第11話 10月8日

十月八日水曜日。

八重は電車に揺られながらポケットの中にある現代の生み出した通信機器に嫌気が差していた。

25歳の『大見 八重』という人間の精神は鍛え上げられている。

肉体は十七歳、されど精神は二十五歳。

だがそんな精神だけ二十五歳の八重を苦しめる物が、高校時代にあるとは八重は露程も思っていなかった。

それは昨日の夜、携帯に表示された『招待』という文字から始まった。

そして今朝方からずっと、ポケットで鳴り響く微かな震えが、現在の八重の悩みの種となっていた。

京子『みんな〜おはよ〜』

言ノ葉、親指を立てているスタンプ

信吾、意味が分からないスタンプ

京子『今何処に居るの?』

次いで可愛らしいカエルのスタンプ

言ノ葉『駅前、八重くんと太田くん駅に着いてる?』

信吾『俺今改札出たとこだけど八重何処?』

京子『オーイ八重くん〜返事は〜既読着いてるぞ〜』

言ノ葉『私ちょっと買い物行くから駅前で待ってて』

信吾『ごめん、おれもトイレ行く』

言ノ葉と信吾から、ほぼ同時に、意味を察せないよく分からないスタンプが送られて来るが、トイレに行く事をわざわざトークに送って来なくともいいだろうに……

京子から、『了解〜したよ〜』の言葉のスタンプが送られて来る。

京子『で?八重くんは今何処にいるの〜』

八重『五分で着く、先に行っても構わない』

瞬間、三人という既読と共に3人同時に、怒っている様なスタンプが八重に送られて来る。

電車内で八重はひっきりなしに送られてくる文字の嵐にため息が出た。

魔窟か?……そう八重は思いながら、遅延している電車内で何も見たくないと目を瞑る。

高校時代なら、美人二人からくる連絡に喜んで返信を返したのかもしれないが、八重は今直にでも携帯の画面を叩き割りたい衝動に駆られていた。

非常に面倒だと八重は明滅を続ける画面を横目で見ながら思うが、文面から読み取るにトーク画面に表示されている誰もが、そのやり取りを楽しんでいるのだから、八重の『面倒』という思考は高校生にとって野暮なのだろう。

野暮であるなら、高校生である三人がそれを望むのなら、従うのが八重の信条である。

スリープモードから電源を入れ、画面を起動しトーク画面から適当な猫のスタンプをダウンロードする。

緑のダウンロードバーが溜まりきり、荒れ果てたトーク画面に合わせた猫のスタンプを送信し、八重はもう一度大きな溜め息をついたのだった。

ようやく中野駅に到着し、階段を降り改札を出ると、三人は駅前のロータリー前のガードレールに添って並んでいた。

「待たせてすまない。電車の遅延による遅れが出た」

八重が謝る相手は三人。

優等生然と、きっちりブレザーを着込んだ『硯 言ノ葉』

こちらもきっちりブレザーを着た下にクリーム色のカーディガンを着た『荒木 京子』

そして、その隣で平然と制服を着崩している『太田 信吾』だ。

「遅れるなら、遅れるって言いなさい。みんな心配するわよ」

「八重くんはそういう事言うのは苦手そうだねえ」

「よ!おはよう八重、二人はこう言ってるけど、俺は全然気にしてねえよ」

言ノ葉、京子、信吾の順番で、到着した八重に朝の挨拶代わりと言葉をかける。

全員が全員そこまで八重の遅刻を咎める事はない。

というのも中野駅の現在時刻は七時半から五分過ぎた時刻だ。中野駅から学校までの道のりは徒歩にして十五分程。加えて登校最終時刻は八時半である。

この日四人は、何時もより格段に早く学校の最寄りへと集まっていた。

八重の遅刻は、四人が決めた集合予定時刻より五分遅れた程度である

「そうか、それは済まない。確かに俺は苦手かもしてないな。それから信吾にも気を使わせてしまった」

現在登校時刻は大きく余裕があるが八重は何故こんなにも早く召集をかけられたのか、検討がつかなった。

「ではすまない、早速質問なんだが、今日は何故こんなにも早く招集を掛けたのかという事と、それから、このトークに招待した名前の意味を教えてもらいたい」

昨日チャット機能を用いたグループに招待された時から八重はずっと疑問に思っていた事がある。

「これは一体どういう意味なんだ?」

携帯を取り出し問題の画面を表示する。それはさっきまで目の前の三人が激しく意見を交わしていた八重の悩みの種でもあるトーク画面。そして、その上にちょこんと表示されているグループ名と思われる英語の文字の事だ。

