第10話 λ10月7日
「それで、俺の何が聞きたい?」
「そうだねえ、じゃあまず私達から見て八重くんが一番変わった、その喋り方はなんなんだい?」
食べていた食事を飲み干し、京子は自身の好奇心を満たすべく質問をする。
「この喋り方は、別にわざとじゃない。この喋り方をしていた場所にずっと身をおいていたから、身に染み付いてるだけだ」
「じゃあ、その喋り方をする場所ってどこのことなんだい?」
「……俺は自衛隊に居た、二十五歳までだが」
好奇心を宿した言ノ葉の瞳と、京子の眠たげな瞳が見開かれる。
「二十五歳って!じゃあ今八重くんの中身って二十五歳以上なの!」
声音から二人の驚愕が直に伝わって来るが、驚かれても仕方ない。
今の八重の肉体年齢は十七歳だ。
どれだけサバを読んでも二十五歳には見えないだろう。
「そういう事になるな、二十五歳以上という言い方は出来ないが、今の俺の意識は二十五歳の時に最前線で死んだ、その時のままの俺だ」
八重が気軽に言葉にしてみせる『死』という言葉は、言ノ葉自身が体験したとしても、取り扱い方が分からない代物に変わりはない。
「……何故死んでしまったのか、理由を聞いてもいいかい?」
気遣いを感じさせる伏し目で、それでも確実に話を先に進めるべく京子はその核心を突いた。
「問題ない、俺は中東12部隊で第3番高地を目指して防衛をしていた。だが、その最中俺の所属していた第十二部隊は謎の攻撃を受け目の前でバラバラになった。多分相手の爆撃によるものだと推測されるが、死んでしまった今となっては、何も分からない。そして、何処かの部隊長が負傷した俺を野戦病院へ運んでくれたが、結局俺は失血が酷く、医療スタッフの不在が重なり結局助からなかった」
「無念……だった、のかい?」
「無念ではないな、俺が自衛隊に入った理由は言ノ葉の一件に端を発している。あの場所で一歩踏み出していればと悔やみ自衛隊に入ったが、結局何も分からないまま戦場で死んだ。だが、何の因果か俺は此処に来て、言ノ葉を助ける事が出来た。なら俺があの場所で死んだ事も、多少の意味はあったんだろうと、今ならそう思える」
すっかり箸の止まってしまった二人を見て、八重は小首を傾げる。
「どうした?二人とも食が進んでいない様子だが、食は全ての基本となる物だ。食えずとも食え、食える内に食わなければ、死んでも死に切れない」
「……そのジョークは笑いどころが難しいねえ、私も死んでやり直せば、そこで爆笑出来る様になるのかねえ」
「八重くんが言うと、本当に笑えないんだけど……」
「……済まない。俺にジョークの才能はないらしい。忘れてくれ」
言ノ葉はそこで思考の隅に引っかかりを感じていた。
小骨が喉に刺さった様な気持ちの悪い違和感がその言葉を吐き出させる。
「……待って、八重くん。それおかしいわ。そう……私なんで気付かなかったんだろ……最初に聞いた時に私……」
言ノ葉が体験した繰り返しと八重が今居る繰り返しには大きな違いがある事に気が付いた。
八重が語る身の上が余りにも衝撃的過ぎて、頭からすっぽ抜けていたが、言ノ葉にとって八重は唯一無二の境遇者でだからこそ、彼の体験内容は何よりも肝心だった。
「八重くん何で……?何で八重くんは、意識を保ったまま未来を変えられているの?」
彼は十月一日に八年後の未来から今に来たと言っていた。
何かを知っているとは思えないが、それでも聞かずにはいられない。
「八重くんは、何度もこの八年間をやり直しているの……かな?」
もし、これまで言ノ葉が体験してきた一年という期間と同じ事を、八重が体験……つまり八年先の未来までのやり直しを何度も体験しているなら、それは言ノ葉を超える苦悩を強いられている事になる。
だが、八重はその問いに対して首を横に振って見せた。
「いや、俺が過去に来るのは初めてだ。言ノ葉の様に何度も繰り返しをした事はない、それから」
八重は殊更に、自らの左目を指し示す。
「多分俺は何かしらの要因でこの場所に未来と地続きで居る可能性がある。その証明とも言えるのが、この左目だ」
八重は分かり易い様に右目を閉じ、代わりに薄暗闇を映している左目を開ける。
京子が八重の左目を覗き込み、表情を歪ませた。
「それは、見えていないのかい?」
キョロキョロと焦点が合わない左目は一様に不気味に映る。
