僕は逆ダーツを始めた

 誰が想像しただろうか。僕と早川さんがペアを組み、『逆ダーツ』の選手になることを。

 僕たちは今、県大会の決勝ラウンドの真っ只中、ダーツマシンの右側に立ち、壁に固定されたダーツの矢を見つめている。必ず、必ずブルに刺すんだ。全国へ行くんだ。

 笛がなると、僕らは台車に乗せたダーツ台をゆっくりと押し始めた。あと10歩、5歩、4、3、2、1……。


 行け!


 踏み切り線から足が出ないよう注意しながら、手を離した。ダーツ台を乗せた台車は、程よい速度で5m先の壁に向けて走ってゆく。


 止まるな、届け、届け、届け……。


 プシュウン。


 願いが通じた。台車は見事に壁の手前数センチで止まり、ブルに刺さった音を立てた。力任せに台車を離して壁にぶつけると、ダーツは折れてしまい、得点にならない。また僕と早川さんのパワーバランスに差があると、左右どちらかにズレて、ブルから外れてしまう。それが『逆ダーツ・壁』の難しいところだ。

 僕らはそれから5m、10m、15m、20mに挑戦し、20回のアタックで8回のブルを叩き出した。まさに阿吽の呼吸。一気にランキング2位に躍り出た。そしてもうすぐ、『逆ダーツ・床』が始まる。

 早川さんの兄ちゃんは『自動販売機倒し』で鍛えぬいた肉体を使い、『個人・床』で全国制覇を果たした。そして今は逆ダーツ推薦で本場エジプトの大学に進学し、個人トレーナーをつけて練習している。もしかしたら次のオリンピックでは日本代表に選ばれるかもしれない。


 ダーツはイギリスで発祥し、19世紀末に今の形になった。一方で逆ダーツは、当時イギリスの植民地であったエジプトで、支配へのアンチテーゼとして生み出されたプロテスト・スポーツだ。スエズ運河を買収されたり、自国で好き勝手されて我慢できなかった民衆たちが、ダーツを楽しむイギリス兵をからかうために始めたらしい。

 始めは壁に固定したダーツの矢に、マトを投げる遊びだった。いわばそれは近代逆ダーツで、それが1980年代エレクトリックダーツマシンの発明を受けて、こんにちの『モダン逆ダーツ』へと繋がっている。


 僕が高一で逆ダーツ部に入ったとき、高三のキャプテンが早川・兄だった。総体で、床の矢にダーツマシンを突き刺す姿には心を奪われた。まさか変質者と思っていた人に憧れるなんて、夢にも思わなかった。

 それから彼に基礎を叩き込んでもらった。僕のような非力な選手もプレイできるのが逆ダーツの良いところで、そういう者はみなペアで挑んでいる。個人は力やセンスが問われるのに対し、ペアはバランスが求められる。男子ペア・女子ペア・男女ペアと組み合わせは自由で、カテゴリわけはない。ジェンダーレスなのも現代スポーツとして人気を得た理由だ。


 控え室へ行くと早川さんが肩をほぐしていた。

「痛いの?」

「少しね」

「痛み止めは?」

「少し打ってもらった」

「よし。今日が終われば楽になるから、頑張ろう」

 僕は早川さんが筋肉を伸ばすのを手伝った。しかし逞しくなったもんだ。高一の始めは華奢だった彼女の肩に、こんなに筋肉が付くなんて。

 早川さんは活躍する兄の姿を見て、高校生になったら誰かとペアを組んで逆ダーツをしようと決めていたらしい。そこでたまたま兄の奇声に出くわした僕に白羽の矢が立ったわけだ。もちろん学校で仲が良くなっていたのも理由ではあるとは思う。

 今となっては奇声を発する理由がわかる。台車を使わずに100kgを超えるダーツ台を動かさないといけない『逆ダーツ・床』では、何か言葉を発さないと、気合いが入らないからだ。


 僕らは互いにストレッチを手伝ったあと、最終決戦のフィールドへ向かった。

 笛が鳴る。5・4・3・2・1……。GO!

 よし、イメージトレーニングは完璧だ。

 僕はゆっくり目を開いた。前のペアは同率2位につけている北沢・北沢ペアだ。彼女らは双子で、息もパワーバランスもぴったり。全国への枠は二つしかないから、どうしても彼女たちに勝たないといけない。

 早川さんはダーツ台にもたれて、モチベーションをあげようと音楽を聞いていた。逆ダーツを始めたころ、相手のミスを願っていた僕と早川さんは、もうここにはいない。自分のやるべきことに集中するだけだ。


 北沢ペアは5回のアタックでブルを4回出した。驚異的な勝負強さだ。プレッシャーが魔物となって、重くのしかかる。

 5分の5。それ以外、全国への道は残されていない。

 尻に激痛が走ったのは、そのときだった。

 振り返ると、早川さんが笑いながら立っていた。彼女の両手は握られていて、人差し指だけが伸びていた。

 またカンチョーだ……。何を考えてんだ、こいつは。こんな大舞台で。しかも三年前とは違い、鍛え上げられた早川さんのカンチョーの威力は増していた。

 僕の緊張をほぐしてくれようとしたのは分かる。しかしその光景がモニターで映し出され、会場には驚きと笑いが同時に起こってしまった。

 彼女は自分のペースを乱されると怒るくせに、僕のは平気で乱してくる。それは中学の頃から、変質者に凸したあの春から変わらない。まあでも、おかげで今日もほぐれた。


 僕らは会場から今日イチの注目を浴びながら、ダーツ台の横にスタンバイした。

 そして、笛が鳴った。


 5・4・3・2・1……。


 カウントの間に、100kg超えのダーツマシンを少しだけ浮かせ、走り、5m先の踏み切り線まで移動させる。そして柔道のように上手く足を引っ掛け、ダーツマシンを、倒す!


