第15話 10月14日


十月十四日火曜日

昼休み別棟四階の美術部室に集まって、八重は堂々とその箱の蓋を開ける。

チラリと、中身が視界に入り、言ノ葉は信じられない者を見たともう一度見返して、そこにはやはり信じられない物が収まっていた。

「ねえ八重くん、それなに?」

初めて、言ノ葉は弁当箱に入っている物が分からなかった。

食物か?

或は何か宗教的な儀式の道具か?

そのそも食べ物なのか?

何か分からない怪しいそれを、言ノ葉はマジマジと見つめていた。

「俺は昨日気付いた。俺には料理が出来ないと」

「ああ、そうなの、それで……それはなんなの?」

「見ての通り、炊き込み御飯だ」

「炊き込み……御飯……?まぁ良いわ、内容は後で詳しく聞く事にする。まず最初に聞きたいのだけど、まさか今日も二段入ってるの?」

「流石にいい洞察力だ。昨日の反省を活かし、俺は考えた。おかず兼飯であるなら弁当としての機能を十全に果たしていると言える。加えて言うなら見て楽しむ彩りもある。さあ、みてみろこの素晴らしい料理の出来映えを」

息を荒くし少し興奮気味に見せて来る八重の弁当箱を、恐る恐る京子と信吾が覗き込む。

「炊き込みご飯に……コレは、キャベツ……かい?なんというか、発想が斬新だねえ」

「……おいおい、何で桃が一緒に入ってるんだよ?狂ったのか?」

「知らないのか?長野県の名産品に釜飯というものがある。そしてその釜飯には杏が入っていると聞いた事がある」

「聞いた事があるからなに?……そもそも、杏は釜飯と一緒に炊き上げてないんじゃないかしら……って!まさか、コレ!桃も一緒に炊き込んだんじゃないでしょうね!」

「まさに、その通りだ。一度の手間で全てを同時に終わらせるにはこれしか方法がなかった。だが見た目は中々の出来だと思わないか?」

「反省も生かすどころか殺しきって、全ての食材を同時に終わらせているようにしかみえないんだけど?八重くん昨日、人の話……というか私の話聞いていたのかしら?」

「聞いていたに決まっている、お前は一体何を言ってるんだ?」

「八重くんこそ、なんで胸を張って今の言葉を言い張れるのよ!?昨日の反省を生かしてそんな料理を出すなら、赤面して自分の不器用を恥ずかしがって然るべきじゃないかしら!」

「見解の相違だな」

「何でもかんでも見解の相違じゃないわよ!今日持って来た八重くんの弁当は、私から言わせれば食べ物ですらない!昨日の白米の方が遥かにマシだとすら思えるわ!」

「……そちらの弁当と、そう変わらないだろう。俺の弁当は栄養も考えられた最もベストな状態だ」

「そう変わらないって……全然違うわよ!いい加減なこと言ってると箸でその目玉くり抜くわよ!ほら!よく見なさい!その弁当箱の中身と、私のお弁当を一緒にしないで!」

そう言って言ノ葉自分の弁当と八重の弁当を並べて見せれば八重はマジマジと見比べ……

「先日の卵焼きは確かに美味かった。言ノ葉と俺の間に埋まらない料理の腕前があるのは認めよう。だが考えてみてくれ、彩り、栄養、そして何より弁当に向かう熱量はほぼ同じと言える。ならこの弁当はお前のそれとなんら遜色無い。つまり、勝敗としてみた場合は引き分けと言わざるを得ない」

「どれだけ譲歩しても引き分けにはならないわよ!勝てる要素が一つもないのによくまあ、ぬけぬけと言えたわね!」

カンカンに熱せられたヤカンの様に、二人の熱は最高潮に到達する勢いだ。

主に言ノ葉が今にも八重に掴み掛かりそうである。

「言ノ葉ちゃん、ちょっと冷静になってみないかい?」

「八重も、落ち着けって、お前が頑張ったのは分かったから」

二人が双方の間に割って入り、落ち着く様に促すが、何方も腑に落ちないと弁当箱を突き出した。

「言ノ葉と俺の弁当、何方が上か白黒付けるべきだ。それで全ての真実が白日のものとなる」

「ハッ!いいじゃない!あなたに、トラウマの四文字を深々と刻み付けてやるわ!そしてこの勝負が終わった暁にはあなたは私にこう言うのよ!『言ノ葉さんどうかお願いです。不器用な私に料理をご教授願いませんでしょうか』てね!」