「ああ、俺は戦場で左目を失った。まぁ死ぬ直前の話だが。しかし俺が覚えている限りで、十七歳の俺の左目は正常に機能を果たしていた。だが、十月一日時点で俺がこの過去に戻って来た時、俺の左目は眼球を残して、眼球としての機能を喪失していた。だから、お前達に俺も聞きたい。九月三十日時点、十七歳の俺は左目の不調を訴えていたりしていたか?」
「……申し訳ないけれど、私は覚えていないねえ。言ノ葉ちゃんはどうだい?」
「クラスの事なら全部把握しているけど。八重くんいつも通り、何も変化はなかったわ。死の間際まで、死にたくなかったから、間違いない。特に、八重くんに関してはいつも通りだった」
八重は情報を精査しながら、口に放り込んだおかずを咀嚼して飲み下す。
「つまり、この左目に関して言える事は俺が十月一日に戻って来た事によって、左目が機能を喪失したという可能性が高い。言ノ葉は刺されたとしても刺される前の状態に戻り過去をやり直した。だが俺はどうも勝手が違うらしい」
言ノ葉は何が言いたいのかと、眉根を寄せるが、京子はどうやら八重の言葉を理解したらしい。
「つまりだ、言ノ葉が体験した繰り返しは、地続きではない決まらない未来に向いてる時間の繰り返しだ。その場合、まだ決まらない未来の言ノ葉が、未来で知っている情報を元に別の行動を取ると、言ノ葉自身の未来の記憶が書き換えられる。その結果、言ノ葉は記憶のリセットつまり『一度目』と別の行動を取った時に立ちくらみがして一年前に戻されるという現象に見舞われた訳だ。此処までは理解出来たか?」
二人は神妙に頷き、八重へ次の言葉を求める。
「だが俺は違う。俺の今現在の身体は十七歳で間違いない。だが左目は間違いなく八年後と通じている。つまり、俺の左目が見ない限り、俺の未来は変わらないということだ」
可逆性は誰にでも平等に送られる。
世界とは全ての帳尻が最後に合っていればそれで良いのだろう。
つまり、『大見 八重』の帳尻は、誰を助け誰かの未来を変えたとしても、自分の未来は変わらず八重の帳尻は合っているという事だ。
「言ノ葉、お前は『一度目』と全く同じ行動をとれた訳じゃない。同じテストでも同じ点数を取る事は難しいだろう。同じ映画を見て、『一度目』に味わった感動を同じく二度味わう事は不可能だ。同じリアクションをとれたとしても、言ノ葉の中で処理されている感情とその内容は大きく異なる。お前は『一度目』と同じ行動を取っている様で、同じ行動は取れていない。違うか?」
思い返して、言ノ葉にも心当たりは幾つかある事に気付き言ノ葉は大きく頷いた。
「言ノ葉に発生して俺に発生しない。詰まる所俺の未来に関する記憶がリセットされていない事柄だが、つまりこれまでの話を総括して可能性として言えるのは、俺に繰り返しが起こらないのではなく、俺の未来は繰り返しが起こるまでもなく、八年後に待ち受ける運命が決まっているという事だろう」
八重は弁当の最後の一口を咀嚼し、お茶で口の中の全てを流し込む。
こんな話の後なら、沈黙も仕方がないのかもしれない。
楽しい筈の食事の時間をこんな事で台無しにしてしまうのも八重には忍びない。
「大丈夫だ、俺の事は気にする必要はない。言ノ葉は生き残った、京子は友人が無事だった。今はそれで何も問題はないだろう?」
そう、何より重要なのは硯言ノ葉が生き残る事だ。
だが、事二人はそんな八重を心配気に見つめていた。
「……八重くんは本当にそれでいいのかい?それはつまり、八重くんは左目が見えないままなら、世界の帳尻というやつで死ぬかもしれないんじゃないのかい?」
「……全ては憶測の域を出ていない。そしてその憶測域は、自分が死ぬ間際まで出ないままだろう。起こるかもしれない事に関して、気を揉んでも疲れるだけだ。そんな事をしても何も生産性がない事は明らかだ」
その言葉を聞いてなお、言ノ葉は納得が出来なかった。
「八重くん。何で諦めてるかしら?」
「諦めているわけではない。俺は俺の出来る範囲で足掻いてみるつもりだ」
「無理なんじゃないのかねえ?言ノ葉ちゃんの未来を助けるのだって八重くんが来なければ変える事が出来なかった。それなのに八重くんの未来を八重くん一人でどうする事が出来ると私は思えないよ」
「それでもだ。俺が左目を失ったのは戦場だ。つまり俺は戦場か……それに準じる何か他の出来事で死ぬ可能性が高いという事になる。お前達では不可能だ」
