第4話 癒しのマイホーム②
気持ちだけでも彼氏ヅラになった俺は隣室である川波の部屋の前を通り過ぎるとリビングへと一歩足を踏み入れる。すると入ってすぐ左手にあるキッチンでは、川波がいつものように夕飯の準備を進めていた。
「筒乃宮様、今日はどこにもお出かけにはならないのですか?」
「あ、ああ。そうだな」
Tシャツにジャージというラフな格好の俺を見て、川波がふとそんな言葉を口にする。
月に何度かは大森に呼び出されてゲーセンやらカラオケやらに連れ回されることもあるのだが、どちらかというと引きこもり気質な俺にとっては家にいる方が楽。それに本心を言えば一秒でも多く川波との時間を一緒に過ごしたいという下心……いや、純粋無垢な恋心だって持っている。
そんなことを思ってしまったせいか、目の前にいる川波の姿についつい意識が惹き寄せられてしまう。なんたって今の彼女は制服の上からエプロンというまさに男心をくすぐる鬼に金棒スタイル。
しかもそのエプロンがいかにも女子高生が好みそうなフリフリ系ではなく、大人の魅力をぎゅっと詰め込んだようなシックなシンプル&ブラックときた。その効果は絶大で、ただでさえ美しい彼女の魅力に大人のフェロモンまで加わってしまい、俺はついつい見えない尻尾を振ってしまう。
なんてバカなことを考えながら黙って川波のことを見つめていると、「どうかしましたか?」と何やら相手が訝しむような表情を浮かべてきた。
「え、いや別に、今日もエプロンだなーって思って……ははっ」
「……」
おい己、何言ってんだよ。何だよ今日もエプロンだなーって。褒めるのが下手くそなのにも程があるだろ。
そんなことを憤りながら自分を殴りたくなるような衝動に駆られていると、目の前にいる川波が俺の顔と彼女自身が着ているエプロンを交互に見やる。
「制服が汚れないようにといつも着ているのですが……エプロンはお嫌いですか?」
「え?」
予想もしなかった方向からの質問に、俺は思わず呼吸を止める。
川波のエプロン姿が好きか嫌いか。そんなの好きに決まってるでしょ! 何ならいつも身につけてもらってもいいぐらい。
なんてことを思うも、「エプロン大好き!」なんて素直に答えてしまうとそれはそれで変な誤解を招きそうなのでやめた。なのでここはクールにハードボイルドといこうじゃないか。
「いや、嫌いでは……」
ない。と言葉を続けるはずが、「ひゃい」と思いっきり噛んでしまう俺。それでも相手は眉毛一つ動かさず「そうですか」とクールに言葉を続けてきた。……何これ。馬鹿にされて笑われるよりもはるかに辛いんですけど?
これ以上ここにいても事故しか起こらないと思った俺は、「そうですよ」と何事もなかったかのように答えるとそそくさとリビングへと撤退する。そして静かにソファへと腰を下ろした。
何やってんだろ俺……
帰ってきてからも何一つ川波に良いところを見せれていない自分に絶望するも、それでも俺は少しでも平常心を取り戻そうと深く息を吸う。
しかし高校生二人が住むには無駄に広過ぎるリビングは、根は庶民派の俺にとってはまったく落ち着かない。
ちなみに隣の隣室もなかなかに広く、父親の趣味なのか立派なピアノが置かれている。初めてそのピアノを見た時、これを猛特訓したら川波に良いところを披露できるのではないかと名案が閃いたのだが、初っ端から鍵盤の蓋に指を挟んでしまいそれ以降恐怖のあまり一切近寄っていない。
そんなくだらない過去の苦い記憶を一人思い出していると、まるでピアノのような美しい声音が俺の耳に届く。
「筒乃宮様、何かお飲みにでもなられますか?」
キッチンに立つ川波がこちらを振り返り尋ねてきた。その瞬間、彼女の綺麗な瞳と目が合っただけで俺の心拍数はすぐにピークに達してしまうのだから、こんな生活をあと一年も続けてしまえばその途中のどこかで俺は心臓が爆発して死んでいると思う。
しかし、そんなヘタレなことを考えてしまう俺でも一応はこの家の主人だ。それでいて川波に想いを寄せる一人の男。
なのでここは川波と釣り合うように、俺だってビターでクールな大人の一面を持っていることをしっかりとアピールしておく必要がある。
そう思った俺はふっと小さく息を吐き出すと、いつもよりも二トーン声音を落として今度こそハードボイルド風に答える。
「なら、いつもので頼む」
「かしこまりました。カルピスのはちみつ入りですね」
「…………」
いや全くもってビターな大人じゃねえよ。ハードボイルドどころか、これじゃあただのハード甘党じゃねーかよオイっ。
けれどもここで焦ったり動揺してしまうと余計に情けない男になってしまうことは目に見えているので、俺はあえて開き直った態度で「ああ、はちみつ並々で頼む」とボイルド口調を貫く。……いやほんと、俺の方がカルピスの中に溶けて消えたい。
