第9話 人生初デートの場所は……②

「そうだ川波、ちょっと『猫』でも見に行かないか?」


「猫?」

 

 突然の俺の発言に、川波が何やら怪しむようにすっと目を細めた。けれども俺が一階フロアの奥の方にあるペットショップコーナーを指差すと、「ああ、そういうことですか」というように川波が納得したような表情を浮かべる。


「しかし筒乃宮様、あのマンションはペット禁止なので猫は飼えませんよ」


「うん、それは知ってる。ただちょっと見に行きたいだけだ」

 

 俺はそう言うとあえてレジから距離を取るように少し早歩きで目的のコーナーへと足を進める。もちろん主人が行きたいといえばついて来てくれるのが家政婦の川波さん。チラリと後ろを振り返ると彼女も同じように歩調を合わせてくれていた。


 よしっ、これならうまくいくかもしれない!

 

 俺は川波に見えないようにしながら小さくガッツポーズをとった。日本にはアニマルセラピーという言葉があるように、動物との触れ合いは人の心を開かせる力を持っている。しかも川波のような黒髪クールの美少女は俺の経験上(ラノベより)大の猫好きだという傾向が多い。

 だとすれば愛くるしい子猫を前にすればいくら超絶クールの川波といえどその心を開き、もしかしたら彼女の愛くるしい一面も拝めるかもしれないという魂胆だ。これぞまさしく正真正銘の『猫の手も借りたい』ってやつだな。うん。

 

 なんてことを思いながら己が考えた作戦を自画自賛していると、目の前にはずらりと並んだショーケースが見えてきた。そしてその中に入っているのは産まれてまだ間もないであろう小さな動物たち。


「おおっ」

 

 ペットショップコーナーに足を踏み入れると同時に俺は思わず声を漏らした。周囲を見渡せばどこもかしこもふわふわモコモコの天使たちで溢れているではないか。その愛くるしい動物たちの姿に、「めっちゃ可愛いーっ!」とJK化した俺の方もついつい見えない尻尾を振ってしまう。……っておいちょっと待てよ。なんか目的変わってないか?

 

 ハッと我に返った俺は何事もなかったかのようにゴホンと小さく咳払いをするとチラリと後ろを振り返る。すると自分とは違い、川波は相変わらずクールな表情を浮かべたまま辺りを見渡していた。


 ふむ……まだ動物エキスが足らないか。

 

 ただショーケースを眺めているだけの川波の姿を見て俺は心の中でそんなことを呟く。おそらくこのまま眺めているだけではシャイ(たぶん)な彼女が感情を表に出すことはないだろう。だったらここはアニマルセラピーらしく動物と接することでその心を開けてみようではないか。

 

 そんなことを思った俺は、一際可愛い子猫が入っているショーケースへと近づいていく。そして愛くるしいその顔を覗き込んだ瞬間――


『シャーッ!』


「ひっ!」


 何故か俺と目が合うや否や、突然威嚇モードに入る子猫。その姿はまるで天敵でも現れたかのような興奮っぷりだ。

 子猫の思わぬ行動に、思わずその場で固まってしまう俺。するとさらに予想外の行動に出る人物が。


「お下がり下さい筒乃宮様!」

 

 そう言って俺と子猫の間に突如割り込んできたのは、我らが家政婦の川波さんだった。おそらく主人の身を案じての行動なのだろう。目の前に勇ましく立つ川波の気迫に俺は思わずゴクリと唾を飲み込む。……でも川波さん、さすがの俺も生後二ヶ月の猫には負けたりしないから大丈夫だよ?

 

 なんてことを思いながらもあまりにも真剣かつ敵意を剥き出しにして子猫を睨みつけている川波に何も言えずに黙っていると、彼女が現れたことに子猫のほうもさらに警戒したのか、今度は爪を剥き出しにして鳴き声をあげる。


『シャーッ!』


「しゃーっ!」

 

 子猫の威嚇に、何故か同じく猫語で応戦する川波。そして両手を前に出し猫のようなファイティングポーズまで取る彼女の姿に、俺は思わず「なっ」と声を漏らす。

 

 か、かわいいっ!?

 

 それはまさに不意打ちという言葉がピッタリと似合うような川波の新たな一面を見た瞬間だった。

 けれども本人はいたって真面目なようで、猫が猫パンチを繰り出せば同じような仕草で応戦しているではないか。その姿が可愛いのなんのって、これで猫耳をつけて「にゃん!」と言ってもらえるのであれば、俺は今この瞬間に筒乃宮家の全財産を彼女にペイしたって構わないとさえ思えるぞ!

 なんてバカな妄想に取り憑かれていた俺だったがいつまでも川波を子猫と戦わせるわけにはいかないので、「も、もういいよ!」と言って俺は彼女を連れて子猫のショーケースから離れた。

 

 その後も何故か俺が覗く度にショーケースの中の動物たちは威嚇モードになってしまい、別の子猫も同じように爪を立てて攻撃姿勢になるし子犬も牙を剥き出しにして噛みつこうとしてくるし、インコについては狂ったように鳴き続けていた。

 唯一俺に対して好意的だったのはメスのミドリガメでたぶん発情期に入っていたのだろう、すげー興奮状態で俺に近づいてきていた。どうやら俺の人間的魅力はわかるやつにはわかるらしい。……って、相手がすでに人間じゃねーけどな。

 

 もはや種族を越えて天敵扱いされてしまう俺の存在に川波も気が気ではなく、動物たちに癒されるどころか終始威嚇しっぱなしで俺の身を案じてくれていた始末。いやほんと、俺って何なの? 存在自体があらゆる生物の迷惑になってるとしか思えないんですけど?

