第2話 うちの家政婦はぶっ飛んでいる。

 桜舞う季節、と呟けばそれだけで何やら群青色を帯びた物語が始まりそうな気がするのだから不思議である。


 教室の窓の外にひらりひらりと舞う薄紅色の花弁を見つめながら俺はふとそんなことを思う。だからだろうか。窓際に座っている少女の姿を見て、その美しさから「春の麗な光に照らされたその横顔がーー」なんて名作純文学のような一文がつい唇からこぼれ落ちてしまったのは。


 が、誠に遺憾ながら今は現国の授業ではなく、俺の成績がこぼれに落ちて落ちてしまっている数学の時間である。


「じゃあ次の授業で集合と命題について教えるから、その前にしっかり予習やっとけよー」


まるでチャイムが鳴ることを予言していたかのように数学の小柴こしば先生が間の抜けた声でそんなことを言った直後、スピーカーから聞こえてきた機械音によってようやく俺は魔の時間から解放された。

 ってか集合と命題って何だよ。なんか人生のテーマについてでも先生が語ってくれるの?


 なんて疲れ切った頭でバカなことを考えるも、俺の意識はすぐにまた窓際に座っている少女へと惹きつけられてしまう。

 さっきは途中で終わってしまったが、春の麗かな光によってその艶やかな黒髪が輝いていることや、まるで彫刻のように整ったその綺麗な横顔が柔らかく照らされているのは紛れもない事実。

 さらに付け加えるのであれば、長いまつ毛に縁どられた瞳は水晶のように美しく、皺一つない制服のブレザーはそんな彼女の上品さを際立たせながら、ほどよく膨らんだ胸元も際立たせている。

 そしてそんなことを考えている俺の下心は今日も下品さが一段と際立っている。って、うるさいわいっ!


 などと誰も聞いていない一人ノリ突っ込みを頭の中で繰り広げている間にも、俺と同じく、クラスにいるむさい男たちがチラチラとその熱い視線を彼女へと送っていた。もはやここまで描写すればわかるだろう。


 そう。窓際に座る美少女こと川波雫かわなみしずくという女の子は、我がクラスだけでなく、この進学校である月芝つきしば高等学校の中でも指折りの美しさを持った美少女なのである。

 そして自慢に聞こえてしまったら大変申し訳ないのだが、そんな麗しき彼女と俺はある『特別な関係』で結ばれている。


 授業が終わったので、川波がいつものように席を立った。その一挙一動を少しでも記憶に刻み込もうと、クラスメイトの男たちが彼女の動きに注目する。

 だがそんな視線など気にも止めることなく、川波は上品かつ美しい足取りでクラス後方へと向かっていく。そう、俺が座っているこの場所に向かって。


 俺はその瞬間椅子に座り直して背筋を正した。彼女が俺を見るその瞳には一切の迷いなどなく、特別な相手に対して抱くであろう強い想いまでもがハッキリと感じられるではないか。

 おそらくこの先も川波からそんな熱い視線を向けられる特別な男は、この筒乃宮康介つつのみやこうすけを置いて他にいないだろう。

 なぜなら彼女は俺にとってたった一人のーー


「筒乃宮様、先ほどの授業の内容はお分かりになられましたか?」


「あ、うん……」



 ………………『家政婦』ってどいうことだ?



「くそぅっ!」といつもと変わらぬ残酷過ぎる現実に俺は思わず頭を抱える。するとそんな嘆かわしい自分を見てやっぱりさっきの授業がわからないのかと勘違いしたのか、波川がぐっと顔を近づけてきた。


「筒乃宮様、やはりまだわからない問題が残っていらっしゃるのでは?」


「……」


 潤んだ唇がふいに耳元まで迫り、フローラルな香りが鼻腔と心を揺さぶる。その瞬間俺は恥ずかしさのあまり背筋にむず痒さを感じてしまい慌てて彼女の顔から距離を取る。


「だ、大丈夫だ川波。これぐらいならまだどうってことない」


「本当ですか? その割にはノートが真っ白ですが……」


「うっ……」

 

 痛いところを突かれてしまい、俺は思わず苦い声を漏らす。何ならノートの余白に川波の横顔を無意識に描いてしまっていたことに気づいて慌てて机の中へと隠した。


 ……とまあこんな感じで川波は授業が終わる度に、いやそれ以外でも常に俺の隣にぴったりとついては何から何までお世話をしてくれている良き家政婦さんなのだ。


 なんだって? 状況が意味不明過ぎてよく理解できないだって? 

