第10話 人生初デートの場所は……③
「だはぁ……」
ホームセンターにある男子トイレに入るなり、俺は盛大なため息を吐き出した。
結局アニマルセラピー作戦は失敗に終わり、それどころかアニマルたちから多数のトラウマを植え付けられてしまうという無惨な結果となってしまった。さらには悪夢にでも出てきそうな巨大蜘蛛でトドメを刺されてしまう始末。
「なんでこうなるんだよ」と俺は己の不運を呪いながらそんな言葉をぼそりと吐き出す。
川波と仲良くなる為にこうやって一緒に出掛けてはいるのだが、果たして今のところ彼女との距離を縮めることができているのかは不明だ。ただハッキリとしていることは、俺が頼りなくて情けない男だという印象を与えてしまっていることと、家政婦という責任感と義務感からなのかはわからないが川波が何かと俺の身を案じてくれているということ。……できればそこは愛情からと期待したいところではある。
などとそんな薄い期待を抱くものの、現実ははちみつカルピスのように甘くないことは百も承知なので、俺は何か起死回生のアイデアはないかと頭をひねる。けれどもいくらひねったところで蛇口のように湧いて出てくるわけもなく、結局何のアイデアも浮かばずに俺はトイレを出ることにした。
「筒乃宮様、もしかしてお腹の調子でも悪いのですか?」
アイデアをひねり出そうとトイレに長居し過ぎてしまったせいか、ベンチに座っていた川波が心配そうな声音で尋ねてきた。
その言葉に、「やっぱ俺、愛されてるんじゃないか?」と一瞬バカな勘違いをしそうになるも、「いや、大丈夫だ」とそこはクールに大人な対応で乗り切る。……まあこんなやり取りに大人もクールも関係ないんだけどなっ!
そんな自虐一人ノリツッコミを頭の中で繰り広げていたら、再び川波の声が耳に届く。
「それではそろそろ帰りますか」
「あ、ああ……そうだな」
ベンチから立ち上がりそんな言葉を口にする川波に俺はつい視線を逸らしてしまう。正直いうとせっかく川波と一緒にお出掛けしているのだから、この後こそデートらしくショッピングに行ったりカラオケに行ったりゲーセンに行ったりしてみたい。
が、家政婦ともなれば暇人の俺とは違って洗濯や料理などお仕事盛り沢山なのでその提案が彼女に可決されることは難しいだろう。
そんなことを思った俺は「はぁ」とため息を吐き出すと、諦めてトボトボと出口に向かって歩き始める。と、その直後。ふとあるコーナーが目に止まった。
「おっ」
そんな声をぽろりとこぼした俺の視線の先にあったのは、ノコギリや電動ドリルといったいかにもDIYが好きそうな人間が訪れそうな工具コーナーだった。
別に俺自身はDIYにはまったく興味はないのだが、男というのはいくつになってもドリルとかハンマーといったものにはやはり心をくすぐられてしまう生き物。……ただし、算数ドリルは例外とする。
などとくだらないことを考えている間にも俺の足は無意識に工具コーナーへと向かっていた。そんな俺の後を、「どうしましたか?」と川波が少し不思議そうな声で尋ねながらついてくる。
「いやちょっと面白そうだなーっと思って」
「?」
やはり男の美学は川波にはわからないのだろう。ちらりと後ろを振り返ってそんなことを口にすれば、川波がきょとんした顔で首を傾げる。うん、可愛い。
そんなことを思い心の中でウンウンと何度も頷くも、あまり川波のことを見つめていても怪しまれるので今度は目の前にある工具がずらりと並べられた棚へと視線を移す。そしてその中でも武器にすれば一番攻撃力がありそうなイカついドリルへと手を伸ばそうとした、その直後ーー
「筒乃宮様、それは危険です」
「え?」
ピシャリとした川波の厳しい声が突然聞こえてきて、俺は伸ばしかけていた右手を思わず止めた。そしてチラリと隣を見てみると何やら仰々しいほどに険しい表情を浮かべている川波の姿が。
「軍手もしていないのにそんな工具に触ると怪我をする恐れがあります」
「……」
おいおい、ちょっと待ってよ川波さん。いくら鈍臭い俺とはいえ、さすがに幼稚園児じゃないんだからこんなことぐらいで怪我なんてするわけないでしょ。
ほんとに心配性なんだから、と些細なことでも俺の身を案じてくれる川波のことがなんだか微笑ましく思えてきた俺は、「大丈夫だって」と彼女を安心させるかのように笑顔で応える。そして再び右手をドリルへと伸ばした。
「けっこう重いんだな」
