなのが軍人さんの手伝いをしようとしても足手まといにしかならない。それは軍の連中だって分かっているはず。
なのに何故、わざわざ僕らを呼びつけた?
いや待て。確か、この案を出したというのは――。
「……悪いニュースがあるわ」
ふと、戻って来ていたお嬢さまの声に思考を遮られる。
「悪いニュース?」
「……ええ、別の小隊からの救援要請。――パンドラの群れに襲われ拠点を潰された、と言っていたわ」
「んなっ……!?」
その声を上げたのは、僕だったか紫堂だったか。
ただでさえあり得ないはずの拠点の陥落が、立て続けに2件? しかも僕たちと同様に、群れに襲われて。
「……そもそも、何故拠点の場所が分かった?」
幾ら点在しているとはいえ拠点の結界は強固な上に迷彩付きだ。まず見つからないし、見つけたところで簡単に壊れるようなものじゃない。
それこそ、最初から拠点の場所と強度でも分かっていない限り――。
「……紫堂。汐霧父本人がいる場所はどこだ」
「あ? そりゃまぁ、司令官だからな。コロニー全体が見渡せる場所ってことで新東京スカイツリーだったはずだが……」
「――っ」
カチリ、と。
何かが嵌るような音が聞こえた、気がした。
パンドラについて。
何故か多数報告に上がる、滅多にないはずのパンドラの群れ。
拠点の位置を正確に知り、壊すことの出来るパンドラ。
あまつさえ統率が取れて、目の前のものより優先度の高い目標を狙うことが出来る。
そして、今回の作戦。
今回に限って外へ連れ出された学院生というコロニー内部の戦力。結果として軍の方々の足を引っ張らせる采配。
その主は――汐霧父だ。
久方ぶりの作戦指揮にブランクでも出たのか? いや、違う。よほど愚かか悪意があるかでなければここまで裏目には出ないだろう。
仮にも英雄と呼ばれた人間が愚か者なはずがない。ならば必然的に後者となる。
そして当然、彼はアウターに存在するあらゆる拠点のデータを持っているだろう。
そんな奴が今いる場所は、新東京スカイツリー。
東京コロニーの中心で、生命線。
大結界の発生源だ。
「……はは、凄いな。驚くほど筋が通ってしまう」
もちろんコレが絶対ではない。僕の思い違いな可能性は普通にある。
至る所に穴があるし、僕の知らない要素だってきっとあるはず。
可能性は概算にして一、二割。
――十二分に動くべき割合だった。
「紫堂、お嬢さま。端的に言う。東京が危ない」
「はぁ?」
「どういうこ――」
瞬間、特大の咆哮が辺りを揺らした。
遠くから聞こえる喧騒が、段々と近づいて来る。
パンドラだ。
方向は樹海の中。音からして、群れとはいかないまでも大小様々なパンドラがいるのが分かる。
多分、元からこの辺りに生息しているパンドラ。
僕たちを喰い殺そうと息巻く、純粋な敵だ。
「……こんな時に」
「クソッ、もう見つかったか!」
紫堂が戦闘態勢をとる。腰から大刀を抜き、正眼に構える。
それを見て、お嬢さまが瞠目した。
「まさか、迎え撃つつもり?」
「そうでもしないとこいつらを守り切れんだろうが」
それは、そうだ。僕たちには今、動けないのが二人いる。
彼らを守りながら迫るパンドラから逃げ、更にコロニーの結界周辺にいるはずの群れを突破するのは、少し無茶が過ぎる。
「こちとら後輩に約束させられてんだ、ガキ共を守ってくれってな。これ以上は、あの世でアイツに叱られちまう」
それはきっと、古沢と交わした約束なのだろう。
死人との約束を守りたいというのは分からないでもない、が。
……どうする。
先ほど思い当たった予想が現実だった場合、時は一刻を争う。こんな場所で油を売っている場合じゃない。一秒でも早く確かめに向かわなければ。
だが、それは同時にこの場の皆を見捨てるということになる。
厄介なのはこれが僕の推測でしかないというところ。
この場で一から説明しても、きっと二人は信じない。例え信じてくれても、目の前の危機より優先する道理がない。
これは……流石に、どうしようもなさそうだった。
だからせめて、僕はどうしようもないなりにお嬢さまに伝えようとして、
「早く行って」
そうして、そんな一言を貰った。
「……。……え?」
「気になることがあるんでしょ。なら、行きなさい。ここは私が引き受けるから」
お嬢さまは戦闘態勢をとっていた。両の手に冷気を纏わせ、前方を見据えている。
ようやく彼女の意思を理解した僕は、思わず聞いてしまう。
「……死ぬかもよ?」
「死なないわ。信じられない?」
とん、と肩を押され、後ろを向かせられる。
いいから早く行きなさい――そんな言葉が聞こえた気がした。
「…………」
一連の行動を咀嚼して、嚥下する。
