第14話 10月10日〜10月13日

十月十日。

金曜日の放課後と言うのは何時にも増して生徒の活気が透けて見える時間帯である。

それは八重のクラスメイトも例外ではなく、ホームルームが終わった瞬間から何かから解放された彼ら彼女らは各々の目的を持ちながら、教室を後にしてく。

「八重くん、ちょっとこの後時間いいかしら?」

帰り支度を整えていた八重の前に現れたのは、艶やかな黒髪を棚引かせた硯言ノ葉である。

「問題はない、俺に何か用か?」

「いいから何も言わずちょっと来て」

人がまばらにたむろする教室で呼び出されれば、クラス内に居る人の視線は当然二人に注がれた。

注目を集める中ホームルーム終わりすぐでごった返す廊下を抜け、人混みの進みと逆方向へと二人は早足で歩いていく。

本校舎三階教室から、二階、そして一階に降りてそのまま校舎を出て別棟の裏手へと抜ければそこには季節外れに咲いた桜の木があるばかりで、人影の一つもありはしなかった。

「八重くんあなた、太田くんから話を聞いたわよね?」

このタイミング、この口調から隠し事は意味が無いだろう。

「信吾は京子が好きだという話なら、昨日聞いたな、それがどうかしたのか?」

「あなたがどうするつもりか聞いてもいいかしら?」

「わざわざ、こんな所へ連れて来たのはそれを聞くためなのか?なら大袈裟すぎて逆に京子に気付かれてしまう可能性がある」

「それは無いわ、だって京子は……って!今はその話じゃなくて!八重くんはその話を聞いてどうするつもりかって聞いてるの!話を逸らさないでくれない?」

「京子は信吾の事を憎からず思っている筈だ。ならその通りに事を運べばいい」

「だから!それは無いって言ってるでしょう!ああもう!面倒くさいわね!」

何故怒ってるのか、八重には皆目見当が付かないが、あまりいい状況とは言えない事だけは分かる。

「人の気持ちなど季節よりも移ろい易い。春が好きな桜が秋に花をつけることもある。全ての事柄に絶対などという事はないだろう?だが、たとえ絶対がないとしても、今は低い信吾の確率を上げてやる事できる」

