scene2

 魔獣の村コニウムに到着して――


「わああああっ! すごいすごいすごい……!!」

 次元戦艦の中では平静を取り戻していたカレリアだったが、コニウムの家々や畑が目に入るや否や、興奮を抑えきれない様子で駆け出した。忙しなく辺りを見回しながら、歓喜に身を捩らせている。

「住居も、人々の暮らしぶりも……衣服の装飾や日用品の細かな意匠まで、全部が本の記述通りです。ああ、あのコニウムが目の前にあるなんて……信じられない!」

「はは、落ち着け。コニウムは飛んで逃げたりはしないぞ」

 と、ギルドナが彼女の背後へと歩み寄る。カレリアは軽々と身を翻して、罪のない質問をぶつけた。

「はい! ところでこの村も、ギルドナ様の領土の一つという認識でいいんでしょうか?」

「そ、それは……そうだな、そういうことになるか。一応、村長は他にいるのだが、俺は魔王だからな……――」


 そして残りの面々は、こんな二人のやり取りを、少し離れた場所から遠巻きに見守っている。

「ギルドナ……また適当なことばかり言ってる気がするなぁ。あいつら、放っておいて大丈夫かな?」

 アルドが苦笑いしながら誰に向けるでもなく呟くと、リィカが拾って答えた。

「こうなった以上は、何をどうフォローしたトコロで大差ないと思われマス」

「……ま、そうだよな」

「それにしても、カレリアは本当に嬉しそうね。あんなに素直に喜んでるのを見たら、注意する気にもなれないわ」

「うむうむ。あの娘っ子は心底、魔獣の文化に惹かれておるのでござろう!」

「そうだな。コニウムを知ってる未来人なんて……よっぽど熱心に勉強してきたんだろうな」

 エイミとサイラスの言葉に、アルドは深く頷いた。彼は相手が年下であろうと、優れた点を見出せば率直に敬意を払う。この自称・魔獣研究者の少女に対しても、手放しで感心していたのだった。


 アルドはそのままカレリアの傍へと歩み寄ると、密かに気になっていたことを尋ねていった。

「なあ、カレリア。ところで、コニウムのことが書いてあったのって、どういう本なんだ?」

「あ、はい! それはですね……ちょうどこの時代に執筆された書物があって、それがわたしの時代にまで残っていまして……」

「へぇ、そんな何百年も残ってたんだ」

「そう! まさに歴史的な財産ですよ! 数少ない貴重な資料なので、それはもう隅から隅まで読み尽くしました!」

「すごいな。有名な本なのか?」

「い、いえ……いくつも図書館を巡って、やっと見つけたんです。クラスのみんなには変人扱いされましたよ。魔獣の話が通じる人は、身近にはいませんでしたから……」

「そ、そうなんだ……。それで、どういう内容の本なんだ?」

「その著者は、コニウムに住んでいた女性で、日々の記録を日記のように書き残したんですよ。だから、伝統文化や儀式だけじゃなく、日常の生活様式までありありと鮮明に描かれているわけですね!」

