第2話 遥か彼方の待ち人(アクトゥール)
「────アクトゥールに来たはいいものの、特に手がかりは見つからないなあ。」
ひとまず絵の女性、イリーシャを探そうと、アルドたちは村を歩き回っていた。道行く人の顔を都度都度確認するが、それらしき人物はなかなか見つからない。村の人に尋ねても、「イリーシャ」という名は聞いたことがないという。
「このままだと、俺たち完全に不審者だぞ。」
アルドは立ち止まり、エイミとリィカを引き留めた。
「うーん、確かに・・・・・・。私たち絵を見ただけで、実際の顔は分からないもの。探すのは余計に難しいわね。」
エイミは辺りをもう一度見回して、ため息をついた。村の若い女性は皆、イリーシャと同じような白い衣装に、同じような髪型をしている。
「それに、絵は実物よリ盛れてル可能性がありますからネ・・・・・・。」
「盛れ・・・なんだ??」
「実際よりも綺麗に描かれてるかもしれないってことよ。」
「デス!!!」
リィカがそう言うと、このままアルドたちだけでイリーシャを見つけ出すのは、ますます無理そうだと思えた。
「うーん・・・・・・。村の人たちにもっと聞き込みをしてみるか。」
3人はとりあえず、人が集まりそうな酒場に向かうことにした。ここでは現代や未来と違って、昼間から酒を飲む人が多いのだ。古代では心なしか、時間の流れもゆっくりに感じられる。
「・・・・・・ふぁぁああ。それにしても、気持ちがいい天気だなあ。」
昼下がりのアクトゥールは美しかった。
澄んだ水は太陽を反射してキラキラと輝き、白い建物にうっすらと映り込んだ光が、ゆらゆらと揺蕩っている。 吹き抜ける風と、さらさら流れる水の音が心地良い。
「本当ね。なんだか心が癒されるわね。」
「水には、視覚的にも聴覚的にも、人をリラックスさせる効果がありマスノデ!」
リィカは両腕を広げ、人間のように深呼吸のポーズをとって見せた。
─────ラララ〜ラ〜ララ〜ララ〜♪
その時、風に乗ってどこからか歌が聴こえてきた。
──────ラ〜ララ〜ララ♪
「・・・・・・とってもきれいな歌声ね。」
透き通った声が美しいアクトゥールの景色と相まって、3人はまるで天国にいるような気分になった。
吸い寄せられるように声の方を辿っていくと、女性が1人、水面を見つめて佇んでいた。
明るい曲調の歌に似合わない、どこか物憂げな表情だった。
「ラ〜ラ~♪・・・・・・っううっ・・・・・・。」
思わず聴き入っていると、歌声は突然途切れ、女性の頬をツーっと涙が伝っていった。
「あれっ・・・・・・?もしかして泣いてるのか?」
「あなた、大丈夫?どうしたの?」
エイミがさっと駆け寄り、声を掛けた。
「ひゃっっ?!」
女性はとても驚いた様子だった。
それもそうだ。アルドたちのファッションは、この時代ではかなり奇っ怪に見える。リィカに至ってはツヤツヤの合金ボディだ。古代人には少々刺激が強すぎる。
彼女は目を見開いまましばらく戸惑っていたが、危険はないと判断したのだろう。ひと呼吸おくと、すぐに話し始めた。
「あ、あの、私・・・・・・恋人とここで会う約束をしていたんです。だけど彼、もう、来ないかもしれなくて・・・・・・ぇっうううっ」
大きな瞳にみるみる涙が溜まって、女性はうわぁっと泣き出した。
「けんかでもしたの?」
「・・・・・・っいえ。実は彼が遠くの村へ出稼ぎに行くことになって・・・・・・もう1年、会っていないんです。」
「別れ際に約束したんです。1年後、お互いの心が変わっていなかったら、ここで再会しようって。」
「だけど彼はもう、私の事なんて忘れてしまったんだわ。きっと向こうで別の女性を見つけてしまったのよ・・・・・・うううっ・・・ひぐっ・・・うわぁぁあん!」
女性はエイミの腕にしがみつき、子供のように泣きじゃくった。