「それはどういう意味かしら?八重くんが二人に首を突っ込むつもりかどうか私は聞いてるつもりなんだけど?」

スッと瞳を細めた言ノ葉の視線と八重の視線が打つかった。

掴み掛かって来てもおかしくない苛立ちが籠った視線だ。

「さぁな、あの二人と関わる事自体が首を突っ込むと言っているのなら、俺も言ノ葉も、今現在首を突っ込んでいることになるんじゃないのか?」

「そういう事を聞いてるんじゃない事ぐらい分かってるわよね?」

「お前の言葉は具体性が欠けている。それではお前の望む答えを俺が言う事はない」

「私が求める具体的な答えを、八重くんが知ってる様な口ぶりね?」

「信吾にも言ったが、俺は予言者じゃない。言ノ葉の行動と言動と気性の荒さを加味した上で推測する事が出来るぐらいだ」

「私の気性を荒くしてくれてるのは未来から来た、どちらさんだって自覚はあるのかしら?」

「さぁ、お前の交友関係に関して詳しい訳ではないから、心当たりはないな。俺と同じ境遇の人間が、俺と言ノ葉以外にも居るなら是非紹介してくれ」

「八重くんみたいな人が私の友人に何人もいるわけないでしょ?ねえ、好い加減ふざけないでくれない?」

「ふざけているつもりはないんだが、癇に障ったなら謝罪しよう」

「そういう言い方がふざけてるって言ってるの、理解できないかしら?」

「自分の非を認めて謝れるのは美徳だと思っていたのだが、どうやらそう感じない人間もいるらしい」

「八重くんって遠回しな言い方しかできないわけ?」

「そういうお前は攻撃的な言い方しか出来ないのか?」

会話の応酬は、息つく暇無く行われたが、八重の言葉を最後に言ノ葉が八重を睨みつけた。コレでは話が進まないと思った八重は慎重に言葉を選び、口を動かした。

「腹の探り合いの無駄は省こう、何故お前は最初から怒っている?まずそこを説明すべきだ。でなければお前が引き出したいと思う情報を俺から引き出す事は出来ない」

八重をクラスで呼びつけた言ノ葉は最初から、何か感情を押し殺していた。

「それは、言えない……約束だから……」

「そうか」

なら此処で話す事はない、交換できないなら八重に提示出来る答えなど無い。

八重は早々に言ノ葉の横を通り過ぎようとして、ブレザーの裾を掴まれた。

「お前は人のブレザーを平気で掴むが、もし破れてしまったら弁償しなければいけない親御さんが悲しむぞ」

「早々破けないわよ。それから私まだ行っていいなんて言ってないわ」

「言ノ葉は言えないという約束なんじゃないのか?言ったら約束を破る事になってしまうぞ」

「約束は破らないわ、でも八重くんに忠告しておく。余計な事はしないで」

「先から言っているが、お前の言葉は具体性が欠けている。余計な事とは具体的に何を指している?それが分からなければ手の打ち様がないだろう」

言ノ葉の言葉は、ずっと大切な主語が抜け落ちている。

これでは、一体何対して気を配るべきなのかは分からないままだ。

「ああ!もう!じれったいわね!二人の事よ!説明しなくても分かるでしょ!京子と太田くんに関して、貴方は関わらないで!」

大方の予想はついていた、つまり信吾は八重ともう一人、言ノ葉にも相談をしていたのだろう。

つまり、信吾は言ノ葉からの協力を取り付けたということだ。

「将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ。信吾にしてはなかなか、いい考えだ。お前からの援助を受けられるのなら、信吾も心強いな」

「私、大田くんは助けないわよ。相談を受けたから、事情を知ってるだけ」

「……ならば、尚更理解に苦しむな。お前は信吾を助けないのだろう?なら、言ノ葉の方こそこの件から見れば部外者なんじゃないのか?」

助けないとは、つまりどいうことか?

敵対するのか

それとも無関心を貫くのか

立場がハッキリとしない言ノ葉の立場は八重にとって、奇妙に映る。

「そうもいかないわ。私が他に肩入れしている人が居るの。その人の不利益になると困るのよ。それに恋路は結局当人達の問題よ。私達が引っ掻き回せばそれこそおかしなことになりかねないわ」

