第4話 空と繋がる場所(コリンダの原)




    スピロは悩んでいた。

   心配してイリサの後を追いかけてきたのはいいが、彼女に話しかけるタイミングを失っていたからである。



    イリサに気づかれないよう物陰に隠れて、もう数時間が経つ。

    1人にして欲しいと言われた手前なかなか声を掛けづらいが、辺りはすでに暗くなり始めている。 そろそろ帰らせないと危険だ。

イリサは地面に座り込み、もう長い時間空を見つめたままだった。



    コリンダの原に自生している珍しい植物やキノコは、常に大量の胞子を放出している。 夜になると、月明かりに照らされた胞子は青白く光り、まるで空の星と溶け合うように宙に舞う。ユーラスはこの幻想的な景色が大好きで、イリサを連れてよく見に来ていた。ここは2人の思い出の場所だった。



( ユーラスに会いたい・・・・・・ )


    イリサは空を見上げたまま、静かに涙を流した。



    ガサガサッ



    なにやら音がしたのでふと顔を向けると、遠くに光る蝶が見えた。思わず目を奪われていると、光る蝶はゆらゆらと舞いながら、少しずつイリサに近づいてきた。

    しかし想像以上に大きい。2メートルはあるだろうか。蝶が羽ばたく度、ふわっと風がやってくるほどだった。


    あと数メートルのところまで近づいた時、イリサは気がついた。あれは蝶ではない。紛れもなく魔物だ。イリサの鼓動は突然早くなった。


    魔物はすぐそこまでやって来ると、獲物を品定めするように、イリサを上から見下ろした。



    鮮やかな青い羽に、ピンと伸びた耳、大きく潤んだ瞳。魔物というにはあまりにも美しい姿に、イリサは思わず息を飲んだ。魔物というより、精霊のようだった。大きな瞳に映る自分の姿は、ひどく疲れて、可哀想に見えた。

魔物は大きく羽を広げると、容赦なくイリサに襲いかかってきた。



「いいわ。好きにして。ユーラスがいない人生なんて、もう要らない・・・・・・。」



    イリサは自ら仰向けに倒れ、そっと瞳を閉じた。





「うぉおおりゃあああ!!」



    その瞬間、スピロが草むらから勢いよく飛び出した。



「このぉおお!!!」



    スピロは魔物に掴みかかると、その首を目がけて、持っていた手斧を思い切り振りおろした。



    ジャキッ!!


「ギィィィアア!!」



    耳をつんざくような叫び声が辺りに響き渡った。

    しかし魔物の首には傷一つ付いていない。ギリギリで攻撃をかわされたようだ。

    怒った魔物はスピロを羽で弾き飛ばし、彼の体は数メートル先まで吹き飛んだ。



「ゲホッッ!なんて力だ・・・・・・!」



    岩に激しく打ち付けられたスピロは、頭から血を流し、ヨロヨロとよろめきながら立ち上がった。



「スピロさん!やめて!逃げて!!」



    イリサは叫んだ。



「ダメだ!ユーラスの大切な人を死なせるわけにはいかない!!」



    スピロはすぐさま立ち上がると、魔物に向かって突進した。  

     魔物はスピロを睨みつけて構えたが、一瞬ふらつき、羽を庇うような仕草を見せた。よく見ると片方の羽がざっくりと切れている。先ほどの斧の攻撃が当たっていたようだ。スピロはそれを見逃さなかった。



(  弱点は羽だ!羽さえ使えないようにできれば、身動きが取れなくなるはずだ!)



