第3話 不穏な影
夕焼けに似た橙色の明かりが、ゆっくりと街を照らし始める。
飲食店が建ち並ぶ通りには、道行く旅人や行商人に向けた手軽な料理の屋台が出され、辺りは食欲をそそる香りに満たされていた。
店の看板娘が、足を止めた客を愛想良くもてなし、店へと誘っている。
聖王国北部に位置する地方都市ナクラバルの街は、今宵も大いに賑わい、行商人や訪れた旅人たちを自慢の美酒に酔わせていた。
「はぁ……。最高級の貴金属が手に入った上に、旨い酒と飯と来たら……ははは、最高だぜ」
目当ての品を手に入れ、取引成功の祝いに、と早くから酒場に入っていた恰幅の良い壮年の行商人が、上機嫌で酒場を後にする。
「またのお越しを」
余程羽振りが良かったのか、店の看板娘が外に出て彼を見送り、見えなくなるまで笑顔で手を振っていた。
「これで一儲けして、すぐに戻ってきますよっと」
行商人は鞄に入れた貴金属を確かめるように一撫でし、おぼつかない足取りで宿屋を目指し、通りを歩く。
だが、すぐ近くにあるはずの宿屋には、暫く歩いても辿り着くことが出来なかった。
「あれ、迷ったか……?」
人通りが少ない路地に迷い込んだところで、行商人がはたと立ち止まる。
道を間違えたのだろう。
来た道を戻ろうと振り返ったが、真っ直ぐ歩いたつもりの道は改めて見ると左右に入り組んでいた。
「これ以上迷ってもなぁ……」
闇雲に歩いてさらに迷うことは避けたい。
道を聞こうと辺りを見回した行商人は、少し先を道行く恋人達の姿を見留めた。
「おい、あんたたち――」
張り上げた声に男性の方が気づき、振り向いたように見えたその刹那。
「な……っ!?」
確かに目の前にいたはずの男女二人の姿が、地面に吸い込まれるように忽然と消えた。
両の目を擦っても、状況は全く変わらない。
「たたた、大変だ! 誰か!」
考えるよりも早く、行商人の男は助けを求めて叫んでいた。
その叫び声に
だが、その聖騎士は『目の前で人が消えた』という男の説明を聞いても眉ひとつ動かさなかった。
「ああ、またか――」
それどころか聖騎士は笑顔で宥めるように答えたのだ。
「この街ではよくあることですよ」
「はぁっ!? 人が消えたんだぞ!」
その答えに行商人は思わず大声を上げ、恋人たちが消えた場所を示した。
「調べるとか、なんとか言ったらどうだ!?」
怒りにまかせて叫んだが、聖騎士の反応はない。
「おい!」
振り向くと、聖騎士の姿もまた忽然と消えてしまっている。
「――――!!」
行商人の悲鳴が夜の街に響き渡った。
* * *
草原の中をナクラバル行きの連絡船が進んでいく。
ホバー船の甲板から、森林と草原との境界に緑に覆われた建物の残骸を見据え、リサは、背に負った長刀を確かめるように手を添えた。
長刀は幼い容姿の彼女と、ほとんど同じぐらいの長さがある。
「旧歴時代の遺産か……、あれがどうかしたか?」
「どうもしないわ。ただ――魔族の巣には狭いわよね」
振り返ろうともせず、リサが答える。
リサの手が長刀――野太刀・陽炎の柄から離れるのを待ち、背後のシェンフゥはさらに彼女との距離を詰めた。
「ナクラバルの失踪事件のことを考えておったじゃろう?」
「それが今回の仕事よ。当然でしょ、シェンフゥ」
見透かすように問いかけられ、リサは苛立ったような声を上げた。
「まあ、そうかっかするでないぞ。せっかくの美少女が台無しじゃ」
かかかっと快活に笑いながら、シェンフゥが風に流れるリサの髪を指先に絡め、その匂いを嗅ぐ。
「ちょっ、なにしてんのよ!」
リサが髪を引き、シェンフゥの元から引き剥がす。
シェンフゥは名残惜しそうにリサの薄桃色の髪を眺めていたが、諦めたように
「……まあ、あれはただの廃墟じゃの。誰が出入りするにしても、気配というものがない」
「……そう――」
シェンフゥの呟きを耳に、リサも
「わからないことばかりだわ」
「だから、聖拝機関はアヴェルラの要請に応じて、わしらの派遣許可を出したのじゃろう? 魔族が絡んでおるのは間違いないと思うがな」
「そうなんだけど……」
ヘイゼルニグラートの領主アヴェルラ・アルベルティーニによると、ナクラバルで失踪事件が頻発し始めたのは、ここ数ヶ月のことらしい。
最初のうちはナクラバルでも行方不明として扱われていたが、
「でも、ナクラバルの領主ザルクは『良くあること』と言って退けるのよね。ナクラバルの聖騎士団にしてもそう……」
「奇妙な話じゃのぅ」
「中隊長クラスの第三階梯聖騎士を含む十数名が一人残らず消えたのも変な話よね。痕跡すらないっていうのは、どういうことなの……? それに、調査の前にナクラバルに派遣された書記官も気懸かりだわ」
乗船直前にアヴェルラから共有された報告書も、失踪しているとされる人数に対して、あまりにも粗末なものだった。
それだけにリサの中で、小さな不安が募り始めていた。
「書記官に報告書を義務づけているが、一週間もするとその報告書も届かなくなる……か。何度見ても書いてあることは同じじゃろう?」
共有された報告書を読み上げながら、シェンフゥがリサの隣で苦笑を浮かべている。
「ええ、同じだわ。その報告書も、まるで人が消えることが当たり前みたいに書かれて終わってる」
報告書を閉じ、リサは深く溜息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます