第8話 シェンフゥの『食事』

「――人、……ご主人……」


 ゆさゆさと肩を揺すられている。

 泥のように身体が重かったが、辛うじて目を開けることは出来た。


「そろそろ起きてはどうかの?」


「!?」


 白い天井を遮り、シェンフゥの顔が目の前に突然割り込む。

 本能的に飛び起きたリサは、服をはだけたあられもない自らの姿に気づき、シェンフゥを睨んだ。


「……ちょっ、あんたまさか――……きゃっ」


 意識は覚醒しているはずなのに、身体はまだいうことをきかない。

 ベッドから下りて逃れようとしたところで、思いがけずシェンフゥに支えられることになってしまった。


「大丈夫かの、ご主人」


 素早く胸と腰を取って支えたシェンフゥが、まだしっとりと濡れたリサの髪に鼻先を押し当てている。


「この匂い、たまらんのぅ。まさしく湯上がりの美少女の匂いじゃ……」


「人を眠らせて、あんなことするなんて、最低よ!」


 シェンフゥの頬に手を当て、距離を取らせながら声を荒らげる。

 が、シェンフゥはきょとんとし目を瞬き、不思議そうにリサの顔を覗き込んだ。


「……いや、まだじゃよ? 久しぶり過ぎて加減を間違えただけじゃ。大体、わしがそんな外道に見えるかの?」


「え……。見えるけど……違うの……?」


 目を瞬きながら率直に答えたリサの言葉を聞き、シェンフゥが額に手を当てて大仰に蹌踉よろめくような仕草をした。


「おおぅ、まるで信頼がないのぅ。自分の身体の変化ぐらいわかるじゃろうに」


「…………」


 言われて、恐る恐る自分の姿を検める。

 服こそはだけてはいるものの、具体的になにかをされた痕跡はない。


「それに、ご主人は後で『食事』をさせてくれる約束だったからのぅ」


 安堵の息を吐きかけたリサに、シェンフゥが目を爛々らんらんきらめかせながら顔を寄せてくる。


「そ、それは……」


 ヘイゼルニグラートで交わした約束を持ち出され、リサはゆっくりと目を逸らした。


「よもや嘘ではあるまいな?」


 視線を逸らすリサを逃さないよう、シェンフゥが頬に手を当てて振り向かせる。

 言い逃れ出来ないと観念し、リサは苦し紛れに訊ねた。


「嘘じゃないけど、でも、どうして今……」


「任務が魔族絡みとわかった今、ヤツらにいつ襲われるともわからぬ。それにご主人、確かわしの狐火の火力が足りぬと言っておったではないか」


「う……」


 リサが無碍むげに断ることが出来ないようにとしてか、シェンフゥが至極真っ当な理由を並べ立て始める。


「『食事』をすれば、わしの妖力も増強される。これも任務のうちと思えば、いいじゃろう?」


「……それは、一理あるわね」


 あるいはリサが受け容れやすいように、という配慮なのだろうか。

 言葉巧みにシェンフゥに誘われたリサは、思わず頷いてしまった。


「そういうわけじゃ。では、始めるとするかの」


 背後に回って寝転んだシェンフゥが、後ろから手を回してリサの身体をまさぐり始める。

 露わになった下着を包むように、ゆったりと手のひらで胸を包まれると、リサの肩がぴくりと跳ねた。


「あっ、待って……」


 まだ身体の自由が利かないリサは、唇を引き結んで喘ぐように背後のシェンフゥに視線を送る。


「どうしたかの、ご主人?」


 シェンフゥが顔を覗き込むようにして狐耳を近づけると、その耳にリサは消え入りそうな声を零した。


「キス……してくれてからなら、いい……」


「もちろんじゃ――」


 微笑んで応じたシェンフゥが、言い終わらないうちに唇を重ねる。


「あ……」


 重ねられた唇に、リサがそっと舌先を伸ばす。

