第12話 扉

 ここはどこ?

 暗くて、ちょっと寂しい感じ。

 あぁ、夜にトイレに行った時に似ている。

 外を覗くと、闇に吸い込まれそうで、でもトイレに入ると安心なんだ。

 そして、お母さんの横に潜り込むともっと安心。

 そのトイレまでの不安感に似ている。

 闇の中、何かがユラユラするのが見える。

 目を凝らすと、あれは手?

 たくさんの手がおいでおいでをしている。

 白くて、綺麗な手だ。

 一つの手が僕の手を握ろうとした。

 ちっとも怖いとは思わなかったので、僕も手を握ろうとしたら、目の前で弾けた。

 もう一度、手を握ろうとしたら、レイザー光線が飛んできて、たくさんの手が散り散りになった。

 優しく綺麗なその手は、お母さんの手みたいなのに。

 だけど掴もうとする度、その手は無残に吹き飛んでしまう。

 まったく意地悪この上ない!

 ヤケクソで、今度は片っ端から手を繋いでやろうとすると、一つだけやっと握れた。

 それはとても暖かくて優しくて、少し小さな手。

 なぜなのか手のひらが真っ赤になっていた。

 それでも掴めた喜びから、一生懸命握る。

 その小さな手から、無数の小さな手が生まれ、自分を身体ごと引っ張ってくれた。

 だけど、お母さんの手とは違う。

 もしかして、あっちの方が良かったのかな?

 少しずつ小さな手を握る力が緩くなっていく。

 そうしたら、真っ赤な手が幾度となく自分を掴もうとした。

 だんだん怖くなって、握っていた手を離した。

 やっぱりお母さんの手がいいや。

 あっちの白くて柔らかい手を掴もうとしたら、先程の小さな手に、自分の頭をぎゅっと抱かれた。

 なんだろう?

 なんだっけ?

 僕はこれをしっている。

 どこで?

 どこかで・・・?

 あぁ、これは、これは、これは!

 そう、これは勇気のでるおまじない。

 そうか、この手は、ヒーローの手だ。

 その時、お母さんの手が無数に僕を捕まえようと伸びてきた。

 柔らかく、きれいなその手はとっても魅力的だけど、今度は間違わない。

 小さな手をぎゅっと握ると、引っ張られるままに任せた。

 どこから出るのか、レーザー光線が援護射撃のように、お母さんの手を打ち砕いていく。

 そして、大きな光とともに爆発したのだ。

 僕は、僕は、ああ、今は、何も考えることができないや。

 


 「おかあさん!おかあさん!」

 横に寝ていたお母さんが、眠たそうにぼくをみる。

 ぼくは叫び続ける。

 「おかあさん!おかあさん!あのね。」

 寝ぼけ眼のお母さんの耳に、言葉を繋ぐ。

 お母さんは、びっくりしたように、ぼくの顔を何度も見て、ぼくの目をくっつくくらい覗きこんだ後、痛いほど抱きしめてくれた。

 「そっか、よういち君を助けてくれたんだね。難しい手術だったのよ。本当なら、嬉しい。りくと、ありがとう。」

 (ううん、よういち君が、ぼくの手を選んだんだよ。)

 優しい笑顔がぼくを包む。


 

 ノブに手をかける。

 この感触、手触り、馬鹿みたいに懐かしい。

 旅行に行った時だって、感じたことがないのに、やけに感傷的になった。

 ホテルを出た時の後ろめたさ。

 お前が外に出ても大丈夫なのか?

 そう問いかけられているようで、俯き加減に家まで帰って来た。

 部屋に入ると、出て行ったままの状態。

 服はソファーの上に投げだしたまま、コップも台所に飲みかけが置いてあり、捨てられなかったゴミ袋もそのままになっている。

 辺り前だが、その日常がやけに胸にグッときた。

 机の上に、来ていた郵便物を置く。

 その中に、やけに厚みのあるものがあった。

 不思議に思うも、まずはシャワーを浴びたい。

 隔離先のホテルでもシャワーは浴びてきたが、やはり何となく気持ち悪い。

 勢いよくでるシャワーに体をあずけながら、ホテルから佳奈に電話したことを思い出した。

 涙を流して喜んでくれた彼女、目の前にいたら抱きしめていた。

 「会いたいなぁ。」

 佳奈がどれほど自分のことを思ってくれているのかは分からないけど、こっちはどハマりだ。

 彼女の体の温もりを思い出し、体が震える。

 良かった、ここに帰れて、佳奈をまた抱きしめられる。

 喜びと、ホテルでの陰鬱な時間を思い出し、コロナ一つでここまで怯えなければならない状況に悲しくなる。

 今では、変異株なるものも出てきて、若いからといっても安心出来ない。

 体を拭き、濡れた髪のままで、冷蔵庫にまだ入っていたビールを出す。

 その時、テーブルの上に置いた郵便物を思い出た。

(しかし、この厚みはないよな。)

 一番厚みのある封筒を手に取ると、裏側を見た。

 高崎亮太。

 俺が知っている限りでは、とても丁寧な字で書いてある。

 それも、切手は貼ってない。

 ということは、自分で持ってきたのか?

 「なんだよ、電話もして来ないくせに、家には来れんのかよ!」

 無償に腹が立って、ビールを一気に飲むと、封筒の頭を手で引きちぎる。

 白い横書きの便箋に、びっしりと丁寧に書いた文字が並び、それが10枚あった。

 むかつくより、驚いた。

 ただの文章ではないことが、字に表れている。

 文字一つ一つに、これだけ訴えるものがあるとは思わなかった。

 冷蔵庫からもう一本ビールを出すと、ソファーに座り、その長い手紙を読む。

 いつの間にか、ビールは生温く、髪もパサパサに乾いていた。

 読み終えた後、頭を抱えながら、腹の底から笑いが込み上げてきた。

 「まいった。」

 携帯を取り、一つの電話番号を押す。

 コールを待たずに、相手が出た。

 こんなに、俺からの連絡を待ってたんなら、電話しろよ、そう言いたくなるが、相手がそれほど切羽詰まっていたのが分かるだけに胸に沁みた。

 「よう、戻ったぞ。」

 「うん。」

 「コロナから生還したぞ。」

 「うん。」

 「手紙読んだ。」

 「そっか。」

 「バーカ。」

 「うん、知ってる。」

 「今の俺の気持ちわかるか?」

 「うん、謝らないと、、、すまなかった。」

 「それはもういい、あんな陰気な手紙、もう要らない。すまない、ごめん、悪かった、何回出てくんだよ。」

 「ごめん。」

 「それ、やめろ!もう十分だ。それより、お前のせいでビールが無くなったよ。持って来いよ、一緒に飲もう。」

 「いや、しかし、いいのか?」

 「俺はコロナになった、お前は、ワクチン打ったんだろ。なら、大丈夫だろ。他は呼ばない。今度は俺の気持ちを言いたい、無理か?」

 少し空気が和らいだ。

 「分かった。ただし、俺は今、無職だから発泡酒で我慢してくれ。」

 声が震えている。

 (バーカ、男が泣くなよ。)

 「分かった、それでチャラだ。」

 返事はないが、了承したのが分かる。

 ほんと、バカなやつはほっとけない。

 温いビールを口につけると、自分もまた一筋の涙が溢れた。

 自分こそ、一人で悶々と悪態をついていたあの時間は、最低だったと思うから。

 ここに帰って来れた自分に、心配してくれた家族や友人、佳奈に感謝した。

 ありがとう、この言葉が今の自分の全てだ。


 

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