クリミナル・ポイント

「これがアウター……?」


 思わず、といった様子で咲良崎がそう呟いた。

 視界一杯に広がるのは青々とした森林。そしてコロニーの結界越しでない、曇りのない曇り空。

 これ以上に自然が満ちている光景は、東京コロニーに存在しないだろう。


「もしかして外に出るのは初めて?」

「……はい、恥ずかしながら。お嬢様は何度もあるみたいですが……」

「はは、魔導師じゃないなら別に普通だって」


 一般人がアウターに出る理由も、出来ることも、僕には自殺くらいしか思いつかない。


「木々がたくさんです……」

「凄いよね、自然って。人間が禍力から逃げ惑ってる間にもう対抗策を見つけてる」


 自然は動けない。人間のように禍力から逃げることが出来ないから、受け止めるしかない。

 そうして受け止めて、受け止め続けて、死に掛けて。そして、生きるために進化した。


「凄い……ですね」

「だね。ところでさっきからやけに可愛くなってるけど、もしかしてそれが素?」

「っ」

「はは。じゃ、動くから付いてきて」


 会話もそこそこにして、目前の森林へと入る。

 結界のすぐ近くが安全なのは確かだが、それではすぐにパンドラに遭遇してしまう。どこか身を隠せるような場所に行かなければおちおち話も出来ない。


「ちょっと行ったところに前の防衛戦で放棄された拠点がある。そこまで進むよ。とにかく音に気を付けてね」

「かしこまりました」


 咲良崎が緊張した面持ちで頷く。

 正直なところ音に関しては全く心配していない。彼女の方が隠密行動に関して僕より優れているから……ではなく、音を立てようが立てまいが、遅かれ早かれパンドラには見つかるからである。


 コロニーの結界外縁部。そこには殺すべき人間を探して、数えるのも嫌になるほどのパンドラ共が常時徘徊している。

 僕が魔法を使っている限り、その魔力に気付くパンドラは必ずいるはずだ。


 何より、ここに来た目的の一つを達成するにはどうしてもパンドラに見つかる必要がある。


「……? 何か?」

「いや、何でもないよ」


 ――咲良崎のいるこの状況でパンドラに襲撃される。

 その、目的のためには。



 森林を掻き分けて進むこと数時間、僕たちは件の拠点跡に辿り着いていた。

 辺りにパンドラがいないことを確認してから、警戒しながら内部へと入る。


 長い間放置されたせいか、全体的に朽ちている。ツタや苔が至る所に蔓延っているし、天井や壁も崩れているところだらけだ。

 もはや拠点跡というより遺跡といった方が合っているかもしれない。


「でも、充分だ」


 少なくとも物理的に見つかることはない。幾つか残っている椅子と机もまだまだ使用出来る。最近は晴天ばかりだったおかげか、湿気てもいない。

 外でこれだけの好条件が揃っているのは奇跡にも近いことだった。


「そんなわけで場所はここに決めようと思う。咲良崎はそれでいい?」

「私には判断しようがありませんから儚廻様に任せます。が、本当にこの場所は安全なのですか?」


 未だ警戒を解かないまま、咲良崎が言う。

 彼女は一般人だ。もしパンドラに襲われようものならひとたまりもない。だからいつも以上に神経を尖らせ、危機へと鋭敏になっているのだろう。


 いやはや。申し訳ないね、ホント。


「ここはもともと異界化区画のあった場所だからね。他と比べてパンドラの個体数が圧倒的に少ない。それに僕の使ってる結界は低級も低級だから、そうそう感づかれはしないと思うよ」


