第2話 困惑と動揺と

 

「あ……、あ……」


 顔を真っ赤にして唇を震わせているリサにシェンフゥが、シーツを引き寄せて身体にかける。


「ノックは聞こえなかったか? 何度もしたのだが?」


「…………」


 アヴェルラが落ち着いた声音で問いかけ、リサはやっとその言葉を理解して起き上がると、シェンフゥを睨みつけた。


「あんた、聞こえてたのに無視しようとしたでしょ?」


「い、いや、そんなことは……あるような……ないような……」


 誤魔化し笑いを浮かべながら、シェンフゥがゆっくりと視線を逸らす。


「あるんじゃない」


「ぎゃんっ!」


 怒り任せに手刀を頭に打ち下ろすと、リサは肩で大きく息を吐いた。


「……まあ、ともかく、急で悪いんだが、折り入って相談したいことがある」


 二人の様子に構わず、アヴェルラが部屋の手前にある椅子を引いて腰掛け、後頭部の高い位置で結んだ赤褐色の髪を撥ね除けながら優雅に脚を組んだ。


「……なんでしょうか」


 細い縁の眼鏡の奥、アヴェルラの瞳には憂いが宿っている。

 いつになく憂鬱という言葉の似合う表情に、リサはシーツの下で着衣の乱れを直しながら訊ねた。


「要件から話そう。ここから北北西に、ナクラバルの街がある。そこで行方不明者の捜索に当たって欲しい」


「……お言葉ですが、それは聖騎士団の仕事では――」


「ああ、その通りだ。だが、ナクラバルで行方不明者が頻発しているというのに、ナクラバルの聖騎士団は動かない。そこで、我々の聖騎士団が調査に向かったが、連絡がつかなくなった。中隊長クラスの第三階梯聖騎士も含まれていたのに、だ」