 心配するな。俺が何より一番理解できていない。いや理解できないこともないが、未だに受け入れることができない。


 俺はそんなことを思うと絶望的なため息を吐き出した。その間も川波は凛と背筋を伸ばしたまま俺の隣で待機状態だし、そんな美少女がクラスでもパッとしないどころか「え? 同じクラスだったっけ?」とたまにクラスメイトの女子から言われてしまうような存在感ゼロの男の側にいるせいで、野朗どもからはいつ殺されてもおかしくないような視線が向けられている。


 何でだよ……


 入学してからはや一ヶ月。もう何百回と問うてきた答えの出ない疑問を俺は胸の中で呟く。

 たしかにいずれは他人と違う個性豊かな実りある人生を歩いてみたいとは思っている。思ってはいるが、何も高校入学と同時に奇怪豊かな人生を歩きたいなんて誰も願ってはいない。こんなことになったのも、『筒乃宮家』というくだらない家柄のせいだ。

 

 俺はそんなことを思うと盛大にため息を吐き出して肩を落とす。

 筒乃宮家と川波家は古くから付き合いがあり、その関係は君主と武士のような関係から始まったといわれていて代々川波家の人間は筒乃宮家に奉公してきたらしい。

 そしてそれは時代が進むにつれて世話係のようなものに変わっていき、戦後になると家政婦という形となり、今でも一族ぐるみでのお付き合いが続いている。

 

 とは言っても世は令和の時代。付き合いがあるとはいえ昔のような「ご主人様にこのお命を!」と刀片手に叫ぶような堅っ苦しい間柄ではなく、俺の両親と川波の両親はどちらかといえば友達同士みたいな感じでずいぶんとフランクに接している。

 その延長で俺は幼い頃から川波のことを知っているのだが、その時からすでに人一倍美しく可愛かった川波に恋をすることに時間などかかるわけもなく、俺はあっという間に彼女にフォーリンラブ。

 そこから涙ぐましいほど一途にずっと片想いをしてきたのだが、そんな俺の想いと努力は高校生になった時についに家政婦という究極の愛の形で実っ……


「実ってねーよっ!」

 

 思わずそんな言葉を吐き出すと、俺はおでこをガンと机にぶつける。するとそんな自分の情けない姿を見た川波が静かな口調で口を開く。


「心配ありません。筒乃宮様の苦手科目とはいえ努力を怠らなければ必ず実ります」


「え、いやそっちの話しじゃないんですけど……」

 

 絶妙にすれ違っている川波からのフォローに俺は顔を上げてつい苦笑いで答える。そういや川波って真面目なせいか、ちょっと人とズレたところがあるんだよな……

 

 まあそこも可愛いからいいんだけど、と一人納得して頷く俺だったが、そろそろ周りからの殺気だった視線が辛くなってきたのでこの辺りでお開きとしよう。


「な、なあ川波。いいんだぞ、毎回休み時間に俺のところに来なくたって」


「いいえ、これも仕事なので」


「……」

 

 なんだろう。殺気だった周りの視線よりも今の言葉のほうが百倍鋭くて傷つくんですけど? そこは『仕事』じゃなくて、嘘でもいいから『あなたと一緒にいたくて』って言ってほしかったな……


 なんてことを思い再び絶望していると、今度は川波とは別の声が俺の耳に届く。


「おうおうおう! 相変わらずお熱いねお二人さんっ」


 そんな陽気な声でチャラい言葉をかけてきたのは、俺にとってこの学校で唯一のともだ……いや、悪友の大森湊人おおもりみなとだった。

 髪染め禁止であるにも関わらず茶色に染まった髪に、なぜかオシャレに見えてしまう着崩したブレザー。そして度胸がなく痛いのが嫌いな俺にとっては一生付けることはないであろう両耳のピアス。

 明らかに問題児丸出しでありながら、その全てが許されてしまうような整った顔立ち。つまり、駅のホームから突き落としたいぐらいのイケメンリア充だということ。


「べ、別に熱くないって!」


 イケメン高校生のちょっかいに、思わずイケてない小学生のような突っ込みを返してしまう俺。側から見れば柄の悪い陽キャラにジメジメした陰キャラが餌食になっているような絵面だが、別にそこにイジメの要素などなく、俺たちはいつもこんな感じ。そして……


「大森さん、筒乃宮様にそのような軽薄な言葉を投げかけるのはやめて下さい」


 川波さんはいつもこんな感じ。って、なんかマジで俺が気弱な小学生みたいな立場になってくるから、別にそんな突っ込みしなくていいよ川波!