それはつまり、他の人間から話を聞き、信吾の事情を知ってしまった以上、中立と保つという事だろう。

なら八重としてもこれ以上遠回しな言い方をする必要はない。

「ふむ、一理あるな。だがそうなると、俺は友達が居なくなってしまう。俺はこれから誰と食事を共にすればいい?」

「私が居るわ、それで満足してくれない?」

「……分かった。一先ずはそれで納得しておこう。だがその前に一つだけ質問に答えてくれ。何故そこまでお前は必死になっている?誰かに脅されているのか?」

本気で心配する八重の表情をみて、言ノ葉は溜まっていた怒りも忘れて思わず吹き出してしまった。

「なにそれ!八重くん、そんな本気で心配しないでよ、それにそんな心配は要らないわよ、私が誰かの脅しに屈する女にみえる?」

「世界は広いからな、運が悪いと後ろから見ず知らずの男に刺される事もある。それこそ言ノ葉は身に染みて分かっているんじゃないのか?」

痛い所を突かれたと、言ノ葉は視線を逸らす他無い。

だが八重は殊更に、安堵した様に僅かな笑みを浮かべる。

「お前達が危険に巻き込まれていないのなら、別にいい。それで?俺はあの二人と距離を置けばいいのか?」

「適度に怪しまれない程度に距離を置いてくれればいいわ。私がそれに協力するから」

「なるほど、了解した」

「ねえ、ちなにみ、未来の……いえ、私が居なくなっていた未来で、京子は誰かと結婚したの?」

全く脈絡のない質問だが、答えを知っている以上を答えるべきなのだろう。

「結婚は知らないが、京子が高校時代に付き合っていた人間なら一人だけ知っている」

「……それ、誰か聞いてもいいかしら?」

「俺と言ノ葉の共通の知り合いで、今もよく知る人物であるとだけ言っておこう」

答えを言っている様な物だった。

八重は友達が少なく、しかも言ノ葉と共通している友人でそれも男性であるなら、一人しかいないだろう。

「……ねえ、一応確認の為に聞きたいんだけど、八重くんじゃないのよね?」

「そうだな、俺じゃない事は確かだ」

「嘘……冗談でしょ?」

「本当だ。まぁ言ノ葉が居なくなった傷心につけ込む形だった事は否めないがな」

「うわ、最低……」

「戦略と言ってくれ。全ての状況を有効に利用しなければ、得られない成果もある。たとえそれが人理無き行動だと人の目に映ったとしてもな。だがそれで互いが幸せであるなら、誰が口を出す事でも無い」

そんな会話と秋風が通り過ぎ、言ノ葉がスカートを抑え込み、八重はまた左目の疼痛を覚える。

携帯の着信が五月蝿い以外には特に何も無い土日を過ごし



十月十三日の月曜日。

時刻は昼休み。

八重は誰かが席の前にやって来る前に弁当を持って席を立つ。

用があるのは、少し後ろに並んでいる片割れの方だ。

金曜日に呼び出された放課後と構図は逆だが、相手も微塵も驚いた様子はなく、遅いと言いたげに弁当を机に突き出した。

「言ノ葉、京子。俺と信吾と共に食事をしよう」

一瞬クラス内全ての音が消えた気がした。

いや、この時、周囲の中で特に音を発していた物が一つだけある。

それは目の前の机。

もっと言うなら音の発生源は言ノ葉の貧乏ゆすりだった。

言ノ葉が満面の笑みを向けて来たので、八重が浮べた笑顔に応える為に一つ頷いてみせると、事前動作無しで拳が振るわれ八重の鳩尾に吸込まれた。

「いい提案ね!って!なるか!阿呆!なんなのその誘いかた!クラスメイトじゃなかったら、警察呼ぶレベルよ!八重くんさぁ、不器用にも程があるんじゃないの!?」

「なっ……拳が見えなかった……まさか俺が反応する事も出来ないなんて……」

「なんだい騒がしいねえ、八重くん大丈夫かい?急に殴り掛かるなんて、警察を呼ばれるのはどっちの方なんだろうねえ」

片膝を付きそのまま崩れ落ちた八重に、京子は寄り添い、四つん這いになっている八重と視線を合せる。

「だってそうでしょ!女子を誘うならもう少し誘い方ってものがあるでしょうに!何よ一緒に食事って!同じクラスでも不審者とそう変わらないわよ!」

「何故だ……なにがいけなかったと、言うんだ……」

ガックリと肩を落とす八重を気遣う京子が、背中を優しくさすってくれた。

「強いて言うなら相手が良くなかったんじゃないかい?」

「成る程……」

「言ノ葉ちゃんは放って私と二人で食べるかい?」

「ふむ、悪くない提案だ。ではそうしよう」

八重の返事に上機嫌に相好を崩した京子が自前の弁当箱を持つ。

「なら、いつも通り四階にいくさね」

そんな上機嫌な京子に続き八重が弁当を持ち「ちょっと待ちなさい」と言って言ノ葉も席を立つ。

「信吾、行くぞ」

完全にクラスの一員に溶け込んでいた信吾を八重が引っ張り出し、四人は別棟四階の屋上前の踊り場にやって来る。

京子が扉を開けると、籠っていた空気が抜けていき、カラッとした新たな空気が屋上踊り場を循環していく。

何故こんな事になったのか、もっと言うなら何故八重が、女子を食事に誘うなどという奇行をおこなったかと言えば……


それは金曜日に話は遡る。

昨日のあの会話の後、八重に対して一つの結論が出た。

それは八重が人と人の間にある情緒を感じ取る能力が欠如しているということだった。

「八重くんてさ、人付き合い下手そうよね」

「薮から棒に言いたい放題だな。そもそも人の特色が十人十色と言われている様に、全ての人間と円滑なコミュニュケーションを取れる人間など存在しない」

「まぁそうね。でもコミュニュケーションが取れる人種の範囲が大きい人は居るわよね?八重くんの場合は極端に狭すぎだし、十七歳の時の方がまだマシだった筈なんだけど、進歩するどころか退化しているってどういうことなのかしら?」