「ふぅん、なるほどなぁ……。コニウムに住んでたってことは、本を書いたのも魔獣なのかな?」

「まあそうでしょうね。彼女自身の生い立ちについてはあまり詳しく触れられていませんでしたが、著者の名前は魔獣の女性によく使われるもので――」


 カレリアは一瞬言い淀み、視線を足元に向けた。だが、すぐに思い直したように目を上げると、照れくさそうにはにかみながらこう続けた。

「ん? どうかしたのか?」

「実は……えへへ。わたしのカレリアという名前は、その著者からもらったんです」

「えっ、カレリアは本名じゃないのか?」

「戸籍上の名前は違うんです。でも、ずっとそう名乗ってきましたから、仲のいい友達はみんなカレリアって呼びますよ!」

「へ、へぇぇ……。名前までもらっちゃうなんて、よっぽどその本に影響を受けたんだなぁ……」

「はい! わたしのバイブルですね!」

「おい、カレリア」とここで、腕組みしながら横聞きしていたギルドナが口を開いた。

「雑談はもういいだろう。この俺が直々に村を案内してやろう」

「はい! ありがとうございます、ギルドナ様!」

「アルド、そういうわけだ。貴様らは適当に寛いでいるがいい」

「あ、ああ。じゃあ、そうさせてもらうよ……」


 カレリアはギルドナに連れられ、村の中へと歩いていった。アルドは内心(……本当に任せてよかったのかな)と不安に思いながらも、小さく手を振って見送った。

 そんな彼に、エイミは肩をすくめて言う。

「ギルドナにしては、随分と親切よね」

「うん……。たぶん、魔獣のことを知りたいと思ってもらえるのが嬉しいんだろうな。ギルドナからしたら、魔獣が大好きな人間ってだけで珍しいと思うよ」

「魔王扱いしてもらえるのも、嬉しいのだと思われマス」

「う、うん……まあ、それもあるのかな」

「ところでアルド。結局のところ、終日この島に滞在するのでござるか?」

「うっ……」

 サイラスの何気ない質問に、アルドは頬を引きつらせる。せっかく余暇を利用してみんなに集まってもらったのに、全く予定外の展開になってしまっている。細かいことには拘らない彼でも、さすがに申し訳なく思っていたのである。

「そ、そうだなぁ……。みんなには悪いけど、そうなりそうだな。とりあえず、カレリアが満足するまで見て回ったら、すぐ最果ての島に送り帰すつもりだよ」

「それがいいわ。彼女の滞在時間が長くなればなるほど、未来に影響が出るでしょうしね」

「一日だけで、満足してもらえたらよいのデスガ」

「まあ、それも心配だけどさ……。それより、みんなはこれからどうする? ギルドナは『適当に寛いでてくれ』って言ってたけど……」

 多少遠慮がちにアルドは尋ねたのだが、三人は口々に即答した。

「では、ワタシは次元戦艦に戻っておきマス」

「拙者はイゴマの池にでも行って、軽く水浴びしてくるでござる」

「それじゃ私は……アルテナちゃんとお茶でもしてようかな?」

 皆の至ってマイペースな回答に、アルドはふっと笑った。こういう仲間たちだからこそ、彼も気ままな旅を続けられるのだ。

「じゃあ一旦解散だな。みんな、また後で」


 こうしてパーティーは自由行動へ。一人になったアルドは晴れた空を仰ぎ、ぐーんと背伸びをして独り言ちた。

「……オレは、その辺で昼寝でもするかなぁ」



 それから数時間後、村の入口にて――


「皆さん、ありがとうございました。会ったばかりのわたしに親切にしてくださって、貴重なお話をたくさん聞かせていただいて……。わたし、今日のことは一生忘れません……!」

 恭しく頭を下げるカレリアの周囲には、コニウムの村民が集まっていた。魔獣のことを知りたいという物珍しい人間に協力した人々が、彼女の見送りにやってきたのだ。

 そして、その中には二人の若い娘の姿もあった。

「大袈裟だね、カレリアは。またいつでも遊びに来てよね!」

「そうそう! アルテナも私も村のみんなも、全員大歓迎だよー!」

「なんだ、アルテナやミュルスとも仲良くなったんだな」

 アルドは、大勢に囲まれて恐縮するカレリアに微笑みかける。彼はここに集まった人々の表情を目にして、カレリアを連れてきたのは間違いではなかったのだと実感していた。

「ああ。俺は紹介しただけだが、すぐに打ち解けていたぞ」

 と、何故かギルドナが誇らしげに答える。彼が顎をしゃくると、カレリアも彼女自身の言葉で返答した。

「はい……。二人とも、すごくいい人です。優しいし、可愛いし、聡明だし……。こんなに気兼ねなく楽しいおしゃべりができたのは、生まれて初めてです……」

「そ、そっか……」

 アルドは(そういえば、未来には魔獣の話が通じる友達はいなかったって言ってたもんな)――と思い返しつつ、それを口に出すのは控えた。和やかな別れの場面に水を差すと思ったからだ。


