第8話 人生初デートの場所は……①

 犬の糞クソ事件で出鼻を挫かれてしまった俺は、その後の道中も嘆かわしいほどに川波の前で紳士的な態度を取ることができなかった。

 っというより、家政婦川波さんの気遣いのレベルが凄すぎて俺が紳士になれる場面がまったくなかったのだ。

 川波の身を案じて車道側を歩こうとすれば、「そちらは危険です」とすぐにフォーメーションを変えられてしまうし、アマガエルでも簡単に乗り越えられそうな段差なのに「足元にお気をつけ下さい」とその度に立ち止まり一声かけられてしまう始末。

 しまいには、「逸れないように手でも繋ぎますか?」と今度は本当に手を繋ぐ目的でさらっと右手を差し出されたのだが、それを握り返してしまうと何だが男として大切なことから逸れてしまいそうな気がしたので丁重にお断りをした。

 

 そんな珍事件を連発させながら歩くこと十五分。とある建物の前で川波が足を止めた。どうやら目的地に着いたらしい。


「ここって……」


 同じく足を止めた俺は、川波が見つめる先を見て思わず声を漏らす。彼女がずっと前から俺と一緒に(たぶん)訪れたかった場所。そこは……


「ほ……『ホームセンター』?」


 デカデカとした看板に描かれている文字を、俺はただ呆然とした表情で声にする。何度見ても、どれだけ目を細めても、その看板にはゲームセンターではなくホームセンターと記されている。

 んなバカな。と何かの間違いだろうと思い隣を見ようとすれば、川波は再びスタスタと歩き始めてホームセンターの入り口へと向かっていく。その後ろ姿を見て、俺は慌てて彼女を追いかける。


「ちょ、か、川波!」


「はい、何でしょうか?」

 

 ご主人様、ともしもそんな言葉を続けてくれたならば俺の動揺も少しは紛れたかもしれないが現実はそんなことはなく、川波は「だから何?」と言いたげにじっと俺のことを見つめる。


「いやその……ずっと行きたかった場所って、まさかここ?」


 何かの冗談だよね? そうだよね?? というメッセージを目力に込めて俺は川波のことを見つめ返す。するとそんな俺の迷いを断ち切るかのように川波は「はい、そうです」とハッキリした口調で答える。


「……え?」


 あまりの衝撃に、俺は返事を返すことができなかった。川波との初デート、いや女の子との人生初デートスポットに選ばれたのは、やたらと木材の臭いが漂うホームセンターだったのだ。

 

 これは睡眠不足による白昼夢なのかもしれないと思い俺は思いっきり太ももをつねってみたが、あまりの痛さに「ギャッ」と悲鳴を上げてしまった。どうやら夢でも幻でもないらしい。

 動揺を隠しきれず鯉のように口だけをパクパクとさせていると、川波がその答えを教えてくれる。


「実は洗面台の隅にサビを見つけてしまいまして、それを補修する為の道具が前から欲しかったのです」


「…………」


 なるほど。つまり川波は俺とのデートをずっと前から楽しみにしていたわけではなく、ずっと前から洗面台の錆を補修することを楽しみにしていたというわけだ。

 

 なーんだ、そういうことか☆ っと、俺はすっきりとしたような表情を浮かべながら一瞬にして心を『無』にする。いや待て。絶望するのはまだ早い。だって理由はどうであれ、初めて川波と一緒に出掛けることができたんだからな。

 俺はそう思い気を取り直すと、ホームセンターというディズニーランドにも勝るとも劣らないデートスポットへと足を踏み入れる。


「けっこう広いんだな」

 

 まるで付き合いたてのカップルのような気分(俺だけ)で二人一緒に自動ドアをくぐり抜けると、店内は思ったよりも広く、そして家族連れの人たちなどで賑わっていた。

 これは目的のものを見つけるのは大変かもな、と一人渋面を浮かべてしまいそうになった俺だったが、今までの汚名を挽回する為にもここは何としてでも川波に良いところをアピールしたいところ。

 なので俺は人類の秘宝を探すかのような勢いでサビ落としの道具を見つける為にロケットスタートを切る。

 ……が、しかし。

 一歩を踏み出した瞬間に、何故か川波から呼び止められてしまう。


「筒乃宮様、そちらではありません」


「え?」

 

