第10話 勇気

頭に優しい感触がある。

褒めてくれた時、髪がくしゃくしゃになる。

泣きそうな時、そっと頭の後ろを撫でてくれる。

友達に負けて悔しい時、ポンポンってしてくれる。

頑張れって勇気をくれる時、両手で頭を包み込んでくれた。

どんな時も、自分の味方になってくれた手だ。

あぁ、そうだ。

大好きな、おばあちゃんの魔法の手だ。



 夢を見た。

 自分の頭を触ってみる。

 気のせいだろうけど、温かい感触がまだ残っているような気がした。

 久しぶりに、おばあちゃんの優しい手の感触を思い出した。

 懐かしいなぁ、自然に笑みが溢れる。

 知らない内に、うとうとしてしまったらしい。もう、両親も帰って来ているだろうか?

 部屋から出る前に、携帯を見た。

 LINEにメッセージが入っている。

 麻美からだ。

(優香、おばあちゃんが死んじゃう)

 その言葉を見た瞬間、発信のボタンを押していた。



「先生、このままでは!」

 焦った顔をする看護師を見つめながら、自分もまた、なすすべがない。

 やれる事はやった。

 後は、本人の生きる力に頼るしかない。

「家族に連絡をしてくれる?」

「ですが、ここには。」

「うん、来れないね。でも、連絡はしておかないと。コロナ患者は孤独だ。だからこそ、僕たちが頑張らないとね。」

「朝田先生は十分、頑張っていらっしゃいますよ。」

 そう言う看護師もまた、疲労感が漂っていた。

「頑張ってくれるといいけど。僕の娘は彼のファンだからね。」

 看護師がクスリと笑う。

「私の娘もファンですよ。娘にいつも言ってるんです。何かあったら、ここに来なさい、治してあげるからって。どうか、頑張って。娘に嘘つきだって、言われないように。どうか、生きて下さい。」

 目の前で苦しそうに息をしている男性の手を軽く握ると、祈るような気持ちで彼を眺めた。



 目の前の携帯を眺めながら、部屋の中をウロウロする。

 どれだけ、この時間を過ごしたか分からない。

 最後には、今日は無理だ、明日にしよう、その繰り返しになってしまっている。

 あいつに言っちまった。

「若いやつはコロナになったって、死なないよ。死ぬやつなんて稀なんだ。」

 本当は謝りたかったのに、俺の馬鹿、こんな時に強気にならなくても。

 何で、俺はあいつを誘ったんだ。

 美人と付き合えて羨ましかったからか?

 あいつの人当たりの良さが羨ましかったからか?

 真っ直ぐなあいつを、いつも否定していたからか?

 どんなに営業成績を伸ばしても、あいつのように、相手先から深く信頼されることはなかった。

 それが妬ましかった。

 俺の方が優秀なんだと言わしめたかった。

 だけど俺は、もしかしたら感染してるかもしれない相手とあいつを合わせた。

 俺は、俺は、最低だ。

 携帯を強く握るも、今日もまたかけられない。

 ただボタンを押すだけが、酷く重い。



 最後にわらった。

 親指を立てて、ぼくにわらったんだ。

 探検に行ったつもりが、途中でようこ先生に見つかっちゃって、しかられた。

 よういち君は、全部自分が悪いんだってかばってくれて、ぼくは弱虫だ。

 ぼくも悪いって言えなかったんだ。

 その時、下を向いてるぼくに、よういち君は、頭をポンポンしてくれた。

 不思議なんだ。

 こころが少しかるくなった。

 よういち君の手は、すごいなぁ。

 よういち君にいうと、看護師さんに教えてもらったんだって。

 だから、ぼくも教えてもらった。

 ようこ先生が、

「よういち君は、もうすぐ手術なんだから、こんなことしたらダメだよ。お母さんが心配してる。病室まで送っていくから戻ろう。」

 ぼくを児童館まで戻すと、よういち君の手を引いて出ようとする。

 だからぼくは、よういち君の頭を両手いっぱいで包み込んだ。

 ようこ先生はびっくりしていたけど、よういち君はテレたように、わらってた。

「頑張る。」

 小さな声は、ぼくにしか届かない。

 そして、大きく親指をたて、ぼくに思いっきりわらったんだ。

 それは、勇気のしるし。



 携帯のコールがずっと続く。

 それでも、切ることができない。

 麻美のおばあちゃんに何かあったんだ。

 自分のおばあちゃんのことが頭をよぎる。

 おばあちゃんは脳梗塞で倒れて、救急車で運ばれた。

 命は助かったけれど、もう家族の誰もわからないほど、認知症がすすんだ。

 今は施設に入り、自分も当分会ってはいない。

 仕方なく、繋がらない携帯を切るとメッセージを送る。

 そうして、誰もいないリビングで、コップに注いだ牛乳を飲み、今度は、母親のLINEを開いた。

 まだ両親共に帰っていないということは、病院にいるはすだ。

 救急がある病院は他にもあるが、もしかしたら、その思いが母親のLINEにメッセージを打ち込む。

 何かしていないと落ち着かない。

 リビングに勉強道具を持ち込むと、携帯に願をかけた。

 麻美、お母さん、連絡して。

 おばあちゃん、おばあちゃんも助けてあげて。

 さっき、おばあちゃんの夢を見たのも、何か自分に届けたいことがあったような気がする。

 麻美はね、本当はおばあちゃんのこと、大好きなんだよ。

 そして、私の大事な友達なの。

 鳴らない携帯を前に置き、祈るような気持ちでテーブルに肘をつき、両手を組んだ。

 お願い、どうか麻美が泣いていませんように。

 いつも、見栄っ張りで、寂しがりやの彼女が、いつの間にか自分には必要な存在になっていた。

 泣いていませんように。

 笑っている麻美に会えますように。

 願いは祈りとなって、言霊になる。

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