10 ミジンコになりたい
「顧問の先生が、来るはずだった」
生徒会室にある自分の執務机――という名の百円の平べったい座布団に座り、俺はモモの言った言葉に首を捻った。
あ、勿論正座である。
主の言いつけ通り十秒以内に生徒会室に着かなかったんだから、当然だ。
因みに慣れているので、滅多なことでは足が痺れるということもない。
何故慣れているのかは、考えたら負けだから考えてはいけない。
「顧問なんていたっけか?」
そう聞くと、モモは人差し指を立てて、ちっちっちっ、と舌打ちしながら横に振る。
こんな仕草でも、モモがやると何かの作法のような美しい所作に見えるから不思議だ。
相変わらず美少女補正が仕事しすぎて怖え。
「いなかったの。だから、来るはずだった、なの」
俺は益々首を捻る。
「んじゃあ、来ないんだな」
「知らない」
んんんー? なんだかご機嫌ナナメだなぁー。
今日のモモはいつもにも増して難解だぞー。
俺は、首を反対側に捻った。
ぽきっ、と音がする。ちょっと痛かった。
「その顧問てのが来るはずだったけど、来ないかどうかモモは知らないんだな?」
「だからそう言ってるじゃない」
意味がわからん。禅問答かな、これ。
こんな不毛極まりない俺たちの会話は、唐突に開かれた扉によって強制終了させられた。
生徒会室の扉は厳重なセキュリティが施されており、簡単に開くことはない。
少なくとも俺は、モモと自分以外の誰かがこの扉を開けるのを、一年振りに見たと思う。
俺は驚いて、開いた扉を見る。
そこに立っている人物を見つけると、俺は更なる驚愕で声も出せず、思い切り目を見開いてしまっていた。
「なんだ。結局来たの、おっさん」
吐き捨てるようなモモのセリフに、おっさんと呼ばれた人物は大袈裟に肩を落としてみせた。
「ユカちゃあん! おっさんじゃなくて、パパって呼んでよぉ~!」
「パ……!!?」
目を見開きすぎて、白目を剥きそうだ。
パパ? なんですかそれ、最近の高校生の流行語ですか?
ちょっと何言ってるか高校生の友達のいない俺にはわかりません。
モモはといえば、なんかもう、これでもかというくらい無表情になっている。
周囲の鬼素は割とバラエティに富んだ色合いだから、無感情というわけではなさそうだが。
おっさん、じゃなかった。パパ……でもないか。
とにかくこの、なんだかよくわからない男は、にこにこと笑いながら室内に入ってきた。
「遅くなってごめん。今日から生徒会執行部の顧問を務めることになりました、
突然現れた人物の自己紹介は、あっさり俺のキャパを超えて黒目を遥か彼方へ押しやった。
その男は、確かに俺の知ってる浮居だった。
たった数週間だけど、俺たちは共に苦労したり、共に笑ったりした同い年の親友だった――筈だ。
俺が親友のことを見間違える筈がない。
顔や背格好は勿論、笑ったときに右目だけ固く瞑る癖も、ちょっと曲がった人差し指の爪も、全部俺の親友のものだ。
だけど俺は、スーツを着た浮居も、鬼学に関わる浮居も、教師の浮居も、モモのパパな浮居も知らない。
一体、どういうことなんだ……
なんて大袈裟に驚いたりもしてみたが、実際そこまで深刻になっているわけじゃない。
ちょっと冷静になって考えりゃ当たり前の話だ。
出来の悪いドラマでもあるまいし。
この教師浮居は、俺の親友浮居の親戚かなんかなのだろう。
よく似てるから、もしかしたら兄弟かもしれない。兄がいると言っていたし。
あ、でもだとしたら歳が離れすぎてるか。
親子ってことは……うーん、親友浮居がモモと兄妹だったらちょっと嫌だから、その線は外しておこう。
案外、単なる他人の空似という可能性もある。
それにしては、気持ち悪いぐらいよく似過ぎている気もする。
尤も、親友はここまで陽気で軽い奴ではなかったが。
ぱっと見で随分と若く見えるのも、親友と重ねてしまう原因の一つだろう。
最初は、本気で高校生かと思ったくらいだ。
よくよく見てみりゃ、確かにおっさんと呼ばれるくらいの年齢には見える。
かと思えば、やっぱり同年代としか思えなかったりもする。
角度によって見え方の変わるレンチキュラーみたいだ。
これが話に聞く美魔男ってやつなのだろうか。
教師浮居は今、モモの機嫌をとるのに必死の様子だから、落ち着いてから親友浮居との関係を後でちょっと聞いてみたい。
それはともかく、機嫌をとろうとすればするほどモモの機嫌が悪くなっていってるから、そろそろ止めればいいのに。
この人は、絶望的にモモの機嫌をとるのに向いてない。
お世辞を言いながら女子高生の肩を揉むとか、その辺は完全におっさん丸出しだから絶対止めた方がいいと思う。
「んもおおおおおおおおおお!」
案の定、我慢の限界を超えたモモが吠えた。
俺は心で教師浮居を励ましつつ、巻き込まれないように部屋の片隅で気配を消すことに腐心する。
「おっさんいい加減にして! そんなんだから、桃山一族はアンタのこと毛虫みたいに嫌ってるんじゃない」
おいおい大丈夫か。
ちょっとウザ絡みされたくらいで、それは言い過ぎなんじゃねえの?
