第9話 10月7日

そしてその日の放課後、今は気持ちの整理が付かないので後日話し合いがしたいと京子と連れ立って言ノ葉が八重の席にやってきた。

クラス人気を締める美人どころの一位と二位が、冴えない男子生徒の席の前にやって来れば、当然クラス中の視線を独り占めしている事は容易に想像ができるだろう。

「了解した。それは明日でも良いのか?」

「うん、明日でいい……いや、明日がいいわ」

「そうか、言ノ葉は明日の何時がいいんだ?」

呼び捨てにした事に対してクラスの一部がどよめいた気がしたが、今の最優先事項は目の前の二人だ。

「……明日の、お昼がいいわ」

「了解した、明日の昼だな。その時今日の続きの話をしよう」

「うん、分かったわ」

と言って分かれたのが、昨日の話。


そして、十月七日火曜日

この日は三人にとって……

いや四人にとって忘れない日になった。

『荒木 京子』曰く『誰も来ない場所を知っている』という案内の元、京子を含む、八重と言ノ葉の三人は昼休みに別棟四階の屋上踊り場に到着した。

「さぁ、ここなら、秘密の話をするのに丁度いいからねえ。ちなみに此処は私のベストスポット兼部活動場所でもあるから、絶対に他の人には秘密にして欲しいねえ」

ぐるりと見渡せば、美術系の画材が置かれている。

つまり、此処はいつも美術部員が使っているのだろう。

「京子いいわけ?此処一応美術部の部室なんじゃなかったけ?関係者以外立ち入り禁止でしょ?」

「私は美術部の関係者、それにコンクールで受賞経験のある程の美術部の関係者だねえ。その私の関係者である言ノ葉ちゃんは勿論関係者。それに、その関係者を助けた八重くんも勿論関係者なんじゃないかい?そこの所八重くんはどう思うかね?」

「軍隊での指揮系統は、現場に残された者が絶対的な指揮権を譲渡される。加えて此処は圏外。中央からの連絡も間々ならない状況だ。つまり此処に居るトップの指示が、俺達が従うべき命令という点では相違ない。今現在現場にいる美術部の実質的トップは京子。尚かつその人物がコンクールでの勲章持ちであるなら、俺に口を挟む権限はない」

「アンタがなんて言ってるか半分以上分からなかったわ……」

「つまり、俺にとっては何も問題はない。問題が起きた時の責任は責任者にある」

「……まぁ、いいわ。それにバレた時怒られるのは、京子だし?じゃあ昨日の話の続きをするから、京子は席を外してもらっていい?」

「それは無理な相談だねえ」

京子は、言ノ葉の願いを切って捨てた。

「……はぁ?」

「いやさ、ほいさ?此処は美術部で私は此処の部員さね。私が居なけりゃ部室は使えないというのが当然の通り相場じゃないかい?」

「俺は別に京子が居ても構わない。そもそも昨日の時点で俺も覚悟を決めて来ている。京子が居ても何も問題は無い」

「私には問題大有りなの!京子お願いだから!少しの時間だからね!お願い!」

言ノ葉は拝み倒すが、京子がその首を縦に振る事はない。

「無理なものは無理なんだねえ、それに言ノ葉ちゃんだけじゃないんだよ、実は私も気になっているのさ、八重くんが一体この場所に何の覚悟を決めて来たのか」

きっとこれからする話は誰にとっても荒唐無稽で、此処に居る誰にも理解される事はないかもしれない。

特に言ノ葉は自分の身に起こった事の詳細を話すにあたり、人を出来るだけ減らしたい狙いがあったのだが、そんな気持ちが部外者である京子へ伝わる筈もない。

「俺は別に構わない。誰が居ても、俺が話す事は変わらない。それに関係者という彼女の言葉を借りるなら、これから話す事は、実は言ノ葉を助けた日から、俺が関わった全ての人間が関係者という事になる。まぁ、馬鹿正直に話したら両親には頭の心配をされてしまったが。今から俺がする話を信じるか信じないかは二人の裁量に任せる」

八重からすれば、今の現状すらも分からない事だらけだ。

今現在は、自分が過ぎて来た時間にも関わらず、八重に今の様な人間関係は過去に存在していなかった。

『荒木 京子』と『硯 言ノ葉』の両名と過去に向かい合って話し合った記憶が八重にはない。

この場所が過去だと言うなら、二十五歳の八重が関わって歪めてしまった過去の人間全てが、八重にとって説明責任を果たさねばならない相手という事で概ね間違いないのである。

