第24話 10月24日
十月二十四日金曜日。
文化祭準備前日は午前中授業と相成り、クラス文化祭実行委員である、信吾と言ノ葉はクラスの中心に立ち指示を出している。
クラスの半分がクラブ活動での出し物に追われ、教室には居らず。
残りの半分の生徒で切り盛りしている二人は八重の方へは目もくれず、来る生徒来る生徒に見取り図の様な物を見せながら、自分達も絶え間なく動きつづけているところを見るに、クラス準備に余裕がないのだろう事は予想がつく。
八重も八重で、他のクラスメイトの和に入り明日の文化祭に向けて着々と準備を進めて行く。
「八重くん、手空いたら用務員室に行って養生テープ貰ってきてもらっていいかな?予備がもう無くなりそうだから」
クラス内予備として残っている最後の一本の封がその女子生徒の手ずから切られ、各作業エリアでも不足分が見て取れる。
今すぐに必要とまで言わないが、このままであればいずれ足りなくなるのは目に見えて明らかだ。
「了解した、今から行って来よう」
八重の着手している作業は特段急ぐものでもない。それに、単純作業に少し窮屈を感じていたところだ、丁度いい気分転換がてら歩くのも悪くない。
用務員室へ向かう為に教室を出れば、廊下は文化祭前日という非日常に当てられた生徒の活気に溢れた声が各教室から零れて来ている。
元の世界で、八重はどんな気持ちでこの廊下を歩いていただろうか?
何時か見た景色と風景が色を伴って歩く八重の真横を通り過ぎていくのを、あの頃と全く違う心持ちで眺めて見れば、騒がしいの一言で片づけるには勿体ないのかもしれない。
「おう!八重!何処行くんだ?」
後ろから呼ばれ振り返れば、何時も異常に快活な瞳に、校則ギリギリの髪色をした信吾が立っていた。
「俺は用務員室に養生テープを取りに行く途中だが、信吾こそどうしたんだ?クラスでの指示出しはいいのか?」
「いや、八重が急に教室から出て行ったから、ちょっと気になって……それに、指示出しは硯に任せておけば大丈夫だろ?アイツあれで以外とクラス内で人望あるし」
信吾はそう言うと、八重と歩調を合わせ肌寒い廊下を二人並んで歩き始める。
「それで?今日はどうしたんだ?」
尋ねた八重の質問に、信吾の肩がビクリと震えた。
「それも未来で知ってるからか?」
「そうだな、俺が養生を取りに行くのは決定事項だ。あの女子生徒から俺に養生を取りに行く様に頼まれる。だが俺の知るこの場で俺は一人だった。信吾がこの場に付いて来る事は俺の知る過去とズレているであれば、信吾は何か用事があって俺に付いて来たんじゃないのか?」
この世界に来てから、癖になっていたのかもしれない。
そんな八重の問いかけに、信吾は酷く寂しそうに笑って見せた。
「何故そんな顔をしている?」
「何故って……本当に分かってないみたいだし。お前は本当、大人になってからの方が手が掛かって仕方ねえな」
誤魔化す様に笑ってみせる信吾の考えている事が分からない。
いや、何時だって分からなかった。
分かっている様で居て、理解しきる事など出来ていなかったのかもしれない。
「そうかもしれないな。俺はお前が居なければ結局は何も出来ないんだからな」
「なんだよ?八重、急に弱気じゃんか」
「そうか?……まぁ確かに、よくよく考えてみれば、俺は弱気になっているのかもしれないが……だがそういう信吾は、何だか吹っ切れた様子だな?何かあったのか?」
「何もないよ。まぁ、何もないから困ってんだけどさ」
達観した様な信吾の横顔に、見慣れない大人の影を垣間見えた気がした。
「それは京子の事か?」
「それもある……でも、それだけじゃねえな」
「……そうか」
それ以上は何を言う必要もないだろう。
信吾は何かの一区切りを付けたのだろう。
それを青春と呼ぶ物なのか、はたまた別名の何かなのかは定かではないが、大手を振って喜べる代物でない事だけは確かだろう。
「だが、お前は本当にそれでいいのか?」
「いいもなにも、俺が決める事じゃねえし。それに八重の事の方が、今の俺にとっては重要だしさ」