    スピロは魔物に飛びかかり、ガシッと羽を掴むと、思い切り引き裂こうとした。しかし、羽は予想以上に硬く、ビクともしない。慌てて斧に手を伸ばそうとしたが間に合わなかった。スピロあっけなく突き飛ばされ、次の瞬間、魔物の羽から突如大量の粉が放たれた。


    蝶の鱗粉のような粉は、ぶわっと広がってスピロの上に降り注いだ。それを吸い込んだ途端、スピロはバタンと地面に倒れ込んだ。



( 体に力が入らない・・・・・・。 )



    急に全身の力が抜け、スピロは地面に突っ伏したまま、指先さえ動かせなくなった。



「イ・・・リサ・・・・・・逃げろ・・・!」


「そんな!スピロさん!!」



    何とかしてスピロを助けたいが、今更助けを呼びに行く時間はない。イリサは無我夢中で魔物に石を投げつけた。しかし、興奮状態の魔物にはまったく効果がない。

    魔物は倒れたスピロに近づくと、ぐわっと大きく口を開けた。先程までとは違う生き物のように恐ろしい顔だった。魔物はそのまま、上から覆いかぶさるようにして、スピロに襲いかかった。




「そんな!!スピロさんーーー!!!!」



    イリサの叫び声が響き渡った。

    



    ドシャッ



    鈍い音がして、辺りはしんと静かになった。

    




( そんな・・・そんな・・・!!私のせいで・・・・・・。)



    イリサは打ちひしがれ、腰が抜けて立ち上がれなくなった。


    静かだった。今は一体どんな状況になっているのだろうか。次は自分を襲いに来るに違いない。イリサは震える肩を抑えながら、恐る恐る顔を上げた。





    ─────そこには倒れた魔物と、その傍らに立つアルド、エイミ、リィカの姿があった。




「ふぅ。間一髪だったわね。」


「スピロ!イリサ!大丈夫か?!」


「あ・・・あなた達は・・・!」



    身を乗り出したイリサの目に、ふとスピロ姿が入った。彼は倒れた魔物のすぐ側に横たわっていた。動けない状態のままではあるが、しっかりと呼吸をしている。



「一時的に麻痺状態になっているようデスガ、すぐに元にもどるでショウ!」


「本当に?・・・・・・よ、よかった・・・・・・よかった!」



    イリサの目からはぽろぽろと涙が零れた。




「魔物は、あなたたちが・・・?」


「ああ。スピロが弱らせてくれたおかげで、倒すことが出来たよ!」



    アルドはぐったりと脱力したスピロを担ぎ、彼の体を近くの岩に持たせ掛けた。リィカが傷跡のチェックをし、すぐに応急処置を施した。



「イリサは、怪我はないか?」


「は、はい。」


「アルド!!」



    その時、エイミが叫んだ。ハッとして上を見ると、大きな瞳と目が合った。いつの間にか、アルドたちの周りを3体の魔物が囲んでいたのだ。

    先ほど倒した魔物の仲間だろうか。殺気立った様子でギュルギュルと低い唸り声を出し、こちらを威嚇している。

    アルドたちは咄嗟にスピロとイリサを抱えて逃げ出そうとしたが、魔物は羽を大きく広げて、逃げ道をふさいだ。



( くっっ。この状況・・・・・・スピロとイリサを庇いながら、なんとかできるのか?! )