「しかし、何から話べきなんだろうな……」

改めて考えると、やはり理解できない事の方が多い。

ならまずは、言ノ葉が口を酸っぱく尋ねて来た事への回答を提示するとしよう。

「そうだ。じゃあまず言ノ葉。お前が聞いて来た『何故あの時私を助けられたのか?』という質問に対して俺からの答えを出そう」

八重は左目に僅かな疼きを感じながら、そっと眼帯の結び目を解いた。

「俺は、多分だが……お前達が今居る現在よりも、八年後の未来から此処に来た。未来の大見八重だ」

わずかな沈黙の後、二人の表情は対照的だったと言える。

京子は眉根を寄せ、言ノ葉はその瞳に涙を溜めていた。

言ノ葉の感情が何処から来て何処へ向いているのかは分からないが、涙は確かに下に向かって一方向へと落ちて行く。

「八重……くん、そうなんだ。やっぱり八重くんは……未来から来たんだね……」

「……そうだ、俺は未来、つまり今から八年後の未来で死にここに来た。中東での作戦中、相手の爆撃に巻き込まれ、そして気付いたら十月一日の早朝、言ノ葉が中野駅の改札を抜ける直前に俺は戻って来た。だからお前の問いに対して俺はこう答えるべきだろうな」

八重はその言葉を躊躇うが、昨日で覚悟を決めて来たと言っていた彼女に対して確認を取る手間は必要ないだろう。

「俺は、俺の過去で、お前が死ぬ事を知っていた。だからお前を助ける事が出来た」

聞き終えた、荒木京子は険しい顔つきでおずおずと手を挙げる。

「二つばっかり質問いいかい?」

「俺に答えられる事であれば何でも聞いてくれ」

「それじゃあ、遠慮なく。まず最初にだけれどねえ、『お前が死ぬ事を知っていた』と八重くんは言ったけれど、言ノ葉ちゃんは八重くんの知る……過去という言い方でいいのかい?その過去の十月一日の場所で言ノ葉ちゃんは、死んでしまったということかい?」

「そうだ。俺の知る過去において『硯 言ノ葉』は死んだ。あの場所で俺は言ノ葉を助ける事が出来ず、言ノ葉はあの男に殺され……絶命した」

吟味する様にウンウンと頷いた後に京子は八重ではなく言ノ葉に振り返る。

「じゃあ二つ目の質問さね。言ノ葉ちゃんは何で『やっぱり八重くんは未来から』と言ったんだい?それじゃあまるで、八重くんが未来から来ているという見当が、言ノ葉ちゃんにはついていたみたいな言い方じゃないかい?」

迂闊だったと言ノ葉は思う。

京子は人の発した言葉に対して異様に頭がキレるのだ。

「いや……ほら、だって八重くん変わったしさ、未来から来てる位の方が、説明がつくじゃない?」

口籠る言ノ葉をジッと見つめる京子は、その言い逃れを全く信用していなかった。

「それで納得すると思うのかい?八重くんは確かに人が変わった様に見えるけれど、思春期男子特有の病だっておかしくないんじゃないのかい?むしろそっちの方が普通の考えさね。それに誰もが一日の積み重ねの中で少しずつ変わっている、それが大袈裟に見えたとしても、人が未来から来ているとは、普通は想像が付かないわけだからねえ」

睨む京子に、逃げる言ノ葉を見て、八重は一つの推論を立てる。

「京子、例えば言ノ葉が未来予知能力を持っていたらどうだろう?」

「ほう、それは中々に興味深いじゃないかい。続きを聞かせて貰えるかい?」

「言ノ葉が未来予知を持っていた場合、俺が未来から来なかった世界軸の未来を、言ノ葉が予知していた可能性がある。だから未来予知をした行動と違う行動をとっている俺の事を推測出来た可能性がある」

「中々面白い考えだけど、それは欠点があるねえ」

「……確かに、京子はこう言いたいんだろう?仮にその未来予知が出来るのであれば、言ノ葉に見えた未来は俺が助けに来ない。つまり、言ノ葉自身の殺される未来が、言ノ葉の予知に現れる。その場合、言ノ葉が言ノ葉自身に降り掛かる死を回避しない訳がない。だが、どうだ?言ノ葉が腹を刺される事に性的衝動を覚える変態主義者だった場合、あらゆる話は変わってくるんじゃないのか?」

「……じゃあつまりなんだい!今日まで幼馴染みとして付き合って来た私の友達は、未来予知の出来る変態マゾヒズムだってことかい!にわかに信じたくないねえ、でも、今の所その可能性が非常に高いのかもしれないねえ……」