 異界化区画というのは強力なパンドラによって、まるで異世界の如く変容した地域のことを指す。

 東京コロニーを囲うように出来上がっているため、領土のためにも目下正規軍の主要な目標の一つとなっている。


 パンドラはある一定の条件を満たすと凄まじい力、それこそ世界すら書き換えるほどの力を持つようになる。

 その強力なパンドラが一つの地域に留まることで起こる事象――それが異界化だ。


 異界化区画を作り出したパンドラも、その眷属のパンドラたちも滅多にその地域から出ない。逆に通常のパンドラも異界化区画にはほとんど立ち入らない。

 言わば縄張りのようなものが両者の間には存在するらしい。


 今僕たちがいるのはその線上のような場所だ。


「そういえば今度また軍が異界化地区の攻略に乗り出すとか」

「へぇ、そうなんだ。ま、今はそんなことはどうでもいい」

「……そうですね」


 目を閉じ、ゆっくりと開く。

 その時にはもう、僕たちの間を流れる空気は変わり果てていた。


「どちらから話しますか?」

「お前からだよ。昨日負けたのがどっちだったかもう忘れた?」


 何より、僕の方はまだ準備が整っていない。


「……了解しました。では、私から」

「はいどうぞ」


 促す僕に、彼女は一切の感情を感じさせない表情で言った。


「私とお嬢様はE居住区――あのゴミ溜めのようなスラムで、人を殺して育ちました」


 …………。

 …………、………………。


「や、黙ってないで早く続き話せって」

「……失礼。あまり驚かれていないようでしたので」

「ナルシストじゃないんだからさ……」


 喜べ氷室。仲間が一人増えたぞ。


「んっ……儚廻様は『スケープゴート』という組織に聞き覚えはありますか?」


 かと思えば咳払いを一つ置き、声色を変えずに質問を飛ばしてくる。


「組織ね……なら多分、ないと思う」

「E区画に拠点を持っていた、この東京コロニーで指折りの犯罪組織の名前です。薬物や人身売買、略奪や要人暗殺など、金さえ払えばどんなことでも行う、ありふれた犯罪組織」


 咲良崎曰く、『スケープゴート』という名前は強者の身代わりである現状を皮肉って付けられた名前らしい。

 この際ネーミングセンスが悲惨だとかはどうでもいい。その話がここで出てくるということは、つまり……


「E区画の親のいない子どもの多くは生きるために組織に属し、そこで用途に応じて様々に育成されます」


 幸運なものでアレなブツ限定の運び屋や殺し屋、男娼や娼婦。酷いものでは“練習”用の肉人形やイカれた研究所のモルモット。

 気分が悪くなるようなものばかりで、逆に安心するくらいだ。


「私とお嬢様はそんな中、幸運にも殺し屋として育てられ、そして運用試験を最後まで修了出来た子どもの一人でした」

「幸運、ね」


 さっさと死んで楽になるのと生き地獄を延々と歩き続けるのは、どちらが幸運なのだろう。

 ……聞くまでもなく、絶対に後者だ。少なくとも僕はそう即答する。死が救いなんて戯れるヘタレ共はそれこそさっさと死ねばいい。


「あれ、でもそれだと尚更『汐霧』に繋がらないんだけど……?」


 暗殺者とお金持ち。接点などターゲットとして襲撃した……くらいがせいぜいだが、それでも今と繋がらない。

 僕の言葉に、咲良崎は作り物めいた微笑を浮かべた。


「今から七年ほど前でしょうか。私たちが人を殺すことに何の疑問も持たなかった頃のことです」


 彼女たちは基本的に二人一組で動いていて、幼いながらもそこそこの信頼を組織から寄せられていたらしい。

 それがどれだけの命の上に得られたものなのかは……まぁ、考えないようにしよう。


「七年前、『スケープゴート』を危険に思った東京政府は正規軍【草薙ノ劔】に討伐を要請。五日間に及ぶ大規模な戦闘の末にこの討伐に成功しました。その時の指揮官は汐霧泰河……旦那様です」

「汐霧父?」

「はい。話は変わりますが、儚廻様は第一次東京会戦は知っていますか?」

「そりゃ、まあ」


 第一次東京会戦。二十年ほど前に起こった、東京における人対パンドラの戦争において最大の規模を誇った戦争のことだ。

 コレを契機に新東京スカイツリーや結界が生まれ、外はバケモノと死の溢れる世界と成り果てた。


「戦時中、学生ながら前線で活躍なされていた旦那様はある時パンドラの攻撃を受け負傷したそうです。そしてその時の禍力による二次症状により生殖機能を失われた、とも」

「……まぁ、お気の毒なことで。でもそれが?」

「『汐霧』は東京コロニーが生まれたときから今に至るまで、優れた魔導師を輩出することで権力を維持してきた名家です。そしてユウヒ――お嬢様は異常なまでの高い魔力の資質を持っていました」


 ここまで言えば分かりますか?


