02 俺ハ優シイカラ

 右の肩に男性生徒を担ぎ、左手に大きな掃除機を持って悠然と歩く俺。

 力持ちなんだと思うだろう? 筋肉ムキムキなのかと思うだろう?

 そんなことは全く微塵もこれっぽっちもない。


 重くて腕はぷるぷる震えるし、心臓がばくばく動いて、荒い呼吸が繰り返される。

 かなり無茶な身体の使い方をされて、俺の全身が悲鳴を上げている。

 いっそこの荷物を投げ出してしまいたいけれど、そんなことは許されていない。


 俺に与えられた『命令』は、速やかに男子生徒を眠らせて回収することであって、それ以外の如何なる行動もできないように縛られているのだから。


 今時レトロな木造校舎の廊下を曲がると、この第一学習棟と特別管理棟とを繋ぐ渡り廊下に続く扉が見えた。

 古い映画館や劇場の入口にある防音扉のような重厚な扉。

 凡そ学校の校舎内には似つかわしくない。

 ここから先は、許可を得た者だけが通れる別世界だ。


「おつかれ、シキ」


 その扉の前には、悪魔がいた。

 悪魔は、俺に向かってふんわりと微笑むと、扉の横に設置されたセンサーに生徒証を翳す。

 ピッと無機質な機械音が鳴り、扉のロックがかちりと外れる音がした。


 悪魔が重厚な扉を押し開く。

 見た目に反して扉は軽やかに音もなく開き、薄暗い第一学習棟へ仄かな光が差し込んだ。

 扉の前で佇む悪魔を追い越し、俺は別世界の入口へと足を踏み入れる。


 いつものことだが、この扉をくぐる瞬間のひやりとした異様な感覚には慣れることがない。

 俺が扉の内側に入ると、悪魔は扉を閉め、ととっと小走りで俺の隣に並んだ。


 扉がしっかり閉まっていることを確認し、俺はじとっと半目になって悪魔を見る。


「なに?」


 俺の肩に届くか届かないかくらいの位置にある悪魔の小さな頭が、こてんと傾いだ。

 肩の下あたりで切り揃えられた艶のある黒髪が揺れて、なんだかキラキラしてる。

 大きな瞳は潤んでいて、瞬きの度に長い睫毛が小さく震えるし、ぷくっとした血色の良い唇も、小さな鼻筋も、上等な陶器みたいな白い肌も、細く長い首も、しなやかな指も、薄桃色の爪も、全部がこの悪魔のために完璧に計算されつくされ存在している。


 きっと、美少女という単語はコイツのために生まれたんだろう。

 マンガかゲームのキャラかよ。怖ぇ。

 

 俺は喉の奥でぐっと溜息を飲み込んで、代わりに不満の言葉を漏らした。


「すげえ重てぇんだけど」


「だから?」


 うん、まあ、予想通りだけどな。

 だけど俺だって、偶には文句の一つだって言いたいときがある。


「せめて、掃除鬼そうじきだけでも持ってやろうって優しさはないのか」


「優しさ?」


 悪魔は両手を口の前に当て、目を見開いて大袈裟に驚いたようなポーズをとった。


「鬼を見つけたのに怖くて捕まえられないから、って通信鬼つうしんきで呼び出されて、わざわざ自分の仕事を中断してここまで駆けつけてあげて、自分より大きなヘタレ男の仕事を手伝ってあげた私に、優しさ?」


 俺は、ゆっくりと視線を明後日の方向へと彷徨わせた。


「そっか、私は優しくないもんね。きっともう二度と、誰かさんが助けを求めても手伝ってあげたりしないんだろうな。そしたら誰かさんは、震える手で、ヘタレて、涙目になりながら鬼と戦うはめになるのかな」