「ちくしょうっ!」とまったくもって川波の前でカッコがつかない自分自身に、俺は思わず心の中で叫び声をあげる。だがその間にも仕事が早い川波はあっという間に俺の大好物のはちみつカルピスを作り上げて、それを丁寧にトレーの上に乗せるとウェイターのような品のある姿勢で俺の前までやってきた。
「どうぞお召し上がり下さい」
「お、おう」
ありがと、と再びぎこちない口調に戻ってしまった俺は、川波にお礼を伝えるとさっそくグラスに手を伸ばす。家に帰ってからも終始緊張しっぱなしのせいだろうか、喉がやたらと乾く。それに、波川が俺の為にに作ってくれたドリンクを早く味わいたい。
そんな本能と煩悩を混ぜ合わせたかのように口につけたカルピスは死ぬほど甘かった。いやでもこの甘さがいいのよ。なんか、俺たちの生活を味わってるみたいで。
なんてことを思いながらも実際はガッチガチに緊張している俺の真横では、川波が背筋よく立ったまま自分のことを見下ろしている。その視線に気付いた俺はグラスを手に持ったまま慌てて口を開く。
「う、うまいよ! やっぱ川波が作ってくれるドリンクってマジで美味しいよなっ」
「……ありがとうございます」
俺の言葉を聞いて静かに感謝の意を表した彼女は、そのままペコリと小さく頭を下げると再びキッチンへと戻っていく。ドリンクにしろ手料理にしろ、川波は俺のために作ったものに対しては一言感想をもらうまではじっと待っているのだ。
そのことについて俺は、「も、もしかしたら好意を寄せる相手からはやっぱ感想がほしいのかな?」なんて自惚れた期待を忍ばせて遠回しにそんな質問をしてみたことがあったのだが、返ってきたのは「お口に合わなかった場合は分量と味付けを見直し、今後失敗のリスクを減らしたいからです」と好意の欠片もないロジカルなことを言われてしまった。……現実ははちみつカルピスほど甘くはないということだ。
まあでも逆をいえば川波は家政婦という仕事に対して、いやそれ以外のことでも彼女は「超」がつくほど真面目な性格だということ。
事実、学校の勉強にしろスポーツにしろ彼女の成績は常にトップクラスで、三位以下を取ったことはない。ちなみに俺はというと勉学に関しては中の中、スポーツ全般については中の下、ただし過去二回行われた校内アンケートの『彼氏にしたくない男ランキング』では何故か三位以下を取ったことはない。って、誰だよこんなくだらないくせに無駄に殺傷力が高い糞アンケートなんて作った奴はっ!
「クソぅっ!」と思い出したくもない過去をまたも思い出してしまった俺は、気持ちを落ち着かせようとはちみつカルピスを一気飲みする。すると、
「筒乃宮様、冷たいものを急いで飲むとお腹が痛くなるのでいけません」
「あ、はい。すいません……」
不意にキッチンの方からお叱りの言葉が届き、俺は慌てて頭を下げる。そしてちらりと視線だけ上げれば、こちらを向く川波がやれやれといわんばかりに小さく息を吐き出しているではないか。
……こんなことで怒られるとか俺は何歳児なんだよ。
はぁぁ、と今度は俺の方が情けないため息を吐き出すも、視界に映るエプロン姿の川波を見てすぐにドキリと心臓を揺らす。そうだ。俺は何を落ち込んでいるんだ。初恋相手のこんな美少女と一緒に住んでいるんだぞ? だったらくだらないことでヘコんでいる暇があれば、少しでも川波との距離を縮める為に努力すべきじゃないのか?
そんなことを思って己の気持ちを鼓舞した俺は、ここは何か気の利いた会話でもして彼女との仲を深めようと考えた。すると意外にも、普段あまり口を開かない川波のほうから声をかけてきた。
「あの筒乃宮様……」
「は、はい」
どこか言いづらそうな、恥ずかしがっているとも捉えることができそうな声音で話しかけてきた彼女に、俺は思わず姿勢を正す。これはもしかしたら、実は川波のほうも俺との距離を縮めるために何か会話の糸口を模索しているのかもしれない。
そう思った俺は川波からどんな会話を投げかけられてもすぐに返事ができるようにと、頭の回転速度も精神状態も整えていく。するとそんな自分の事前準備を察してくれたのか、見計らったかのように川波が再び口を開く。
「その……そろそろ数学の宿題を始めた方が良いかと」
「…………」
ぽつりとそんな言葉だけを言い残して、俺に背を向けたまま夕飯の準備を進める川波。トントントンとリズムカルな包丁捌きが耳に響く度に、俺の心も一緒に微塵切りになっていくような気がした。
ま、全然傷ついてないんですけどねっ!
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