「馬鹿を言うな。信吾は信吾のやりたい事をやりたい様にすればいい。俺の頼みはそれらが全て終わった後に聞いてくれさえすればいいんだ」
「馬鹿言ってんのは八重の方だろう?俺が今やりたい事はお前の手助けなんだよ。だからお前が困ってたら助けんのは俺の自由なんじゃねえの?」
見返りを求めず、関係のみを辿って手助けをしてくれる彼は何よりも嬉しく、そして頼もしく思うが、無類とも呼べる信吾の献身は八重にとって恐ろしくも思えてしまう。
「済まない……いや、ありがとう。俺は結局お前にしか頼めない」
「任せろよ、何の心配もいらねえさ」
言葉を交わしながら歩き続けていれば、いつの間にか別棟にある用務員室の前まで辿り着いていた。
信吾が先だって中に入り、用務員室常在のおじさんから養生テープを受け取れば、後は教室に帰るだけだ。
「失礼しました」と一言退室の断りを入れ、ビニール袋に入った養生テープの山を抱えながら本校舎に戻ろうとした時、八重のポケットに入っていた携帯のバイブレーションが振動を伝えて来た。
メールの差出人は『荒木京子』の名前が表示され、八重は本分を表示する。
『暇なら飲み物買って来てもらっていいかい?』
メールを寄越した京子は、クラス準備には参加せず、別棟四階屋上踊り場で絵を書き続けている。
多分だが、踊り場の窓から八重と信吾が別棟へ入って行くのが見えたのだろう。
「信吾、お使いが増えた。京子が暇なら飲み物を届けてくれとの事だ」
「暇じゃないと言っとけばいいじゃねえの?だいたい、自分の飲みもんぐらい自分で買うもんだろ?」
「まぁ、そうなんだろうが……俺はどうも京子には甘くなってしまうな」
八重は自販機の前で立ち止まり、前回言ノ葉が買って来ていたレモンティーを購入し、自分の分の緑茶も事のついでに購入する。
「それにだ。俺はきっと京子に期待しているんだろう。京子は自分の力だけで未来を変えてみせる唯一の人間だ」
「それは違うんじゃねえの?俺としては八重が気付いてねえならそれでも良いかもしれねえけどさ。多分荒木は今の八重の言葉に賛成してくれねえと思うけどな」
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよ。俺は変わったよ。それは八重が変えたし、もちろん他の人からの影響もあって変わったのは確かだし、でもそれって他の人から影響を受けたから変われたんだろ?俺なんて特にそうだったしさ。だから荒木の絵が八重知る絵から変化したとしたら、それは誰かの影響を受けて変化したんじゃねえの?」
信吾しては精一杯の後押しだった。
今や、『荒木京子』の気持ちを知る一人として、信吾に出来る事は多くない。
むしろ、心情が邪魔をしてやりたくない事の方が多いだろう。
キョトンとした八重の表情に拳の一つでもお見舞いしたい衝動に駆られるが、信吾はその感情を何時か仕舞った想いの隙間に押し込める。
「八重なんじゃねえの?荒木を変えたのってさ……」
この想いは諦めた。
もうこの相手に敵わないと、この想いは叶わないと思い知らされた。
ただ、諦めたとしても一年という想いを募らせた月日と決別出来る程、信吾は大人にはなりきれていなかった。
「八重さ、ちゃんと受け止めろよ。可能性を否定すんなよ。そりゃ否定しちまえば一番簡単なのかもしれねえけどさ、俺との約束覚えてるだろ?」
信吾の口から出た約束という言葉。
それは八重が信吾を頼った事と引き換えに、信吾が八重に求めた物でもある。
「分かっている。だが信吾は本当にいいのか?」
「コレでいいって事にしてるんだからさ、これでいいんだよ」
躊躇いも後悔もないない、幸せな日々を求めては見えないか壁に阻まれて、ただ見え上げるだけに終わる宙ぶらりんな結末の中で、掴めない物に縋り付いてなお、諦める為に手放す時間は涙を流した以上の苦痛だっただろう。
「そうか、なら一緒に天才の様子を見に行くとしよう」
「……八重って俺には以外とスパルタだよな、もうちょい優しくしてくれてもいいんだぜ?」
「信吾であれば付いて来られると信じているからな。それに男に優しくする趣味は俺にはない。それとも信吾は男に優しくされたいのか?」
自販機前から八重が歩き出し、信吾がその後を付いて行く。
「本当、八重は一回誰か異性と一回ぐらいは付き合った方が良いぜ?いや、マジでさ」
「検討しておこう……そう言えば、異性と付き合う話題で思い出したが、少し前、駒沢教諭からその手の相談を受けたんだが、信吾は何か詳しい事を聞いているか?」
八重は数日前教室移動中に駒沢教諭に捕まったことを思い出していた。
「あぁ、コマ先に彼女が出来たどうのってのろけ話だろ?コマ先バスケ部顧問だからバスケ部内じゃ結構有名な話だぜ」
「そうか、駒沢教諭は部活内では、どんな惚気話をしているんだ?」
「そうだなぁ、強いて言うなら彼女自慢じゃねえかな?なんつうか、清楚で可愛くて恥ずかしがり屋らしいって話は、バスケ部なら週に一回は聞かされるしよ、最近は関係が上手くいってるのか特にひでえな」
「それは……バスケ部は災難だな」
「まぁ鬱陶しいのは間違いねえけどさ。でも、幸せならいいんじゃねえの?コマ先見るからにモテなさそうだしさ。多分こういう事に慣れてねえんだよ。それに、好きな人と一緒になれたら浮かれるの仕方ねえんじゃねえの?」
「確かにな。幸せを感じてしまえば、浮かれる以外にすべき事が見つからないのかもしれないな。後は何を求めれば良いのか、知識や経験すら幸せを求める一つの過程に過ぎないんだろう。そして幸せを求める上では最も簡単で、最も難しい方法が想い人と共に時間を過ごして行くことなのかもしれない。そして、その点で言えば駒沢教諭は尊敬に値する人間だろう」
そう、駒沢教諭は想い人と添い遂げる為の努力をして、今人に惚気てしまう程に幸せを感じているというころだ。
「八重よう……俺はお前が言った事の一つも理解出来なかっただんけど、つまりどいうことなんだ?」
「つまり、好きな人と結ばれるという事が実は何より簡単で、反面何より難しいという事だ」
「うわ、聞かなきゃ良かったぜ」
「だろうな……」
今の信吾にとっては、最も聞きたくない言葉だっただろう。
「だがな、幸せを求める事ばかりに固執すれば、知らず知らずの内に知らぬ誰かを不幸にする。三百六十度自分自身を見つめ返す事はどうしたって自分一人では出来ない。だから一度自分を見つめ返す為にはどうしたって友人が必要になる。だから俺を見ていてくれる信吾は俺にとって掛け替えのない友人なんだ」
「そういうこっぱずかしい事を面と向かって言うなよ……」
「そうか?言いたい事は言える時に言っておくべきだ。信吾も、誰かに言いたい事があるなら、結果がどうなるにしろ伝えた方が良い」
「それで相手が困ってもかよ?」
「それで相手が困ってもだ」
誰に、など明確に伝えるまでもなく明らかな問いかけに、信吾は苦虫を噛み潰した様な渋面を作り、八重は対照的に笑っていた。
「お前って本当、今も昔も変な奴だよな」
「残念だがそれは、紛れもない見解の相違というものだ」
友人のよしみでも笑えない、信吾の引き攣った笑みが、八重の払底したジョークの才覚をハッキリと浮き彫りにしていた。
それから、八重は疲労困憊をそのまま人間に宿した京子に飲み物を届け、信吾と共に教室へと向かい歩いていると、八重たちが後にした教室から大きな喧騒が廊下まで響いて来ていた。
この喧騒を八重は知らない。知らないが、何故この喧騒が起こっているのかを八重は知っていた。
「信吾、、後をよろしく頼む」
「俺は納得してねえよ。でも、八重が決めたならしょうがねえから協力してやるよ」
一つ呼吸をおき、鉄製の冷えた扉の引き戸に手を掛け、八重は一気に教室の扉を開くと、一瞬にして教室に静寂が訪れる。
何故教室が騒がしいのかを知っていた。
そして、何故この教室の視線が八重に集まっているのかを八重自身は知っていた。
「どうしたんだ?なにやら教室が騒がしいが、何かあったのか?」
白々しくも八重がそんな言葉を呟いてみせると、言ノ葉は顔を真っ赤に染め上げて一枚の紙を八重の目の前に突き付けた。