「料理とは心でするものだ、誰かに教えてもらうものではない」

「料理を教えて貰わないで、全員どうやって料理を覚えるのよ!というか世間にはお料理教室があるでしょうに!」

「魂を売り払う用な行為だ、そんな教室に通うなど俄には信じられないな」

「昨日今日料理を始めたあなたがよく言うわねえ!」

「お前より八年は長く生きているからな、当然だ」

二人は仲裁されているにも関わらず、落ち着くどころか、間に入ってる二人を挟んで言い争いを初めてしまう始末だった。

「その辺にするさね、八重くんも一度冷静になるんだよ」

「そうだぞ八重、お前なら分かるだろ?男なら勝ちを譲る事だって重要だぜ?」

だが二人が声を掛ける事によって、今度は二人へと喧嘩の火花は飛び火していく。

「京子はどっちの味方なのよ!ほら見て!こんなの一目瞭然じゃない!どっちのお弁当を食べたいかここらでハッキリ言って見せて!」

その意見には賛成なのか、八重も言ノ葉の意見に頷いて見せる。

「そうだな、見た目だけでは分からない。ハッキリとさせるなら食べてみる事も重要だ。双方を食べ比べ勝敗を決めるべきだろう」

改めて突き出された二つの弁当箱の勝敗は誰の目から見ても明らかだった。

だが言葉が欲しいと、弁当を突き出した二人の視線は、互いに寄せられそれぞれが答えを求めていた。

「……太田くん、今こそ男らしさを見せるときだねえ」

「いやいや!ちょっと、それはずりぃよ……」

信吾は何方を説得しようかと言ノ葉と八重を見て、睨みつける言ノ葉からの視線を避ける様に、八重に視線だけで語りかけるが八重も一歩も引く気はないと首を横に振った。

「なぁ八重?無駄な足掻きはやめた方がいいじゃねえか?もう少し料理のレベルを上げてから挑戦しても遅くねえって」

「いや、駄目だな。今でなければいけない。それに俺の弁当が負けると決まっている訳ではない」

「今じゃなきゃって、またどうしたんだよ?八重らしくねえよ。なんか今日のお前ちょっと強引だぜ?」

「強引か?確かにそうかもしれないな。だが人など何時何処で居なくなるとも分からない。であるなら多少強引でも結果を求めなければ生きている楽しみがないだろう?それに俺の弁当はまだ負けると決まっていない、幾ら無様であろうと、勝負の場に出る事を恐れては、何も得る事ができない」

さぁ食えと言わんばかりに、八重はまた一段と自らの弁当箱を突き出した。

「いや、だってお前のそれは、勝負になる以前の……」

信吾がそれを言いきる前に京子が信吾の前に出た。

「話は聞かせてもらったよ!いやなに、八重くんのその心意気は見事さね。だが八重くんは甘いと言わざるを得ないねえ。まさかこの私を倒さないで言ノ葉ちゃんとの弁当の勝負舞台に立てると、まさか思ってはいないだろうねえ?」

相手を呷る様に京子が八重の弁当の前に自分の弁当を近づけた。

「受けて立とう、丁度良い肩ならしだ。俺の弁当の前に立ちはだかる全てを倒し、俺は弁当の頂点を極める。当然京子、お前も俺に敗れた者として、出来るだけ小さく折り畳んで、記憶の弁当箱の片隅に詰めてやろう」

「詰められるのはどっちか、すぐ明らかになるさね」

二人で盛り上がり始めた八重と京子の傍らで、言い合いの熱から冷め始めた言ノ葉が弁当を食べ始めるのを見て、信吾が言ノ葉の傍らに腰を下ろす。

「いいのかよ、あの二人の事止めなくて」

「いいのよ、京子は加減が分かってるし、多分私みたいに言い合いにならないわ。それに言ってなかったけど私の料理の基礎は京子から教わったんだもの。あのお弁当で八重くんが京子に勝てる可能性は万に一つもない。というか私のにも勝てる訳がないわよ。まぁでも、八重くんがあそこまでムキになるなんて、ちょっと意外だったけどね」

「まぁ、確かに……」

「でも、もっと意外なのは……」

それ以上は口にせず、言ノ葉はその人物を見つめる

『硯 言ノ葉』と『荒木 京子』は幼馴染みである。

家同士も近くそれ故に共にした時間も互いの思い出が大半を占めるが、言ノ葉が今まで見た事のある京子の姿のどれをとっても今の彼女の彼女を見つける事は出来ない。

今初めて見せる心底楽しげに笑う彼女の姿を、言ノ葉が邪魔するのは野暮にすら思えてしまう。

色々な物を塗りつぶし、作り物を愛する京子らしからぬ表情に、言ノ葉は心底安堵していたが、それが一番長い付き合いの言ノ葉に向けられていない事に少なくない嫉妬の様な感情を覚えたのも確かだ。

「太田くん、相手は強敵よ。アレを倒そうと思ってるなら心して掛かりなさい」

「そんなの、言われなくても分かってるっつうの……」

信吾が苦々しく呟いた言葉を聞いて、クスリと笑う。

「何で笑うんだよ」

「なんでもないわ、ただ時間から抜け出せなかった時を思い出しただけ」

悪意がある訳でなく、それでも悩みというには言ノ葉は抱いた事のない苦悩の形だった。

時間から抜け出せない事と、信吾のように好きな人にアプローチが出来ない事。

何方も重さを比べるべくもなく重要なのだと言ノ葉は思う。

「まぁ、頑張ってみたらいいじゃないかしら?」

「他人事みたいにいうじゃんかよ……」

「だって何処まで行っても私にとっては他人事だもの。私には太田くんの悩みが分からないし、別に知りたいも思わないわ」

「ひっでえなぁ〜クラス一の人気者とは思えないぜ」

「それって『一度目』の私の事でしょう?私が何度時間をやり直したと思ってるのよ、とっくの昔に、そんな毒にも薬にもならない称号は捨てて来たわ」

一枚も二枚も上手だと妖艶な笑みを見せる言ノ葉に、信吾は少しだけ背筋を震え上がらせたのだった。

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