 

 なんてことを視線に込めて彼女の横顔をチラリと見るも、川波の表情は真剣そのものである。


「ははっ、冗談だって川波さん。でもコイツが川波さんといる時に熱くなってるのは本当だぜ」


「おい大森、勝手に何言ってんだよ! おもてを上げいっ!」


 あ、間違えた。

 

 興奮と恥ずかしさのせいで「表に出ろ!」と叫ぶはずが、間違って殿様みたいなセリフを吐いてしまったではないか。しかもそんな俺の誤った発言に対して隣にいる川波が、「筒乃宮様、もう上げています」なんて大真面目に返事をするもんだから、この俺の事故り方はもはや救急搬送されてもいいレベルだと思う。

 

 これ以上墓穴を掘るのはマズいと思った俺は、この五秒間に起こった出来事を記憶の奥底へと埋めて消し去る。けれどもそれをしっかり拾い上げてくるのが家政婦川波さんだ。


「どうして私といると筒乃宮様は熱くなるのですか?」


 そんな衝撃的過ぎることを、相変わらず大真面目な表情で俺の悪友に尋ねる川波。何なのこれ? 何の罰ゲームなの?


「ちょっ」と慌ててこの会話を終わらせようとするも、そうは問屋が許さない。大森が待ってましたといわんばかりにニヤニヤと下品な笑みを浮かべる。


「そりゃあ男は可愛い女の子と一緒にいると色んなとこが熱くなるからな」


 なっ、と何故か俺に同意を求めてくる変態イケメン。するとその発言の裏の意味まで理解しているのかいないのか、すぐさま川波が言葉を放つ。


「筒乃宮様が女性に対してそんなはしたない気持ちを抱くわけがありません」


「川波……」


 ほんとにごめん……思いっきり抱いちゃってます。はい。

 

 俺の誠実さを信じて大森に立ち向かってくれた川波に対して、俺は心の中で盛大に土下座した。だって無理でしょ。川波みたいな綺麗で可愛い子と一緒にいるのに熱くならないとか。

 そんなことを思いながらも表情だけは無垢で誠実な少年のつもりでいると、馬鹿で性的な少年が血迷った発言を繰り出す。


「いやいやわかんねーぞそんなこと。コイツだって川波さんが知らないところで女の子とイチャコラバッキュンやってるかもしれないし」


「……」

 

 おいテメーさっきから何勝手なことばっかり言ってんだよ。何だよイチャコラバッキュンって。なんかすげーエロいモンスターの名前みたいになってんじゃねーかよオイっ!

 

 なんてことを思いながらも公の場では(特に川波の前では)こういった下ネタ系の話題が苦手な俺は、「あわわわっ」とおっとり天然系女子が慌てふためいた時に見せるようなリアクションを取ることしかできない。

 するとさすがに今の発言はいけなかったのか、大森の言葉を聞いた川波がその美しい瞳をすっと日本刀のように細めた。


「そんなことは決してありません。私が知る限り筒乃宮様にはそういったご経験など一切なく正真正銘の童て……」


「川波もストーーーっプ! いいから! そんな俺の個人情報をこんなところで暴露しなくていいからっ!」


 俺の赤裸々な女性経験がまさかの思いを寄せる相手の口から飛び出そうになり、俺は目ん玉が飛び出そうな勢いですかさず突っ込みを入れた。ってかダメだよ川波さん、上品で綺麗な女性がそんな生々しい言葉を口にしたら!


 一切の油断を許さない(俺だけ)二人の会話に、俺は全神経を尖らせる。そんな自分のことなど一切無視して目の前では俺についてのあらぬことを語る大森と、俺についてのあるあるなことを赤裸々に語る川波との戦いが続く。


 どうやら桜の季節と共に始まった俺の高校生活と恋路は、どんな物語よりも前途多難のようだ。

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