「ちょっと!八重くん!これあなたが書いたの?」
それは紛れもない、ラブレターである。そして差し出し人の名前は『大見八重』のそして、肝心の宛先は『硯言ノ葉』へ書かれた、ラブレターだ。
「これは何処にあったんだ?」
「教室の床に落ちてたって……って!そんな事どうでもいいのよ!これは八重くんが書いたのかって聞いてるの!」
そう、八重の言ノ葉へ宛てたラブレターは剥き出しの紙の状態で、誰にでも見える様クラスの隅に落としておいたのだ。
丁度備品を取りに来た噂好きな生徒に発見される位置に……
クラスの好奇心は上乗の盛り上がりを見せている。
等の言ノ葉も混乱を露わに全員の前で真実の追究をしてしまう程には気が動転しているのだろう。
最早、この状況は八重が答えをハッキリさせない限りは収拾が付かない。
クラスメイトは半分程しかいないが、部活所属でないクラス生徒が集まっていれば十分だ。
八重が求めた舞台は整った。後はその舞台に即した役を八重が演じきればいい。
「そうか……そうだな。最も簡潔に言うのであれば、それは俺の直筆で間違いない。誰かが巫山戯て書いた悪戯や罰ゲームの類いでもない、正真正銘俺が書いた手紙だ」
クラスのざわめきは最高潮に達し、他クラスからの見物客も来ている次第だ。
「その手紙が見つかってしまったのなら、もう隠す必要もない。直接言わせて貰おう……」
八重は周辺を視線だけで余す所なく見渡しながら、クラスに足りない人間が居ないかを確認していく。
ザッと見渡しつつ、廊下の向こうにクラス担任の駒沢教諭が何の騒ぎだと人垣を抜けてクラスに入ろうとしてきた瞬間、八重は最後の言葉を言ノ葉にぶつけた。
「お前の事が好きだ。俺と付き合ってくれ」
瞬間静寂が教室内を支配した。
八重と言ノ葉以外の時間が止まっていた。
駒沢教諭は騒ぎを鎮める為に人垣を抜けようと悪戦苦闘しているが、身体の大きな信吾が駒沢教諭の行く手を阻み時間を稼いでくれている。
この数秒が全てだ。
止められる前に決着を付ける。
京子と信吾は今日八重が言ノ葉へ告白するとこと知っていたが、言ノ葉にはこの事を黙っていた。
この告白は決してサプライズでも、二人の関係の発展を望むものでもない。
特別であるのは八重と言ノ葉ではなく、その他大勢から二人が特別だと見られる事にこそ意味がある。
「言ノ葉、告白の返事を聞かせてくれ」
状況を支配するのに特別な才能はいらない。持続させることには才能が要るが、束の間であれば数瞬の特別を醸し出す手段さえあれば、誰であろうと出来る芸当である。
だが、才能のない人間が手段を手に入れる為に必要な犠牲は少なくないのも確かだった。
八重を知る人間であれば、こんな強攻策はらしくないと映るだろう。
だからこそ、何度も繰り返し何でも知っている『硯言ノ葉』は乱暴とも思える八重の行動に特異性を見出していた。
「……なら私も一つだけ聞かせて。八重くんのこれは八重くんにとって意味のある事なの?」
此処までの強攻策を打たざるを得なかった八重が何かを焦っている事は、言ノ葉には容易に想像が付く。
だからこそ、今この時此処で言ノ葉が返事を返すを八重が望んでいる事も何かしらの意味がある行為である事も分かる。
だからこそ、尋ねる必要がある。
「八重くんにとって、これは必要なことなのかしら?」
「必要だ。俺にとってもお前にとってもな」
決して愛の言葉ではない色気もロマンもない荒々しい言い草だが、言ノ葉に取ってこれ以上ない心地の良い言葉だったのは間違いない。
だからきっと、この時『硯言ノ葉』は浮かれていた。
熱に魘されていたと言っても過言ではない。
間違いに気付かぬ程に、この状況に酔いしれていた。
だから、間違いに気が付く事もなく、八重の言葉に嬉しくも頷いてしまった。
「いいわ、八重くんに付き合ってあげる」
刹那、クラス中が大歓声に包まれ、取り返しの付かない時間は過ぎていく。
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