エイミは彼女にそっとハンカチを手渡した。
「なにか事情があって遅れてるだけかもしれないし、もう少し待ってみたらどうだ? よければ俺たちも一緒に待つよ!」
恋愛のことはよく分からないが、アルドは自分なりに精一杯の優しい言葉をかけた。
「・・・・・・いえ、いいんですっ。・・・・・・ぐすん・・・・・・もう、3日、待ち続けましたから。」
「ええっっ3日も?!」
言われてみれば、彼女の顔はひどく疲れているように見えた。
一度は諦めて帰宅を考えたものの、もしかしたら、という期待が消えず、気がついたらそのまま3日経ってしまったらしい。
「そうか。約束の日って、3日前だったのか・・・・・・。」
「ええ。最後に願いを込めて、彼との思い出の歌を歌っていたんです。だけど彼は現れませんでした。・・・・・・今度こそ、諦めて帰ります。 」
「なるほど、そういうことだったのね。」
アルドもエイミもリィカも、次にかける言葉が見つからず、顔を見合せた。
「私、彼が本当に大好きでした・・・・・・。彼はいつも絵を描いていて、私はその隣で歌っていました。何気ない時間がとても幸せだった・・・・・・。」
女性は涙がこぼれないように上を向き、ハンカチで目頭を押さえた。
「・・・・・・だけどもう、忘れないといけませんよね。」
「本当に大丈夫なの?」
「・・・・・・はい。皆さんに話を聞いてもらって、少し落ち着きました。」
そう言って少し微笑んだ彼女の顔に、エイミはピンと来た。
「あなた、もしかして・・・・・・。」
「────ぉーーーーーーぃ!!」
その時、遠くからこちらに走ってくる人影がみえた。
「おーーーーーーい!!」
「ちょっと待ってくれー!!」
こんがり日焼けをした体格の良い若者が、彼に負けないくらい大きな荷物を背負ってこちらにやってくる。
「ハア、ハア、遅くなってごめんっ!!」
女性の前にたどり着くと、彼は背中の荷物をおろし、息を整えた。
「───君が、イリサかい? 俺はスピロ。ユーラスと仕事で一緒だったんだ!」
アルドたちははじめ、きっと彼が恋人だろうと安心したのだが、どうやら違ったようだ。
「ごめんなぁ。俺はこの辺の地理に疎くて、途中で迷っちまって・・・・・・。俺、ユーラスからの届け物を持ってきたんだ。」
彼、スピロは、彼女の恋人ユーラスの出稼ぎ先の仲間らしかった。
スピロは簡単に自己紹介を済ませると、大きな手で丁寧に荷物をほどき始めた。
「ユーラスからの届け物を?・・・・・・ユーラスは今どこにいるのですか?」
彼に忘れられたと悲しんでいたイリサは、先程までとは一転、期待に満ち溢れた表情をしていた。
「いや、それが・・・・・・」
スピロは急に困った顔で口ごもった。
「どうかしたのか?」
「ああ。すごく言い難いんだけど・・・・・・実は、ユーラスは病気になって・・・・・・
──ひと月前に、この世を去ってしまったんだよ。」
あまりに悲しい知らせに、一同は言葉を失った。
「・・・・・・嘘でしょう?私を驚かせようとして、今どこかに隠れてるんでしょう?」
イリサはすがるような目でスピロに尋ねたが、スピロはゆっくりと首を横に振り、辛そうな顔で俯いた。
イリサは少し固まったあと、力が抜けたように、ヘタヘタと地面に座り込んだ。
「うそ・・・ユーラスが・・・いや・・・」
「こんなことになって、本当に残念だよ。ユーラスは君と再会するのをずっと楽しみにしていたから。」
「ううっっ・・・・・・」
泣き崩れたイリサを見て、スピロの目はだんだん赤くなり、彼の口元は震えていた。
スピロにとっても、ユーラスの死は受け入れ難い、辛い出来事だったのだろう。
「・・・・・・あいつ、行く先々でたくさん絵を描いていたんだ。君にも見せたいからってね。今日はそれを渡したくて持ってきた。ぜひ受け取ってほしい。」
