第10話 接近する顔、甘い吐息

 太陽の匂いを含んだ風が、ベッドの上を撫でていく。

 カーテンが動き、眩い日差しが差し込むたび、リサの白い肌は幾つもの光の筋で照らされていった。


「ん……」


 瞼の上に光が落ち、リサが小さく呻く。

 シーツに絡められた身体がぴくりと動き、眠りから覚めたリサはゆっくりと目を瞬かせた。


「……シェンフゥ……」


 ベッドの上を手のひらでなぞりながら起き上がる。

 窓辺に移動させた椅子の上に座していたシェンフゥは、起きたばかりのリサを見て目を細めた。


「なんで起こしてくれなかったのよ」


 窓から見える太陽の位置から察するに、もう昼過ぎだ。

 普段ならばあり得ないほど遅い起床時間に苛立ちながらベッドから下りると、シェンフゥは小首を傾げて、にっと笑って見せた。


「それはおぬしが良く眠っておったからじゃよ。しかし、良い眺めじゃのぅ」


 鼻の下を伸ばして笑うシェンフゥの表情に、ハッとして自分の姿を確かめる。


「バカっ! 変態、エロぎつね!」


 一糸纏わぬ自分の姿に慌ててシーツの中に潜ると、リサは考えつく限りの罵声をシェンフゥに浴びせた。


「なんとでも言うがいい。おぬしの想像よりもうんと凄いことをさせてもらったからのぅ」


「なっ……!?」


 忘れていた記憶が脳裏に蘇る。

 シェンフゥに愛され尽くし、全身が痺れて、その後は――


「覚えておらんのか? 昨晩はあんなに可愛い声で啼いておったのになぁ。思う存分堪能させてもらったぞ」


「……!?」


 にぃっと唇の端を持ち上げながら近づいてきたシェンフゥが、グラスに注いだ水を差し出す。


「…………」


 喉が渇いていたリサは仏頂面でそれを受け取り、一息に飲み干した。


「はぁ。世界が輝き、生き返ったような心地じゃ。やはり、わしとおぬしの身体の相性は最高じゃな」


「うるさい!」


 空になったグラスを突き返して鋭い視線を向ける。

 が、睨んだところでシェンフゥは全く表情を変えず、それどころか、宥めるようにリサの髪を撫でてきた。


「そう怒るでないぞ。ああして気を交わらせるのは、おぬしのためでもあると言っておるじゃろう?」


「……う……」


 昼過ぎまで眠ったからだと思い込もうとしていたが、やはりそうではないらしい。

 リサにとっても久しぶりの『食事』であったせいか、その恩恵を思いがけず感じ取り、低くうめいた。

 いつになく身体は軽く、今ならばどんなに厳しい訓練であっても難なくこなせそうだ。

 それほど気力も体力もみなぎっている。


「ほれほれ、礼ぐらい言ってもバチはあたらんぞ?」


 効果を実感しているリサに気づいているのか、シェンフゥがにやにやと催促してくる。


「……言うわけないでしょ」


 仮に自分のためにもなるとしても、『あんなこと』をされての結果と聞かされて素直に喜ぶなど出来るはずもない。

 あからさまに呆れたふうを装い、リサは大きく溜息を吐いた。


「ご主人の求めに応じて、いつもよりも時間をかけたのじゃがのぅ」


「も、求めてなんか……。大体、途中で気を失ってたんだから、そんなはずないでしょ」


「記憶にはないが身体が覚えてるということは、ないのかのぅ?」


 シェンフゥの視線に反応したように、頬が熱くなった。

 まるで身体があの熱を覚えていて、まだどこかで燻っているかのようだ。


「どうかしたかの?」


 ひょいと顔を覗き込んだシェンフゥが、額をくっつけて熱の具合を確かめる。


「っ!!」


 間近に迫るシェンフゥの顔に、昨晩の数え切れないほどのキスと好意に溢れた言葉の数々が脳裏に蘇り、自然と胸が高鳴った。


「どうもしないわよ。あんたのおかげで絶好調よ」


 シェンフゥを突き放し、シーツを身体に巻き付けたままベッドを下りる。


「なるほど、効果は抜群じゃな! では、今日も頑張っていくかのぉ ご主人!」


「……さっさと行くわよ」


 床に散らばったままの服をかき集めて身につけると、リサはシェンフゥを待たずに荷物をまとめ、宿を出た。





 * * *




「おーい、大事なものを忘れておるぞー」


 宿を出て暫く歩いたところで、すぐにシェンフゥが追いついてきた。


「まったく、わしとおぬしは一心同体じゃと言っておるに……」


 いつもならここで強引に腕を組まれるところだが、今日のシェンフゥはそれをしない。

 ちらりと横目で彼女を見たが、きょとんと目を瞬いただけだった。


「わしの顔がどうかしたかの?」


「なんでもないっ」


 隣に並んで歩いているだけなのに、その距離がもどかしく感じる。

 煩わしいと思っていたはずのシェンフゥがいざ密着してこないとなると、自分が期待しているようで苛立ちが募る。


(大体シェンフゥは、なんで平然としているのよっ! 私ひとりでドキドキしてて、バカみたいじゃない!)


 吐き出せない胸の内に悶々としながら、大股で街を進んでいく。

 考えているうちに段々と腹が立ってきた。


「どうした、ご主人? 顔が赤いぞ」


「ひっ!」


 どうしてくれようなどと思っていたのがいけなかったのか、全く気配を感じさせずにシェンフゥが目の前に現れる。


「やっぱり、熱でもあるのかの?」


 接近する顔、甘い吐息。


「!?」


 普段ならば絶対に意識しないものを感じ取り、リサは顔に熱が上るのを感じて唇を震わせた。


「なんでもないわよ、このエロぎつねーーー!」


「あいたー!? なんでじゃーー!」


 頭に平手打ちを食らったシェンフゥが、呻きながらその場にしゃがみ込んだ。

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