08 ストーキング行為ですか

 記憶を弄ることができると聞いたとき、俺は「うわ鬼学えげつねえ!」と思ったもんだ。

 正確には、鬼憶装置は記憶を消したり書き換えたりできるほど便利なものではないらしいのだが。


 人の記憶は案外いい加減なものだ。

 思い違いとか、思い込みとか、忘れたりとか、あまり信頼できるものじゃない。


 今日話をした人全員の顔は思い出せても、今日すれ違った人全員の顔は思い出せない。

 思い出すどころか、すれ違ったことを意識すらしていない人の方が圧倒的に多い。

 この意識すらしていない、という状態にするのが鬼憶装置なのだとか。


 鬼に関する記憶を、本人の無意識に沈め込む。

 するとそのうち、時間が経って本当に忘れてしまうのだそうだ。

 ただし、傷口を見て意識した途端に痛みが激しくなるように、何かのきっかけで思い出してしまうこともあるという。


 なんにしても、そんな映画の話みたいな装置を実在させてるってのが、鬼学のえげつないところだと思う。


 鬼学は単なる学問だから、別に誰であろうと学ぶことはできる。

 ただ、扱うのがヒトの感情――特に欲求であることや、精神的に弱かったり良からぬことを考えていると鬼に呑み込まれやすくなることなどから、鬼学を教える者は学ぶ者にそれなりの資質と資格を求めるらしい。


 鬼を従える術を学ぶ場合は、更に生まれ持った才能も必要だということだ。

 鬼学を学ぶというのは、それなりに狭き門のようだ。


 現在、鬼学の中でも特に人鬼に関することは、病と同じように考えられている。

 罹患すれば治療法がなく、ほぼ間違いなく死亡するような恐ろしい感染症であっても、感染経路や病態がわかっていれば、それを防いだり症状を緩和する方法はいくらでもある。

 実際そうして、昔は死の病と怖れられていても現在では殆どなくなっていった病というのは確かに存在する。


 同様に、鬼に寄生されたらヒトにはどうにもできないとしても、陰鬼素や蛋のない環境にする、ストレスを溜めないようにして蛋を毀す、使役鬼を遣って駆除するといった方法で人鬼を予防する対策がとれる。


 ならば、公衆衛生の知識を広く知らしめれば良いような気がするが、実のところ鬼素や蛋の存在が広く知られることで予防効率が上がるメリットよりも、犯罪に利用、悪用されたり、鬼学を学ぶに値しない者が鬼に呑まれて人鬼となるデメリットの方が多いという懸念も、鬼学者たちの間では長年議論されているそうだ。


 そのため、現段階では鬼に関する情報は一般には秘匿され、門外不出の知識として一部の者のみが知る学問となっている。


 観識学園とは、その一部の者が設立した鬼学者養成機関であり、鬼学の実験場でもある。

 また、精神が不安定で蛋に寄生されやすい、思春期の子供を守るための施設でもあるのだ。






 観識学園高等学校は、約四十年前に創設された私立学校である。

 高等学校創設から遅れること五年、同敷地に隣接する形で中学も併設された。


 普通科は、成績順にAからDの四つに分けられ、それぞれが更に五クラスずつ、一学年二十クラス編成となる。


 音楽や美術といったものに造詣の深い芸術科、スポーツに注力している体育科がそれぞれ五クラスずつ、何れも一クラス三十人前後、約千人が一つの学年に在籍している。


 更に、高校から特別技能科が加わる。

 これは、三学年合わせても十~二十人程度の、少数クラスだ。


 入学試験は、普通科は学力試験のみ。

 芸術科とスポーツ科はそれに学校長の推薦が必要とあり、特筆すべきことのない試験内容になっている。


 それに比べ、特別技能科は入学試験がない。

 完全に学園側からのスカウトのみである。

 選考基準も明かされておらず、入学しても全寮制で基本的に一般生徒との交流が禁じられているため、全てが謎に包まれている。


 しかし、大手企業の役員や財界などに特別技能科卒の人物が多数いるという事実があるため、例え普通科であったとしても観識学園卒業という肩書は一種のステータスとなっている。


 ネットで調べられる情報としては、だいたいそんなところだろうか。

 ネットで調べられない情報としては――特別技能科は鬼学を扱っている、というところだ。


 全国にいる鬼学の徒が、資質と才能のある子供を見つけ、その子が学園から資格があると判断されると特別技能科へ入学することができる。

 当然人数は少なく、現在の在籍生徒数は十三名。

 学年に関わらず、全員が一つの教室で好き勝手に学んでいる。

 と、実際の特別技術科生であるモモから聞いた。


 秘密にされてる鬼の情報を持っているため、鬼学を学び始めたばかりの学生は、うっかりにでも秘匿されている情報を外に漏らさぬよう、一般生徒と交流禁止となる。

 それどころか、特別技術科卒業生以外の親兄弟や友人とも、卒業するまで連絡することは許されていない。


 入学したら寮で生活することになり、許可がない限り学園に設定された特別区域からも出ることができない。

 ただ、何事にも例外というのはあるもので、生徒会執行役員だけは学園内のどの校舎、どの施設にも学園側の許可なく自由に立ち入ることができる。


 というのも、生徒会執行部の仕事は学園内の鬼を駆除することだからだ。


 掃除鬼で鬼素を集めて、学園内に溜まらないようにする。

 空気清浄鬼のフィルターを替えて、陰鬼素を明鬼素にする変換効率を下げないようにする。

 蛋知鬼の反応した場所に赴き、発生した蛋を取り除く。

 そんな地味な活動が生徒会の仕事だったりする。


 当然、生徒会執行部には特別技能科の生徒で、既に使役鬼と契約している者しか所属できない。

 そうでないと鬼素も視えず、仕事にならないからだ。


 素質のある生徒は三学年になると鬼と契約する実技を学ぶ機会があるので、そこで使役鬼を得ることが多いようだが、過去には鬼と契約できるような素質のある生徒がおらず、生徒会長以外の執行役員がいないという年度も何度かあったそうだ。