どうやらこの娘は本気で僕のことを応援してくれているらしい。
……はは。ちょっと、柄にもなく本気で感動しちゃったよ。
「お嬢さま」
振り返らずに、口にする。
お嬢さまは、僕の選んだ自分勝手な選択肢を肯定してくれた。行けと、任せろと、そう言ってくれた。
であれば僕の言うべきこと、僕のやるべきことは、ただ一つだ。
「ありがとう。任せる」
後ろは振り返らない。
睨みつけるように前だけ見据える。
僕は、我武者羅に駆け出した。
「……そう。それでいいの。貴方は、それで」
◇
「チッ……!」
走り出して、はや10分が経った頃。
僕は早くも、これでは間に合わないことが分かってしまっていた。
「は、キッツ……」
笑おうとして失敗する。
表情筋が死ぬくらい、現状は絶望的だった。
ここから先は、今回の一連の事態が事件で、僕の予測が隅から隅まで当たっていたとして考える。
まず、事件が開始されたのは拠点が潰されたあの時。僕らがパンドラの群れに襲われたあの瞬間で間違いない。
陽動が派手に騒ぎ立てている間に本丸を落とす。戦略の基礎中の基礎だ。
その本丸、つまりこの事件の最終目的は塔の頂上以外にない。そこで事を完遂するまで、短く見積もっておおよそ一時間くらいか。
そして、現在に話を戻す。
時計の針は回りに回り、事件の開始から既に30分近くが経過してしまっていた。
「残り30分か……」
30分じゃ、どんなに急いでも間に合わない。そこからじゃ僕の推測が間違っているのを祈ることくらいしか出来ない。
ある種の諦観がじわじわと心に満ちていく。
「……いや」
一つだけ方法はある。足りない時間を補えるだけの方法が。
だがそれは、実際に取っていい方法なのだろうか。場合によっては彼女に決して癒えない傷を負わせることになる。
いや、そもそも彼女が僕を信じてくれるかどうか。
というか彼女が今生きてるかどうかさえ――
「迷ってる時間が惜しい」
どちらにせよこのままじゃとても間に合わない。ならば駄目で元々だ。
僕は端末を取り出す。不器用ながら操作して、彼女――汐霧憂姫へと緊急回線を開く。
端末の仮想モニター越しに、彼女と数日ぶりに目が合った。
『――儚廻!? あなた、急に何で……』
「悪い汐霧、説教は後でいくらでも受ける。それより緊急事態だ。手を貸してくれ」
『緊急事態って、それはこっちも、くっ!』
汐霧は手に持っていた銃を画面の外に向けて撃ち放つ。程なくして上がるパンドラの断末魔。
どうやらあっちは戦闘中らしい。これは悪いことをした。
『……私も今、手が離せません。端的に話してください』
「東京がヤバい。あと30分で、下手すればコロニーが陥落する」
『は?』
意味が分からない、というような声。当然か。
結論だけ聞いて意味が分かるはずがない。僕の頭が狂ったとでも思われて終わりだ。しかし、それを説明している時間もない。
結局僕にとれるのはゴリ押しの泣き落としとい手段だけだった。
「とにかく信じてくれ。頼む。居住区C区画の出口に集合してくれ。出来るだけ早く」
『信じてって……というか、私の方も』
『気にすんな、行ってやれよ』
ふと割り込む藤城の声。そうだ、アイツも汐霧と同じ部隊だったか。
お嬢さまクラスの実力者が二人もいると、流石に余裕も出てくるらしい。聴覚から入る生存者の情報は予想以上に多かった。
横から覗き込む形で、藤城が言う。
『ハルカ、話は聞いた。東京が落ちそうってな。信憑性は?』
「一割か二割。体感だと、六割以上」
『了解した。ユウヒちゃん、オレらは問題ない。ハルカの所に行ってやってやりな』
直後、連続して響く破砕音。パンドラの絶叫がオーケストラのように幾重にも重なる。
藤城が敵を殴り殺した音だと理解する頃には、汐霧との言い合いが始まっていた。
『でも、私が抜けたら……!』
『充分だ、オレがいる。それよかハルカのヤツを信じてやってくれ。頼むわ』
『…………』
沈黙。
しばらくの間、回線の先からは戦闘音とパンドラの断末魔だけが流れ――汐霧がついに折れた。
『……あぁああああああ! 分かりました行けばいいんでしょう行けば! 藤城、この場任せましたからね!』
「ありがと、汐霧。藤城も」
『気にすんな。それよりほら、喋ってる余裕あるなら急げ急げ』
……返すアテもないのに、借りばかりがどんどん膨らんでいくな。
持つべきは友人、という先生の言葉が胸に染みるようだった。
礼を告げ、端末を切る。
深呼吸を一つ置き、疾走のペースを更に上げる。
コロニーまで、あと少し。
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