第5話 10月2日

十月二日

結論から言うなら『大見 八重』はこの日学校に姿を現さなかった。

病欠でも無い、学校側に連絡もせずの無断欠席である。

当然、『硯 言ノ葉』の心中は荒波の様に荒れ狂ったが、彼女の本心を知るものなど誰も居ない。

「昨日大丈夫だったかい?」

と前の席に座る幼馴染の『荒木 京子』に聞かれたが、言ノ葉はニコニコ笑顔を張り付けてこう返した。

「八重くんが助けてくれたから大丈夫だった」と

昨日の今日だというのに、学校中で大見八重と私の噂は飽和状態となるまで広まっていた。

暴漢から少女を守った勇気ある少年。

その少年が次の日に無断欠席ではヒロインの面目丸潰れも良い所である。

「言ノ葉ちゃん、何か怒ってるのかい?」

「別にぃ〜わたしは、何も怒ってないけどぉ……」

隣の席の少女はこれでも隣近所に住む幼馴染みとして長い付き合いのある少女だ。

何かを隠したとしても直にバレてしまう。

実際のところ言ノ葉のやり直しの一年は、ストーカーの男よりも、前の座る『荒木 京子』との戦い日々だったと断言出来る。

作り笑いが京子にバレては一年前に戻り、

違和感を心配され一年前に戻り、

このよく気付く幼馴染のおかげで言ノ葉が何度一年前へのやり直しを食らったことか。

正直数えるのも恐ろしい。

ただ、久しぶりの見覚えのない授業は昨日より断然面白かったし、決められた食事以外を取るのも新鮮味があって非常に美味しかった。

ただ一つ不満があるとするなら、彼が……大見八重が昨日の宣言通りの行動をしない事だろう。

「昨日来るって約束したのに……」

言葉を反芻し、言ノ葉はやるせない気持ちを抱えながら、久方ぶりの未知を過す傍ら

同日、十月二日

結論から言うならこの日八重は嫌がる親を無理矢理連れて、病院へ向かおうとしていた。

「ちょっ!!八重お前学校はどうしたんだよ!俺は何も心配要らない!元気だって言ってんだろ!」

大声を出すのは大見八重の父『大見 九重』である。

だが父親が如何に抵抗しようと、八重には父である九重を病院へ連れて行かねばならない理由があった。

「いいから!オヤジ!人の言う事を聞けよ!今行けば間に合うんだ!」

自身の父親にそう叫ぶ、八重は戦場で一度死に十月一日の朝に此処に来た。

ただ、ここが何処か分からなかった八重は、兎に角あらゆる物を確認した。

日付から時間、インターネットの情報や事件。全ての物が八重の覚えている範囲に合致したのだ。こうなればもう認める他ない。

初めてこの時、『大見八重』は認めざるを得なかった。

『此処は自身の過去だ』と。

もっと正確に言うのなら、此処は十七歳の時、『大見 八重』が高校二年の時の過去だ。

全ての確認作業を終え、八重が次に取った行動は、早急に父親を病院送りにする事だった。

「好い加減にしろ!もう子供じゃないだろ!お袋も何か言ってくれ!」

傍らでオロオロとしてる大見八重の母親『大見琴音』に視線を移すが、更にオロオロするばかりで、全く頼りにはならない。

八重の様子は豹変と言って差し支えない。

十七歳当時の彼はもう少し弱気で、何に対しても臆病故に両親へ此処まで反抗を剥き出しにする事はなかった。

当然の事ながら八重の豹変に両親は困惑していた。

八重が学校に登校途中暴漢に傷つけられたと知った時、両親の肝は冷えに冷えたが、帰って来た八重の様子がどうもおかしい事には直ぐに気が付いた。

両親としても、あんな事件の後だと気を使い八重の様子を見守る事にして、その日は八重をソッとしておいたのだが、翌日になって八重は両親の知らぬ八重になっていた。

「ああもう!好い加減にしなさい!八重!お前の言ってる事おかしいぞ!」