「キィィイイイ!!」


「うわぁっ!!」



    魔物が一気に襲いかかってきた瞬間、アルドの身体から突如、強い光が放たれた。



「うわっっなんだ?!」



    辺りは光で真っ白になり、眩しくて何も見えなくなった。驚いた魔物がギャーギャー鳴き喚いている。


    しばらくして視界が晴れると、そこに魔物の姿はなく、代わりに立っていたのは、アルドの身体から離れたユーラスだった。


    月明かりに照らされたユーラスは、まるで生きているようにはっきりと見えた。




「ユ・・・・・・ユーラス?!」



「ユーラス!どうしてユーラスがいるんだ?!」




    病気で逝ってしまったはずのユーラスが突然目の前に現れ、イリサとスピロは驚きのあまり口をパクパクさせていた。 

    さっきまで居た魔物は、どうやら驚いて逃げ出してしまったらしい。




「・・・・・・イリサ、約束を守れなくてごめんね。君の元に帰ることができなかった。」


「本当に、ユーラスなの・・・・・・?」


「ああ。君にどうしても伝えたいことがあって、アルドさんたちに連れてきてもらったんだ。」


「こんな事って・・・・・・。」



イリサはまだ状況が飲み込めない様子で、ただただ呆然としていた。



「僕にはもう、あまり時間が無い。話を聞いてくれるかい?」



    ユーラスは真剣な表情だった。彼の美しい琥珀色の瞳は、しっかりとイリサの目を捉えて離さなかった。

    イリサはこくりと小さく頷いた。

    



「イリサ、僕は最期こう言いたかったんだ。君には・・・・・・ 」



    イリサはゴクリと唾を飲み込んだ。

    ユーラスが望むなら、自らこの世を捨て、いつでも彼の元へ行く覚悟ができていた。




「・・・・・・君には、誰よりも幸せになって欲しい。」



「えっ・・・・・・」



    イリサは驚いたように大きく目を見開いた。



「本当は、僕がずっと隣にいて、君を幸せにしてあげたかったけどね。」



    ユーラスは困ったように微笑んだ。胸がぎゅっと痛くなるような、切ない笑顔だった。



「う、うう・・・・・・私だって!あなたを誰よりも幸せにしてあげたかった!!」



    イリサは目にいっぱい涙を溜めて叫ぶと、両手で顔を覆い、肩を震わせた。ユーラスはイリサに近づき、彼女をそっと抱き寄せた。



「ありがとうイリサ。僕は君に出会えてとても幸せだったよ。」



    ユーラスの目からも、一筋の涙が零れた。



「もし生まれ変わることができたら、僕は必ず君を探し出すよ。たとえ何千年、何万年かかっても、きっとね。」



「うううっひぐっ。」



「それまで少しお別れだけど、悲しまないで。君は笑顔がとても素敵だから。 」




    ユーラスはイリサの涙を優しく拭った。


    イリサは笑った。ユーラスに最高の笑顔を見せたかったからだ。

    顔は涙でベタベタだったけれど、絵の中のイリサに負けないくらい、いや、それよりもずっと、美しい笑顔だった。


    気がつくとユーラスの身体は、周りの景色と同化するように、徐々に消え始めていた。


ユーラスはスピロに近づき、声を掛けた。



「・・・・・・スピロ、イリサを守ってくれてありがとう。」


「ああ、当たり前だ!親友の大事な人だからな!」



    スピロはまだ起き上がれる状態ではなかったが、リィカの応急処置のおかげで、しっかり会話ができるようになっていた。



「スピロ、君も僕の大事な人だよ。あまり無茶はしないでくれよ。」


「お・・・おう!」 



    スピロは照れくさそうに返事をした。



「君が親友で、僕は自分が誇らしいよ。」


「お・・・おう!!俺もだ!」



    スピロはズビーッと鼻をすすり、上を向いて涙をこらえた。


    ユーラスの身体は、もう薄ぼんやりとしか見えなくなっていた。

    その時を悟ったユーラスは、両手を上げ、大きな声で叫んだ。




「みんなありがとう!きっといつか、また会おう!!」



「・・・・・・ええ!きっと!」


    

    寂しい気持ちをぐっと堪え、イリサは最後まで笑顔を見せ続けた。

    ユーラスは安心したように微笑むと、満点の星空と重なるように、すぅっと消えていった。




「ユーラス、ずっと大好きよ。」

 


    空を見上げながら、イリサはぽつりとつぶやいた。ふわっと心地よい夜風が、彼女の頬を撫でた。





「────私、命を投げ出そうとしてました。彼がそんなこと望むはずないのに。」    



    ユーラスを見届けたあと、一番に口を開いたのはイリサだった。なんだかスッキリしたような、凛とした表情だった。


     

