第13話 10月9日
十月九日木曜日。
八重は日直という事もあり、何時もより早く教室内で掃除に勤しんでいた。
何故か相方である女子生徒の姿は居らず、仕方なく一人帚を忙しなく動かしていると、ピョコンという可愛らしい着信音と共に(グループ名)『life for reversibles』に連絡が入った。
信吾『今日って今誰か来てるか?』
教室の東側の窓から見える景色は青空が澄み渡り、秋晴れの空から教室内へ朝焼けの光を、携帯の画面ヘお裾分けしてきている。
八重は身体で影を作りつつ、携帯に返信を打ち込んで行く。
八重『今は教室内に俺だけだ』
そう、短く文面を作成しそのまま送信すると直ぐさま既読が付き、次は八重個人宛にメールが届いた。
信吾『朝練終わったから、今から教室行く。ちょっと待っててくれ!』
八重『了解した』
先ほどと同じく短く返し、八重は坦々と定められた日直の仕事をこなしていく。
昨日の荷物運びの無理が祟ったのか、身体中が悲鳴を上げているのが分かる。
特に腰回りや腕などは動かすだけでも一苦労だ。
鈍い動きでどうにか仕事をこなし、最後の床の掃き掃除の為にロッカーから帚を取り出した時、教室の黒板側の扉が開く。
「おっす!八重おはよう!」
「ああ、おはよう。信吾は朝から一段と元気だな、正直やかましくて仕方がない。もう少し疲れるまで朝練をしてきたらどうだ?」
八重は昨日の疲れを引きずりながら、喧しい彼に顔を顰める。
「……え?あれ?八重なんか今日元気ないのか?」
「そう思うなら掃除を手伝ってくれ、一人では到底終わらない」
持った帚を胸の前まで持って来て、信吾に殊更に見せる。
「お前なんで、ちゃんと掃除しようとしてるんだ?日直なんて、誰も真面目に掃除なんてしてないだろ?そもそも、朝早くに来る奴の方が稀だろ」
信吾は相方の名前に書かれている女子生徒の名前を見て、ここまで掃除をしていた八重の苦労を笑ってみせた。
「……お前はきちんと整理整頓がされていないと、自身の荷物をひっくり返される体験をした方がいい。それを体験すれば真面目にしなくていいなどとは、到底言えなくなる」
「なんだぁ?また自衛隊の話しか?別にいいだろ?コマ先だって、やったって言い張ればそれで終わりだしさ、今までの日直だって、誰も真面目にやってる奴なんていないぜ?そもそも、朝早く来てる奴が居ねえもん」
「……まず一つ質問だが、コマ先とは誰の事を言ってる?」
「駒沢先生、略してコマ先だろ?というか、ウチの担任じゃん」
「……成る程、しかし今まで誰も真面目にやっていなかったというのは問題だな。それでは早朝に来た生徒は、どうしたって汚れた教室では嫌な気持ちになるだろう」
「八重は本当、変な所で真面目だからなぁ」
信吾の何でも無いその言葉は、八重の琴線に触れた。
「お前達は変な所で不真面目だと言う話だ。いいか?公共の場は自然に綺麗になるものじゃない。誰かの少しの努力の積み重ねがこの環境を作っている。そもそもだな、全ての人間が日々の少しずつの心がけが少しでもあるなら、サボるサボらないという言葉は出て来ないだろう。その事に気付いて居ない時点で……」
「ああ!分かったって!分かったよ、手伝うから!朝練で疲れてるのに、小言は勘弁してくれ!」
あからさまに嫌そうな顔をした信吾は、八重の小言を遮り帚の入っているロッカーからもう一本を取り出すと、いそいそと掃除を始める素振りを見せる。
「信吾、それで俺に何の用だ?」
「何の用って、別に自分のクラスに来るのは普通じゃね?」
掃除をしているので、何方の表情も窺い知る事は出来ないが、それでも八重は信吾の心中を理解していた。
「普通か……信吾、面倒な問頭をしていたら他の人間が来てしまうかもしれない。俺に言いたい事があるなら早めに言った方がいい」
灯りの灯らない教室で、静かに八重は信吾を見つめていた。
八重は知っている。
過去に一度体験していたというのもあるが、全ては信吾の分かり易さが原因だろう。
ただ信吾にその勇気がないのか、肝心の話を始めようとしない。
であるなら、八重にも考えがある。