「それは私達が決める事さね、それに出来ないと言われるとやりたくなる性分なんでねえ、言ノ葉ちゃんはどうだい?」
「ええ、私もそれには賛成ね。助けられっぱなしは気分が悪いわ」
二人の仲がいいのは目に見えて明らかだったが、主語を用いず会話をされては、何を話されているのか分からない。
だが、何かよからぬ事を考えている事だけは伝わってきた。
「何をするつもりか知らないが、やめておけ。俺の今の状態はいわばズルに近い。ズルを続ければ、俺だけに留まらずお前達の未来を歪めてしまう。それに過去の俺はお前達との交流はなかった。今こうしている事も、お前達のあるべき未来を、未来から来た俺という存在が歪めているという事だ。そうなった時最も危ないのはお前達だ。俺はお前達の身の安全を絶対には保障出来ない」
八重にとって知らないとは危険と同義であることは変わらない。
なら危険を侵そうとしている子供を止めるのは、大人である八重にとって自然な事だった。
「保証してくれなくて結構よ、私はただ借りを返したいの。それに、助けられちゃったのは事実だもの……」
「そうさね、私は言ノ葉ちゃんがした様な経験はないけれど、私は、私の全てを自分で決めるさね。八重くんの知る私がどう幸せになったか知らないけれど、今の私の幸せは、今の私が決めるのが道理じゃないのかい?」
言ノ葉と京子の主張の筋は、今の八重では否定しきれる根拠が些か足りない。
「成る程、お前達には何を言っても無駄か……なら好きにすればいいが……」
二人は良くも悪くも頭がよく回る、知識は学校で学べるが、教養は人間関係からしか学べないとはよく言ったもので、その点に関して八重が二人に遅れを取っているのは明白だった。
「ただその前に……」
八重にはずっと気付いていた事がある。
此処は別棟、四階の屋上手前の踊り場である。
別棟にはクラス教室も無い。
だからこんな所に来る人間は、一目に付かない場所に行きたい人間か、人目の目に入るような場所では出来ない事をしたい人間ぐらいのものだ。
それ以外なら、八重達の様に、秘密の話をしたい人間か……
最後に、その秘密の話しを盗み聞きしたい人間が挙げられる。
八重は口の前に一本指を立て、適当な会話をする様二人に促すと、二人は力士が取り囲んだ後のちゃんこ鍋の中身より、内容のない会話を繰り広げる。
下に居る人物も、会話を始めた二人の声に気付かれていないとホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、八重はその男を後ろから取り押さえた。
「盗み聞きとは趣味が悪いな、信吾」
特徴的な茶髪と癖毛。
ガタイがいい彼を取り押さえるには自衛隊で学んだ技を遺憾なく発揮するのが手っ取り早い。
「いでぇええ!八重頼む!ギブギブ!試合前だから!その力加減はシャレになってないってぇ!」
そこに居たのは先日八重と昼食を共にしたクラスメイトの『太田 信吾』だった。
「試合前に人の話を盗み聞きするもんじゃない。気をつけないと、こうして試合前でも、腕が使い物にならなくなる事がある。一つ勉強になっただろう」
「ごめんって!悪かったけどさ!でも!だっておかしいだろ!あの八重がクラスの美女二人と別棟にランデブーだぜ?気にならない方がおかしいって!」
「好奇心が湧いて、人の話が気になったとしても、気になってない振りをするのが礼儀というものだ。そして好奇心は猫も殺す。好奇心旺盛なお前は、一体何度その命を無駄に散らせるつもりだ?」
片腕で頭を押さえ付け、更に強く腕を取りゆっくりと、しかし聞き取れるように喋りかける。
「暴れない事、逃げない事、俺と一緒に黙って付いて来る事、上に居る二人の要求を条件無しで受ける事。この四つを約束するなら、離してやる。分かったら二回頷け」
明らかに異質な八重の声音に、信吾は黙って二回強く頷いた。
「よし、階段を一段づつゆっくりと上れ」
すぐ上にいた二人は、何事かと上がって来た信吾と八重を見て得心がいった様子だった。
「盗み聞きは、趣味が悪いねえ」
「……うぁ、最低」
盗み聞きをしていた信吾を見るや否や、二人が距離をとると、信吾はあからさまに傷ついたとがっくりと肩を落とした。
「信吾、バレてしまえばこういう事になる。お前の行った行為は、人から得た信用を陥れる最低の行いだ。充分に反省して次に活かせ」