 そんな中で、俺は学園史上初、普通科在籍の生徒会執行役員ということになる。

 そこはまあ、俺自身が鬼なんだから不思議でもなんでもない。


 ただ、一般生徒からしたら、生徒会といえば選ばれし特別技能科生徒の中でも更に選ばれし、エリート中のエリートという認識がある。

 普段は秘密に包まれた特別区域の住人だが、唯一お近づきになれるかもしれない特別技術科生ということで、代々生徒会執行役員は一般区域の生徒、教職員、保護者などに人気が高い。


 実際、あの悪魔の代名詞ともいえるモモですら、一般区域にいると不躾に接触しようとしてくる輩が存在する。

 とはいえ、殆どは見て呉れ天使の外面に気後れして話し掛けることもできないようだから、モモに近付きたいと考えている人間は、俺が思うよりもかなり大勢いるのだろう。


 だから余計に、素行の悪い学園の鬼がどうして執行役員なのか不思議で仕方ない。

 というか、本当は執行役員ではないのではないか。

 実は生徒会の協力者なのでは。

 寧ろ、罰か何かで奉公させられているのだろう。

 きっとそうに違いない。


 そんな憶測と噂が飛び交い、結局俺は超美少女エリート生徒会長を守るため、暴力事件を起こした時の腕っぷしを買われ、退学と引き換えに一般区域でモモのボディーガードを引き受けている、生徒会の協力者ということになっているようだ。


 なんだその盛り盛りの特盛設定。

 尤も、これもモモから聞いた話だから、どこまで本当のことか知らないが。


 どうせ俺は友達どころか、クラスメートからも避けられてるし、そんな噂話すら聞いたことねえよ! ちきしょう!!


 それはともかく。

 第一学習棟にいた一年生の二人は、モモ以外で俺が約一年振りに関わった学園関係者だったりする。


 あのとき、彼女が自力で歩いて帰れて本当に良かった。

 後先考えず鬼の駆除をしてしまったけれど、あんな澱みの渦巻く場所から二人も台車に乗せて脱出するとか、無理ゲーもいいところだった。

 あの後、モモには散々あほう呼ばわりされたけれど。


 駅まで送って行く間、ずっと彼女がぼんやりしていたから少し心配だったけど、翌日も普通に登校する彼女を見かけてちょっと安心した。


 男の方は知らん。

 台車を返すついでに中庭に放置したけど、起きたら勝手に帰って行ったことだろう。

 あのくせぇ袋から顔だけでも出しておいてやった俺は、菩薩のようだと思うぞ。


 あれから、一週間。

 気になってちょいちょい彼女を目で探してしまっていたが、彼女の周りの鬼素の色が落ち着いてるから、だいぶ精神は安定しているんだろう。


 時折、ふと困ったような鬼素が漂うのを視かけるけど、すぐに消えてしまうようだし、今のところ問題なさそうだ。

 もし万が一また鬼に付け入られることがあったとしても、俺が何度でも角を折ってやればいいだけだ。


 男の方は知らん。

 とはいえ、男の方もまた寄生されたら駆除してやらなきゃならんのだろうなあ。

 アイツの脆弱な精神だと、きっかけがあればまたすぐ寄生されるんだろうけど……


 誰であっても、どんな事情があったとしても、この学園の生徒でいる限りは、生徒会長である俺が守るべき存在には違いない。

 俺にできることは少ないが、今のところヒトにできないことができるのは俺だけだし、前の生徒会長とも学園の安寧を約束してしまったから、まあ仕方がないな。






 誰もいない第一学習棟の窓から、下校する彼女を見送る。

 鞄に、少しボロっちいウサギの人形が付けられてるうちは、まあ大丈夫だろう。


「ほーう。ストーキング行為ですか」


 背後から聞こえた揶揄するようなモモの声に、俺はあからさまに不機嫌な顔を向ける。


「モモにストーキング行為を咎められるとは思わなかったな」


 嘗て俺のストーカーだった美少女は、態とらしく肩を竦めて窓の外を見た。

 そのまま、数人で連れ立って歩く彼女が駅の中へ消えて行くまで、俺たちは無言で同じ光景を見つめていた。


「おつかれ、シキ」


 窓の外を見たまま、珍しく優しい声音でモモが俺を労うから、不意に泣きそうになる。


「大丈夫。シキは、ちゃんと役に立ってるよ」


 何よりも俺が喜ぶ言葉を適確にくれるから、本当にこの悪魔は油断ならない。


 モモがいる限り、俺は一人じゃない。

 モモが俺を必要としている限り、俺はこの愛らしい主人の可愛い我儘くらい、何だって聞いてやろうという気になってしまうのだ。


 気が付けば、風は冷たくなってきている。

 俺たちがあの契約を交わしてから、もう一年が経とうとしていた。






【次回予告】元気でやってるか、親友? 俺は、大丈夫だから。


予告はフィクションです。実在する本編などとは一切関係がありません。

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