「全員が居るlife for reversiblesにお前は、わざわざ誰が居るかの連絡を入れた。ここまでは理解出来る。そして俺が即座に反応し俺の個人へ連絡を寄越した。信吾の取った行動に何も違和感が無い様に、お前を知らない人間であれば思うのだろうな」
確かめる様な八重の言葉に、信吾の返答は無い。
であるなら、話をつづけるだけだ。
「俺は疑問に思ったんだ。life for reversiblesに、俺は信吾への返事を送った。だがお前はおかしな事に、俺個人への連絡先に返事した。お前がもし京子や言ノ葉達が電車に乗っているという事を想定し、グループへの連絡を配慮したというのなら、俺は信吾ヘの認識を改める必要があるのかもしれないが、『今の』会話をして分かったが、お前はそんな気遣いが出来るわけではない。なら信吾、お前がlife for reversiblesへ連絡をした理由は一つだ。お前は、今誰が学校に居るか知りたかったんじゃない。お前が知りたかったのは、あの連絡先の中で誰が学校に居ないのかじゃないのか?」
つまり、信吾はこの早朝の時間『言ノ葉』『京子』『八重』の中で、今教室に居て貰っては困る人物が居るという事だ。
「そんな訳……ないだろ」
動揺を押し隠す為に信吾は掃除の手を早めるが、むしろ逆効果だろう。
そして、躊躇いに塗れた言葉を八重は見逃さなかった。
「お前は昨日の時点で今日の俺が日直だと知っていた。だから今日俺が此処に朝早くから居る事は分かっていた筈だ。そのお前がわざわざ早朝の朝練終わりに俺に連絡を飛ばして来る事自体が、行動の特異性を示していると言える。そもそも信吾は俺に対してクラスに行く旨の連絡などする必要は無い。信吾が朝練を終えクラスに戻って来たと考えるより、俺に用事があって此処に来たと考える方が、違和感がないだろう。だからもう一度聞く。早く話さなければ、都合悪い人物が登校してきてしまうぞ」
信吾の掃除の手が止まると、時計の針だけが音を鳴らす静寂の間は、信吾の思考の合間に挟み込まれる。
「それも、八重の過去で俺の事を知ってるから言えるのか?」
「違うと言えば嘘になるが、十七歳の時の俺も、今の信吾の行動を怪しんでいたのは確かだ。そして、今日俺はお前がここに来る事を知っていた」
今のそれはつまり八重が一度体験している事であると信吾でも理解出来た。
つまり、信吾が此処に来るという事を八重は知っていたのだ。
「じゃあ、俺がこれから話そうとしてる事も八重は知ってつうことじゃんか……」
不貞腐れた様な態度は仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
信吾は十七歳で八重は二十五歳分の記憶があるため、どちらが上手なのかは明確だった。
「俺は予知者ではない。憶測を立て信吾が言おうとしている事に当たりを付ける事が出来ても、その内容を予言する事は出来ない。それに人の気持ちは変わり易い物だ。昨日までそうだった物が、次の日には違うなどよくある話だ」
「それって、答え言ってんじゃんかよ……なんだよ俺、誤魔化そうとしてマジで格好わりいなぁ」
「人を好きな気持ちに格好良いも悪いもないだろう。仮に人への好意に美醜があるとするなら、それはその気持ちの先走りで意中の人間に迷惑を掛けた時だろう」
「それって、慰めてくれてるんだよな?」
「別に慰めてはいない。信吾は信吾の話をする為に此処に来た筈だ。そしてその話はlife for reversibles内に居る二人の何方か、又は両方に関する事柄である可能性が高い。そして二人に話をせず俺に話をしたいと考えると、俺は俺の知りうる限り、過去の一つの事柄に心当たりがある」
八重は話している最中も帚を動かし、最後のゴミを予め用意していたちり取で纏めていく。
「あ〜あ……こっちの八重は何でもお見通しかよ……」
「何でもではない。お前の口からその答えを聞かない限りは俺の予想は予想の範疇を出ない。この件に関して、話すか話さないか……全ては信吾の匙加減一つだ。つまり喋るか喋らないかの選択権は信吾にある。俺はそこに介在する事はしない」
八重は徹底して信吾と目を合せる事はしない。
彼が必要としないなら、八重は何をするつもりは無い。
ただ彼の言葉があるのなら話は別だ。
