第7話 消えたプリン

「これでよし、と」


 透明な硝子瓶に入った卵色のプリンを、冷蔵魔導器にしまう。

 店主の厚意でひとつおまけされたプリンが並ぶのを微笑んで眺め、リサは扉を閉めた。


「しかし、想像以上に良い部屋じゃの。暫くここに住むか?」


 旅人や行商人のために設備投資をしたばかりだという宿屋には、その言葉の通り充実した設備を備えていた。

 全ての部屋とはいかないまでも、リサとシェンフゥが泊まる部屋には冷蔵魔導器と散湯浴魔導器シャワーが備えられている。


「宿はいいけど、この街に長居する気にはなれないわ」


「これも絶品じゃぞ。酒が進むのぅ」


 窓際にテーブルと椅子を移動させたシェンフゥは、街で買い込んだ食べ物や酒を広げ、既にほろ酔い気分を楽しんでいる。


「……行方不明者さえ続出しなければ良い街なんじゃろうな」


「それが大問題なんでしょ」


 プリンをおまけしてもらい、宿屋で冷蔵魔導器を見つけたことで、気分を持ち直したつもりだったが、この街で起きている異常のことを考えるとやはり表情は曇る。


「おぬしもどうじゃ、旨いぞ?」


「……今はいいわ。私、先にシャワーを浴びるわね」


 陽気に振る舞うシェンフゥは、自分を気遣っているのだろうか。

 たとえそうだとしても、そのテンションに付き合って明るく笑う自信は持てそうになかった。


「あまり飲み過ぎないようにね。第一、仕事中よ」


「しかし風呂には入る、と」


 釘を刺すリサにシェンフゥはかかかっと声を立てて笑う。


「一日中歩き回って汗もかいたし、それぐらいはいいでしょ?」


「わしは、おぬしの汗の匂いも好きじゃぞ?」


「そんなこと聞いてないわよ。変態!」


 軽口を叩くシェンフゥをあしらい、浴室へと歩を進める。


「いい? お風呂、覗かないでよね」


「はーーーい」


 扉を閉める前に念を押すと、間延びした返事が帰って来た。

 あの調子では本当に聞いているかどうかは怪しい。


「覗いたりしたら、水をひっかけてやるんだから……」


 呟きながら服を脱ぎ、散湯浴魔導器シャワーの蛇口を捻る。

 低く唸るような駆動音がしたかと思うと、すぐに適温の湯がリサの上に降り注いだ。


 備え付けの石鹸は、宝石のように美しく削られ、中に花が閉じ込められている。

 花の香りをつけてあるのか、泡立てるにつれ、浴室は良い香りに包まれた。

 たっぷりと泡立てて、手のひらで身体の上を滑らせていく。

 そうして隅々まで綺麗に身体を洗ううちに、ざわついていた心の中は少しずつ落ち着き始めた。


「あの忌まわしい結界の靄も、こうして身体から落とせたらいいのに……」


 思わず呟き、湯をかけて泡を流す。

 香蜜油を使って髪を整え、全身を清めたリサはすっきりとした気分で浴室を出た。


 着替えに袖を通し、濡れ髪を簡単に乾かして、部屋へと戻る。

 シェンフゥは変わらず窓際で飲み食いしていたが、外の喧噪が気になるのか、ぴんと立てられた狐耳がしきりに動いているのが見て取れた。


 不真面目そうにしていて、肝心なところは見逃さないのはこういう注意力の賜物でもあるのだろう。

 感心しながら冷蔵魔導器を開くと、三つあるはずのプリンが忽然と消えていた。


「……シェンフゥ……」


「どうしたかの、ご主人?」


 くるりと振り返ったシェンフゥの手にはプリンの瓶。

 あろうことか、最後の一口を食べようとしている。


「あ……、あ……」


 よくよく見ると、テーブルの上には既に空になった瓶が二つ重ねられていた。


「ん? これかの? なかなか旨かったぞ」


 シェンフゥが匙にすくった最後の一口リサに向けて差し出す。