スピロはそういうと、筒状に丸めていた紙を広げて見せた。
美しい景色や建造物、食べ物や人々───イリサに見せるために、ユーラスはあらゆるものを描いて残していた。
ユーラスの絵には、人を惹きつける独特の魅力があった。 芸術に疎いアルドでさえ、思わず見入ってしまうほどだった。生まれた時代が異なれば、彼は偉大な画家になっていたかもしれない。
中には、イリサと、恐らくユーラス本人であろう男性が、仲良く寄り添う姿を描いたものもあった。
「絵の中だけでも、君に会おうとしていたのかもしれないな。」
スピロは穏やかな口調で言った。
「ううっっひぐっっユーラス・・・・・・っうう」
イリサの目からは涙がとめどなく溢れ出し、息をするのも苦しそうな様子だった。自分を心から想ってくれていた最愛の人を失ったのだ。その悲しみは計り知れない。
エイミとリィカが両側から支え、彼女の息が整うまで、そっと背中をさすっていた。
「おっと、これが最後だな・・・・・・。」
スピロはそう言うと、荷物の中から最後の1枚を取り出した。
その絵を見た瞬間、アルドたちは息を飲んだ。
美しいアクトゥールの景色を背に、優しく微笑む女性の絵。───それはまさしく、アルドたちがユニガンの露店で見たあの絵、『悲哀のイリーシャ』だった。
「この絵・・・・・・ユーラスが村を出る前に、私を描いてくれた・・・・・・。」
イリサは小さく呟いた。
「この絵のモデルは、イリサだったのか!!」
「イリサ・・・イリーシャ・・・なるほどね。」
「場所や時代を超えて、少しずつ変わっちゃったんだな。」
村の人がイリーシャという名前を知らないはずだ。
絵の中のイリサは、とてもリラックスした表情で笑っていた。こんなに素敵な笑顔を持つ彼女が、今は目の前で悲しみに暮れている。アルドたちは胸が痛くなった。
「ユーラスはいつも、この絵を胸に入れて持ち歩いていたんだ。」
その言葉を聞いて、イリサはゆっくりと手を伸ばし、そっと絵に触れた。まるでユーラスの気配を感じ取ろうとしているようだった。
「ゆ、ユーラスは・・・・・・彼はどんな最期だったのでしょうか・・・・・・。」
絵を見つめながら、イリサは小さな声で尋ねた。
スピロは一瞬、少し動揺したように見えた。
「あ、ああ。彼の最期は、まるで眠りにつくように穏やかだったよ。──────ただ・・・・・・。」
「・・・・・・ただ?」
スピロは小さくため息をつくと、ユーラスの最期の時を思い出しながら、静かに語り始めた。
..........................................
『───スピロ、君に会えてよかったよ。』
『なんだ?ユーラス、急にどうしたんだよ。』
『君がいたから、知らない土地での仕事も、挫けずやってこれた。いつも助けてくれて感謝してるよ。』
『ははっ!そんなの当たり前だろ!お前は俺の親友だからな!!』
『ふふっありがとう。・・・・・・なあ、スピロ、僕はたぶんもう、限界が近づいてると思うんだ。』
『おいおい、そんなこと言うなよ!彼女に会うんだろ!楽しみにしてたじゃないか!どこか痛むのか?今薬取ってくるから!待ってろ!』
『いや、もういいんだ。自分の身体のことは、自分で分かるんだ。』
『そんな・・・・・・。』
『スピロ、お願いだ。落ち着いたら僕の故郷に行って、イリサに僕の絵を渡してくれないか? 』
『っっ・・・・・・ああ、もちろんだ。』
『それから、彼女に伝えて欲しいことがあるんだ・・・・・・』
『ああ、必ず伝えるよ。何を伝えたらいい?』
『・・・・・・』
『・・・・・・』
『ユーラス?』
『・・・・・・』
『おい、ユーラス!!』
『ユーラスーーーーー!!!!!』
..........................................
