04 友達いないもんねぇ

 意識のない人間は重い。

 普通、男一人を肩に担いで運ぶなんてできるわけがない。

 少なくとも、俺にはできない。

 でも俺は、その普通じゃないことを強制されている。


 もう、腕も肩も腰も膝も何もかもが限界だ。

 なのにまだ、渡り廊下の先にある筈の特別管理棟の扉は遥か彼方にある。

 さすがに掃除鬼は置いてきた。

 俺の渾身の『泣いて謝る』に悪魔が譲歩した結果だが。


「なあ、モモ」


「なに?」


 前を歩く悪魔に声をかけると、彼女は少し速度を落として俺の横に並んだ。

 小さな頤がつんと上を向き、大きな瞳がくりくり動いて、俺を見上げる。


 コイツは、俺にだけ自分のことを『モモ』と呼ばせ、俺のことは『シキ』と呼ぶ。

 特別な愛称で親密さを出している、などというわけではなく、俺たちの契約に必要なのだそうだ。


 見てくれだけとはいえ、極上の美少女に自分だけが呼べる名前がある、という点においては、俺だって優越感のようなものを感じないわけではない。

 特別な名前で呼ぶ、特別な関係であり、且つ対等な関係であるということが契約の条件なのだとか。

 実際は、対等どころか完全な主従関係だけどな。


 契約については、俺はよくわからない。

 鬼のことはともかく、鬼学とか鬼械とかに関して俺は完全な門外漢だ。


 前に一度モモにそう言ったら、心底呆れた顔で「シキはいつか、軽率によくわからない契約書に判を押して、あとで大変な目に遭いそうだね」と言われた。

 今現在進行形で、軽率に契約して大変な目に遭っているけどな。ちくしょう!


「コイツ、どこに連れて行くんだ?」


 肩に担いだ男子生徒を手でとんとん叩きながら、モモにそう聞く。


「生徒会室だよ。あそこなら、人目につかないし」


「人目につかないってだけなら、もうここでもいいんじゃねえの」


 俺がそう言うと、モモは少しだけ考えるように視線を斜めにずらした。

 俺たちが来た第一学習棟は一般区域だが、これから向かう特別管理棟は鬼学の領域である特別区域になる。

 当然、人の出入りは制限され、許可証――学園側から一般区域と特別区域を行き来する許可を得ているICチップ入りの学生証を翳さないと扉は開かない。


 今のところ、俺たち生徒会の執行委員以外は許可が下りていないから、ある意味この渡り廊下は誰の目にもつかない区域であるともいえる。

 そうはいっても、それ以上のセキュリティ対策で入室制限が厳重にされている生徒会室の方が、人目につかないと言われてしまえば、それまでなのだけれど。


「それもそうか」


 そう呟くと、モモは唇に小指を当てた。

 途端、俺の身体はバランスを崩して、重心のかかっている右側に傾ぐ。

 男子生徒は肩からずるりと落ち、俺もそのまま一緒に倒れ込んでしまった。


「いってええええな! 急に術を解くんじゃねえよ!」


「ごめーん」


 棒読みかよ。全然悪いと思ってないな、コイツ。

 まあ、なんにしても重労働から抜け出すことができた。

 俺はその場に座り込んだまま、痛めた肩と腕を少し動かす。膝はがくがくしていて、まだ立ち上がる自信がなかった。

 モモは、だらしなく床に倒れた男子生徒を見ている。


「ねえ、この子知ってる? 普通科の一年生みたいだけど」


 男性生徒の制服のネクタイを指差して、モモが言った。


 この学園には普通科、スポーツ科、芸術科、特別技術科の四つの専攻学科があり、それぞれネクタイのカラーが違う。

 更に、学年カラーのラインが入っているため、ネクタイを見ればコイツが普通科の一年生だということまでは判別できた。


 俺は普通科の二学年に所属しているが、モモは特別技術科二年の生徒だ。

 普通科は、一つの学年で二十クラスもあるのに対し、特別技術科は高校三学年合わせても、たった十人程度しか在籍していないと聞いている。

 だから、モモは気軽に聞いてきたんだろうが、当然俺はこんな奴見たこともなかった。


「さあ。それだけじゃなあ。普通科の一年生ったって、六百人くらいいるんだぞ。そもそも俺は学年も違うから、知るわけがねえだろ」


「あー……。そっか。シキ、友達いないもんねぇ。知ってる筈がないか」


 関係ねえだろ。俺だってクラスの奴なら顔くらいわかる。

 あと、本当のことを言うんじゃねえ。泣くぞ?