「はい、あーん」


「わ、私のプリン……」


 わなわなと震えながらシェンフゥに近づき、リサはその匙をとって最後の一口を食べた。


「…………」


 ひんやりと冷えたプリンに、香ばしく焦げた砂糖が絡み、なんとも言えない滑らかな食感が舌の上を滑っていく。


「なにを怒っておる? おぬしに言われたことなら、ちゃぁんと守ったぞ?」


「楽しみにしてたのに! 三つあったのに全部食べるなんて……!」


 湯上がりに楽しむ予定だったプリンは、たった一口で終わってしまった。


「食べるなとは言われておらんかったと思ったが……」


 思いがけない怒りを向けられ、シェンフゥが困ったように眉を下げる。


「そこに正座!」


 それでもリサの怒りは収まらず、シェンフゥに正座を命じた。


「約束は守ったのじゃがのぅ……」


「そういうことじゃないの、大体あんたはいつもいつも――」


 八つ当たりだとは理性では理解出来ていたが、突然奪われた楽しみはもう帰って来ない。

 リサの怒りの矛先は、シェンフゥの日頃の行いへも及び、クドクドと説教が続いた。


「…………」


 シェンフゥは項垂れ、黙したまま静かにリサの叱る声を聞いている。

 小賢しい反論がないことは好ましかったが、いつになく大人しいシェンフゥにリサの怒りはさらに募った。


「ねえ、聞いてるの?」


 腕組みしてをして、横目でシェンフゥを睨む。


「聞いておるとも……」


 しゅんとした様子のシェンフゥは、上目でリサを一瞥し、また視線を床へと落とした。


「……そ、そう……」


 改めてシェンフゥを見ると、尻尾も力なく垂れ下がってしまっている。

 いつになくしおらしい態度に、毒気を抜かれ、リサはシェンフゥの正面に向き直った。


「わ、わかったならいいのよ。一体どうしたのよ? 調子狂うじゃない……」


「許してくれるかの?」


 上目使いでリサの顔色を窺うシェンフゥは、今にも泣き出しそうに目を潤ませている。


「だからそう言ってるでしょ。いつも通りでいいってば」


 シェンフゥの顔を見た途端、言い過ぎただろうか、と自責の念が込み上げてきた。


「……本当にか?」


「ええ、二言はないわ」


 おずおずと確かめるように問いかけるシェンフゥに、頷きながら答える。

 その答えを聞いた瞬間、シェンフゥの顔に笑顔が戻った。


「くくくっ、その言葉を待っておったぞ」


「え……?」


「いつも通りでいいんじゃな?」


 念を押すシェンフゥは、戸惑うリサに考える隙を与えない。

 なにか企んでるとはわかったが、いつも通りでいいと言ったのは自分だ。

 それを直後に撤回するのはリサのプライドが許さなかった。


「い、いいわよ?」


 強がり、答えるリサにシェンフゥはにんまりと満面の笑みを浮かべて立ち上がる。


「じゃあ、約束どおり『食事』の時間にしようかのぉ?」


 わきわきと両の五指を動かすシェンフゥに、リサは本能的に身じろいだ。


「ちょ、ちょっと待って――」


「無駄な抵抗は止すのじゃ、ご主人」


 シェンフゥの言葉と同時に首飾りの呪いが発動する。

 痺れるような刺激が全身を走ったかと思うと同時に、身体の自由を奪われた。


「かっかっか、形勢逆転じゃな ご主人♪」


 蹌踉よろめくリサをシェンフゥがしっかりと抱き留める。


「あ、ぅ……」


 反論しようとしたが、強烈な眠気に襲われて呂律も回らない。

 重く下がる瞼を持ち上げる力も出せず、リサの意識はそこで途絶えた。

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