「(グループ名)『life for reversibles』一体何の事を言ってるんだ?というか、誰がこの名前を考えたんだ?」

日本語に直訳するなら『裏返る為の命』

この意味がどうしても八重には他人事だと思えなかった。

昨日の八重の忠告を全く気にしていないと直訳してもおかしくない言葉だ。

「俺は言った筈だぞ?これから何が起こるか分からない。俺と共に行動している事がそもそもお前達の未来を歪めている可能性がある……いや、お前達は気付かないかもしれないが、確かに歪めているんだ。このままではあるべき未来に戻れなくなる可能性もある。お前達はその意味をもう一度考えるべきだ」

信吾はよく分からないと誤魔化す様に笑っているが、言ノ葉と京子はその意味を十分に理解出来ている。

だが、言ノ葉と京子はどこ吹く風と八重の言葉を受け流した。

「私の未来は十月一日に途切れていた。それも『一度目』の自分っていう邪魔者も、もうここには居ない。ならここからは、この私がこの先を決める。それは助けてくれた八重くんにも邪魔されたくないわね」

確かに言ノ葉に関しては、ようやく羽が伸ばせる時間に来れたのだ。

こちらの都合で彼女の行動を押さえ付けるのは酷というものだろう。

「……なら、京子はどうなんだ?俺はお前の未来を知っている、わざわざ危ないかもしれない俺の事に首を突っ込む必要もないだろう?」

「正直私には八重くんが何をそこまで心配しているのか分からないねえ。そもそも危ないとは、何を指しているんだい?それがもし私がただ生きているという事だけを言っているのなら、私はそんな生き方は御免こうむりたいものさね」

「命あっての物種って言葉もあるんじゃないか?」

「咲かない種に水をやる事程、虚しい事もないねえ」

毅然とした態度を見せる京子は、制服を着ていなければ高校生には見えないかもしれない。

それ程までに彼女は自身の考えに真を一本通していた。

ならそれを加味した上で八重は攻め方を変えるだけだ。

「信吾、お前は別に今生活に不自由している訳じゃない。そうだな?」

「……まぁ確かに、今の生活に不自由はしてないけどよ」

「ならお前はやめておけ。この二人に何を吹き込まれたのかは知らないが、唆されて被る被害はきっとお前の想像の割に合わない。もし今の生活に不満がないなら今の生活を壊すべき判断をすべきじゃない」

八重は安全策を巡らせようとするが、その八重の言葉を聞いて信吾は少しだけ視線を落とした。

「お前、本当に変わっちまったんだな……」

「……昨日も言ったが、俺の中身は十七歳じゃない。中身は二十五歳の大見八重だ。八年も歳を重ねていれば人も変わる」

「……そうかも、だけどさ。八重はやっぱり八重なんだろ?そのお前は二十五歳の戦場で死んじまう。昨日聞いたけどさ、お前の左目が八年後と繋がってて、その左目を見える様にする事がお前の死ぬ未来を変える事になるんだよな?」

