災禍、来れり

 とんでもなく重い何かと衝突して吹き飛ばされ、その何かに上から押し潰された。

 硬質の土に強かに頭を打ち付け、派手に歪む視界の中で目と鼻の先に見えたもの――刀のように輝く、細く巨大な爪。


 それはパンドラが、僕の命を刈り取るために振り上げた凶爪だった。


「ぐ……!」


 耳を障りな絶叫を上げながら、爪の持ち主であるトカゲのようなパンドラが腕を振り下ろしてくるのが見える。

 迫り来るのは、筋肉で膨れに膨れた怪腕に切れ味の良さそうな長い爪のセットだ。


 流石にコレが直撃したら、ちょっと不味いかもしれない。

 だから、


「腕はやるよ」


 吐き捨て、右腕を顔の前にかざす。

 盾となるようありったけの魔力を流し込む。


 最初に、何かが何かと反発して弾き合う音。

 次いで、何かが断ち切れる音。

 最後に、何かがどこか遠くに落ちる音。


 結果として、絶体絶命の危機は右腕が切り飛ばされることにより凌ぐことが出来た。

 ビタビタと、降り掛かる赤が僕に塗れていく。


「あは」


 笑う、笑う。

 肘から先を失い、色を撒く右腕に笑う。

 この好機に、僕を殺せなかったパンドラを嗤う。

 そしてそんなゴミを相手に、右腕を失った僕を嘲笑った。


「死ね」


 左腕をパンドラの腹に突っ込む。バターを貫くように、何の抵抗もなく貫通する。貫通した先で、左手を握り込む。

 結果、僕にのしかかっていたパンドラが爆散した。


「あは、汚いなぁ」


 血と肉がシャワーのように僕を化粧する中、へらへらと笑う。

 咲良崎に見せた禍力の操作、その応用。パンドラは禍力で出来ているのだから、少し操ってやれば簡単に殺せてしまう。


 とはいえ肝心の発動が思考に依るので、先のように不意打ちを決められるとどうしようもない。

 だから今の個体は割といいセンまで行っていたりしたのだ。彼の来世に乞うご期待、と。


「っとそうだ、皆は?」


 まさか今ので全員死んだ訳ではあるまい。何せこんな僕が生きてるくらいなのだ、少なくともお嬢さまくらいは生きているはず。

 辺りを見回して部隊の皆を探そうとするも、それは大量のパンドラ共の体に阻まれる。ええい、邪魔くさい。無駄にデカイ図体しおってからに。


「……ああ、なるほど」


 先ほどの黒色は、やはりパンドラの群れだったらしい。

 如何に上級の結界と言ってもこれだけの数に不意打ちで体当たりされては、流石にひとたまりもないだろうし。


 あっちは僕らが見えてなかったはずだから、恐らくたまたま衝突したのだろう。

 全く、不運なこともあるものだ。


「ま、そんなこともあるよな」


  呟き、左の手のひらを開閉する。

 右手がなくなった以上、鋼糸は使えない。アレは感覚的な動作が要となる道具だ。利き腕なしで扱うのは、少しばかり辛い。


 だが、それはこの場において何の問題にもならなかった。この場にいるパンドラは大半がDかC程度で、今は人の目もない。

 であればこの程度、左手一本あればどうとでもなる。


 その時、数体のパンドラが僕に気付いた。僕へと目を向け、一様に涎を垂らす。

 それはタチの悪い感染症のように、瞬く間に辺り一帯全てのパンドラへとうつっていく。


 結果として、数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいのパンドラが僕の周囲へと集結した。


「……さて、どうするかな」


 【アーツ】で一掃してしまえば簡単なのだが、お嬢さまがこの近くで戦っている、もしくは隠れている可能性は高いだろう。

 うっかり巻き込んでしまった、なんてことになったら目も当てられない。


 ……面倒だが、右腕を探しながら一匹ずつ殲滅プチプチしていく。これしかないだろう。

 諦め気味に決意し、姿勢を前傾させる。そして、いざ駆け出そうと足に力を込め、


「――凍結」


 瞬間、辺りのパンドラが一斉に氷結し、砕け散った。


 パンドラ共の破片が陽光を反射しながら舞い散る中、とん、と一人の人間がその中央に降り立つ。

 少女だ。

 金髪碧眼が涼しげな冷々とした少女。

 凛としたその端麗な顔に、常にはない怒気を纏っている。


 ゆっくりとこちらに歩いてくる彼女に向けて、僕は駆け寄り、話し掛ける。