今八重の視線の先にあるのは、本気で心配している言ノ葉の表情である。

つまり彼女は本気で今の言葉を言っているという事だ。

善意のご忠言ほど信用に足る物はない。

なればこそ、彼女が言ったこれまでの言葉に信憑性が生まれてくる。

「なっ……そんな馬鹿な」

愕然としたとまで言わずとも、多少なりとも焦りを感じるのは当然の反応と言える。

「馬鹿もへったくれも無いわよ。人と話をして距離を体感するのが経験としては一番だと思うけど、そんな時間はないし……困ったわ。貴方の人付き合いの下手さ加減は、私にとっても計算外よ」

「……誰も困っていないなら、別にいいんじゃないのか?」

「私が困ってるのよ。何をするか分からない今のあなたを野放しにしたくないの。というか、あなた中身は大人なんでしょう?こっちにも色々事情がある事ぐらい察して欲しいんだけど」

今の事態が八重の力量不足で起こっているのだと、暗に知らせて来る言ノ葉に八重は肩を落とす。

「こんな非力な俺でも手伝える事があるのなら、何でも言ってくれ……」

「……急に気持ちの悪いぐらい卑屈になったわね。……まぁ、これって、考えたらあなたの努力不足が招いた、あなたの過失なんじゃないのかしら?」

言ノ葉は八重の扱いの慣れを実感していた。

誠実で不器用、それでも人を気遣える八重の事だ。そうせざる理由さえあれば、彼の行動は制限出来る。

「八重くんさ、月曜日から私と京子……大田くんは、まぁ友達だろうし、ついでに太田くんを連れだして、これからは一緒にお昼を食べましょうか」

「……それに、何の意味がある?今のままでも問題は無い筈だ」

「あなたがそもそもの問題の大元なんだけど……あなたに言っても無駄ね。兎に角よ、あなたのせいで今の状況になってるの、ならあなたはその責任をとるべきじゃないかしら?」

「俺のせい……そうであるならその通りだ。俺は具体的に何をすればいい?」

「じゃあまず手始めに、私と京子をクラスの中で違和感が無い様に昼に連れ出してくれないかしら?」

と言っていたのが金曜の放課後。


そして時間は月曜へ、別棟四階の踊り場には計四人居るにも関わらず、静寂に包まれていた。

「私言ったわよね、違和感が無い様に連れ出せって……」

言ノ葉が耳元で二人に聞こえないように囁いて来るが、八重にも言い分がある。

「その発言は記憶している。だが、それが過不足なく出来るとは言っていない。最大限考慮し熟考を繰り返し、万の言葉を用いて状況を整理した結果、すまないが俺には出来なかった」

「……努力の内容は凄い頑張ってる感じがあるのに、それであの結果は、あなたの努力じゃなくて素養に問題があるのね」

「一流の上に行くには、誰にでも出来る努力の積み重ねではなく、その一つ上に行く為の素養が必要になる。言ノ葉の今の言葉は間違っていない。つまり俺には素養がないということだろう」