「……そうだな、だが確かめる術がない以上、全ては仮説でしかない。確実じゃない事に、青春の大切な時間をつぎ込む必要はない筈だ」

「俺あんまり頭よくないから上手く言えねえけど、それが仮説だってさ、友達が死ぬのは嫌だぜ……それにお前が死ぬのが二十五歳なんだろ?お前全然楽しんでねえじゃんかよ」

八重の視界が緩く揺れた気がした。

高校時代の唯一とも言える友人の悲哀に満ちた顔を初めて見た。

この顔をさせているのは間違いなく八重自身で、八重はこんな顔をさせたくて此処に居る訳でない。

全ての条件がチグハグで割に合わなくて、不都合が生じ得る自分の都合に巻き込みたくなくて、数少ない友人も悲しませたくもない。

でもそんな顔をさせているのは、間違いなく八重自身という矛盾が八重の結論を一つの方向へ向かわせていく。

「そうか……だが、俺はずっとはお前達の傍に居てやれない。だからこれだけは約束してくれ、危険な事があったら直に逃げて欲しい」

言ノ葉と京子が笑い合い、信吾は二人を見て何故笑っているのか分からないとポカンとしている。

「じゃあ、行こうかねえ」

八重の言葉に満足げに頷いた京子の後に言ノ葉が続いて歩き出す。

遅れて八重が歩き出し、信吾は八重の傍らに連れ立った。

四人で歩く通学路で何を話していた記憶もない。楽しかったのかと聞かれたなら、『面白くもないB級映画を見せられている』感覚に近いのかもしれない。

それでも、たとえ興味がなかったとしても、誰と見たかによって感想は異なる。

ストーリーを除けば過不足なく、テンポよく流れて行く音楽と人の営みは、ある意味B級と日常がイコールで繋がっていた。

劇的でもなく喜劇的でもない、所々でクスリと笑えて、観ている分にはのに過不足が無い流れが心地よい。

日常がB級であるなら、人生はある意味バラ色なのだろう。

そう思わせるには彼ら彼女らのB級は求めるに足る上映だった。

そんな事を考えて歩いて居れば、八重はいつの間に学校へ到着していた。

電気の付いていない教室に入り、誰も来ていない事を確認する。

三十分もすれば登校して来る生徒達の活気で満たされ、学校はいつも通りの姿を取り戻すのだろう。

だがこの三十分だけはこの四人だけが学校という空間を支配している様に錯覚するのだから不思議である。

人の居ない空白だらけの教室で、それぞれが自席に鞄を掛け、誰が集合をかけた訳でもなく四人は黒板の前に集まった。

「では不躾で申し分けないが、答えて貰っていないもう一つの質問に答えてもらおう。俺達は何の為にこんなに早く学校へ来たんだ?」

「一先ずは状況の整理よ。昨日は中途半端な所で終わっちゃったから、一度全員で話をまとめておきたかったの」

言ノ葉が場を仕切る様に黒板の前に立ち、チョークで黒板に議題を書く。

「じゃあ、まず私の話から。私『硯 言ノ葉』は先日十月一日に刺されて死んだ。でもそれは『一度目』の私の話。『一度目』の私は先日の十月一日から一年前の十月一日に戻されてこの一年間を何度もやり直していた。八重くんが前回に立ててくれた仮説通り、私は『一度目』と同じ行動を取らなければ未来の記憶が改ざんされて一年前に戻されてしまう。繰り返しの最終到達地点である十月一日を過ぎた今はその現象はもう見られない。何故なら八重くんが私を助けてくれたから。此処までで、誰か質問はある?」

最前列に座る京子、八重、信吾は黒板に書かれたグラフを見つめていたが、京子がそれに対して手を挙げた。

「一つ質問なんだがねえ、言ノ葉ちゃんはどうやって同じ行動を取るんだい?正直に言って、私が仮に昨日と全く同じ行動を取れと言われても、私には出来る気がしないねえ」

「それは簡単よ、私が一度目に取った行動が頭の中で永遠にリフレインしているの。だから、繰り返しをしている時は次に取るべき行動が分かる。でもね、完璧と言える程の精度じゃない。だから思い出すというより、『一度目』の自分の影を追うって言い方の方がしっくりくるわね」

「ほぅ、それは便利だねえ。ちなみに今の八重くんも見えているのかい?」

「見えていないな。少なくとも俺には次に取るべき行動は分からない」

「成る程ねえ、じゃあ本質的に八重くんと言ノ葉ちゃんが体験してるものは違うのかもしれないねえ」

「そうね、だから私も京子が言ったみたいに、八重くんに関して疑問があるの。八重くんの巻き戻しは私が体験した巻き戻しと大きく異なるということ、そこから色々な事が推察出来ると思う」

