パンダの親子と飼育員🐼

無月弟(無月蒼)

第1話

「わー、かわいいー」

「あはは、こっち見たー」


 子供達のはしゃいで、アタシに向かってカメラを構えているお父さんもいる。

 動物園は、今日も大盛況ね。


 高い壁に覆われた柵の中を、のんびり歩き回っているアタシは、パンダのアンアン。

 来てくれたお客さんを、喜ばせるのがアタシの仕事さ。

 よしよし、楽しんでくれている子達のために、いっちょサービスしてやろうかね。タイヤにしがみついて、ゴロゴロー、ゴロゴロー。


 あはは、みんな笑ってくれてるや。こんなのを見て、面白いのかねえ?

 まあいいか。お客さんが喜んでくれるなら、アタシも嬉しいよ。ほら、ゴロゴロー、ゴロゴロー。


 パシャ、パシャ!

 カメラのシャッターが切られて、可愛くポーズを取る。ふふふ、こうしていると、何だかアイドルになった気分だよ。

 まあ、もうアイドルって歳でもないけどね。子宝にも恵まれて、もうすっかりオバチャンさ。


 するとお客さんの一人が、楽しそうな声を上げた。


「あ、見て。あっちの子パンダ、アスレチックで遊んでる!」


 何だって!?

 驚いて後ろをふり返ると、そこには木で作られた遊具に登る、我が子達の姿があった。


「見て見てー。ボクこんなタカいトコロまでのぼれたよー」

「お兄ちゃんばっかりでズルいー。アタシもアタシもー」


 遊具の高い所にいるのが、お兄ちゃんのニンニン。ハシゴを登ろうとしているのが、妹のトウトウ。

 双子の兄妹で、アタシの大事な宝物よ。無邪気にはしゃぐその姿は、まさに天使……なんて言ってる場合じゃない。

 コラ、登っちゃダメでしょ。落っこちて本物の天使になっちゃったらどうするの!?


「あ、ママがキター!」

「ママもイッショにアソぼー!」


 人の気も……もといパンダの気なんて知らないで、キャッキャッキャッキャッと笑うニンニンとトウトウ。

 暢気なこと言ってないで、降りなさいって。


 急いで二人を遊具から下ろして、怒った顔してお説教タイム。


「いいかい。アンタ達はまだ小さいんだから、あんな所に登って、誤って落ちちゃったらどうするの?」

「ええー、ボクたちおちたりしないよー」

「なんどものぼってるけど、ヘイキだもん」

「「ねー!」」


 顔を見合わせて、声を揃えるニンニンとトウトウ。さすが双子、こういう時は息ピッタリね。


「それでもダーメ。ママはアンタ達くらいの時、梯子から足を滑らせて落ちちゃったことがあってね。とっても痛かったんだから。アンタ達には、そんな思いをさせたくないの」

「それって、ママがドジだっただけじゃないの?」

「アタシたち、おちたりしないもん」

「「ねー!」」


 ああ、もう。ああ言えばこう言うんだから。


「よーし、それじゃあ次はあっちの、木馬でアソぼー」

「あ、ズルーい。今日はアタシが先ー」


 言うや否や、キコキコと前後に揺れる、馬型の遊具に向かって駆けていく二人。

 まったく、ちっとも落ち着きが無いんだから。だけどそんなアタシ達に向かって、近づいてくる人影が。


「アンアンー、ニンニンー、トウトウー。ご飯の時間だよー!」


 あ、この声は。

 いつの間にかやって来ていたのは、両手に笹を抱えた、作業着姿の女の子。その姿を見るなり、ニンニンもトウトウも木馬に向かうのを止めてそっちに駆け出した。


「フウちゃんだフウちゃんだー!」

「アソぼアソぼー!」

「あらあら、ふたりとも相変わらず元気ねー」


 笑いながら双子の頭を撫でているこの子は、フウちゃん。アタシ達の飼育員をやっている女の子さ。


 ニンニンやトウトウが産まれる前からここで働いている、面倒見がよいとっても優しいフウちゃん。

 ふたりとも、小さい頃からお世話をしてくれているフウちゃんのことが大好き。もちろんアタシも、ね。


「こらこらアンタ達、あんまりくっついてたら、フウちゃんが迷惑しちゃうじゃない。それに今は遊ぶんじゃなくて、ご飯の時間でしょ」

「ヤダヤダ、もっとアソぶー!」

「フウちゃん、アソぼアソぼ」


 よじよじと足にしがみつきながら、遊ぼう遊ぼうって。フウちゃんには言葉は通じていないはずだけど、そこはさすがベテラン飼育員。声は聞こえなくても何が言いたいかは、バッチリ分かっている。