 ななめ四十五度。俯いて、寂しげに微笑む。

 わざとらしく演技じみていても、美少女が目の前でそんな顔をしていれば、流石に罪悪感がある。


 というよりも、彼女の言っていることにぐうの音も出ないだけなのだが。


「う、いや、それは、まぁ……」


 俺は言い淀むが、それを遮るように悪魔は小さく手を上げた。


「私と違って、シキは優しいもんね」


 にこり、と美少女が笑う。――いや、俺の目にはニヤリと悪魔が嗤ったように見えた。

 悪魔が唇に小指をあてがい、小さく叩く。


「ウン、ソウ。俺ハ優シイカラ、女ノ子ニ重イモノハ持タセナイヨ! 力仕事ハ、俺ニ任セテ!」


 俺の口と舌が、俺の意思に反して滑らかに動いた。

 片手で掃除鬼を肩の上まで持ち上げ、ついでとばかりに男子生徒も腕の力だけで肩から持ち上げる。


 ぐああぁぁっ! 重てぇぇぇぇぇぇぇぇ!

 肩が! 腕が! ぢぎれ゛る゛ぅ!!


 俺の身体は、何ひとつ俺の自由にならずに、俺の身体を打ちのめす。

 ぎしぎしと悲鳴を上げる俺の骨も、関節も、筋肉も無視して、俺の表情筋は目尻を下げて口角を上げた笑顔の形をキープしていた。


「わあ! シキは力持ちなんだねぇ。そのまま、生徒会室まで運べるよね?」


 ニヤニヤ嗤いながら悪魔が嬉しそうにそう言うので、俺は、ぎりりと噛みしめた奥歯の隙間から、渾身の一言を放った。


「ご め ん な さ い !!」




 *****




 自分で言うのもなんだが、この学園で俺のことを知らない奴はいないだろう。

 主に、悪い意味で。


 生徒だろうが教職員だろうが、俺が歩けば道を開け、目が合えば瞬時に逸らす。

 なんだか、自分が凶暴な野生動物にでもなった気分だ。


 どちらかといえば品行方正で大人しい生徒が殆どの観識学園において、ド派手な金髪の俺はそりゃあ目立つだろう。

 別にそんなつもりはないのだが、元々目付きが悪いために、目が合うと睨まれているように感じてしまうのも、まあ仕方ないことかもしれない。


 ただ、俺に大した力はない。

 筋力も体力も平均的な男子高校生並か、やや劣るくらいだ。

 運動も苦手な部類で、今までに武芸の類を嗜んだ経験もない。

 因みに言えば、魔法だとか超能力だとかの不思議な力も持っていない。


 一年前のあの事件で一躍学園の有名人になった俺だが、それまでは品行方正で目立たず大人しい、平均平凡な量産型男子高校生でしかなかった。

 そもそも、噂の発端になった事件だって、正当防衛みたいなもんだった。

 どちらかといえば俺は被害者だ。俺は悪くない。

 多分、ちょっとしか。


 それが、あれよあれよと噂に尾鰭はひれがついて、今では目が合えば誰彼かまわず投げ飛ばしたり捻り潰すような外道だということになっているらしい。


 さすがにちょっと傷付くわ。


 とにかく、俺は平和主義者だ。

 理由あってこんなナリしちゃいるが、喧嘩なんてとんでもない。

 口げんかすらまともにしたことはねえし、自分が誰かを傷付けるなんて考えただけで震えてしまう。

 自慢にもならねえが、虫一匹殺すのだって蚊がギリ限界のチキン野郎なんだぜ!