言ノ葉はそれぞれを箇条書きにして、黒板に書き出して行く。

・ 言ノ葉が一年に対して八重は八年前という事

・ 八重が『一度目』と大きく行動をとっても、記憶のズレから巻き戻しが起こらない事

・ 八重が現れた時から八重の左目が見えなくなった事

・ その左目はそもそも、今ではなく八年後の戦場で失われたという事

「私にはこれぐらいしか思い付かないけど、コレに関して次は八重くんの意見を聞かせて貰えるかしら?」

言ノ葉に促されるままにチョークを受け取り八重は教壇に立つ。

「じゃあ俺の状況説明を始めよう。まず俺『大見八重』は現在中身は二十五歳で外見つまり肉体は十七歳。現在から八年後に俺は戦場で戦死して十月一日の『硯言ノ葉』が男に刺される直前に此処にやって来た。だから、箇条の一つ目の疑問にはこう答える」

・ 大見八重が八年後に死んだ為、大見八重に課された期間が八年となる

そして当然の事の様に京子が挙手をした。

「八重くんそれは答えになっていないねえ」

「京子の指摘どおりだな。言ノ葉が一年という期間に対して、八重が八年という期間の疑問にこの答えはナンセンスと言える。だが、多分全ての始まりは『硯 言ノ葉』に起因しているんだろうな。つまり起点の軸となっているのが『硯 言ノ葉』の死であるなら、俺は『硯 言ノ葉』の死によってこの地点に飛ばされた。ただそれが俺の死という世界からの消失という一種のトリガーを引いた形になっただけだとも考えられる。であるなら話はもっと簡単だ。つまり俺の死は何時でも良かった。十年先でも二十年先でも、『硯 言ノ葉』を死なせてしまったという後悔が残り続け、『硯 言ノ葉』を助ける為の役割を果たすなら俺はどの地点からでも飛ばされる事に変わりはない。以上の事から最も局所的な回答を示すならそれは。俺が死んだのが、八年後だったからという回答が妥当だろう」

八重の言葉に、信吾は小難しい顔をして手を挙げる。

「それってよう、つまり単なる偶然ってことか?」

「より簡潔に言うなら信吾の言う通りだ。俺が八年後から来たのは単なる偶然だ。さて、次の箇条だがこれはもっと簡単だろう。俺は八年後から来た。だから大きくズレたとしても、今現在より先、残る七年と十一ヶ月で修正する事が出来る。又は世界の方が勝手に修正している、だから俺に巻き戻りが起こらない、又は……」

八重はその可能性を示唆して、言うべきかを逡巡する。

それこそ、荒唐無稽で夢物語の様な話だからだ。そして考えた八重自身がその事柄を納得出来ていない。

「どうしたんだい八重くん?急に黙って、何か思い付いたのかい?」

「……いや、言うべきか迷っているんだ」

言ノ葉を見れば、何も気付いて居ない様子だが、それは言ノ葉自身には気付く術が無い事柄でもある。

「全ては可能性の話でしかないさね、言ってみてもその殆どが立証出来ないことばかりさ、言ってみるだけなら誰も困らないんじゃないのかい?」

「そうか、いや……その通りだな」

全ては立証出来ない。つまり仮説でしかない。何を言おうと机上の空論に変わりはない。

「俺は言ノ葉が特別なんじゃないかと推察する。この巻き戻しの実例が二人しか居ない事から、あまり真に受けて欲しくはないが、言ノ葉は歴史や時間軸に大きな影響を与える事が出来ないんじゃないかと思われる。つまり言ノ葉はその行動や言動一つで、世界ヘの干渉が可能である可能性がある。だから『一度目』に通り過ぎた言ノ葉の未来が、その影響力からやり直した言ノ葉との些細なズレで、未来が変わり記憶がズレ、やり直しが起こったと考えれば、今の俺の状況の説明がつく」