「────最期の言葉を言う前に、彼は力尽きてしまったんだ。」
「そんな・・・・・・。」
スピロは申し訳なさそうにつま先を見つめていた。彼の大きな身体が、とても小さく見えた。
「ごめんな。この事を言うべきか迷ったんだけど、やっぱり本当のことを知りたいかと思って。」
一同はおそるおそる、イリサの方を見た。
「・・・・・・寂しがり屋の彼のことだから、きっと、『あの世で待ってるよ』とか、『僕を忘れないで』とかそんな事じゃないかな。」
イリサは弱々しく、ふふっ、と笑った。
意外にも、事実を受け入れたようだった。
「スピロさん、遠いところまでありがとうございました。皆さんも、心配してくださってありがとうございました。」
イリサはそう言うと、突然スっと立ち上がり、服についた土ぼこりをパンパンとはたいた。
「あの、少し1人にしてもらってもいいですか?」
「え、ええ・・・でも・・・。」
「本当に大丈夫なのか?」
「はい。1人で彼を偲ぶ時間が欲しいんです。お願いします。」
イリサはユーラスの絵を抱え、ふらふらとどこかへ歩いていってしまった。
「お、俺、心配だから彼女を見張ってるよ!!」
スピロは慌ててイリサを追いかけた。
「───ユーラスは、本当は何を伝えたかったのかしら。」
走り去るスピロの背中を見ながら、エイミがぽつりと呟いた。
「ユーラスさんが居なケレバ、顔料についての情報も得られまセンネ・・・・・・。」
すっかり忘れかけていたが、3人がアクトゥールにやってきた元々の目的は、顔料について教えてもらう事だ。絵の作者であるユーラスが居ないとなると、目的の達成は難しくなる。
「うーん・・・・・・。あの世・・・・・・か。」
アルドは、イリサが言っていた『あの世で待ってる』という言葉が心に引っかかっていた。
アルドはしばらく考えたあと、意を決したような顔で、エイミとリィカに提案した。
「・・・・・・なあ、ユーラスに会いに行かないか?」
「会いに行くって・・・・・・?」
「どういうことでショウカ・・・・・・?」
「ユーラスに会えるかもしれないぞ。・・・・・・行こう!煉獄界に!」
煉獄界。それは肉体を失った魂がたどり着く場所。あの世とこの世の狭間である。
煉獄界に行けば、まだユーラスの魂がいるかもしれない、彼の話を聞くチャンスがあるかもしれないと、アルドは考えた。
「アルドサン・・・離魂術は未知の要素が非常におおいデス。どんな危険があるか分かりマセン・・・・・・。」
リィカが心配するのも無理はない。生者であるアルドたちが煉獄界に行くには、離魂術という特殊な術で、肉体と魂を一度切り離さなくてはならない。再び元に戻れる保証はないし、何が起こるか予測できない。危険があることはアルドにも分かっていた。
「もちろん、無理にとは言わない。エイミとリィカが不安なら、俺だけでも行ってくるよ!」
アルドがそう言うと、エイミはブンブンと首を横に振った。
「馬鹿ね。私も行くわよ!このままだとイリサはきっと『 悲哀のイリーシャ 』のままじゃない。放っておけないわ!」
「おふたりが行くというなら、モチロン私も行きマス!!」
「それじゃあ・・・・・・早速、出発しよう!」
そうして3人は、ユーラスに会える僅かな可能性にかけて、死者の世界──煉獄界へと急いだ。
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