第6話 10月6日
短い手術から父親が退院し、母親の機嫌が元に戻った十月六日の月曜日
八重は自身に生じているとある違和感に気付いた。
それは、鏡の前で洗顔をして、学校へ行く為の身支度を整えている時の事。
鏡に見えている右目を手で覆い隠し、見えていない筈の左目を開ける。
此処に来てからというもの、真っ暗闇しか映していなかった八重の左目の奥に、若干ながら光が入った。
実像を結ぶ事は無いが、確かに左目が感じているのは、奥に僅かながら光が見える。
八重は、父親と共に病院へ行ったのに乗じて、左目の状態を病院で見てもらったのだが見えない原因が不明。
そもそも、八重の左目は何処にも異常すら起きていないと言われてしまったが、この様子ならきっと回復に向かっているのだろう。
両親には心底心配されているが、何方かと言えば頭の心配に近いかもしれない。
眼科医と脳外科で診断を受け、何処も異常は見られず、最後に行き着いたのは精神科のカウンセラーだった。
両親は手厚いまでの無用な心配をしてくれたが、あらゆる意味で八重にとって余計なお世話だったのは言うまでもない。
左目は開く事は出来るものの焦点を結ばないので、気味が悪くならない様に眼帯を付ける。
「じゃあ、行ってきます」
母親と、直ぐに退院出来た父親が、和やかに八重を送り出す。
約八年ぶりの高校の校舎に入って、まず最初にした事は、覚えている限りの情報を総動員して自分のクラスを割り出すことだった。
それをどうにかしたとしても、次の難関はクラス内での席順である。
これに関しては、教卓の上に乗っている席順の名簿を確認してしまえば一瞬で分かる。
八重は左目の眼帯のせいか、かなり多くのクラスメイトの視線を浴びながら教室に入り、自身の席順名簿を確認すれば、『大見八重』の名前は窓際の前から三番目にあるのを確かめて、遥か昔に見覚えのあるクラスメイトたちが窓際の席で談笑している横を通り過ぎ割り当てられている席横のフックにスクールバッグを掛ける。
同時に今しがた八重が入って来た教室の扉が開きクラス担任である駒沢教諭が教室へ入って来た。
「大見!良かった今日は来てたんだな!心配したぞ!」
「すみません、無断欠席の件は母親から聞いていると思いますが、父の病状を最優先に考えた結果あのような結論に至った次第です。こちらとしても、学校側からの処分は如何様にも受ける所存です」
担任は八重の姿を確認すると、着席している八重に一目散に駆け寄っていく。
対して八重は決められた動作。
胸を張り踵は付け、斜め四十五度。
顎を上げ敬礼をしそうになる手をギリギリで押しとどめた。
「……大見?お前どうした?」
クラスメイト達がギョッとした表情で八重を見て、自身が行った事が此処では異常である事を認識する。
此処は戦場でも、ましてや八重が所属していた自衛隊でもない。
ただの高校だ。
友人同士は少し悪ふざけをして、友達と語らい、校則は破って楽しむ為にある様な平和な世界だ。
「あっ……。先生はどうされたんですか?心配されているという事でしたら、俺は大丈夫です。少し腕を切ったぐらいなので、日常生活には問題はありません」
「そっ……そうなのか?それは良かったが。ただ大見には少し用事があってな、悪いが少し付いて来てもらえるか?」
「了解致しました」
クラスメイトの視線を感じながら、八重は今しがた入って来た扉から担当教諭と共に廊下へ出る。
前を歩くクラス担任の背中を眺めながら廊下を歩いていると駒沢教諭が八重を一瞥したのが分かった。
「大見、お前本当に大丈夫か?」
「傷の具合であれば、二週間程で抜糸が出来ると担当医から聞いています。多少不便を感じる事はありますが、特出して不都合が生じることはありません」
「……あ〜、それもあるが、そうじゃなくてだな。お前、頭でも打ったのか?」
「頭部に攻撃は受けていません。念のため先日父の次いでに頭部の精密検査を受けましたが、問題は検出されませんでした」
「そっ……そうか、それは良かった……元気でなによりだよ」
「はい、お気遣い頂きありがとうございます」
上司の言葉に対して返すなら、相手の言葉に対して必要な情報を正確に伝える事が望ましい。
そして此方の質問は、上官の話が全て終わってからと厳しい教えを受けていた。
「それでは、先生此方からも一つ質問よろしいでしょうか?」
八重はクラス担任に連れ出されている時から、疑問に思っていたことがある。
「俺は何処に、何の用事で連れて行かれているのでしょうか?詳細な説明を求めます」
「大見……まぁ付いて来れば分かるよ。悪い事じゃないから心配しなくて良い」
担任の駒沢教諭について行き二十分後。
八重は緊急で開かれた全校朝礼の壇上……
つまりお立ち台に立っていた。
校庭の据えられた一段高い舞台の上は、今日は少しだけ肌寒い秋風が吹き抜ける。
だが、そんな寒さは何のそのと、小太りでパリッとスーツに身を包んだ校長先生は脂ぎった顔に上機嫌の笑顔を貼り付ける。
「勇気ある行動は、何にも代え難い活躍であると共に、その功労は誠に多大である。よってここに深く感謝の意を表します」
前半部分をマルッと聞き逃してしまった。
校長と思われる人物の口上が終わるのを確認して、八重が一礼の後に感謝状を受け取れば、校庭に並ばされている生徒から八重に対して拍手が巻き起こる。
照れくさいやら、恥ずかしいやらで、この場を早々に退場したい気持ちに襲われるが、校長先生の話と言うのは、長くなれば校長先生の話とは言えないだろう。
それは、全国津々浦々の共通事項であり決定事項でもある。
無論この学校の校長も例外ではなく、八重の表彰が終わったにも関わらず未だに上機嫌に関係のない自分語りを続けている。
何処を見ても、真面目に話を聞いている学生など無い。
そもそも校長先生の話など、深夜のラジオ番組より聴取率が悪いのは当たり前である。
八重がそんな不真面目をざっと見渡していると、八重のクラス……
特に、女子の一列の一人から戦場でも感じた事ない熱視線を送られている事に気が付いた。
名前が思い出せないが、顔だけは知っている。
あの現場で仕方がなく突き飛ばし
八重のせいで擦り切れた手を見せて来た彼女だ。
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