「じゃあなに?私は歴史に何か影響を及ぼす様な人間ってこと?私って実は凄いの?」

「……大層な事言って言ノ葉をぬか喜びさせているようで申し訳ないが、仮説として俺より言ノ葉の方が世界への影響力がある可能性が高いという事だろう。全ては推測の域を出ない。だがこれで俺が巻き戻りをしない説明がつく。即ち、俺は世界ヘの干渉力が少ない。つまり俺の未来は変わらない。或は変わる為の巻き戻りというリセット機能が必要ない程、俺の未来は確約されているという事だ」

決められた未来の概要を説明する必要はないだろう。

それはつまり、世界の中立地点とは巻き戻った原因を指すのだから。

八重はずっとニュートラルで、ニュートラルに居るというのはつまり『死』という一つの結果でしかない。

だがこれで、二つ目の箇条の説明はつく。

「そして三つ目だが、まず最初に言っておく事があるとするなら、この左目は少しずつではあるが視力を取り戻しつつある」

この左目が視力を取り戻したの知覚したのは全部で4回

一度目はこの世界で言ノ葉を助けた時

二度目は父親を病院へ連れて行った時

三度目は自分の過去と言ノ葉の事情を知った時

四度目は携帯電話機能でグループ名『life for reversibles』に参加した時だ。

八重の左目は真っ暗闇を映していた時とは打って変わり、今は光を知覚出来る程に回復していた。

「三つ目と四つ目を同時に答えるなら、昨日も説明した通り、俺の記憶で十七歳の『大見 八重』の左目が見えなかったという記憶はない。そして二十五歳の『大見 八重』は戦場で左目を失った。八年のタイムラグを経てこの左目が俺の意識と共に巻き戻ったと考えられる。だからこの左目は八年後と繋がっている。そして今は左目を失う八年前。つまり左目が失われたままの未来であればこの左目は見えないままであっても不思議ではない。だが今お前達と関わりを持つ様になって、俺の左目は徐々にではあるが視力が回復してきている。つまりこれが指し示す事は一つだ」

「八重くんの未来が、私達と関わる事で変わって来ているってこと?」

「そうだ。そしてお前達の未来も変わってしまっている。だから俺は……」

「そうかい、そういうことだったわけだねえ。だから八重くんは自分で方法を探すと言っていたというわけさね?」

八重は肯定する頷きを返し、言葉続ける。

「これ以上お前達に迷惑を掛ける訳にはない。昨日も言ったが、これはズルだ。本来あってはいけない事だ。そのズルにお前達を巻き込めばどんな連帯責任が待っているか分からない」

生きていく限りあらゆる危険を排する事は出来ないが、八重が招いてしまうかもしれない危険は、八重自身の意思で回避出来る。

だからこそ、この三人に何かあったらと思えばこそ、八重は気が気ではない。

だが、そんな八重の言葉に、首をひねってみせたのは信吾だった。

「でもよう、俺達は未来なんて知らねえぜ?八重が知ってる俺達の未来がどんなもんなのかも、俺達は知らねえしさ、それって俺達がこの先にある結果に納得出来るか出来ないかじゃねえの?仮に八重の知ってる俺達の未来が違うとしてもさ、俺達今此処で生きてるし、そりゃ八重の気遣いは有り難いけど、アレ駄目コレ駄目じゃ俺達だって息苦しいじゃん」

正直、信吾の言葉に二の句が継げなかったというのが正しいのかもしれない。

今現在八重を除いてこの先を知る人間は居ない。

そして今目の前にある過去も八重にとって全く身に覚えのない現在だ。

「いい事言うじゃないかい、アンタを少し見直したさね」

「太田くんにしては珍しく意味ある事を言ったわね」

「……なぁ八重、周りの俺の扱い、ぞんざいじゃない?」

「罪は罰をもって雪がれる。今は忍耐も必要な時だ。だが信吾、確かにお前の言う事は正しい。そして、信吾の言葉だが、確かにその通りだ。今を生きているお前達に俺が強要出来る事は何も無いのは道理だ」