「彼が願ってくれたように、私、精一杯生きて、幸せになります!!私の中には、彼の思い出が沢山詰まっているから!」



    彼女はそう言うと、アルドたちに満面の笑顔を見せた。最初に会った時の、悲嘆に暮れる彼女はもうどこにもいなかった。

ユーラスを見つけ出すため煉獄界まで行った甲斐があったというものだ。



(この笑顔を、ラベンダーにも見せたかったな。)



    アルドはふとそう思って、少しだけ寂しい気持ちになった。




「あれっなんだ?これ。」



    その時、アルドは足元にキラキラと光る宝石のようなものを見つけた。青や赤、黄色など色とりどりの美しい石がそこらじゅうに転がっている。



「さっきの魔物が落としていったようね。」


「こっっコレは!!!」



    リィカは石を掴み、なにやら興味深く観察し始めた。



「・・・・・・これデスよ!コレ!!顔料デス!!」


「なにっ?!これが?!」



    ユーラスとイリサの大事な別れのシーンで顔料について尋ねるだなんて出来るはずもなく、半ば諦めかけていたアルドたちは色めき立った。



「『悲哀のイリーシャ』のそれと、成分が一致していマス!まちがいありまセン!!」


    

    リィカは例の如く、ツインテールをぶんぶん振り回した。

   


「こんなに硬い石が本当に絵の具になるのか?」



アルドが半信半疑で石を眺めていると、それを見たイリサが思い出したように言った。



「これは・・・・・・ユーラスが絵を描く時に使っていた石です!」



大抵はアクセサリーや装飾に使われるものだが、ユーラスだけは顔料として、度々狩人から買っていたらしい。



「じゃあ、本当にこれが!」


「ユニガンのあの青年もきっと喜ぶわね!」


「他にもそんな方が?・・・・・・こんなに綺麗な物を絵の具にしちゃう人、ユーラスだけかと思ってました。」



イリサふふっと笑った。

    アルドは辺りに散らばった宝石をかき集め、大事に袋に仕舞った。



    気がつけばすっかり夜も更けていた。一行はアクトゥールに戻り、スピロを宿まで連れていった。リィカによると、3日も経てば元通り元気になるそうだ。



「ありがとな。回復したら、地元に戻ってまたバリバリ働くぜ!」


「ああ!スピロ、元気でな!」



    スピロに別れを告げたあと、イリサはアルドたちをユーラスのアトリエに招いた。小ぢんまりとした、可愛らしい建物だった。


    入った瞬間、紙の匂いと絵の具の匂いがした。

    ユーラスが出てから一年以上経つにも関わらず、部屋はホコリひとつなく、綺麗に保たれていた。



「よろしければ、ユーラスの絵をどれかもらっていただけませんか?」



    部屋に入るなり、イリサは言った。



「えっっいいのか?大事な品なんだろ?」


「ええ。だけどこんなに素敵な絵を、私が独り占めするのは勿体ないですから。」


「それじゃあ・・・・・・。」

 


    アルドたちは目を合わせ、1枚の絵を選んだ。

    ユニガンのあの男女にプレゼントしたら、きっと気に入ってくれるはずだと思った。



「皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで、ユーラスにまた会うことが出来て、生きる元気をもらえました。」



    イリサは深々と頭を下げた。



「イリサ、元気でね!」


「ええ、皆さんも、霊媒師のお仕事頑張ってくださいね!」


「れっ霊媒師?!」


「あははっ!いいじゃない、そういう事にしておきましょ!」


「あっああ・・・・・・。」


「イリサさん!お達者デー!!」



    煉獄界からユーラスを連れ出した事で、謎の霊媒師だと勘違いされてしまったようだが、アルドも、エイミも、リィカも、なんだか満たされた気分だった。

もちろんユーラスを失った寂しさは消えないだろうが、イリサはきっと、強く生きていくはずだ。


    長い長い一日を終え、3人は再び時空を超えて、現代へと戻ることにした。

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