「何を言ってるのかしら?一流云々の話じゃないわよ。一流の話じゃなくて、すべき事への入門が出来ないという話よ」

「見解の相違だな」

「違うわ、問題の転嫁よ」

黙々と食事をする言ノ葉と信吾を横に、八重と言ノ葉は小さな声で言葉を交わしていると、京子は苛立ちから勢いよく箸を弁当箱に叩きつけた。

「こしょこしょ、こしょこしょと!やかましいねえ。さっきから二人は何を隠れて喋っているんだい!」

珍しく不機嫌を僅かながら滲ませた京子は、『密です』と言いたげに箸先をこちらに向ける。

だが二人の仲はソーシャルディスタンスを通り過ぎてリモートワークと言っても過言では無い程、遠いのである。

「八重くんの人付き合いが苦手って話よ」

隠す程でもないとケロッと喋ってしまう言ノ葉だが、八重も羞恥心がない訳ではないため、僅かに顔逸らした。

「八重くんの人付き合いかい?別に私はそこまで気にならないけれどねえ」

「京子だって人付き合いだけ言うなら、どちらかと言えば八重くんに近いから気にならないだけでしょ?」

「いやさ、ほいさ?私が人付き合い苦手なのは否定しないけれどねえ、別に問題にならないならいいじゃないのかい?」

昨日の八重と全く同じ事をいう京子に、言ノ葉は軽い頭痛を覚えた。

「俺もそう思う。言ノ葉が気にしすぎなだけだ。全く、一々こうるさくて仕方が無い」

「八重くんのは明らかに違うでしょ!敢えて無遠慮に話している感じもあるし!普通に考えて八重くんはおかしいから!」

「普通普通とお前は言うが、お前の基準を俺は知らない。お前の普通を箇条書きにして明日までに提出してくれ、話は以上だ」

「それが普通じゃないって言ってるの!ああもう!太田くん!コイツの保護者でしょ!どうにかしなさいよ!」

隅っこで弁当を食べている信吾は急に話を振られビクッと顔を上げた。

「俺かよ!別に俺八重の保護者じゃねえし……まぁだけど、確かに八重が人付き合苦手なのはちょっと問題だよな、知り合いの女子に紹介して欲しいって言われた時とかに結構困るし」

八重が小さく機敏に反応したが、もっと大きく反応したのは京子の方だった。

「んん!!なんだいそれは!信じられないね!高校は勉強をするところだよ!全く何を考えてるんだい!破廉恥だよ!八重くん友達は選ぶべきなんじゃないのかい?!」

「破廉恥じゃねえし!そういうのじゃねえって!荒木なんか勘違いしてねえか!」

「二人とも落ち着け、選んだ友達が良かったかどうかは付き合ってみて初めて分かる所がある。そして人間には、善悪二つの感情があるのは確かだ。表裏一体とは人間の魅力でもあると俺は考える。話を総括して結論を出すが。つまり信吾は後で俺にその女子の話を詳しく聞かせてくれ」

「……八重くんは、私と言ノ葉ちゃんで満足しておいた方が身の丈に合っているんじゃないかい?」

「それこそ身の丈に合っていないだろう。俺から見れば二人は美人が過ぎる。もう少し素朴な女性の方が伴侶にするには浮気をするリスクが低いだろう」

「それは人によるじゃないかい?誰だろうと、浮気をする人間はするし、しない人間はしないさね。その点においては私も言ノ葉ちゃんも人を裏切る様な真似は絶対にしないからねえ、お買い得さ」

自信満々に行ってのけるが、お買い得と言うには、二人の容姿はあまりにもハイブランドだろう。

「成る程、確かにそうかもしれないな。だが京子の様に美人で絵の才能にも溢れていれば、他の男に言い寄られる可能性もゼロとはいかない。なぁ、そう思わないか?信吾?」

またもや話を振られた、信吾はずっと見つめていた京子から視線を逸らす。

「え?……ああ、そうだよな、俺もそう思う」

「つまり、これが純粋な男子の意見だ。無論言ノ葉の様な一件美人だが、その実、言葉に毒付きの棘を躊躇いなく人へ向けて放って来る人間も中には居るが、総人口で言えば極々僅かだ」

「誰が悪口のマイノリティーよ!そんな事言って八重くんの方こそ、遠回しに人の悪口を言ってるじゃない!」

「見解の相違だな」

「単なる事実よ!」

それ以上八重は取り合おうとはせず、八重はまた一口弁当に手を付ける。

「……ねえ、さっきから疑問だったんだけど、その弁当なんなの?」

言ノ葉は直視するのも嫌なのか、視線だけで八重の弁当を見つめていた。

「なんなのとは、どういう意味だ?何かこの弁当に文句でもあるのか?」

「文句というかさ……それは何?」

「弁当だと言っている。お前はコレが弁当以外に見えるのか?」

八重は指摘された弁当箱を見せるが、言ノ葉は禍々しい物を見たと視線を彷徨わせる。

「いえ、それがお弁当箱だという事は、理解出来るわよ?でもお弁当箱の中身にお弁当が入ってるとは限らないって私初めて知ったのよ。だからもう一度聞くわ?それは、なに?」