だが八重の言葉に、可愛らしく京子は小首を傾げる。

「……何か今までの話で分からない事があったか?」

八重は気になる話を振った。

「いやさ、ほいさ?八重くんはそもそも何か勘違いしている様子だけれど、自分で気付いて居ないのかい?」

京子の言葉に八重は心当たりがない。勘違い?とはなんの事を言っているのか八重には分からなかった。

「勘違いか……すまない。俺には何の事か分からない。答えを教えて貰っていいか?」

「……本当に分からないとはねえ、八重くんは別に誰に指図する事も出来ないだろうさ。というか最初から八重くん自身がそれを望んでいないんだろう?でも私達に頼る事は出来るだろうに、歳を取って色んな事を知っても、人を頼る事を忘れたら人は終わりさね」

京子の言葉は、きっと額面通りに受け取っていい言葉ではない。

「京子の言う通りかもしれない。お前達には迷惑をもう掛けてしまっている。すまない。迷惑を掛けている事自体に俺が無自覚だった事は正式に謝罪する。だが危険が伴うかもしれない以上お前達を巻き込みたくないという事は理解して欲しい」

再三心配をあらわにしている、八重に言ノ葉は聞き返す。

「八重くんは、ラーメン屋に行くとき熱湯が降り掛かるかもしれないからと言って、わざわざ防護服を着ていくのかしら?」

「いや……」

「そうよね、起こるか起こらないか分からないリスクに、誰も対処は考えないわ?それに、何が起こるか分からないから未来なんじゃないの?なら、全ての悪い出来事が八重くんのせいじゃないでしょう?」

「だが、俺と居れば何が起こるか分からない、もしそれが俺のせいであるなら、俺はお前達に何の責任も取る事が出来ない」

「それは誰と居たって同じ事よ。八重くんは未来が変わったって言ったわよね?なら今居るこの場所も八重くんにとって知らない過去で、八重くんにとってもここからが未来なんじゃないのかしら?それこそ、私達にとってもここは現在なのよ?それに、八重くんが来て、この世界で変えた一番重要な事を忘れているんじゃないかしら?」

八重は見当も付かず、考え込むが京子は直ぐに気が付いた様子だ。

「ん?……ああ、そういうことだねえ、本当に八重くんそそっかしいじゃないかい」

愉快だと言わんばかりに、京子は八重に笑い掛ける。

だが当人である八重は、言ノ葉が何の事を言っているのか分からないままで困惑を浮べる他なかった。

「……はぁ、八重くんって自分の事には本当に無自覚なのね!八重くん貴方は、私を助けたじゃない!この世界で一人の命を助けている。なら此処はもう貴方の居た場所じゃない。未来を変えた貴方が居るべき場所でしょう!ならコレから起こる事は、いい事であろうと、悪い事であろうと、その全てを私達で解決していくしかない。私が言っている事何か間違ってるかしら?」