 GO!


 持てるパワー・二人のバランス・テクニック全てを総動員した最高のアタックになったと思う。


 床には、飛び出しているダーツの矢。


 プシュウン。


 手応え通り、ブルに刺さった音がした。何度聞いても最高の音だ。もはやこの音を聞くために、3年間生きてきたと言っても過言ではない。早川さんも大きくガッツポーズをしていた。


 ◇


 GO!


 GO!


 GO!


 僕らはそれから3投、ブルに刺し続けた。正直、自己ベストだった。そんなこと脳ではわかっていたけれど、ふたりとも反応しなかった。それくらい集中していたのだ。

 物言いがついたのはその後だった。最後のアタック、ダーツマシンから手が離れるのが、五秒を少しオーバーしていたらしい。

 VTRチェックが入る。

 すると、早川さんの右手が少しマシンにかかっていた。おそらく連投の途中で、痛みが出てきたのだろう。

「ごめん」

「大丈夫、まだある!」

 僕は自分の肩を、床にうなだれた早川さん肩の下に差し込んで立たせた。


 その時だった。ピキと尻に痛みが走った。先ほどのカンチョーの箇所だ。悶絶するほどの激痛。これ、骨をやってんじゃないのか……?

 僕はなんとか耐えながらもダーツマシンに向かった。

 しかし人間の我慢にも限界がある。火事場のクソ力に期待したが、ダメだった。僕はラスト一投の5秒カウントの間、尻の痛みに我慢できずに地面に転げてしまった。ダーツマシンを持ち上げた時の負荷に耐えられなかったのだ。早川さんもバランスを崩し、ダーツマシンは明後日の方向へ向かって倒れていった。


「限界だったね、ふたりとも」

「ごめん、強がってた」

「ううん」

 僕はカンチョーのせいだとは思わなかった。プレッシャーに弱い僕、ほぐしてくれようとした彼女。無理しているのをわかっていても、早川さんを鼓舞した僕。痛み止めを使ってでも頑張ろうとした彼女。早川さんは僕にあまり弱みは見せないぶん、抱え込んでいたものがあるのだと思う。

 ペアやコンビというのは、プレイ以上に絶妙なパワーバランスの上に成り立っている。二人の強み、弱み、過去、未来すべてを包み込んで、戦わないといけない。そこには自分を信じること、そして相手を信頼することという人類の命題のようなものが横たわっている。 


 ◇


 僕らは結局、全国に行くことができた。優勝したのは北沢・北沢ペアだったが、ランキング1位だった長澤・中川ペアは床を苦手としていて、ブルに一度しか刺さらなかったのだ。

 僕は結果を見たあと、すぐにタクシーに乗せてもらい病院へ向かった。レントゲンを撮ると、尾てい骨が疲労骨折を起こしているとわかり、大部屋のベッドで横にさせられた。


 しばらくすると表彰式終わりの早川さんがメダルを持ってやって来た。僕らはエジプトのお兄さんにテレビ電話をつなぎ、結果を報告した。するとかなり喜んで、野太い声で何度も「おめでとう」と言ってくれた。

 場所がどこかわからなかったが、後ろには広い砂漠とラクダと、自動販売機が写っていた。おそらく僕には想像もつかないトレーニングをしているのだろう。最後にはサービスだといっていつもの奇声と、自動販売機を倒すところをもう一度見せてくれた。それを見て二人でクスクス笑った。


「あのとき、拓海くんに決めてよかった」

 早川さんは電話を切った瞬間、そう言った。

「まさか、一緒にメダルが獲れるなんてな」

「ヘナチョコ中学生だったのにね」

 彼女はベッドに深く腰掛け、カーテンを閉めた。

「でも、もう一つ、今日決めたことあるんだ」

「え、何を?」

「拓海くん、私と、その……」

 うわ。前と同じセリフだ。今度は何を言われるんだ。もう騙されないぞと、身構えた瞬間だった。早川さんはお兄さんの真似をして「キエエエエ」と奇声を上げ、僕の唇にキスをした。

 あまりに突然のことに戸惑った。カーテンの向こうの患者たちは、庭木の向こうにいたあの日の僕と同じ気持ちかもしれない。変質者が入院して来たぞ、と。

 好きのキスか、ありがとうのキスか、僕にはわからなかったけれど、心の中では『プシュウン』と、ブルの音が鳴っていた。

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あの春、変質者に出会い僕は逆ダーツをはじめた fabian @nishikiyu

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