「その通りだ。硯 言ノ葉は、自身の腹をカッ捌かれる事に対してしか性的欲求を満たす事が出来ない、異常性癖の持ち主という可能性もある。ただ救いなのは、彼女の場合される側で、する側でないという事だ。その場合こちら側に実害はない。ただ、どの場合を想定しても俺達は彼女の性癖を深い懐で受け止め、作り笑いの毎日を過ごして行くしか対処方法はないだろう」

「私は深い業を背負ったものだねえ……こんな重い物は私一人で受け止めきれる気がしないねえ」

八重と京子は二人言ノ葉を可哀想な者を見る目で見た。

「違うから!私そんな変な人じゃないわよ!」

「だが、説明をしないなら俺達は推論を立てるしか他に手段が無い。それに俺はたとえお前が変態の倒錯的趣味思考を持ち合わせていたとしても、日常生活に支障を来さない範囲でなら付き合っていける自信がある。大丈夫だ、週に一度のカウンセリングには付いて行ってやる。病院でパニックになられても、他の患者さんに迷惑が掛かってしまうからな。なに、そんな顔をしなくても、優しく取り押さえてやるから心配をする必要はない」

「違うから!……ああもう!分かったわよ!私も言うから!二人とも変な推論を立てないで!」

二人のふざけ半分を聞くのもここらが潮時だろう。

それに八重が話して言ノ葉が話さないではフェアじゃない。

「そうね、まず話す事があるとすれば、私も過去に戻っていたのよ。十月一日。あの刺された日から一年前の十月一日に。でも私は何で自分が戻されているのか分からなかった」

『巻き戻り』八重はその単語を聞いて彼女の言動にようやく納得する事が出来た。

『何故私を助けられたのか?』という八重に対する疑問。

八重の回答に対する回答だ。

「私が十月一日からその一年前に戻った時、私は私の未来をどうやっても変えられなかったわ。『一度目』にとった私の行動と、巻き戻った私の行動に齟齬が生まれると、その時点で気を失って、刺される一年前の十月一日に逆戻り。私がそれをずっと繰り返して、分かった事は一つ。私はあの場所であの変質者に刺される以外の選択肢がないという事。だから私は結局『一度目』の私と同じ行動をした。全て同じとはいかなかったけれど、私が経験した十月一日からの一年間の中で違う行動をして、大きな失敗しては一年前に巻き戻される。私はそんな事をずっと繰り返していた」

水を打った様に静まり返ったのは、言ノ葉がとつとつと喋るその話があまりにも壮絶だったからだ。

一度目を何度も繰り返す。

この場において最も苦悩を味わった人間は誰でもない『硯 言ノ葉』を置いて他に居ないだろう。

死んでは生きて、またやり直す。

だが、言ノ葉の言葉で八重はようやく理解が出来た。

巻き戻しという現象についての理解は出来ないが、何故八重がこの場所に戻って来る事になったのかの理由の一端を見つける事が出来た。

「一先ず、全ての状況を整理しよう。『一度目』の言ノ葉はあの場所で刺された。此処までは俺の記憶と違いは無い。そして俺が知らないのは言ノ葉自身も過去に飛んで居たという事だ」

「まぁ、知らないのも無理ないわ。だって真実を言った所で誰も信用しなかったもの。それに言ったら信用してくれる人もいたけれど、そうなれば最後、私は一度目と違う行動を取ったとして、一年前に巻き戻されちゃうし……」

時間の事は八重にはよく分からないが、何度となくやり直される言ノ葉の現象に推論を示す事は出来そうだ。

「一年前に巻き戻った時点で、『一度目』の自分と行動がズレると、巻き戻された言ノ葉は気を失って、刺されてから一年を巻き戻される現象ということでいいのか?」

「まぁ、そういうことよね。失敗したり、回避したりしようとすると、問答無用で何時も刺される一年前の同じ場所からスタートを切るのよ。本当に最悪だったわ……」

聞いた限りでは一つ疑問が生じるだろう。

彼女の巻き戻りの起源は確かに彼女が刺され死んだ事に起因する。

だがその後の繰り返しは、一度目からの齟齬……つまり一度目からのズレが原因となって撒き戻りが起きていた。

起因する場所まで行かず巻き戻りが果たして起こるのか?