思った以上に重量感がたっぷりとある電動ドリルに、俺はそれを握る右手の力を無意識に強めた。ずっしりと手のひらに伝わってくるその重さと、まるでレーザーでも出てくるんじゃないかと思うほどの重装備な見た目。さらにそこに男心をくすぐるトリガーまで付いているのだから、もはやこれは立派な武器の一つだろう。
明らかに川波が冷たい視線を向けてきているのはさっきからビンビンと感じているのだが、トリガーに人差し指をかけてしまった俺の気分はすでにゲームの中の主人公。よし、こいつを今日から俺専用の武器に認定してその名をドリルブレイカーと……
「いってぇえっ!」
突如人差し指に走った激痛に、一瞬にして妄想の世界から醒めた俺は思わず叫び声をあげた。
まさかレーザーのように鋭いドリルの先端が指先に刺さってしまったのかと顔面から血の気が引いたが、何のことはない。ただトリガーの隙間に指が挟まっただけだ。
けれども打ち所ならぬ挟み所が悪かったようで、右手の人差し指の先端からはダラダラと血が流れ始めているではないか。
「筒乃宮さまっ!」
俺の悲鳴と指先から流れ出る血にさすがの川波も驚いたのだろう。普段は冷静沈着でどんな時も動じないはずの彼女が珍しく血相を変えて俺の右手を掴んできた。そんな彼女の勢いと突如手を握られた温かい感覚に、「え?」と指先の痛みも忘れて驚きの声を漏らす俺。
しかしその直後、さらなる衝撃がわが身を襲う。
はむっ。
「…………へ?」
一瞬何が起こったのか理解できず、俺の思考がフリーズする。微動だにできない視線の先では、相変わらず俺の右手が川波に掴まれている。いや、確かに掴まれてはいるのだが、何故か人差し指の先っぽだけ彼女の口の中へと吸い込まれているではないか!
「カ……カワナミサン?」
状況がまったく理解することができずに、俺は口をパクパクとさせながら何とか彼女の名前だけを絞り出した。その間も右手の人差し指だけは未知なる領域へと旅立っていて、やたらと生温かくてぬるりとしたものが指先に触れていることだけがはっきりと伝わってくる。それがあまりにも生々しいのなんのって、間違って俺の方が「ひゃんっ」と乙女チックな声を漏らしてしまう始末。
「か、か、川波ダメだって……そんなに激しく……」
思わず身をよじりながらそんな言葉を漏らせばようやく川波も正気に戻ったのか、バッと慌てた様子で俺から離れた。
「も、申し訳ありませんっ!」
突然謝罪の言葉を口にしてそのまま勢いよく頭を下げる川波。そんな彼女に対して、俺は何も言えずにただ両目をパチクリとさせる。
「その、絆創膏を持っておらずハンカチも先ほどのお手洗いの時に使ってしまって……だからつい咄嗟に……」
顔を真っ赤に染めながら何とか言葉を紡ぎ出そうとする川波。その度に彼女の潤んだ唇についつい意識が向いてしまい、さっき感じてしまった感覚が指先に蘇ってくるものだからたまったもんじゃない。
あまりの恥ずかしさに川波の顔を直視することができなくなった俺は、「イヤ、ソノ……」とぎこちない声しか漏らすことしかできず、まったくといっていいほど俺たちの間には会話が成立しない。すると川波が「くっ」と辛そうな表情を浮かべ、なぜか工具が並べられている棚へと近づいていく。
「私は筒乃宮様に対して失礼極まりないことを犯してしまいました。かくなる上はこの指の一本や二本……」
「ちょ、ちょっと川波さんそれはストーーップ!」
物騒にも大きなハンマーを手にしてそんな言葉を呟く彼女を俺は慌てて制した。だがそれでも川波にとってはよほど罪の意識が大きいのか、「離して下さいっ、ケジメをつけさせて下さい!」とおっかない言葉を連発してくる。……って、なにこれヤクザの世界?
などと一瞬どうでもいいことを考えてしまった俺だったが、このままではホームセンターで川波が本当に小指を失いそうなので、俺は彼女から無理やりハンマーを取り上げるとそれを棚へと戻す。そして川波がこれ以上おかしなことをしでかす前にと、彼女を連れて出口へと向かう。
「お、落ち着けって川波。俺はべつに失礼とかそんな風には……」
しどろもどろになりながらフォローの言葉を口にするも、隣を歩く川波は顔を赤くして黙り込んだまま俯いている。
どうやら彼女との初デートでは、心の距離を縮めることはできなかったようだ。
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