 リサの言葉を最後まで聞かず、アヴェルラが畳みかけるように言う。

 愛煙家である彼女の指は、そこに煙草がないことに気づき、苛立った様子でテーブルを叩いた。


「……魔族絡みってこと?」


 執行者と呼ばれる魔族専門の殺し屋であるリサへの依頼は、相手が魔族か否かが重要となってくる。

 核心に触れないアヴェルラに答えを要求するように問うリサに、アヴェルラは煙草の煙を吐き出すような長い息を吐いてから、応じた。


「……その可能性がある」


「聖拝機関の回答は?」


 間髪入れずに質問を重ねたリサに、アヴェルラが唇の端を持ち上げて微笑む。


「行方不明者の捜索協力を許可する、とのことだ。魔族専門の殺し屋としての腕を存分に振るってくれ」


「言われるまでもないわ」


 リサが承諾すると、アヴェルラが懐から封書を二つ取り出し、テーブルの上に並べた。


「助かる。ここに私からの依頼書と聖騎士団からの依頼書を揃えておいた。領主ザルク・カーディフに渡せば話は通じるようにしてある。ただ――」


「ただ……?」


 歯切れの悪い言葉に、リサが怪訝に眉根を寄せる。


「本来ならば、ザルクがこの手続きを踏むべきだが、失踪事件など『よくあること』だと言って取り合わないのだ」


 治安の問題はあるにせよ、聖王国では失踪事件はそう多いものではない。アヴェルラの答えを聞き、リサは鼻先を擦って顔を歪めた。


「……それは、変な話ね。聖騎士団の行方も心配だし、すぐに向かうわ」


「そう言ってくれると思って、既に手配済みだ。1時間後にナクラバル行きの連絡船が出る」


「1時間後ね。準備するわよ、シェンフゥ」


 呼びかけたリサの視線の先で、シェンフゥは尻尾と耳を垂れたまま、何かぶつぶつと呟いている。


「……邪魔して済まなかったな。恨むなよ」


 哀れみの目でシェンフゥを一瞥し、アヴェルラが退室する。

 部屋のドアが閉ざされると同時に、シェンフゥがベッドの上に大袈裟に泣き崩れた。


「うぅ……。やっと『食事』にありつけると思っていたのに……。こんなのはあんまりじゃ……」


 長い金糸のような髪をベッドに広げながら、シェンフゥが拳でマットレスを叩いている。

 あまりの嘆きようにリサは苦笑を浮かべながらシェンフゥの傍らに腰掛け、垂れ下がったままの狐耳をそっと撫でた。


「魔族絡みと聞いて、こんなところで休んでるわけにはいかないでしょ」


「それはそうじゃが――」


 余程心残りだったのか、シェンフゥが今にも泣き出しそうに潤んだ目でリサを見つめている。

 その様子にリサは乱雑にシェンフゥの頭を撫で、彼女に合わせて床に屈んだ。


「もう、仕方ないわね」


 シェンフゥの両頬に手を添えて、自ら唇を合わせる。

 シェンフゥの目が見開かれ、短い口付けが終わると同時に驚愕の声が漏れた。


「ご、ご主人!?」


「あんたがそこまで落ち込むと、調子狂うのよ。いつもみたいに押し倒したりしないし……」


 いつもはされるばかりの口付けを、自ら行った気恥ずかしさで頬が熱くなってくる。

 誤魔化すように立ち上がり、素っ気なく漏らすと、シェンフゥは意外そうに目を瞬いた。


「そっちの方が好みじゃったかの?」


「ち、違うわよ!」


 咄嗟に否定し、シェンフゥから視線を逸らす。


「……ただ、任務が終わったばかりであんたも疲れてるでしょ? 少しくらい協力してもいいかなって……」


「ご主人ー!」


 視線を逸らしたことで死角が生まれ、シェンフゥに勢いよくベッドに押し倒された。


「ちょ、だから、出発しなきゃ……」


「あと少し……少しだけじゃから……」


 リサと身体を重ねながら、シェンフゥが目を潤ませて懇願する。

 いつになく切羽詰まった様子のシェンフゥの願いを、無碍に断るわけにもいかず、リサは小さく噴き出した。


「本当に、少しだけなんだからね?」


「あぁ、わかっておる――」


 シェンフゥが目を閉じ、リサと唇を合わせる。

 ゆったりと圧をかけられ、もう少し、もう少しと呟きながら求めるシェンフゥはいつになく健気で、リサも求められるがまま口付けを重ねるうちに、忘れ始めていた快楽の波が爪先を濡らし始めた。


「……んっ、あ……、もうそろそろ行かないと――」


「こんな中途半端なところで、わしを放り出す気かの……」


 起き上がろうと力を込めた手首を、シェンフゥがやんわりとベッドに押し戻す。

 リサはそれを目を開けて身体を起こすことで制し、湿った吐息を大きく吐き出した。


「……だって、仕方ないじゃない。ナクラバル行きの連絡船に乗り遅れるわけにはいかないんだから」


 油断すれば身体のどこかで疼いている熱で、嬌声が漏れそうになる。シェンフゥが軽く『食事』を摂ったことでリサの身体にも小さな変化が起こり始めていた。


「あぁ、最高のご馳走を目の前にして、わしは、わしは……」


「ほら、行くわよ」


 ――私だって……


 理性とは違うところで、身体がシェンフゥを求めている。

 口にしかけた言葉を呑み込み、リサはシェンフゥに荷物を投げ寄越した。


「続きは後でしてあげるから」


 荷解をしていなかったのが幸いして、出発の準備はすぐに完了する。

 部屋の入り口に立てかけていた長刀を肩にかけながらドアを開くと、背後からシェンフゥの声が響いた。


「その言葉、信じて良いのかの?」


「後で、だからね? いつとは言ってないわ」


 念を押し、部屋を出る。


「むぅ……」


 シェンフゥが低くうなる声に続いて、彼女が扱う錫杖の遊環ゆかんの音が、リサを追いかけて来た。

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