黙するしかなかった。

喋る言葉も全ての事を言い包められてしまっては、八重が言葉を手繰る事は意味が無い。

「全面的に、お前達に正当性がある……」

絞り出す声の後、四人だけの教室は水を打った様に静まり返る。

ジッと見つめる言ノ葉に、八重は逃げる様に視線を逸らす。

「全く、見ていられないねえ」

数秒の空白の後に静寂を破ったのは、京子のそんな言葉だった。

「言ノ葉ちゃんいつも通りに素直に言えばいいのさ、昨日は電話で私に言えたじゃないかい?それも、私から言ってもいいけれどねえ」

「京子……うるさい」

視線で笑う京子に、言ノ葉は睨みを返す。

「これじゃあ余りにも八重くんが可哀想だねえ、私達を心配しているのに正論の暴力で殴ったら、何も言えなくなってしまうのも道理さね」

「それは京子もでしょ!そもそもこの作戦考えたの京子じゃない!」

「此処までやると思っていなかったからねえ。そもそも助けられておいて、その恩人を言ノ葉ちゃんが此処までボコボコにするとは思いもよらないからねえ」

「八重くんは、言い負かさないとこっちの言い分を聞かないって言ったの京子じゃないの!」

「やり過ぎという言葉を知っているかい?それから争いといは負け方より、勝ち方が何より重要なんだねえ。それも勝つ事が分かっているなら尚更だねえ」

「なにそれ!そんなの聞いてないわよ!」

「言っていないからねえ、まぁでも、私の想定外はむしろ、言ノ葉ちゃんが恥ずかしさにかまけて恩人の八重くんに『友達になりましょう』の一言も言えないことさね」

悪戯心をくすぐられた京子は、顔を真っ赤に抗議する言ノ葉を受け流し、八重の前に立つ。

「それでどうだい八重くん?私を八重くんのお友達にしてくれないかい?」

「俺にも友人を選択する権利があるだろうな」

「ほう、私はこれでも太田くんより優秀な自信があるねえ、勉強も美術もそこそこに、顔だって悪くないさね」

「それは心強い。だが申し訳ないが、俺はこの通り片目が見えなくてな。お前の顔の可愛さも美術の腕前も半分しか楽しめそうにない」

「それは問題無いさね、私の顔も、私の作品も視覚が半分で十分楽しめる出来映えさね」

「それはいいな、是非両目で見てみたいものだ」

「大丈夫さね、その左目は私が友達になった暁には、絶対に見える様にしてみせるからねえ。それで、どうだい?私と友達になりたくなってきたんじゃないかい?」

「お前と友達になったらメリットしかないが、ただ残念な事に俺にはお前に返せる物が見当たらない」

「それは後々考えればいいさね。私は取り立てを一気にするタイプだけれど、気長に待てるからねえ。さて、そろそろ答えが聞きたいものさね」

友人を作る為にここまで大掛かりに事をされては、八重としてもその気持ちに応えない訳にはいかないだろう。

まぁ、一癖も二癖もある、大いなる余計なお世話をしてくれる友人である。

「取り立てが恐ろしいな、京子。その時までに返せる物を用意しておこう」

八重が手を差し出せば、京子はそれを握り返す。

「コレで私が一番手でいいのかい?」

「いや京子お前は二番手だ。俺の一番は信吾だからな」

「……ムッ、それは少し悔しいさね。まぁでも言ノ葉ちゃんの先を超せるのは悪い気はしないねえ」

誘う京子の視線が起爆剤となり、言ノ葉の止まっていた足を一歩進ませる。

「わたっ……私は、その……さっきの言葉は、流れっていうか……」

先の言葉を気にしているのか、たどたどしく言葉を選んで言葉を吐き出して行く。

「俺は情けないな、お前に気付かされるまで何も分かっていなかった。こんな人間と友人関係を築いたところで、いい事など何も無いだろう」

「えっ……あっそれは、あの……えっと……だから違くてさ、そうじゃなくて……」

八重の、ささやかな仕返しはこの程度でいいだろう。

やり過ぎてしまえば遺恨が残る。京子も言っていた事だ。

負け方よりも勝ち方が大切なのだと。

「だが、そんな俺でいいのなら、よろしく頼む言ノ葉」

八重が差し出した手を言ノ葉が取り、少し低い慎重から八重を睨みつける。

「……八重くんの冗談、笑えないんだけど……」

「言わなかったか?俺にジョークの才能はない」

「そんなどうでも良い事、覚えていられないわよ!」

握手を解き、八重を見つめる視線に振り向けば、信吾は捨てられた子犬の様に八重を見つめていた。

「……紹介しよう、俺の友達の信吾だ、二人とも仲良くしてやってくれ」

八重が折角紹介したのだが、二人にとってみれば単なるクラスメイトで、半年以上同じクラスで過ごしている隣人である。

八重の様に人が変わったのならいざ知らず、当然彼ら彼女らは、ゴリゴリの知り合いだ。

「……そうだねえ、改めてだねえ」

「あっ、うんよろしく……っていうか知ってるわよ」

二人の反応は当然の事ながら全くと言っていい程芳しくない。

「八重、お前この空気どうにかしろよ……」

「すまない、俺には友人を友人に紹介する才能がないらしい」

「それは才能じゃなくて、努力不足って言うんだぜ……つうか俺の紹介要らねえじゃんか……」

「ふむ、見解の相違だな」

そうして八重は五度目の左目の疼痛を覚えながら、朝の教室で静かに微笑んだのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る