07 うわ、くっせ!

 第一学習棟を出ると、ちょっとした催し物や集会を行うためのメインホールがある。

 その間に、小さな中庭があるのだが、そこに差し掛かった時、突然俺の力が一気に抜けた。

 モモの術の範囲を抜けたのだろう。俺は無様に、べしゃっとその場に潰れてしまった。


「ぐえっ」


 ついでに、背負っていた奴の体重がもろにかかり、内臓まで潰れるかと思った。

 膝が笑っていたが、気力だけでなんとか立ち上がり、深呼吸をする。

 周囲を見回してみたが、誰もいないようだ。助かった。


 万が一、四つん這いで走る無様な姿を誰かに見られでもしたら、明日からどんなふうに噂されるかわかったもんじゃない。


「くっそ。コイツのせいで酷い目に遭いっぱなしだ。ここに放り出していってやろうか」


 俺は、憎しみを込めて地面に転がる男を睨む。

 ぶつぶつ文句を言ってみるが、勿論本心じゃない。ちょっと言ってみたかっただけだ。


 とはいえ、ここからはモモの力が当てにならない。

 純粋な俺自身の筋力と気力だけでコイツを運ばなけりゃならないんだが。

 さて、どうするか。


 ぐるりと周りを見渡すと、俺の日頃の行いが良さが証明された。

 中庭の花壇の横に、まるで使ってくださいとでもいうように大きな台車が置いてあるじゃないか。


「よし、これに乗せりゃいいな」


 近くまで台車を転がして来て、引き摺りながらもなんとか男をそこに乗せる。

 もうちょっとだ。もうちょっとで楽できるから、もうちょっとだけ頑張れ俺!


「よっしゃ! バッチリ! ……でもねえか」


 やっとの思いで男の弛緩した手足を無理矢理まるめて台車に乗せたのだが、どう見ても無理矢理乗せた感が半端ない。

 ただでさえ、引き摺ったせいで髪も制服も泥だらけになってる。

 そんな状態で人を運ぶ自分の姿を第三者目線で想像したら……。


 やっぱり明日からなんて噂されるか。考えたくもない。


 しかし天は俺に味方した!

 台車が置かれていた場所のすぐ近くに、でっかい袋が落ちていたのだ。

 それこそ、人ひとりに被せて隠せるくらいの大きさの袋が。しかもなんだか、妙に丈夫そうだ。


 俺は早速その袋を広げ、台車の上の荷物――もとい、男に被せようとした。


「うわ、くっせ! なんだこれ」


 袋を広げると、何ともいえない妙な悪臭が広がった。

白い袋には、緑で大きく『けいふん』と書かれている。なんの袋だこれ?