「お嬢さま! 良かった、無事だったんだ」

「……腕、見せて」


 答える間もなく、右腕の残っている部分を掴まれた。

 何をするのかと見ていると、彼女はどこからかある物を取り出し――僕は今度こそびっくりした。


「お嬢さま、それ何処で……」

「……落ちていたから。どうやら合っていたようね」


 ふぅ、と溜息を吐くお嬢さま。

 彼女の腕の中には、つい先ほどバッサリやられた僕の右腕があった。


なおりなさい」


 一言。たったそれだけで、魔法が発動する。

 まず、切断された右腕と傷口の断面が結合して凍結、固定される。神経がぷつぷつと繋がり、肘から先が僕の一部へと返り咲く。五指に感覚が通い、思考のままに動くようになる。


 数秒かからずして、僕の腕は完璧に元へと戻っていた。


「……凄いね、本当に」


 手のひらを開閉して調子を確かめる。僅かに違和感はあるものの、充分に無視出来る程度だ。

 本来治癒の魔法は十全に集中出来る場所で使う魔法だ。人体なんて複雑極まりないものに干渉する上、消費する魔力も必要な時間も馬鹿にならない。重傷であればあるほど殊更だ。


 それを、たった数秒。

 正直、掛ける言葉が見つからない。


「完璧に治せたわけじゃないから、あまり使わないようにして」

「ん、善処するよ。けど、この状況じゃちょっとね」


 流石に己の命と比較して右腕を取る馬鹿もいないだろう。さっきと同じようなことになれば、十中八九僕は同じことをしてしまう。

 まぁ、どうせ一度は失ったモノだ。その時はその時と割り切るとしよう。


「それで、他の皆は?」

「……分からない。私がいた場所には誰もいなかったわ」


 彼らが生きていることを前提とするなら、ずっと同じ場所にいるとは考えられない。逃げながら、場所を変えながら戦ってると見ていいはずだ。

 私見だが紫堂は確実に生きている。古沢は結界を破られた時のフィードバックにもよるが五分五分、他の三人の学院生は……軍人二人とはぐれていたら、厳しいか。


 何にせよこの不測の状況だ、誰しもが他の誰かとの合流を試みるはず。

 そのためには目印となる合流場所が不可欠で、そしてあの突発的な事故を乗り越えられる者なら求めるのは安全性よりも確実性だ。


 この推測を正しいとするならば――


「拠点ね」

「僕も同じ意見。それに何が起きたか気になるし」


 パンドラの群れとの衝突前に見えた、炎と煙。

 アレが何を示すのか。正しく把握しなければ不味いことになる、と脳が警鐘を鳴らしている。


「私が先行するから、フォローをお願い」

「任された」


 頷き合って、僕たちは走り出した。



 結論から言うと、拠点へは難なく辿り着けた。

 そもそもゆっくり歩いて一時間の距離だ。身体強化した高位の魔導師が全力で走れば、10分ほどにまで短縮出来る。


 道中ではもちろん多種多様なパンドラと遭遇したが、これはお嬢さまが尽く瞬殺した。

 視界に映った瞬間に氷結し、砕け散る。それがどんなに強力な個体だろうが、多量の群れだろうが、一様に。


 僕がサポートする隙間などない、鬼神の如き戦いぶりだった。


「……よく生きてたな、僕」


 あの日の戦闘、どれだけ手を抜いててくれたのだろうか。目隠し両手縛りでもまだ足りないくらいだろう。

 もし全力で戦っていたら……はは、背筋が寒くなるね。


 ともあれ、僕とお嬢さまは無事に目的地へと辿り着いたのだった。

 そして、そこは既に僕の知る場所ではなくなっていた。


「……酷いものね」


 呟いたお嬢さまに、無言で頷く。

 拠点は見る影もないほどに破壊されていた。綺麗なドーム状の建造物だったそれは、今や至る所が崩れ、腐り、燃え、壊れ切っている。


 そして散見するのは――喰い散らかされた人の死体。

 拠点に残っていた人間たちの、悲惨な末路だった。


「……手足や髪だけで人ってのもおかしいけどねぇ」

「?」

「何でもないよ。それより他の人を」

「その必要はねぇよ」


 土を踏む音と低い男性の声。

 振り返ると、そこには紫堂が立っていた。


 ボロボロの軍服と、全身に走る醜いミミズ腫れ。切れたのか潰れたのか片目に包帯を巻いており、そこからも血が滲んでいる。姿勢が安定していないところを見るに、強めの鎮痛剤でもキメたのだろうか。

