第12話 地下空間はボーナス・ステージ

 街中に張り巡らされた地下水路には、入り口となるマンホールが設けられている。


「あった!」


 大通りを少し外れた路地でそれを見つけたリサは、立ち止まるや否や腰に装備していた魔導散弾砲を構えた。


「下がって!」


 鋭くシェンフゥを制し、魔導散弾砲の引き金を引く。

 打ち抜かれた金属製の蓋は無残にひしゃげて吹っ飛び、重々しい音を立てて地面に落ちた。


「……相変わらず、乱暴じゃのぅ」


 耳を押さえてその場に屈んだシェンフゥがそろそろと目を開ける。


「いかにもなにか出そうな空間ね……」


 蓋が取り外されたマンホールには、人が通れるほどの縦孔がぽっかりと空いている。

 地下水路へと伸びる細い梯子を揺すって強度を確かめていたリサは、昇ってくる臭気に鼻を覆った。


「おお。見事な地下空間が広がっておるわい。いよいよ、ボーナスステージのはじまりじゃな」


 鼻を摘まんだシェンフゥがリサの隣に屈み、縦孔の中を楽しげに覗いている。


「なにがボーナスステージなのよ」


「この縦孔を落下すると、宙に浮く無数の金貨に出逢えるかも知れぬ。地下空間はボーナスステージと相場が決まっておるからのぅ。わしらのレベルもアップするじゃろうて」


 くつくつと笑うシェンフゥは、実に楽しげである。

 汚臭のする地下水路に入る自分たちを鼓舞しようとしているのだとしても、突拍子もない話だ。


「無数の金貨ねぇ……。一体なにを根拠に言ってるのよ」


「かの有名な赤い帽子の髭のおっさんじゃぞ。さっ、行くかの。マンマミーア!」


 奇妙なテンションと拳を掲げる謎のポーズでシェンフゥが縦孔を下っていく。


「一体誰なのよ、そいつは……。 馬鹿なことばっかり言うんだから……」


 先を越されたリサは、ぶつぶつと呟きながらもシェンフゥの後を追い、長く先の見えない梯子を慎重に下りて行った。


「……シェンフゥ?」


 てっきり下からリサを眺めていると思ったが、梯子のすぐ下にシェンフゥの姿はなかった。

 煉瓦造りの半円形の地下水路は、雨水と生活排水が入り混じっているのか、酷い臭いがした。


「雨季はここがいっぱいになるのね……」


 手のひらで鼻と口許を押さえながら、目が慣れてくるのを待つ。

 遙か頭上に見える縦孔の入り口から注ぐ光は、地下水路を照らすにはあまりに心許なかった。


「……時間が惜しいわ。行くわよ、シェンフゥ」


 シェンフゥの姿は見えなかったが、近くにはいるだろう。

 気配を感じながら呼びかけ、リサは地下水路に設けられた細い通路の上を歩き始めた。


 徐々に目が慣れると同時に、想像以上に地下水路が深く張り巡らされていることがわかってくる。

 水路を流れる淀んだ水は、辛うじて歩ける程度の通路にも及んでいる。

 水路の底に溜まった汚泥が放つ濃い汚臭に、リサは顔を歪めて小さく咳をした。


「先は長い。闇雲に歩くものでもないぞ、ご主人」


 シェンフゥの声が頭上から降り、それと同時に無数の狐火きつねびが舞う。

 狐の形をした紫の火の球は、リサの周りをじゃれつくように動き、明々と地下水路を照らし出した。


「どこに行ってたのよ。まさか本当に金貨を探してたんじゃないでしょうね?」


「かっかっか、わしの話を信じてくれてたかの?」


「だって、絶対梯子の下に居ると思ってたのに……いな――」


「おおおっ!」


 リサが言い終わる前にシェンフゥが悲鳴のような声を上げ、頭を抱えて悶絶した。


「え……」


「わしとしたことが、最大のボーナスステージを見逃すとは、なんたる失態!」


 一瞬でも心配した自分が馬鹿らしくなる。


「……言わなきゃ良かった」


 悔しがるシェンフゥを冷めた目で見つめて溜息を吐き、リサは腕組みをしながら改めて訊ねた。


「で、金貨じゃなかったらなんなの?」


「おお、そうじゃったそうじゃった」


 立ち直ったのか、シェンフゥが手のひらを軽く握った拳で叩く仕草をする。


「なぁに、さっきの魔導散弾砲がどう影響したかが気になってな」


「……影響って?」


「もしここが魔族の巣ならば、わしらのような侵入者を許すと思うかのぅ?」


 言われて初めて、自分の行動の迂闊うかつさに気づかされる。

 一刻も早く地下水路へ、と急く気持ちが裏目に出る可能性もあったのだ。


「……そうね。軽率だったわ。ここ、思っていたよりも危険かも……」


 口で言い表すのは難しいが、臭い以外にも異様な気配はずっと感じている。

 地下水路に満ちている生温く居心地の悪い空気は、まるでリサの厭な予感をさらに増幅させているようだ。


「まあ、すぐにその危険はないようじゃが、別の問題の方が深刻じゃな」


「……ええ……」


 鼻先を覆うシェンフゥが、察してくれとばかりにアピールする。


「大丈夫なの?」


 リサでも顔をしかめるほどの臭いならば、シェンフゥも平気でいられるはずがない。


「臭くて鼻が曲がりそうじゃ……」


 大仰に鼻を押さえたシェンフゥが、リサと並んで前方を見据える。

 淀んだ空気の向こうには、さらに濃い腐臭が漂っている。


「なんとか出来ないの、その、妖術とかで」


「あるにはあるんじゃが、おぬしの協力が必要でのぅ……」


 リサの問いにシェンフゥは困ったような苦笑を浮かべる。


「するわよ。なんでも言って」


 その言葉を待っていたかのように、シェンフゥがにやりと笑う。


「では、早速――」


 そう言ってリサに顔を近づけたかと思うと、鼻先に唇を押し当てた。


「……ちょっ……」


 言い終わらないうちに腐臭が和らいでいることに気づく。

 シェンフゥは、眉を下げて微笑み、自分の鼻を指先で示した。


「同じことを頼んでもいいかの?」


「う……」


 本当にそれが必要か疑わしかったが、シェンフゥが辛そうなのは事実に違いない。


「目、閉じててよね」


「もちろんじゃ」


 恐る恐るシェンフゥの鼻先に口付けると、シェンフゥの口から恍惚とした溜息が漏れた。


「ほぅ、美少女のキスはやっぱり生き返るのぅ」


「バカなこと言わないの」


 あしらいつつも、シェンフゥの顔から苦しげな陰が消えたのは、自分が役に立てたのだとわかって素直に嬉しい。

 安堵に緩みかけた頬を再び引き締め、リサは地下水路奥から近づいてくる気配に魔導散弾砲を構えた。

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