「ま、いっか。他にどうしようもねえし」


 ほんのちょっぴり、このくせぇ袋を被せられるコイツに同情したが、仕方ない。

 俺のために犠牲になってくれ。

 酷い目に遭わされた溜飲も下がるしな。


「で。どうするかというと、だ」


 モモに命令された時は、正直徹夜であの女子のことを探さなきゃいけねえだろうな、と覚悟していた。

 鬼の角の気配だけを頼りに、何処に住んでいる誰なのか、顔以外何も知らない人間を探すのはいくらなんでも無理がある。

 それでも徹夜であちこち走り回った挙句なんの収穫もなく、また明日は朝から校内で人探しをするはめになるだろうと絶望的な予測をしていたもんだったが。


「やっぱ、俺ってば日頃の行いが良いんだな」


 俺は、目の上に手を翳して遠くを見る仕草をしてみる。

 学園の外、ある一点から、薄昏い煙のようなものが渦巻いているのが、俺の目にはっきり視えた。


 とても――とても嫌な感じのするものだった。






 学園の外にこんな場所があるなんて、知らなかった。

 そもそも、学園の外に出る機会なんて今まで一度もなかったし、俺以外の学園関係者だって殆どはそうだろう。


 正門からは遠かったが、辿り着いてみれば裏門からはすぐ近くにあった。

 なのに俺が今まで全く存在を知らなかったというのも、ある意味ここの不気味さを物語っている。


 意識して視てみれば、それなりに遠くからでもこの場所の異様な雰囲気が感じ取れるくらい濃厚な鬼素が漂っているのに。


 俺は「なるほど」と、無意識のうちに唸るように呟いていた。


「ここはゴミ捨て場か。それとも、飼育場か?」


 どっちにしても、碌な場所じゃねえ。

 一見して、大きな公園のように見えるが、あちこちに陰鬼素が渦巻いて、澱んで、凝集している。

 明鬼素もあるにはあるが、様々な色の鬼素が混じり合い、昏く濁った色になっていた。


 これだけ陰鬼素が澱んでいる場所なのに、不思議と蛋は見当たらない。

 俺は、こういう場所に心当たりがあった。

 今の学園内そのものだ。


 学校なんて、十代のまだまともに自分を律することもできないガキ共が集まる場所だ。

 しかも、観識学園は規模が尋常じゃない。


 普段は俺が生徒会活動として掃除鬼で陰鬼素を集めたり、蛋を拾ったりして場を整えているけれど、基本的に学校ってのは街中よりよっぽど明も陰も鬼素に溢れて混沌としている場所なのだ。


 だから、学校って場所は事件が起きやすい。

 喧嘩だの、盗みだの、いじめだの。

 年齢が防波堤になって本人も周囲の人間も大事だと考えないが、もし同じことを社会的立場のある大人がやったら立派な事件になるようなことが、日々頻発している。


 この公園も学校と同じように――いや、学園内よりも酷く混沌としているが、それにも関わらず蛋がないということは、きっと俺のように誰かが蛋を回収しているのだ。

 勿論、蛋も普通ヒトには視えないが、蛋知鬼たんちきという鬼械があれば、視えなくとも蛋を探すことはできるし、蛋を拾う何らかの方法はあるのだろう。


 でなければ、こんなふうに一か所に鬼素を集めるなんて馬鹿な真似はしない筈だ。


 何にしても、これだけ濃密な陰鬼素が充満してたら、普通の感覚のヒトならなんとなく嫌な感じがして、近寄るどころか視界に入れることすらしたくない筈だ。

 こんな場所に好んで来るのは、鬼学の徒とかいう鬼を弄って遊ぶ変態どもか、欲望を喰らう者くらい。


「まあ、鬼……だろうなぁ」


 俺は、目の前の光景を見つめていた。

 何の感情も湧かない程、あまりにも無残な光景。

 肩につかないくらいの長さの髪を振り乱し、狂ったように甲高い声で笑った女の子が、泣きながらウサギの人形を殴ったり地面に叩きつけたりしている。そんな光景。


 嫌だ、苦しい、痛い、助けて、と叫びながら。


 彼女はまだ、ギリギリのところで理性を失っていない。

 あんなになりながらも、必死に抗っている。

 鬼に喰われることを、最後まで拒み続けている。


 鬼に寄生されたヒトが誰かに助けを求めることなんて、普通は有り得ない。

 そもそも、蛋は意外と脆いのだ。

 寄生されたところで、誰かとおしゃべりしたり、美味しいものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、そんなことで壊れてしまうくらいに脆い。