「俺の言ってる事なんて!おかしかろうが、そんな事はどうでも良い!別に知ろうとしなくていいし理解もしなくていい!とにかく黙って今すぐ病院に行け!」

言葉遣いは乱暴で、半ば暴力的とも取れる行動に母である琴音は止めに入る。

「八重!急にどうしたのよ。学校は?学校はどうしたの?学校で嫌な事でもあったの?」

「そんな何年も前の事覚えていない!そもそも学校なんてどうでもいいんだ!今はオヤジの事が最優先だ!」

母親が頓珍漢な事を言ってるが、今は父親を病院へ連れて行く事だけを考えるべきだろう。

八重の父親、九重はこの数ヶ月後に癌が見つかる。

何度も手術を繰り返し、父親は最後治療薬の苦しさから病院で自殺をはかった。

母親も後を追う様に過労で倒れ、そのまま亡くなった。

どちらも、八重にとって最悪の最後を遂げたのは間違いなかった。

だが、だからこそ今なら間に合うのだ。

「今なんだよ!オヤジ!俺の頭がおかしいと思うならそれでも良い!あんたら両親が俺の事をどう思っててもいい……頼む、今行けば、まだ間に合うんだ……頼むよ……」

あんな思いはしたくない。

最後に二人の遺書を見て、涙も流れなかった。

あんなに笑顔が頼もしかった父親は、あの頃笑顔一つ見せなくなった。

あんなに不器用だった母親が、作り笑いだけ器用になっていった。

もうたくさんだ……

あんな思いをするのは一度で良い。

だから二度目があるなら、その前に手を打つべきだ。

「分かった……いや、よく分からないが。分かった。お父さんこれから病院に行くから、八重は学校に行きなさい。八重が学校に行ったのを確認してお父さんも病院に行くから」

母親もその言葉にウンウンと頷いて見せる。

だが八重はこの二人の事を良く理解している。

「……そう言って、本当は行かないんだろ?」

特に父親の事はよく理解している。この人の病院嫌いは筋金入りだ。

だから無理矢理にでも連れて行き、行ったのを見届けるまで八重は離れるつもりはもうとうない。

「オヤジ、悪いけどもうこれ以上待っていられないんだ、最後に聞くが、本当に良いんだな?病院に行かなくて?」

一度目の生前、父親の部屋の整理をした時に偶然見つけた物がある。

アレは父親が一人の男だと理解するには理由としては充分な厚紙の数々だった。きっと出張の多かった父親には、一時の慰めと人肌が必要だったのだろう。

「八重……何を言ってる……」

父親は瞳を逸らす。おそらく何か心当たりがあるのだろう。

母親は何を言ってるか分からないと首を傾げるばかりだが、母親に知られれば家庭内での立場はおそらく逆転する事は免れない。

「オヤジ、本当にいいんだな?」

「お父さんは、息子からの圧力に屈したりしない!」

キリッと言ってのけた父親だが、それなら此方にも考えがある。

「ゆい、ナツコ、まさかオヤジが天国の常連だったとはな。俺でもまだ行ったことないが。後は……あぁ、思い出した。そうそう、確かハネムーンって名前は秀逸だよ。俺も見たら思わず入ると思う。そこでは確かチサッ……」

父親はこれ以上言わせてならないと、八重の口を塞ぎに掛かった。

「何か具合が悪い気がするし!熱っぽい感じもするからさぁ!お父さん病院行こうかな!」

「あらあら、八重さん続きは?ハネムーンの続きが気になるわ〜ねえパパ?八重さんの話の続きを聞いてから、怪我を診てもらいに病院に行ってもいいじゃないかしら?」

投擲された火炎瓶の様に燃え広がった家庭内不和を置き去りに、八重と父親は連れだって病院へ向かうと

案の定とも言うべきか、父親の身体からは早期治療が可能な初期の癌が見つかったのだった。

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