「へーきへーき。ぼくも桃山一族のことだいっ嫌いだから。寧ろぼくの方が嫌ってるし」
おふ。言い過ぎでもなかったか。
さすが、悪魔の父親。
「だって、ぼくの大事な一人娘を奪っておきながら、結局ずっと苛めてた奴らなんて心っっっっ底どうでもいいよ」
えーと。
なーんか、これ、もしかして俺が聞いちゃダメなやつじゃねえか……?
よし、俺の気配よ。
もっと薄くなぁーれ!
「私だって、つい先週初めて会った父親のことなんて、割とどうでもいい。死んだママだって、アンタの話なんて一回もしなかったし」
うおお、やっぱ絶対俺が聞いちゃダメなやつだろこれ。
まだ見ぬ俺に隠された大いなる力よ、今こそ俺を透明人間にしてくれ!!
モモに睨まれた教師浮居は、困ったように苦笑いしていた。
「大人の勝手な都合で、ずっと寂しい思いをさせちゃってごめんね。言い訳にしか聞こえないかもしれないけれども、ずっとユカちゃんのことは心配してた。ぼくはね、特別な体質のユカちゃんにもいつか
教師浮居が、真剣な瞳でモモを見る。
モモは険のある眼差しは崩さないが、瞬きの回数が増えている。
「父親としては最低かもしれないけど、それでもぼくはユカちゃんの幸せだけをずっと考えてきたんだ。ぼくの鬼学知識は、ユカちゃんのためだけに使うと決めて今までずっと研究してきた。ぼくのこと、軽蔑してもいい。罵ってもいい。でもせめて、研究の成果だけは受け取ってくれないかな?」
教師浮居は、必死にモモへ想いを伝えていた。
離れていても、娘のために人生を捧げた男の熱い姿がそこにはあった。
父親としても研究者としても、十分素晴らしい。
こんな熱く素晴らしい人に「お宅の娘さん既に使役鬼がいますよー」なんて自己紹介する勇気は俺にはない。
あー、ミジンコになりたい……。
熱い想いに返すかのように、モモは徐に父親の手を取って、その真剣な眼差しを真っ直ぐに見返した。
そして、芸術作品の如き完璧な造形の顔を、朝露に濡れた蕾が歓喜に震えながら花開くように、美しく綻ばせた。
間違いなく感動の場面だ。
そう。
相手が、この悪魔でさえなければ。
「あのね、パパ」
薔薇色の艷やかな唇に、小さな小指がそっと触れる。
俺が顔面蒼白になるのを待たず、モモの小指が唇を軽く叩いた。
「始メマシテ、オ父様! 俺ハ、御主人様ノ忠実ナぺっとデス! アンタノ十年ノ研究ハ、全部無駄ニ終ワッタゼー! ヒャッフゥー」
残念ながら、透明人間にもミジンコにもなれる道はなく、二人の前からこっそり気配を消すこともできなかった俺は。
悪魔に逆らえず、人を小馬鹿にするようにかくかくと首を捻りながら、涙目になっていた。
【次回予告】 生徒会長の名前はシキ。副会長の名前はモモ。ごく普通の二人は、ごく普通に出会い、ごく普通の生徒会活動をしました。でも、ただ一つ違っていたのは、生徒会長は下僕くんだったのです。
予告は本編より楽しんで考えております。ご了承ください。
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