そそくさと八重が手を付ける弁当箱の形状は二段に分かれている長方形のよく見る型ではあるが、問題としているのはその中身だ。

「ねえ、何でそのお弁当二段ともご飯が入ってるの?」

そう八重が持って来た二段弁当の中身はオール白のゲレンデもビックリの白さ、世界が羨む美白を表していた。

だが全員の驚愕の視線を軽く受け流し、何でもないと言いたげに八重はまた一口弁当に手を付ける。

「なんだ、そんな事か。なに、昨日から両親が旅行に出掛けてしまってな、仕方ない、俺が料理をする事になったんだが意外に手間が掛かるからな、心配はない栄養素はビタミン剤で適切に補給している」

八重の思考には腹持ちという単語しか入っておらず、故に二段とも米という結論に落ち着いた。

だが、他の三人からすれば、間違いでもない限り二段とも白米という狂気を平然と行う八重の神経は僅かばかりの理解も得られはしない。

「これは、八重くんがおかしいねえ」

「ええ、異常だわ」

「……八重、それ美味いか?」

三人の当惑した視線を理解できず、八重は一口目の前に座る京子へ白米を一口差し出した。

「美味い、食えば分かる筈だ」

京子は何も気にする事なく、差し出された一口を食べ、咀嚼し飲み下す。

「単なる塩を掛けた白米じゃないかい?何か白米の下に隠しているのかい?」

それは美味くもなく、それでいて不味くもない正真正銘の白米だが、八重にとって単なる白米とは、それだけの意味ではない。

「単なる白米は美味いじゃないか……それに戦闘の最中は白米など食べる事は出来なかった。食べられるという事はそれだけ美味いという事だろう……」

少し寂しげに呟いた八重の横顔に、誰もが一瞬言葉を失った。

白米だけを詰めた弁当箱が、今の八重を写していると理解してしまえば、八重はまだ戦場から帰って来ていないのだと突き付けられている様に思えてしまう。

「……ごめん八重くん。今回は私が悪かったわ。コレ食べなさい。卵焼き、甘いけど美味しいから」

言ノ葉が一切れおかずを分け八重の白米に乗せる。

「コレも食べればいい、私が揚げた天ぷらさね」

「ほら、俺のは親が作ってるからよく分からねえけど、多分美味いぜ」

京子は天ぷらを、信吾は唐揚げをそれぞれ、八重の弁当箱に入れていく。

「すまないな、なんだか物乞いをしてしまった気分だ。お詫びと言っては何だが、俺からはお前達に白米を……」

「いらないわ」

「気持ちだけ受け取っておこうかねえ」

「白米だけはちょっとなぁ……」

三者三様に断りを入れる。

確かに食べづらさはあるのかもしれないが、日本人の食事と切っても切れない存在である白米はお弁当交換品市場には出回らないらしい。

白米という株価は上昇もしなければ下落もしない存在なのだろう。

「成る程、複数人で食べる弁当とは人にも見せる物だと言う事か……失念していたな」

「そういうことよ八重くん。一人で侘しい弁当を食べるならいいけど、四人で食べてるのに、それはもう、お弁当じゃないわ」

人と共に居ると言う事は、八重自身の在り方も問われると言う事だろう。

そういうのなら言ノ葉が言っていた人付き合いというのも納得出来る事柄だった。

与えられてられてばかりでは人付き合いとは言えないだろう。

「人付き合いか、俺には難しいな……」

「大丈夫よ、それが気付けたなら八重くんは人付き合いに向いてるもの、まぁ手始めにその弁当の中身から変えてみればいいんじゃないかしら?」

八重は自分の白米だけだった弁当に三食の彩りを齎した三人を見て、また一口白米を食べたのだった。

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