 よほど凄まじい戦闘があったのだろう、正に満身創痍といった様相だった。


「……無事だったんですか」

「何とかな。那月と……儚廻だったか? お前らもよく無事だった。怪我は?」

「特に。他は?」

「…………」


 端的にまとめたお嬢さまの質問に、紫堂の表情が一瞬淀む。

 ああ。誰か死んだのか。


「……千郷と神崎が死んだ。済まん」


 神崎……確か女子生徒その二の名前だったはず。それに加えて古沢まで。

 更に紫堂は満身創痍で、ここに来ないということは生き残ったはずの男子生徒と女子生徒その一も何らかの怪我を負っている可能性が高い。


 この現状、先の群れとの衝突が原因にしては少し酷過ぎる気がする。


「とにかく、この場はまだ危険だ。近くに身を隠している場所がある。話はそこまで行ってからにするぞ」


 そんな紫堂の言葉で、僕たちは移動を開始する。

 近く、というのはなるほど言葉通りであり、拠点跡から少し歩いた樹海の中、見上げるほど巨大な樹木の根に二人の学院生は隠れていた。


 男子生徒は見たところ大した怪我もなく、せいぜいが骨折程度。

 流石に酷く疲れ、緊張しているようであるが意識ははっきりしているらしい。現在結界を張っているのも彼のようだ。


 代わりに女子生徒の容体は最悪と言ってもいいほどで、体の様々な部分が爛れていた。

 左足の膝から下がなく、右足も禍力を受けたのか直視が吐き気を誘う見た目となっている。


 例えこの場を切り抜けたとしても、あれでは二度と普通に歩けないだろう。

 可哀想に。なむなむ。


 僕が二人を観察している傍ら、紫堂が男子生徒に話し掛ける。


「ご苦労だった。結界を引き継ぐ。お前は少し休んでおけ」


 宣言通りに結界を引き継いだ紫堂は、僕とお嬢さまに振り返る。


「ともかく、本当によく無事だった。特に儚廻。正直、お前は死んだと思っていた」

「それは――」

「我らが隊長に助けて貰いましたから。褒めるなら彼女です。それにしても随分手酷くやられましたね。もしかしてAランクとか出ました?」


 いくら不意打ちとはいえ正規軍の伍長が殺されたり尉官が目を潰されたりするのは考え難い。馬鹿みたいに強い個体と遭遇したのではないだろうか。

 そんな疑問を、紫堂は首を振って否定した。


「いや、遭遇したのはDやC、強くてB-程度の連中だった」

「だったら何故?」

「……お前、ヤツらが統率とれてたって言ったら信じられるか?」

「統率?」


 あの知能のない化け物共に統率、だと?


「お嬢さま、見たことある?」

「……どうかしらね」

「だが事実だ。俺たちに一定の被害を与えたら揃って追って来なかったし、何よりヤツらは転がってる死体を喰おうとしなかった」


 それは……確かに妙だ。パンドラが人間を食べようとする理由、それは確かに存在している。何を置いても優先するような、そんな確固たる理由がヤツらにはあるのだ。

 だからこそヤツらは一度見つけた人間は絶対に殺そうとするし、殺したら間違いなく喰らうのだ。


 ともあれ、もし本当に統率がとれていたのだとしたら、それは相当に不味いことだ。

 戦闘能力において根本的に劣る人間が曲がりなりにも高ランクのパンドラを倒せていたのは、魔法と連携に頼るところが大きい。


 数少ないアドバンテージの一つを潰されたのは結構な痛手だろう。

 何か対抗策を考えておいた方がいいかもしれない。

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