第8話 いいひと

どうして?

なんで?

(朝から何も喉を通らない。)

不安?

怖い?

(それは、もちろんこわい。)

大丈夫だよ!

心配いらない!

(誰が言ったんだ!)

大好き。

(だいすき。)

愛してる。

(アイシテル_______とっても。)

 


 いつも通り、お客様を案内する。

 受付の仕事に重要なのは、笑顔と丁寧な応対、後は相手の要望をいち早く答えてあげることだ。

 だが、今日はミスが多い。

 いつもなら、一人にここまで時間を要さないのに調子が出ない。

「お客様、申し訳ございません。伊藤の方が外出しておりまして、他に事情の分かるものがいないらしく、またご連絡を頂ければ。」

 「何を言ってる。あんたがさっき、おるゆうたから待ってるんや。本当におらんのか?」

 普段は先にアポを取っているか確認するのだが、相手があまりにも親しく話すので、取引先の誰かだと勘違いしてしまった。

 伊藤さんに繋いだら、追い返してくれと言われ、今まさに断っている最中だ。

 だが、しつこい。

 「受付嬢はお高くとまりすぎや。早く、伊藤さん、呼んでよ。いるんでしょう?嘘はいかんよ。」

 マスク越しに言われているのに、口許が下卑た笑いをしているのが分かる。

 同僚の子は、こちらをチラチラ見るも、明らかに迷惑そうだ。

 その時、

 「伊藤さんなら、さっき外で会いましたよ。あっ、僕は光照興産の営業部の者です。えーと、すみませんが、貴方はどちら様の会社ですか?」

 人の良さそうな若者が、目の前のしつこい人物と自分の間に入ってきた。

 光照興産は上場企業だ。

 会社名を聞いたその人は、少しぎょとしながら、

 「なんだ、外出してたんだ。この受付嬢の人が最初、おるようなこと言ってたからさ、なら仕方ないね。資料は置いていくから、渡しておいてよ。ちなみに、お宅さんの名刺をもらってもいいですか。」

 さっきまでの横柄な態度とは違い、愛想笑いを浮かべながら、封筒に入った資料を渡された。

 名刺交換をその若者とお互いにしていたが、若者の方はチラリと見て、鞄にしまっていた。

 「んじゃ、お嬢さん、伊藤さんによう言うといて下さい。お嬢さんも、ちゃんとせないかんよ。受付は会社の顔なんやから。」

 「失礼致しました。また、お越し下さい。」

 頭を下げながら、後ろ姿を見送る。

 (良かった、帰ってくれた。さっきの人は?)

 目で追うも、もうどこにもいない。

 横で同じ受付をしていた同僚が、

 「あの人なら、もう帰ったわよ。会社の人に頼まれて書類を持ってこられたみたい。名刺を貰ったから、見せてあげる。」

 資料の上にクリップで留めてある名刺を見せてくれた。

 「感じの良い人だったね。」

 私も、「そうだね」、名刺をもう一度、眺めながら同意した。



 最初、なぜ俺だったのか分からなかった。

 紹介された取引会社の受付嬢が2人、にこやかに挨拶されてもまだピンとこない。

 俺、清水直哉と同僚の高崎亮太、受付嬢2人、髪が長くてストレートの方が、鮎川華子、もう一人のいかにも仕事が出来そうなキャリアウーマン美人が、戸部佳奈と言ったか。

 ストレートが25才、キャリアウーマンが28才。

 とにかく、受付嬢だけあって、二人共美人だ。

 確かに、高崎が「断ったら男じゃない」と言っていた意味は分かる。

 「初めまして、清水直哉です。」

 女性二人がクスリと笑う。

 横から高崎が、

 「だから、知ってんだってよ。お前のこと。」

 戸部さんが俺に会釈をし、小さな声で、 「この前は、ありがとう」と言ってくれた。

 その後、説明してくれ、そう言えばそういうことがあったなと思い出した。

 「助けたってほどじゃないよ。たまたま、高崎から頼まれた書類を受付の人に渡そうとしたら、しつこそうな親父がいて、俺、あの後まだ、営業でまわる所があったから、急いでたんだ。そうか、あそこの受付嬢なんだ。」

 「おいおい、こんな美人忘れるかよ。営業マンとしても失格だ。」

 横で高崎が、ちゃちゃを入れるも、お前みたいに、女性ばっかり覚えられんだろ、そう思うが、ここはグッと我慢する。

 「しかし、よく泊まるとこ取ってたな。俺が来なかったらどうしてたわけ?」

 反撃とばかりに、高崎に言うと、

 「お前が来なかったら、今日はチャラだったよ。お前が来るからこの会が出来たわけ。ちなみに取引先の方が、是非にと言っていたホテルなんだ。お前が無理でも、キャンセルはしなかったよ。」

 「お前の営業努力には泣けるよ。」

 さすが、営業成績No.1。

 俺には真似できん。

 その後は、夜まで飲み明かし、楽しい時間を過ごした。

 ツインを2部屋取っていたので、仕方なく、高崎と同じ部屋で寝た。

 あれから、何度か会って、俺は佳奈と付き合ったんだ。

 そう、まだ上手く手も握れない。

 あんな美人が、俺と付き合ってくれるとは、思わなかったから。

 あれが、始まり。

 ねぇ、佳奈。

 今、何してる?

 俺のこと、考えてるか?

 佳奈、佳奈、会いたいなぁ。



 「いいひとだね。」

 私が彼に最初に言った言葉。

 そうしたら、テレたようにそっぽを向く。

 くしゃっとした髪、整った鼻筋、黒い目の奥がいつも優しい。

 その横顔が、たまらなく大好き。

 たまらなく、会いたい。

 そして、どうしようもなく、泣いてしまう。

 会いたいよ。

 


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