信吾の「……わかったよ」と、鳥の囀りよりも小さい返事が返って来るが、二人は許していない様子で敵愾心を剥き出しにした目を信吾に向けている。
「まぁ、信吾も反省している。二人も信吾を寛大な心で許してやってくれ」
「そうさねえ、私は別に何も被害を被っていないからねえ、正直許すも何もないけどねえ」
ケロッとしている京子とは対照的に、言ノ葉怒りを露わにしていた。
「……私達の話、何処まで聞いた訳?」
気まずげに目を逸らし、信吾は口の中でボソっと呟いた。
「……全部、知ってる……」
顔ごと逸らす信吾だが、それで逃れられる程生ぬるい話でもない。
「最初っから!全部聞いたの!気持ち悪い!信じられない!本当に、最低……有り得ない、最低!」
自衛隊の情操教育はスパルタであるのだが、言ノ葉は教官の才能があるのかもしれないと思わせる様な、全ての感受性を殺しきる、実に素晴らしい言葉選びである。
だが、ここで言い過ぎれば、信吾はあらゆる意味で壊れてしまいかねない。
なにせ、信吾は八重の知る過去では『荒木 京子』に恋心を抱いていた筈だからだ。
「そのへんにしよう。彼は一般人だ。彼の罪状を問うなら私刑ではなく、法の元で裁きを下せる様に取り計らう事が好ましいだろう。だが、今現在の日本では盗聴という罪状では、罪に問う事はできない。言ノ葉、残念だが情報流失における安全策を彼に講じる他に俺達に手はない」
だが幾ら言おうが言ノ葉の怒りが収まることはなかった。
「盗み聞きという行為自体そもそも常識が欠落してるっていう事は、太田くんは理解してるのよね?」
「そっ、それはそうかもしれないけどさ!違うんだって!俺はただ、八重が心配でさ!だってこいつこの前まで、根暗で!俺以外に友達だって殆ど居なかったのに!急に豹変するし!友達なら普通は気にするだろ!」
「こう言ってるけど、八重くんはどう思う?」
「俺は別に問題はない。ただ言ノ葉や京子に問題が降り掛からないならの話しだ。信吾、お前は全てを知っていると言ったが、俺と言ノ葉が話していた内容を正しく理解をして、全てを知っていると捉えていいんだな?」
「……お前達が、未来から来たとかやり直しをしてるとかって話しか?最初は意味分かんねえし、正直に言えば馬鹿なんじゃないかとも思ったけど、でも硯の事をそれで八重は助けた訳で、お前が豹変してるのは、さっき俺を押さえ付けたので充分理解出来たよ……まぁ、正直信じたくねえけど、信じるしかねえだろ」
信吾は、事態の理解を示すが、どうやら納得は出来ていないのだろう。
「今はそれで十分だ、なら俺から望む事は何も無い。それから信吾は総じて良い奴だということを俺は知ってる。そして誰にでも間違いはある。そして信吾が行った今回の件は許される間違いだと俺は思う」
「八重、本当に変わっちまったんだな……」
そう漏らした信吾の言葉には、何処か寂しさが乗せられている様にも聞こえてくる。
「どうやらそうらしい。ただ信吾と共に過ごした時間の記憶もちゃんと俺は覚えている。俺が十七歳だった頃の記憶だが、俺と信吾は友人だった。今の俺は信吾が望む十七歳の俺じゃないかもしれないし、今此処に居るのは、残念ながら未来の、二十五歳の俺だ。だが二十五歳であろうと俺は俺だ。だから信吾にこうしてまた会う事が出来て嬉しいと、俺は心から思う」
戦場に出ていた八重にとって、信吾と会うのは実に数年ぶりだ。
大切な友人と久方ぶりに会って、八重自身嬉しくない訳がなかった。
「なんだよ……お前一人だけで大人になりやがって……」
「俺は大人じゃない、ただ子供っぽくないだけだ」
「本当、なんなんだよ、それ……意味わかんねえよ……」
信吾が複雑な心境を隠す様に袖で目元を拭うと、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「これは不味いねえ……次の時間は時間に五月蝿い古文じゃないかい?もう間に合わないんじゃないねえ……」
「ああ!もう!まだ話の途中なのに!」
そう言って女子二人は大急ぎで広げていた弁当箱を片づけ始めたが、結局間に合う事はなく、四人は次の授業に遅れて行ったのだった。
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