「うっ……どこの誰だか知らなくたって、鬼の駆除くらいできる。もうここでやるからな!」


 モモの、妙に生温かい視線が辛い。

 やめろくださいまじで。何か言われるより傷付くから。


「さてと。この鬼の『角』はどこかな」


 俺は、誤魔化すようにそう呟いた。





 

 鬼を駆除するには、その鬼の角を折る必要がある。

 角といっても、頭に生えてるアレではない。

 便宜上そう呼んでいるだけで、鬼がヒトに寄生するための憑代のようなものだ。

 そのヒトが、鬼に寄生されるきっかけになった欲望の象徴が角になる。


 わかりやすくいえば、食欲に対する人鬼ならば箸とかフォークあたりが角になることが多いだろう。

 そいつを壊せば鬼は駆除され、ヒトは理性を取り戻し人鬼から解放される。


 俺は、鬼に干渉することができる存在だから、一見ただの物にしか見えない角も簡単に探し出すことができる。

 じゃあ角となる物さえわかれば誰にでも折れるのかというと、そういうものでもない。

 そこらへんが、鬼に干渉できるのは鬼だけといわれる所以なのだが。

 鬼の角は、鬼の角をもってしか折ることができないのだ。


 見た目はただの私物でも、角となってしまった物は、例えヒトが刃物や重機で壊そうとしたところで、絶対に壊すことはできない。

 そうでなければ、単なる器物破損だ。

 逆に俺なら。どんな頑丈で巨大な物でも、角である限り折ることは可能だ。


 だが、鬼の存在を知らない一般の方々からしたら……やはり単なる器物破損にしか見えないのだろう。

 そんな理由で、できるだけ鬼の駆除は人目につかない場所でこっそりと実行したいのだ。

 

 俺は、制服のポケットから鍵――自分の角を取り出した。

 外見は、古い城や宝箱でも開けるようなスケルトンキーというやつだ。

 やたらと飾り彫りがされた金ぴかの鍵で、持ち手の部分には珊瑚の宝石みたいな朱い石が嵌め込まれている。全体的にキラキラした鍵だ。


 使役鬼の角は契約の証として主から受け渡される。

 欲望に呑まれた人鬼の持つ角と違い、憑代ではないのでヒトの目に映ることはない。

 何故モモが俺の角をこんな形状の鍵にしたのかはわからないが、この鍵はなんとなくモモっぽいな、と思う。


 と同時に、これを角として持つことで、俺はこれが鬼そのものであることを知る。

 俺以外の誰にも視えない自分の角を振るうたび、どうしようもなく自分がヒトではない者であることを受け容れざるを得ないのだ。


 鍵というよりは高級な工芸品のような自分の角を一度見つめてから、俺はそれを床に転がったままの男へ翳してみた。

 鬼は、鬼を視ることができる。同じように、鬼の角は他の鬼の角を感じることができる。

 角が近くにあれば、共鳴するのだ。


 だが、俺の手中にある鍵は、しんと黙したまま何も告げることがない。


「ん? ……んんんんん?」


「どうしたの?」


 首を傾げる俺を見て、モモが問い掛けた。


「おかしいな。角の気配がない」


「はぁ? シキの角、壊れちゃったの?」


「いやいやいや」


 モモには俺の角は視えていないから、適当にそんなことを言う。

 もしもこの工芸品のような角に罅一つでも入れば、俺が気付かないわけがない。

 それでも多少不安になった俺は、丁寧に自分の角を検分して、やはり問題がないことを確認した。


「壊れてはないと思う」


「じゃあこの子、どっかに角を置いてきてるんじゃないの?」


 それにも、俺は首を横に振る。


「考え難いな。欲望の象徴を宿主が手放したら欲望を喰らうのも難しくなるし、そもそも角は鬼の生命線だ。鬼の方が宿主を操って手放さないようにするだろ」


 俺の言葉を聞いて、モモは僅かに眉根を寄せた。


「もしかして、この子が意識を失ってからここまでの、どっかに落としてきたんじゃないの」


「あっ」


 俺は思わず声を上げた。

 そういや、さっき女子がコイツに襲われかけてた時、スマホ持ってなんか話してたわ。

 多分、アレがコイツの角だったんだ。そういや、あのスマホどこいった?


 鬼の痕跡は、絶対に残さない。

 例えゴミだと思われる物でも、鬼が暴れた現場にあるものは必ず回収するのが駆除の基本。

 なのに俺は、スマホの回収を怠った。

 これはとんでもない凡ミスだ。


「…………シ、キ、ぃ……………?」


 モモが、低い声でゆっくり俺を呼ぶ。ヤバイ。

 恐る恐る見上げると、目が笑っていないのに美少女スマイルを全開にしたモモが、圧倒的な威圧感を全身から放ちつつ俺を見下ろしていた。

 大悪魔様がお怒りだ。


「あ、いや、えと……」


 俺が弁明をしようと口を開くのと、モモが小指を唇に当てるのは同時だった。


「このクソ駄犬! !!」


 俺の身体は再び自由を奪われた。

 自分でもどう動いているのかわからないくらい器用に、四つん這いの姿勢で全力疾走していく。

 口からは、俺の意思を無視した屈辱的なセリフまでが垂れ流れていた。


「ワン! ワン!」






【次回予告】 今宵、幸運なアナタを秘密の園へご招待します


予告は予告なく変更されることがあります。ご了承ください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る