八重は完膚なきまでに教えられてしまった。彼ら彼女らはここで生きている。
同じ時間の繰り返しをしていた言ノ葉でさえ、今を生きている。
なら今を生きる彼らの頼みの為に動く事ぐらいは許されると信じたい。
それは八重が知っている過去で最も違和感の無い形にする為に。
「八重、これから話す事聞いてくれるか?」
少し汗ばんだ信吾の額を見るに、相当の勇気を持って此処に立って居るのだろう。
誤魔化す様に第二ボタンまで開けたシャツをパタパタと煽り服の内側に風を送り込むが、熱の本質を作り出している言葉を身体から吐き出さない限り効果は薄いだろう。
感情の苦さから口元を歪め、信吾は一つどうにか息を付く。
「八重、俺さ……」
尚も言い淀む彼の言葉の後ろで、八重は少しだけズルをすることにした。
「大丈夫だ、俺が笑う事はない。それは生きている限りお前が向き合うべき問題で、お前の気持ちが話をする事で少しでも楽になるなら、俺は喜んで友人の助けになる。だから安心して喋るといい」
作った様な笑顔で薄く笑う八重に、信吾も諦めた様に笑ってみせた。
「俺さ、荒木の事好きなんだわ……」
信吾の中で燻っていた気持ちがすんなりと吐き出された事に信吾自身が驚いていた。
「そうか、知っていた」
「やっぱ、知ってたんじゃねえかよ……」
「信吾は気持ちを隠す事がお世辞にも上手いとは言えないな。だが俺はそれを好ましく思う。誰にでも分け隔てなく、お前の隠せない故の真っ直ぐな言葉と行動は、きっと多くに人間から好感を受ける」
「……でも俺さ、五月蝿いだろ?自分でも落ち着きが無いって分かってんだけどよ、でも駄目なんだ。今の俺ってあいつらから見て、スゲエ子供ぽいんだろうなぁ。何か、最近の八重を見てつくづくそう思うわ」
「信吾が五月蝿いのはこの際仕方が無い。それはそれで年相応だと俺は思う。それに考えず言葉に出す。それによって信吾自身の感情が分かり易い事に関して一長一短あるのは確かだ。それに、事学生において狡賢さなど女子からの好感には繋がらないんじゃないか?そしてお前が求める大人っぽさなど、身につけようとすればする程子供っぽく見えるものだ」
「お前のさ……本当、そういう所なんだよな」
折り悪く、掃除の為に開けていた窓から風が吹き込み、カーテンをはためかせ信吾の声を遮った。
「済まない、聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
信吾が口の中で押しとどめた言葉は八重には届かない。
「そういう八重はどうなんだよって聞いたんだよ!今のお前はあんまり自分の事を見せねえじゃん。なんつうかそれって狡くねえ?」
不満を露わにする信吾に八重は鼻で笑ってみせた。
「だから一長一短だと言っているだろう?女子からの好感が欲しいならお前が持っている『一長』を使うべきだ。それは有効な武器で、遺憾なく信吾自身の実力を発揮する事が出来るんじゃないか?」
「話を逸らしやがってさ!やっぱずりいじゃん!お前の好きな人も教えろよ!」
「好きな人か?」
「そうだよ!俺ばっかりは狡いじゃんか!」
「そうだな、なら俺からも教えよう。高校時代に気になっていた人の名前は……」
一方的な物言いだが、友人同士であるならそれはまかり通るのだろう。
仕方ない、期待に添える人物を思い浮かべようとして、八重はその違和感に気付いた。
「……思い出せない」
「はぁ?思い出せないってなんだよ。そんな事普通あるか?」
そう、普通はないだろう。
八重は確かにこの時代に来た時、その名前を覚えていた筈なのだ。
だが忘れた。
その場所に在った筈の記憶が抜け落ちて、無くなっていた。
「なんだよ!言うつもりもないじゃんかよ!」
八重が言うつもりがないと思った信吾は諦めた様に天井を仰ぎ見みて、その姿に八重は誤魔化すべくクスリと笑ってみせた。
「それが気付けるなら大したものだ。さぁ、もう登校して来ている生徒も見えている。掃除を済ませてしまおう」
程なくして、一人、二人と登校して来る人の波に二人の存在と会話は紛れていく。
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