「ふたりとも、そんなに引っ張らないで。ふふふ、遊んでほしいのかなー? けど困ったなー。先にご飯を食べてくれないと、先輩に怒られちゃうのよねー」

「そうなの? それじゃあ食べる」

「食べる食べる。食べたあとで、イッショにアソぼう」

「「ねー!」」


 まったく。アタシの言うことは聞かないふたりだけど、フウちゃんの言うことだけは聞くんだから。

 ああ、何だか親としての自信を失くしちゃうよ。フウちゃんがいるなら、アタシなんていらないんじゃないかって、時々思っちゃうなあ。


「あれ、どうしたのアンアン? 元気の無い顔して。ほら、アンアンも食べて食べて」


 差し出された笹を、ガジリ。

 フウちゃんがくれた笹の葉は、特別美味しく思えるから不思議だよ。この子に懐いているのは、ニンニンやトウトウだけじゃない。アタシもフウちゃんが相手だと、つい心を絆されちゃうんだ。


「わあー、パンダさん達、ごはん食べてるー」

「あはは、可愛いー」


 興奮したお客さん達が大きな声を出して、やんちゃな男の子が、ガンガンと柵を蹴っ飛ばした。

 するととたんに、ニンニンとトウトウがビクッと震える。


 ああ、いけない。二人はあの柵に何かがぶつかった時の音が苦手なんだ。

 アタシは「大丈夫だよ。怖くないからね」とふたりを落ち着かせて、そしてフウちゃんはすかさず、お客さんの前に立つ。


「ごめんねー、柵を蹴っちゃうと、この子達がビックリしちゃうの。ちょっとだけ、静かにしてくれるかなー? パンダさん達がゴハンを食べるの、もっと見たいでしょー」

「あ、ごめんなさい」


 すぐさま柵を蹴るのを止める男の子。

 さすがフウちゃん。パンダだけでなく、男の子の心を掴むのも完璧ね。

 ニンニンもトウトウもホッとしたように食事を再開して、笹をムシャムシャ。フウちゃんには本当に、助けてもらってばかりね。


「おおーい、追加の笹持って来たぞー」

「あ、先輩。ありがとうございます」


 新しくやって来たのは、フウちゃんよりも歳上の、男性飼育員の山本さん。

 アタシ達パンダは、たくさんたくさん笹を食べるから、とても一人では全員分のゴハンを運べない。食事の用意だけでも一苦労だって言うのに、本当にみんな、いつもありがとう。


「どうだ、チビどもはちゃんと食べてるか?」

「はい。ニンニン、トウトウ、しっかり食べて大きくなるんだよ」

「ははは、いい食べっぷりだな。コイツら俺があげたって、こんなに美味しそうには食わねえってのに、やっぱりあげる人の差かなあ?」

「まあ、先輩よりは懐かれてるって思いますけど」

「おいおい、そこは『そんなこと無いです』って言うところだろう?」


 冗談を言い合って、笑い会うふたり。だけどふとフウちゃんが笑うのを止めて、どこか寂しげな顔をする。


「残念ですよ。この子達ともう、一緒にいられなくなるなんて」


 ……え?

 思わず耳を疑ったよ。フウちゃん、今なんて言ったの。一緒にいられなくなるって聞こえたんだけど?


「そう悲しそうな顔をするな。コイツらの面倒は、俺達がちゃんと見るから。あんまり元気がないと、旦那さんが心配するぞ」

「うん、ごめんなさいね。ちょっとセンチな気分になっちゃってた。こうなるってことは、結婚を決めた時から分かってたのにね」


 結婚……。そういえばフウちゃん、ちょっと前に結婚したんだっけ。

 作業の邪魔になるから、左手に指輪はないけれど、「アンアン、私とっても素敵な人と出会えたんだよー」って、幸せそうな顔をして言っていたのを、よーく覚えている。


 もしかして、寿退社ってやつ? 

 結婚してからもしばらくは働いていたけど、これからは専業主婦になっちゃうの? だからアタシ達とは、もう一緒にいられないの?


 ずっと仲良しだった、フウちゃんがいなくなるなんて。考えただけで、胸がざわざわしてくる。

 するとそんなアタシの様子に気づいたのか、フウちゃんがこっちを見てきた。


「おや、アンアンどうしたのかなー? 食べる手が止まってるぞー」


 いつものように、おどけたような口調で言ってくるフウちゃん。だけど何だかその声が、やけに遠くに聞こえる気がするよ。


「ママー、どうしたの?」

「ダメだよ、ちゃんとゴハン食べなくちゃ」


 さっきの話を聞いていないニンニンとトウトウが、のんきに笹をかじっている。

 あたしも気を取り直して笹にかぶりついたけど、味なんて全然わからない。


 そっか。フウちゃんとサヨナラしくちゃいけないのかあ。……寂しいなあ。

 この日は結局夜になっても、優しく頭を撫でてくれるフウちゃんの寂し気な笑顔が、頭から離れることはなかった。















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