 理性を失うようなヒトは、最初から欲望に呑まれやすい性質を抱えていることが殆どだ。

 ヒトは、基本的に欲望に弱いが、理性があれば多少の自制は利く。

 そのストッパーが緩い者が、いとも簡単に欲に負けてあっさりと人鬼に堕ちる。


 だから、彼女のように行動まで鬼に支配されながら助けを求めるなんて、余程のことなのだ。


 俺は、ぎりりと奥歯を噛みしめる。


 そんな強い精神を持った人が、何故。

 どうして、こうなる前になんとかならなかったのか。

 親とか友達とか、いくらでもどうにでもなる機会はあっただろうに。


 俺は制服のポケットに触れ、自分の角の存在をゆっくりと確かめた。

 一つ、大きく息を吐く。

 前を向いて、覚悟を決める。

 彼女の姿を、しっかりと見つめる。


 彼女がどれだけ辛かろうと俺は知らない。俺には関係ない。

 目の前の無残な光景を見ても、俺に何かの感情が湧くこともない。


 俺は感情あるヒトではない。

 ただの、鬼なのだから。






 ウサギの人形に夢中になっている彼女に、静かに近付いていく。

 彼女の周りには、怒り、喜び、恨み、妬み、悲しみ、様々な色が漂っていた。

 彼女が放出する鬼素が滅茶苦茶に飛び回っているのがわかる。

 心の混乱が酷い。


 ウサギの人形の横に跪き、彼女を下から見上げた。

 しっかりと、目を合わせる。


≪止まれ≫


 俺は、彼女に命令した。

 上位の鬼に縛られて、下位の鬼が宿主の動きを止める。

 身体と、思考と、感情がちぐはぐになって、彼女はぼんやりと焦点の定まらない瞳で地面を見ていたが、何を思ったかそっと人形に手を伸ばそうとした。


 俺は命令するのではなく、その細い手を掴んで彼女を止めた。


「まだ、鬼が残ってる」


 彼女が真っ直ぐに俺を見た。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、不思議そうに俺を見返す。

 無意識に、また奥歯を噛みしめていた。

 違う。俺は何も感じない。

 彼女の境遇なんて知らない。


 ――俺はヒトではない。ただの鬼だ。


 自分にそう言い聞かせていると、彼女がはぽそりと呟いた。


「なんだ。ただの鬼か」


 俺は、ちょっとだけ微笑ってしまった。

 鬼に負けないように必死に戦っていた彼女が、俺のことをただの鬼だと言ったのだ。


 なんだか、少し彼女の強さを分けてもらったような気がして、やっと覚悟が決まった。


「さあ、鬼退治といこうか」


 ウサギの人形を拾い上げると、ポケットから自分の角を取り出した。

 まるで警告音のように、角が共鳴して煩わしい耳鳴りがする。


 彼女の角は、この人形だ。

 あの男の角を拾ってしまったばかりに、加速度的に孵化が早まってしまったのだろう。

 静かに、アンティークの工芸品のようなスケルトンキーを人形に突き立てる。


 その瞬間、フラッシュバックのように俺の脳裏に無数の光景が過って行った。

 瞼の裏がちかちかする。

 頭が痛い。

 耳鳴りがして、滲む涙が止まらない。

 彼女の感情と葛藤が、俺の精神とリンクする。


 正しくありたい、他者からの評価を裏切れない、気高くいたい――そう思う心と、そうできない現実に、少しずつ壊れていく彼女の心が視えた。


 擦り切れるまで我慢して、本心では助けを求めて、でもそれを誰にも言えなくて。

 苦しくて、苦しくて、苦しくて。

 彼女は、とうとう歪んでしまった。


 ふっ、と、嵐のように俺の精神を掻き乱していた風が止んだ。

 彼女の角が折れ、鬼が霧散したのだ。


 もうこれは、ただの穴の開いたウサギの人形だ。

 人鬼の角でもなんでもないし、彼女はもう鬼ではない。


 俺は、少し離れていたところに落ちていたスマホを拾い上げると、それにも自分の角を突き立てる。

 男の感情が俺の中に流れ込んでくるが、まあだいたい予想した通り。

 男の方はただのクズだ。

 人より有利な状況に立って、マウントをとりたいだけのマウンテンゴリラだ。


 スマホ死すべし慈悲はない。

 冷めた目を向けながら、真っ二つに割れたスマホを無慈悲な心で台車の上の袋に放り投げる。


 彼女のように、辛い思いを抱えたヒトは沢山いるだろう。

 俺のしていることは、少しでも彼女のようなヒトの役に立っているのだろうか……――いや、益体もないことを考えた。

 そんなことはどうでもいい。


 彼女の言う通り、俺はただの鬼だから。

 考えなくてもいい。

 俺はただ、主の命に従って自分の役目を果たすだけだ。


 耳元の通信鬼に触れて、モモを呼び出す。


「鬼憶装置、使うから」


「了解」


 一言だけで、すぐにモモは通信を切った。

 別にこんな通信入れる必要もないのだけれど、なんとなく今、モモの声が聞きたかった。


 何か言いたそうな顔で俺を見ている女の子に、大丈夫だと言ってあげたかった。

 その代わりに、小さな鬼械を取り出して彼女に見せる。

 スイッチを入れ、鬼に関する記憶を封じ込める、鬼憶装置きおくそうちを起動させた。






【次回予告】 最終章、永遠のお別れ……


予告はもしかしたらお気付きだったかもしれませんが本編とあまり関係がありません。ご了承ください。

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