09話.[本当に良かった]

「今日はまだいてくれるの?」

「うん、自宅ではクビになっちゃったからね」


 現在は20時過ぎだ。

 いつもなら家に帰ってご飯を作っている時間。

 だが、今日は床に転ばせてもらいつつずっと彼女の家にいた。


「悲しいの?」

「え? うーん、家事をやることでしかそこにいる権利を獲得できなかったからね、いきなりクビにされたから困っているというのはあるよ」


 僕がこの前願ったことだ、叶ったんだから喜べばいい。

 わざわざ19時半頃からご飯を作らなくていい、出来たてを直視しつつ弟の帰宅を待たなくていい、お風呂だって好きな時間に入れる、掃除だってしなくてもいいし、洗濯だって夜か朝に干す必要もなくなる、早く起床する必要もなくなる! というのに、なんにも嬉しくはなかった。


「だからこっちではしてくれるの?」

「迷惑ならもうしないよ」


 これはエゴだ、自己満足だ。

 これが彼女のためになっていると考えていなければやっていられないのだ。

 昨日までなんで家事をしてあげなければならないんだろうと考えていたくせに、いざ取り上げられるとこうなるんだ。

 矛盾ばかりの人生、情けないことこのうえない。


「……人に必要とされたいんだ」


 だってそうじゃなければ生きている理由がなくなる。

 必死にしがみついたところで、頑張ったところで両親ですら和久しか見ないんだから。


「私は努君にいてほしいよ」

「……僕を利用していいからさ、きみの側にいさせてほしい」


 多分、これは依存だ。

 努君っ、と近づいて来てくれるのは彼女だけだからでしかない。

 他に僕に甘くいてくれる子がいればそっちを頼っていたかもしれない。

 だからこれは彼女の時間を無駄に消費させるということ。


「やっぱりいいや」


 この僕にとって理想みたいな空間から早く逃げないと。

 迷惑をかけてはならない。

 自分に優しくしてくれる相手のためを考えて行動しなければならない。


「逃さないよ、私だって学習するんだから」

「僕と私、どっちが本当なの?」

「それはあれだよ、私がやっぱり本当だよ」


 髪型って重要なんだなって彼女を見てわかった。


「伸ばした方が絶対に可愛いよ」

「でも、男の子用の制服に長い髪って微妙じゃない?」

「それでも僕は見たい」


 腕を掴まれたままだから逃げられないのだ、だから無駄な抵抗はしない。

 自分からではなく彼女がしてきたことだ、それならば仕方がないことだ。


「わかった、努君がそう言うなら」

「うん、ありがとう」

「ただし条件があるよ」

「条件?」

「それはね――」


 ああ、やはりここは理想みたいな場所だ。

 こんな僕の側にいてくれる理想みたいな女の子と、甘く緩い空気。


「付き合ってください」

「僕でいいなら」

「うん」


 そこで初めて彼女を思いきり抱きしめた。

 彼女にこうして触れているとふわふわとした気持ちになってくる。


「実はさ、睦に抱きしめられたときとか結構やばかったからね」

「そ、それって、興奮、してたってこと?」

「ださいよね、女の子だとわかった瞬間にイメージが変わったんだから」

「別にださくないよ、意識してくれたのは嬉しいし」


 さすがにいきなり唇を奪う勇気はなかったので、離して反対を向くことに。

 女の子にあんな密着したのは初めてだから威力がやばかった。

 仮に普段から頭の中がピンク脳であったとしても、こうして本物の感触を知ってしまったら吹き飛ぶと思う。


「ありがとう、睦がいてくれて本当に良かった」

「こっちこそありがとねっ、努君がいてくれて良かったっ」


 軽く深呼吸して良くない感情を抑えて。

 心地良さに身を任せつつ最大限に味わおうとしたのだった。

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