 じゃあなんだってそんな噂が流れているのかと言えば、それもこれも偏にこの悪魔のせいに他ならない。

 この美少女の皮を被った悪魔――桃山とうやま有翔理ゆかりのせいなのだ。


 悪魔との出会いは、まぁ、うん……。

 悪い思い出ではないが、決して良い思い出でもない。

 取り敢えず、一年生だった昨年の夏に出会った、とだけ言っておく。


 とにかくこの女は、出会った時からメチャクチャだった。

 何故か目をつけられた俺は、ストーカーを通り越して、怨霊にでも取り憑かれたように四六時中コイツに付き纏われた。

 その挙句、世にも恐ろしい契約を結ぶはめになったのだ。


 俺の身体の自由を奪い、意のままに操る――まさに、悪魔の契約だ。


 あの時俺は、守りたいものを守るために、力が足りなかった。

 平和主義者だって、戦うことはある。

 けど、戦う手段を持たなかった俺は、コイツに頼るしかなかった。

 コイツも自分の目的のために、俺の存在が必要だった。

 だから、俺たちは契約を交わした。


 俺たちは、契約上のパートナーだ。

 お互いの利のために、お互いを利用している対等な関係だ。


 俺の目的は、学園内でヒトに害を与える『鬼』を駆除すること。

 そのために、俺は彼女から力を借りているだけなのだ。






 鬼は、割とどこにでもいる。

 廊下や教室の片隅に、天井に、誰かの心の中に。

 静かに澱み、凝集し、じっとその時を待っている。


 ヒトの心に巣食い、寄生虫のように宿主であるヒトの欲望を喰らう。

 鬼に喰われ、いつまで経っても満たされない欲望を抱えた宿主は、自分でも気付かないうちに感情をドス黒く染めていく。


 感情が濁ったヒトはやがて理性を失くし、際限なく湧き出る欲望を満たすためだけに、周囲の人間を巻き込みながら犯罪や自殺を犯すようになる。

 だから、そうになる前に鬼は駆除しなきゃならない。


 その昔、鬼の存在に気付いたヒトは、鬼を駆除するための道具を開発した。

 その一つが、俺が左手に持つ掃除鬼だ。


 難しい原理は知らねえが、鬼を加工して作ったもので、鬼を吸い寄せて纏めるための道具らしい。

 俺の右耳に装着されているイヤーカフも、離れた所にある対のイヤーカフに言葉を届けることができる通信鬼という道具だ。


 こういった道具を鬼械きかいというそうだ。


 ヒトに鬼は視えない。触れることもできない。

 鬼に干渉できるのは、鬼だけ。

 これは絶対に揺るがない不文律だという。


 俺には、秘密があった。

 物心ついたころから、ヒトには視えちゃならねえモンが視えるという秘密だ。


 どんなヒトでも、表面上の態度や表情とは別に、自分しか知らない感情を持っている。

 俺は、その感情を目で視ることができた。

 ヒトから溢れ出た感情は、放っておくと澱んで固まり、いずれ良くないモノを生み出す。


 他の誰の目にも視えずとも、俺にはそれが視えていた。

 それが鬼と呼ばれるものだと知ったのも、一年前のあの事件の後だった。

 子どもの頃は、自分の視ているモノが他人に視えないとは知らず、随分と余計なトラブルを招き入れたりもしたもんだ。


 トラブルを起こし、ヒトの輪に混ざることを諦めた異分子の俺を拾って、鬼について教えてくれたのがこの学園の生徒会執行部だった。

 その上、俺に有害な鬼の駆除という、ヒトの役に立つ役目まで与えてくれた。

 だから俺は、恩ある生徒会のために日々学園の鬼を狩る役目を担っている。


 鬼を駆除する手段は、何も鬼械だけに限らない。

 長い時間の中で、ヒトは鬼を縛り鬼同士を戦わせて駆除するという術を見出した。


 鬼を自在に操って絶対服従を強いる代わりに、ヒトは鬼に自分の欲を喰らわせるという契約を交わす。

 契約で縛られた鬼は使役鬼しえきと呼ばれ、主の命令を聞いて他の鬼を駆除する。


 俺とあの悪魔が交わした契約は、そういうものだ。


 鬼は、ヒトには視ることもできない。触ることもできない。

 干渉できるのは、同じ鬼だけ。


 つまり、そう。

 俺はヒトではなかった。――鬼、だったんだ。






【次回予告】 うがい、てあらい、げんきなこ


予告は予告なく変更されることがあります。ご了承ください。

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