なら、今居る彼女は、つまり……

「言ノ葉、お前はもう一度殺される為にこの一年間を過ごして来たのか?」

「あら?気付いたのね?でも仕方ないわよ。誰も助けてくれないし、自分で自分を助ける事も出来なんだから死のうと思うのは当然でしょう?」

思い返す事もウンザリと、その場に足を投げ出す言ノ葉のスカートの裾をギリギリで京子が押さえ込む。

「はしたないねえ」

「……ごめん」

「一つの仮定だが、お前が戻されると言ってるその事象。それはつまり、刺された時点のお前の記憶と、巻き戻ったお前の記憶と間にズレが生じるからじゃないのか?」

「ん?ごめん、ちょっとよく分からないわ。それってどういうことかしら?」

「つまり、『一度目』のお前はあの場所で刺されて死んでしまった。そして死が起因となり一年前に戻ってやり直す。未来で死んだお前の記憶は、繰り返しをしている……つまり過去に戻った言ノ葉には定着していない。だからこそ繰り返しの記憶が蓄積されていく。だが、過去に戻った言ノ葉の行動のズレは、言ノ葉自身の定着されていない記憶を揺さぶる。つまり言ノ葉はその時点で一年前に戻されたんじゃない。その前にもう一つ、お前が覚えていないだけで、クリア出来ていない段階があるんじゃないのか?」

思考を研ぎすまし、言ノ葉は八重の立てた推論と言葉を吟味する。

そして最も最悪な結果を導き出した。

「……待って、それってつまり……気を失った時点で私は『一度目』の私の状態に戻ったって事……?」

「気を失い、正常な状態に戻る……つまり、行動がズレた時点でやり直したお前の記憶は、その繰り返しの中から消え、巻き戻しを行ったお前は一度目の言ノ葉の状態に戻り、刺され死に。繰り返しの途中まで蓄積された記憶のまま一年前に戻って来る。だからお前にとっては、巻き戻りは『一度目』と行動のズレが生じた途中で中断された様に感じるのだと考えられる」

八重が突き出した推論は、言ノ葉にとって暴力に等しい言葉だ。

「じゃあ、なに……私の巻き戻りは、同じだけを繰り返す、何の意味も無かったって事……?」

つまり、言ノ葉が送って来た時間は、『一度目』と同じ。

巻き戻っては同じ事を繰り返す負の連鎖。

それはあってはならない。

アレだけの苦悩の日々が、全て無駄だったなど……

「嘘……そんなのって……無駄だったの……?私あの日々は全部っ何の意味もなくっ」

過呼吸に近い言ノ葉の息づかいだが八重はその姿を、痛ましいとは思わない。

何故なら八重の見解は、言ノ葉と全く別だったのだから。

「それは違うな」

だから、言ノ葉が浮べた涙を八重は真っ向から否定する。

「無駄じゃない。あの場所には少なくとも俺が居た。お前の巻き戻しの中でお前は俺に此処に戻って来る為の理由を与え続けた。その積み重ねが……お前が俺を此処に呼んだんだ」

硯 言ノ葉が繰り返した。

何千時間と、誰も理解しえない時間は、無駄ではないのだと、それを理解してくれる存在が何より頼もしい。

「お前は、俺を此処に呼ぶ為の最適解を、何度もやり直す事で導き出した。だから俺は此処に来た。だからお前のやり直しは、その答えを探し出す為の時間だったんだろうな」

涙が溢れて止まってくれない。

どんなに嗚咽を堪えても手の震えだけは隠せない。

八重の後ろから差し込む光は眩しくて、スポットライトの様に棚引く光が空中の埃を煌めかせる。

「お前の行動全てに意味がある。抗う為に費やした時間が無駄な訳がない。お前が今押さえ込んでいる感情ですら、なににも勝る武器になる。お前はそれを繰り返しの中の何度ともなる一年間を操って今の結果を手繰り寄せた。俺もお前も随分と遠回りしたが、また生きてこうして飯を食ってる。なら、お前は十分にやり遂げたんじゃないのか?」

堰を切ったように感情が溢れた。

味わった寂しさも不安も、あの時間の中で感じたあらゆる全ての感情が頭上から降りて来て、瞳に溜まり落ちて行く。

今、全は終わったのだ。

彼女のエンドロールは今此処で流れている。

二人は何も言わず黙ってその姿を見ていてくれていた。

京子は気を使って時折背中を擦って、その手が温かくてまた泣いた。

彼の優しさが心地よくてまた泣いた。

隣に居てくれる友人が頼もしくて泣いて、また一緒の時間を過ごせる嬉しさでまた泣いた。

流しきれなかった感情は此処で全てを清算し、言ノ葉は此処から生きて行くのだ。

「……もう大丈夫……だから……次は八重くんの話を聞かせてくれるかしら?」

「構わないが、飯を食いながらでもいいか?時間がなくなってしまう」

八重自身腹が減っていたというのもあるが、そろそろ食べ始めなければ、昼休み終了に間に合わないだろう。

全員が弁当を開き、何口か弁当に口を付けその味に舌鼓を打った。


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