 川波のピシャリとした声に、俺は思わずビクリと肩を震わせて足を止めた。そしておずおずとした動きで彼女の方を向く。


「こういった場所は目的や種類に応じて商品が陳列されています。なので闇雲に探し回るのは賢明ではありません」


「……はい」

 

 まるで幼子を注意するかのような口調で川波にそんなことを言われてしまい、俺は思わず眉毛でハの字を描く。どうやら気合いを入れて川波の為にと踏み出した一歩は、迷子一直線の道へと続いていたらしい。

「くっ」と悔しさを滲ませた声を漏らした俺は、ここはこれ以上迷惑を掛けないようにと川波の後ろをついていくことにする。


 ……にしても、全然縮まらないなぁ。

 

 半歩先という近距離ではありながらも、やはり心の距離はマジで銀河二つ分くらい開いてるんじゃないかと感じてしまうほどのその後ろ姿を見つめながら俺はついため息をこぼしてしまう。

 周りを見れば仲睦まじげなカップルの姿もちらほらと映るのだが、今の俺の姿はきっと主人の後ろに付き添う荷物持ちか、あるいは従順な家政婦のように見えているのだろう。……って、立場逆転してんじゃねーかよオイっ!

 

 そんな自虐を頭の中で一人繰り広げながら黙って川波の後について行くと、方向音痴の俺とは違いあっという間に目的のコーナーまで辿り着く。


「ここが目的の場所か……」

 

 まるで長い旅路を終えた勇者のような台詞を吐いてみたが、何のことはない。ただ女の子のお尻の後についてきただけだ。

 それでも俺はそろそろ一回ぐらいはカッコ良いところを見せておかなければいけないと思い棚を見るや否や『サビ落とし』と目に入った瞬間、川波よりも早く手を伸ばす。


「川波あったぞ!」

 

 まるで自分がこの場所まで導き大切な宝物を見つけてあげたといわんばかりの勢いで、俺はサビ落としキットを片手にドヤ顔をかます。するとそんな俺のことを冷静な表情のまま見つめていた川波がふっと息を吐き出して首を小さく横に振った。


「筒乃宮様、残念ながらそれは屋外専用のもので私の求めているものではありません」


「……」


 だそうである。……ってかなんだよ屋外用って。サビはサビじゃねーのかよ。

 なんてことを思い右手に持った箱を思わず床に叩きつけそうになるも、間違ってしまったのは自分の方なので俺は仕方なく商品をそっと棚に戻した。その間に川波はいつの間にかお目当ての物を見つけたようで、その手には似たような箱が握られている。


「これで筒乃宮様に綺麗な洗面台をご利用頂けます」


「お、おう……」 

 

 心なしか、少し上機嫌な声でそんな言葉を口にする川波。そんな彼女に対して俺は、「アリガトウ」とついぎこちない口調で答えて苦笑いを浮かべてしまった。好きな子から「クッキーあげるね」みたいな感じで「サビ取ってあげるね」って言われても俺どんなリアクションで受け止めればいいのかわかんないんですけど?


 けれども家政婦の川波さんにとってはよほど大切なことなのか、「それでは帰りましょう」とまさかの言葉を口にするとそのままレジへと向かおうとする。


「お、おい待てよ川波。もう帰るのか?」


「ええ、目的のものは見つかりましたので」

 

 こちらを振り返り、少しきょとんとした表情で少し首を傾げる川波。その仕草も可愛いの何のって思わず「そっか、じゃあ帰ろっか!」と同意してしまいそうになるので危ない。

 せっかく川波と一緒にお出かけすることができたのに、まさかのサビ取りだけ買って終わるとかそんなの絶対に嫌だからな!


「いやだー帰りたくない!」と床の上で大の字になって駄々をこねたいところだが、そんなことをすればさすがに専属の家政婦とはいえ川波に嫌われてしまうことは目に見えているので、ここはスマートに駄々をこねてみたいと思う。


「で、でもさせっかくデー……いや、一緒にホームセンターまで来たんだからもうちょっと遊んでいかない?」


「ホームセンターでどうやって遊ぶのですか?」


「……」

 

 いやそれ俺が一番聞きたいよ。こんなところでどうやって女の子と遊んだらいいんだよ。「DIYでもやってく?」なんて気軽に言える雰囲気でもないからなマジで。

 そんなバカなことを考えながらもここは早いとこ返事を返さないと川波が本当に帰ってしまうと一人焦っていると、ふと俺の視界の隅に映るコーナーに目に止まった。その瞬間、脳内でピンと閃く。

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