 が、その舌先がシェンフゥの唇に触れる前にシェンフゥが上体を起こして離れていった。


「さっ、待ちに待ったお楽しみのはじまりじゃ♪」


 もう少しあの甘い口付けが引き起こす感覚を得たかったが、シェンフゥの意識はもう違うところに向いている。


「もうがっつかないで……」


挿絵 https://www.pixiv.net/artworks/83528370


 溜息のように微かな不満を漏らしたリサは、恨めしくシェンフゥの顔を横目で見遣った。


「アヴェルラに邪魔されてからというもの、中途半端なところでお預けじゃったからのぅ」


 細い肩にそっと手のひらを添えてシェンフゥが、リサを上向かせる。


「んっ」


 再び重ねられた唇の隙間から、シェンフゥの舌が伸ばされる。

 リサはそれを舌を突き出して応じ、唇でシェンフゥの上唇を挟みながら絡めた。


「……ぁ、んぅ……」


 シェンフゥがリサの舌を舌先でくすぐるようになぞり、深く口付ける。求めていた口付けにリサは小さく喘ぎながら応じ、あの甘い蜜のような味の唾液を喉を鳴らして飲み下した。


「んっ、んんっ……」


 口付けに夢中になるうちに、鼻先からしっとりと湿った吐息が漏れ始める。

 まだ自由の利かない身体のせいで、シェンフゥを抱き寄せることは叶わなかったが、その代わり、シェンフゥはリサを抱きしめ、たっぷりと口付けに時間をかけた。


「……あ……――」


 互いの吐息で蕩けるほど熱くなった頬に、ふと夜気が触れる。

 シェンフゥが上体を起こしたことに気づいたリサは、はっとして目を開いた。


「……わしの気分が、少しはわかったかの?」


 眉を下げ、切なげな目でシェンフゥが見下ろしている。


「……馬鹿……」


 そっけなく答えると、シェンフゥはくつくつと笑い、そのままリサの首筋に唇をあてがい、柔らかな肌を音を立てて吸いながら口付けを落とし始めた。


「……あっ、たかが生気を吸い取るのに、なんでこんなこと……」


 もどかしさに、身体の中の熱がふつふつと表面に集まってくる。

 全身がもっとシェンフゥに触れて欲しくて主張しているかのような感覚に、リサは片目を閉じて喘ぐように呟いた。


「だが、ご主人。たかが生気、されど生気じゃ。そもそも、わしにとっての『食事』は儀式のようなものだと言っておるじゃろう。……それに、たっぷりと時間をかけた方が、おぬしのためにもなるぞ」


 熱い唇が耳朶を甘噛みし、蠱惑的な声が耳許で囁く。

 思わず声を漏らしたリサは唇を引き結び、強く目を閉じてシェンフゥが与える刺激に耐えた。


 喉を突いて出そうになる嬌声を、ふさふさと揺れているシェンフゥの尻尾を強く握ることで堪えていると、シェンフゥがつと顔を上げた。


「おぉ……。ご主人の熱い抱擁に、新たな快感が生まれそうじゃ……」


「へ、変なこと言わないの」


 抱きしめていた尻尾から、慌てて手を離す。


「あ、あれ……?」


 はっと我に返ったリサは、いつの間にか自分の身体の自由を奪っていた術が解かれていたことに気がついた。


「ご主人に求められているとわかって、わしは胸がいっぱいじゃ」


「求めてなんか――」


 あの嬌声と尻尾への抱擁の後では、まるで説得力がない。

 リサが観念して口を噤むと、シェンフゥがゆったりとリサをまたぎながら顔に近づき、額を合わせるようにして目を覗き込んできた。


「しかし、わしは強欲なのじゃ……。もっと欲してはくれぬかのぅ」


「そんなの……どうやって……」


「では、身体に聞いてみるかの?」


 目を逸らすリサに、シェンフゥが微笑みながら口付けた。

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