 そんな衝撃的事実に胸を痛めながら陸上生物たちから逃げてきた俺は、ネオンテトラが泳ぎ回っている水槽の前で盛大なため息をつく。


「くそ……川波と楽しめる機会がまったくない」


 息つく間もなく襲いかかってくるトラブルの連発で、俺が当初想像していた二人で一緒にショーケースを覗き込みながら「この子可愛いねー」なんて言い合うほのぼのとした甘いワンシーンが一秒たりとも成立しない。何なら川波さん、「この子は敵意が少ないですね」とショーケースを覗き込む基準が可愛いかどうかではなく、俺に危害を加えないかどうかになっちゃってるからね。


「はぁ」と再び絶望的なため息を漏らしながら目の前の水槽に片手をついた時だった。ふと視界の隅に映った川波の姿に意識が止まる。


 あれ? 

 

 先ほどまで戦時中かと思うほど険しい表情を浮かべていたはずの川波が、何やら今度は物珍しそうな顔をしながら小さなガラスケースを覗き込んでいる。何なら普段は大人びていてクールなその美しい瞳が、今は少女のように無邪気に見開かれているではないか。

 

 もしかして好きな動物でも見つかったのかな?

 

 稀に見る川波のそんな珍しい姿に、俺の心臓がドクンと高鳴った。ついに訪れた川波とのほのぼのシチュエーション。ホームセンターというデートスポットに足を踏み入れてからトラブルと威嚇に見舞われ続けていたが、ここにきて一気に大逆転できるチャンスがやってきたのだ。


「よしっ」と小さく呟いた俺は、動物と一緒に川波のことを愛でる言葉を頭の中で練習しながらそっと彼女の方へと近づいていく。そして覚悟を決めるように深く息を吸い込むと、川波との新しい思い出を刻むためにゆっくりと唇を開いた。


「川波、何か好きな動物でも……」

 

 話し始めたはずの俺の言葉は、視界に飛び込んできた光景に思わず続きを失う。代わりに喉の奥からすぐに込み上げてきたのは、恐怖のあまり叫びたくなるような衝動。


「か、か、か……」

 

 壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返しながらも何とか平常心を保とうとする俺。そんな自分の視界の中、川波の目と鼻の先にある薄いガラス一枚隔てた向こう側にいたのは、俺の掌ぐらいの大きさはありそうなほどの巨大な『蜘蛛』だった。


「か、か、川波それって……」


「『タランチュラ』です」


「……」 

 

 言葉を失いただ呆然と立ち尽くす自分に、何故か再び「タランチュラです」と何やら熱のこもった声を投げかけてくるうちの家政婦。……いやいや待って、なにそのちょっと物欲しそうな瞳は? 

 

 普段なら絶対に見ることができない川波のそんな視線に俺は思わず頬を赤く染めそうになるも、彼女の後ろにいるグロテスクな生物の姿がチラリと見えた瞬間すぐに青ざめる。あーダメだ、間違いなく今日の夢に出てくるやつだわコレ。

 そんな恐怖を感じた俺は出来るだけ視界の中にタランチュラが入らないようにしながら、川波に対してこの場からの撤退を促す。


「か、川波。あんまりそいつに近づいたら危険だぞ。だからそろそろ他の場所に……」


 ちょっとエロささえも感じてしまう川波の物欲しそうな瞳を裏切るのは非常に残念だが、大の虫嫌いの俺からすればこれは一刻を争う非常事態。好きな子の前で泣き叫ぶという失態をしでかす前に一秒でも早くこの場から逃げ去りたいところ。

 だが川波は俺の言葉をどう捉えてしまったのか、小さく首を振った後静かに話し始める。


「筒乃宮様、ご心配ありません。タランチュラは基本的には温厚な性格で無闇に襲いかかってくることはないです。それに毒性も弱く、噛まれたとしても死ぬことはありません」

 

 だから大丈夫です。と何が大丈夫なのかまったくわからないが川波はそんな言葉で締めくくった。そして再びあの視線を向けてくる。


「……」

 

 まさか川波が猫や犬ではなく、こんなおぞましい生き物に興味を示すだなんて思いも寄らなかった。もしもこれが子猫やウサギだったら、「仕方ないなぁ」と言って内緒でこっそり飼うことに賛成していただろう。

 けれどもいくら好きな人にお願いされたとしても、こいつを飼うことだけは絶対に反対だ。だって怖いだろ。もしも逃げ出したタランチュラがトイレの天井にでも張り付いてたら。


 思わずそんなシーンを想像してしまい、俺はぶるりと肩を震わせた。その間も川波は黙ったまま俺のことをじーっと見つめていたが、俺が虫嫌いということを思い出したのか、何やら諦めたように小さく息を吐く。


「申し訳ありません。無駄なお時間を取らせてしまって」


「い、いやそんなことナイッテ……ハハっ」

 

 場を和ますつもりで放った言葉は、大根役者も驚くほどのぎこちなさだった。そのせいか、川波がほんの少ししゅんとした表情を浮かべる。


 ああクソぅ……なんで川波と仲良くなれそうなチャンスがタランチュラだったんだよっ!

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