 村民たちに見送られ、村を出た一行は合成鬼竜の元へと向かう。村民を代表して、アルテナとミュルスだけは途中までついてくることになった。

 道中、彼女たちはずっと親しげにカレリアに話しかけていた。

「ね、カレリア。今度はお祭りの時にでも来ればいいよ。伝統衣装を着て、みんなで踊ったりするの」

「お、お祭り、かぁ……。すごく、魅力的だね……」というカレリアの相槌に被せるように、ミュルスが手を叩いて飛び跳ねる。

「いいね! アルテナ、ナイスアイディア!」

「それは楽しそうだな。フィーネが聞いたら行きたがるだろうなぁ」

「もちろん誘うつもりだから、アルドも一緒に来てよ。前もって早めに連絡するから」

「わかった。楽しみにしとくよ」

「それとねそれとねー! 今日はできなかったけど、今度は一緒にお料理しようよ! 魔獣のレシピ、紹介しちゃうからー!」

「それもいいな。この村の料理、ちょっと変わった味付けだけどすごく美味しいんだ。カレリアは何も食べなかったのか?」

「……ううん。すごく美味しいお茶と、お菓子を……」

「ん……?」


 この時、アルドはようやくカレリアの異変に気が付いた。実のところ、村を離れてからずっとそうだったのだが、彼女はやけに暗い顔をしていた。

「フッ……。村の伝統を知るのも悪くはないが、コニウムだけを見て魔獣の全てを知ったつもりになられては困るな」

 カレリアの表情の変化に気付かないギルドナは、尊大な態度で話を続ける。

「例えば魔獣城だ。あそこには、華々しき魔獣文化の髄が集められている。今は少々荒れてしまっているが、俺たちがいかに高度な文明を有しているのか知ることができよう」

「魔獣城……。当然お名前は、存じ上げております……」

「ああそうだ、カレリアよ。魔獣城には魔獣の歴史を記した多くの書物がある。貴様には特別に見せてやってもいいぞ」

「兄さん、それはいい考えね。未来の人にも、正しい魔獣の姿を知ってもらうべきだと思うわ」

「うん! ぜひ見に行くといいよ!」と、アルテナとミュルスも喜々として続けたのだが――

「…………」

「あれ? カレリア?」

「ど、どうかしたの……?」


 カレリアは突然足を止める。やはり沈みきった面持ちのまま、無言で項垂れていた。

「おい貴様、何故黙っている? 何が気に入らないと言うのだ?」

「い、いえ。そうではなく……」

「む……? では、どういう……?」

「…………」

 ギルドナが回答を促してなお、しばらく彼女は口を結んでいた。アルテナもミュルスも、アルドやエイミたちも、顔を見合わせて首を傾げる。

 やがてカレリアは思い詰めた顔で、ぽつりと声を落とした。

「……わたしがこの時代に来るのは、今日限りにしておきます」

「えっ……?」

 意外な発言に、一瞬で緊張が広がる。無邪気に魔獣文化を満喫していたかに見えたカレリアだったが、決して何も考えていないわけではなかったようだ。

「わたしはこれでも科学者のはしくれですので……未来人であるわたしが時を超えるリスクについては、理解しているつもりです」

「そっか……ちゃんとわかってくれてたんだな」

「はい。私利私欲で時間旅行をするなんて、ダメなことだとわかっていたんですが……どうしても知的好奇心に勝てませんでした。今日を逃したら、一生チャンスはないって思ったら……」