 僕は顎に手を当て、咲良崎の言葉を吟味する。

 汐霧父はお家のためにも才能ある子どもが必要だった。しかしパンドラのせいで種無しになってしまった以上、作ることは不可能。ならばどこからか連れてくるしかない。


「でも、連れてくると言っても誰かにバレるわけにはいかなかった」

「ええ、その通り」


 咲良崎の反応を見ながら呟く。

 名家というのは面倒なもので、血筋を何より重んじるものだ。

 他に誰か直系の子どもがいるならともかく、養子しかいないというのは立派なスキャンダルになってしまう、らしい。僕も聞き齧りだから詳しくはないけどな。


 では、どうするだろうか?


 隠さなきゃならない相手は日頃から足の引っ張り合いをしている名家や企業。

 どこも独自の情報網くらい持っているわけだから、どんな一般家庭から連れてこようとも感づかれるだろう。

 少なくともその子どもに戸籍がある時点でどう足掻こうとバレる。


 それなら逆に、その戸籍さえなかったら?

 戸籍がない人間、それはすなわち存在しないことと同義だ。存在しない人間の過去など探りようがない。


 例えどんなに黒に近かろうと、本人が認めなければ限りなく黒に近いグレーであることが出来る。

 この話を真とするなら、考え難いことだが、汐霧は――


「汐霧には、戸籍がなかった」

「……E区画ではよくあることです」


 その答えの意は、肯定だった。

 優れた素質を持ち、なおかつ戸籍がないため身元が割られる心配はない。

 汐霧、いや元汐霧の存在は正に渡りに船だったのだろう。


「そこから先は、特筆することは特に。お嬢様のオマケで私も旦那様に拾われ、お嬢様は魔導師として、私はお嬢様の護衛兼汐霧の下女として再教育されて今に至ります。……我ながら壮絶な人生だと思っていましたが、言葉にすると意外とそうでもありませんね」

「いやいや、普通に凄まじいから」


 人権も何もないところから始まり、犯罪組織から洗脳紛いの教育を受け。

 そこでは殺しを日常として教えられ、人殺しを頑張って。

 そうして最後、形は違えど汚い大人に二人揃って良いように利用されている。


 僕は当事者じゃないから、それが彼女たちにとってどれだけ辛かったか、今なお辛いのかは分からない。

 だが人をたくさん殺して、取り返しがつかなくなってからそれを悪だと教えられる……なんて、少なくとも僕は嫌だな。


 まぁ、そんな薄っぺらな同情はさっさと捨てるとしよう。

 そういうのが嫌だからコイツはこうも事実だけを話すようにしたんだろうし。


「一つ質問。お前はその再教育ってので何を教えられた?」

「何もかもですよ。今の私を構成する何もかも、全て」

「ふーん。ならその小さい頃とやらはもう引きずってないんだ? 殺した人のことも死んだ組織の仲間のことも、全く、塵ほども?」

「……あの日、魔法すら使わなかった旦那様に敗れ、恩情を以って救われた時に、あの日までの私は死にましたので」

「あぁ、なるほど」


 理解も共感も出来ないししたくないが、納得だけは出来た。そういう意図の相槌を打つ。

 しかしこの言い分だと、どうやらコイツは汐霧父と直接戦ったようだ。


 指揮官が戦う状況……大将首の暗殺でも言い渡された、なんてところか。昔の軍はいろいろと杜撰だったから、多分事実なのだろう。接敵くらいまでは確かに何とかなったかもね。


「…………」


 ともあれ聞きたかったこと――正確には聞きたいことに繋がる下地は聞けた。

 丁度準備の方も済んだところだし、そろそろ終わりでいいだろう。

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