 声を振り絞る少女の瞳に、涙が滲んでいく。それを見たアルテナは、急き立てられたかのように声を発した。

「私利私欲なんかじゃないよ。魔獣のことを知ってもらえるのは、私たちにとっても大事なことなんだから!」

「そうだぞ、カレリア。貴様は何も悪くない」

「……ありがとうございます。ですが、もし私が第三者の立場なら……やはり止めたと思います。時空を超える旅は、それだけ危険なことなんです……」

「そんな……」

 居た堪れない、重い沈黙。ギルドナがふっと息を吐いて、静かに再確認する。

「……決意は固いんだな?」

「……はい」

「カレリア……」

 もはやアルドにも口出しはできず、彼女の名前を呟くのが精一杯だった。言葉を失った彼らを見かねたように、遠巻きに様子を見ていたエイミとリィカが前に歩み出てきた。

「アルド。本人が一度きりって決めてたんなら、それでいいじゃない。彼女の言う通り、何度も何度も過去の情報を持ち帰ってたら、それこそ何か問題が出てくるかもしれないんだし……」

「科学者としての判断デスノデ、尊重すべき……デス」

 冷たい言い方のようだが、二人ともカレリアに敵意があったわけではない。むしろ、中途半端に引き留める方が彼女を苦しませるという配慮からだった。

「う、うん……。それは、そうだな……」


 アルドは、ちらりとカレリアに目を向ける。すると彼女は、思いがけず柔らかな微笑みを返してきた。

「皆さん……お気遣い、ありがとうございます。わたし、これでも今は、すごく晴れやかな気持ちなんです」

「晴れやか……?」

「はい……。今まで、魔獣の話をしたところで、誰も真剣に聞いてくれなかった。まるでわたしが夢ばかり見ていて、空想の出来事を話してるみたいな扱いだった……」

 一瞬唇を噛んで声が止まったが、彼女はすぐに顔を上げ、ギルドナやアルテナたちの方を見ながら続けた。

「でも違う。魔獣は実在したんです。みんな、生き生きと暮らしていた。本で読んだのよりずっと素敵で、美しくて……。頭の中で膨らませてきた想像より、本物は何倍も素晴らしくて……。それがわかっただけでもう、救われたような気持ちなんです」

「……そっか」

 嫌でも無理に作ったとわかる眩しい笑顔に、アルドは思わず目を背ける。彼だけではなく、皆がカレリアを直視できずにいた。

「実物を見たことで、鮮明に心に焼き付きました。何があっても一生忘れないと思います」

「……私も、カレリアのことは忘れないよ」

「私も! ずっとお友達だからね……!」

 弾かれたように動き出したアルテナとミュルスは、カレリアに抱きついた。二人の友達を抱き寄せながら、小さな魔獣研究者は涙を流していた。

「ありがとう、アルテナ、ミュルス……」


 穏やかな時間の流れる蛇骨島。少女たちの慟哭は高い空に響き渡りながら、緑薫るそよ風の中へと溶け込んでいった。

 長い沈黙を破ったのはサイラスだった。それまでひたすら黙って聞いていた彼は、唐突にこほんと空咳を落とした。

「さて、話は終わったでござるか? 長居をすれば、ますます名残惜しくなるでござろう」

「そうですね……。わたし、行きます。もう未練はありません」

「カレリア……さよなら」

「元気でね……!」

「うん……。二人とも、ありがとう……」

 未練がないとは到底見えない様子で、彼女たちは何度も手を握り合っていた。憚られながらも、アルドはおずおずと声をかける。

「あの、カレリア。じゃあ、そろそろ……」

「はい……。お手数ですが、最果ての島までお願いします」

「う、うん……」

 深々とお辞儀をする姿に、ますます胸が苦しくなった彼は先に歩き出した。エイミもリィカも、サイラスも同様だった。

 一人残ったギルドナが、見かねたように手を差し出す。

「カレリアよ、俺たちも行くぞ」

「……はい」


 それからしばらくして、アルテナとミュルスの姿が見えなくなった頃、カレリアは一度だけ立ち止まり、背後を振り返って小さく呟いた。

「さようなら、コニウム……。わたしの心の故郷……」

「…………」

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